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1-3 異端へようこそ

 歴史ある名門校である王立ユダリト学園において、転寮はさして珍しいことではない。寮を移る生徒というのは毎年二人以上いて、それぞれ新しい環境で学校生活を再スタートさせている。

 しかし、それがグルイス寮への転寮となると話は別だ。


 グルイスは芸術に秀でた者のための寮であり、問題児のための寮である。例年、在籍生徒数が最も少なく、最も危険で最も自由な寮だ。

 生徒からの呼び名は散々なもので、「不良生徒寮」なんてまだ可愛い方だ。「聖人でさえ逃げ出す寮」とか「非人間の寝床」「無法地帯」とか……これ以上はやめておこう。グルイスの門には「この先、法律と常識は通用せず」と書かれた看板があるくらいだ(当たり前だが法律は通用する。ユーモア溢れたただの看板だ)。



 グルイス寮の生徒は他寮生にとって奇怪そのものだ。善き隣人であり、関わりたくない爆弾であり、そうして目が離せない鮮やかさと質量がある。グルイス寮の生徒がいると皆アッとなって遠巻きに見つめて、次は何が起こるのだろうとこっそりわくわくするのだ。


 そしてグルイス寮への転寮なんてのは、学園側から「問題児」の烙印を押されるのと同義なのであった。


 リズワはつい昨日まで己が所属していた貴族の寮・トゥカノエを思った。美しくて平和で退屈なあの城。

 彼は小さなボストンバッグ2つにあらゆる荷物を詰め込んで、学園の教員塔にいた。そう、彼こそがユダリト学園五百年の歴史の中でも珍しいグルイスへの転寮生。問題児の烙印を押された者だった。



「君はもう少し上手くやると思っていたけど……ふふ。その顔を見るに、これは君の予想通りなのかな」


 教員塔の端の廊下。そこでリズワはトゥカノエの寮長と話をしていた。転寮届が受理され、リズワはもう彼の手を離れている。

 シャルル・ド・キャロル。この国の第一王子にして王位継承権第一位。正真正銘ほんものの「王子様」である。彼は学園からリズワの転寮を打診された瞬間からずっと楽しそうな様子だった。高貴なる新緑の瞳からは何も読み取れない。碌に話したこともないが、リズワはシャルルという王子様が苦手だった。表情から彼の真意を読み取ることはできず、しかし彼はリズワの表情ひとつで千を知るだろう。


「僕も何か依頼してみればよかったな、優秀な情報屋の君に」

「……御冗談を」


 二人はリズワの迎えを待っているのだ。奇人の長、グルイス寮の現寮長を。気の遠くなるほど長い数分を地獄の番犬みたいな気分で過ごして、ようやく聞こえてきた軽い足音に目を向ける。



 真っ先に目に飛び込んできたのは胸元の青い薔薇のコサージュだった。次に同じ色の瞳。高貴なブルーが理知的に輝いている。

 女は特徴的なグレーの髪を揺らして、支配者の笑みを浮かべて現れた。リズワを襲ったのは強烈な違和感だった。何とは明確にはわからないけれど、違和感。

 彼女は優雅な仕草でリズワに掌を差し出した。


「ミリ・ラーヴェス。あなたが転寮生?」

「はい、リズワ・アイルミシクです」


 差し出した手が思ったよりも強い力で握り返される。グルイス寮の寮長は二年生、しかも女性であることはリズワも把握していたが、これほど流麗で強かそうな女であるとは思っていなかったので少し驚いてしまう。

 二人の握手をキャロルがにこやかに見つめていた。灰色の乙女・ミリがそんなキャロルに「久しぶり」と気安く声をかけたので、リズワはびっくりして生唾を飲み込んだ。トゥカノエでさえ、彼にそんな気安い態度を取れる人物は一人としていないのに。


「そうだね。春のパーティー以来か」

「兄様が寂しがってたよ」

「嘘つけ。あの人は僕のことをちょっと扱いやすい駒くらいにしか思っていないだろう」

「ふふ。さあどうかな……」

「君だってそうだ。あんまり僕のところの子を困らせないでね?」

「もう『うちの子』だよ、シャルル」


 ミリ・ラーヴェスという女は「さぁ」とリズワを急かし、別れの挨拶もせずシャルルに背を向けた。リズワは思わず振り返って、そしてミリの背中と笑みを浮かべるシャルルを交互に見て、シャルルに礼をした。足早に彼女を追いかける。


「楽しんでね」


 シャルルのそんな声が聞こえた。








「グルイスの寮章は茨。寮への道は文字通り茨の道なの」


 薄汚れた石畳は歴史の古さを物語っており、その脇の茨の生垣には薔薇のつぼみがある。リズワは荷物を持って寮へと続く道を歩いていた。


 茨の生け垣に沿って道を進むとグルイス寮が見えてくる。寮は学園の校舎とさほど変わらない古い洋館だった。違う点といえば、その壁や屋根に至るまで覆うように茨が這っていることくらいだろうか。石門の前にはかの有名な「この先、法律と常識は通用せず」の看板があった。リズワは顔を引きつらせたが、そんな彼の機微に寮長は気が付かない。

 石門を抜けると寮の大きな門が見える。ガーデンには色とりどりの薔薇が咲き乱れていて、真っ白なベンチではお茶もできそうだ。これだけ見れば異質なのはあの看板くらいで、ただの素敵な館である。


 リズワは荷物を2つ持っていたが、早々に「逃げられちゃ困るからね」と1つ奪い取られて人質にとられていたので右手に鞄を持つだけだった。リズワの鞄を持ったミリが、威圧感のある冷たい扉を押して開く。見た目とは裏腹に扉はきしむことなく開いた。



 広がっていたのは青緑色のロビーだった。意匠の凝らされたダークブラウンの木の階段。同じ色の椅子とテーブルがあり、柱時計の金色の針が四時半を示していた。

 綺麗なエメラルドグリーンの壁に、星の数ほどの絵画が並んでいる。額縁は様々だ。丁寧に作られた高級そうな物もあれば、画鋲で止められている物もある。色褪せた絵画、額縁の上からさらに書き込まれた絵画、絵の具が垂れている絵画……どんな美術館よりも魅力的な作品が天井まで並んでいるのを目にして、リズワの目は輝いた。

 

 生徒に問題児が多いことを話題にされがちだが、ここは名門ユダリトでも芸術に秀でた天才たちが集う寮。大多数の生徒と同じように、リズワはそれを忘れていたのだ。

 わぁ、と小さく声を上げて見入った新入りに、寮長は「触らない方がいい。何を絵の具に使っているかわからないから」と微笑みながら忠告した。

 濃い色の木目の階段、床、扉と鮮やかな壁紙は見事に調和したおり、落ち着きすら感じる。芸術寮の名は伊達じゃないな、リズワは思った。

 広い空間の左右に階段があり、その階段を上ると寮の部屋だ。どこからか美しいピアノの旋律が聞こえた。音楽に明るくないリズワでもその上手さがわかる。圧倒的な絵画と、美しい音色。


「リズワ、止まって」

「え、」


 ミリに言われるがままに足を止めると、リズワが進もうとしていた場所にストンと何かが落ちてきた。それを認識した少年の顔がさっと青くなる。それは鋭利な彫刻刀だった。あのまま進んでいたら死んでいた!

「あーあ。またルカ?」ミリはなんでもないような顔で床に刺さった彫刻刀を抜いて、それを徐にロビーのデスクに置いた。床には同じように何かが刺さり、そして引き抜かれた痕が残っていてぞっとする。上を見ると無人の踊り場とシャンデリアが見えるだけだった。


「ルカ!」


 ミリが階段の上に向かって叫ぶ。ひょこ、と音もなく機嫌の悪そうな青年が顔を出した。


「なぁにミリ、俺忙しンだけど……」

「ナイフ落としてたから拾っといて」

「え?あぁごめんマジか回収しとくわ」


 言葉を失ったままのリズワに構わず、ミリは部屋を進んでいく。どうやら俺はとんでもないところに来てしまったらしいとリズワは悟った。しかしもう戻れない。ここに吸血鬼に関する情報があるなら、すべて利用してでも絶対に目的を成し遂げる。

 彼の目的はあと少し時間がたてば思わぬ形で叶うことになるのだが、まあ、今の彼にとっては知りえないことだ。




 左階段の先の廊下にも絵画は続いていた。その突き当りには断頭台の絵が飾られており、そのすぐ横にナイフが刺さっている。ナイフの柄には「この先女子禁制」と赤い絵の具で描かれており、「物騒すぎだろ」と思わず呟く。文字が誰かの血で書かれていないことをリズワは祈るのみだ。


「この通り、この先は女子禁制だから私は此処で失礼させてもらうよ」


 ミリは持っていたリズワの荷物を手渡した。ようやく解放された人質を抱える。


「君も知っての通り、この学園には女子が少ない。左階段の先はまるごと男子寮だけど、右階段の先も半分は男子寮なんだ。男子禁制区域は右階段をかなり進んだ絵画の先だから気を付けてね」

「……絵画のタイトルは?」

「『堕天使のブロマンス』。血塗れの絵だよ。キキ……三年の女生徒が描いた」

「色々と怖いので絶対近づきません」

 寮長は「それがいい」と笑った。


「この先はダリアに任せてある。『情報屋』の君なら知っているだろうけど、一応紹介するよ。三年のダリア・ロイシーだ」


「ハァイ」と突然リズワの後ろから声がした。

 彼と同じくらいの背丈の男がいつの間にか立っていて、思わずリズワはさっと後ずさった。男、ダリアはにかーっと笑って「ホラ、早くいこーよ」と間延びした声をかける。


「案内が終わったらもう自由にしてくれて大丈夫だよ。ルールもダリアが説明するから。……じゃあダリア、くれぐれも変な事をしないようにね」

「はぁい寮長~」


 標識のナイフを通り過ぎてから、一度寮長の方を振り返って会釈をする。ニコニコした寮長が手を振っていた。


「なんだっけ名前」

「リズワ・アイルミシク」

「そうそう、リズワね、リズワ」

 彼は癖っ毛の髪をぴょこぴょこさせながら廊下を進んでいた。同じようなダークブラウンの扉が等間隔に並んでいるが、一つ扉を通り過ぎるたびに住人の様子が少しだけ想像できる。リボンや糸くずのはみ出した部屋、焦げ臭い部屋、物音ひとつしない部屋、どうみても血痕にしか見えない後の残る扉。


「リズワクンの部屋はここだよ」


 そのうちのひとつの扉。ダリアががちゃがちゃとドアノブを回し、家主のはずのリズワを差し置いてその扉を開けた。

 空いた窓から薔薇の香りの風が吹き抜け、ダークブラウンの家具がリズワを迎え入れた。シングルベッドには薄青の掛布団。一人掛けのテーブルに、椅子と棚。壁紙は真っ白だが高級感がある。リズワは両手に持っていた荷物をフローリングに置いた。


「気に入ったみたいで何より」


 統一されたスモークブルーが落ち着きを感じさせる一人部屋で、リズワはほっと息を吐いた。今日から此処が彼の城なのである。


 家具を眺めているリズワに構うことなく、ダリアは「グルイス寮則そのいちぃ」とやけにゆったりした口調で話し始めた。


 その一、相手の了承なしに他人の部屋に入ってはならない。

 その二、外出届、外泊届は必ず提出しなければならない。

 その三、緊急時は速やかに寮長に報告しなければならない。


「以上~」と緩い口調で締めくくったダリアに、リズワは「それだけ?」という顔をした。


 トゥカノエでは「十一時以降に外出をしてはいけない」とか「共有部分への張り紙禁止」とか「政治運動はしてはならない」とか、厳しいルールが細かく決められていたからだ。まぁトゥカノエは貴族の子息が集まる寮なので、厳しくしないと生徒自身の身を守れないというのもあるが。そもそも寮則が寮ごとに違うというのも今知ったのだ。


「厳しいルールだと嫌気がさして皆従わないんだよ。寮長に絶対従わなければならない、とか特にね。ミリ寮長になってから随分緩くなったよ。最低限、寮生の安否と生死だけわかってれば良いと思ってるからあの人」

 他人行儀みたいな言い方をするくせ、やけに口調は自慢気だった。随分と寮生から慕われている寮長のようだ。


 実際この規則は少々異常である。「寮長に従わなくてもいい」と言っているようなものだし、消灯時間や就寝時間のようなものもない。

 ダリアは「それで上手く行ってっから良いんじゃない?」と適当に言った。


「公の規則はほんとにこんだけだよ。教師側も了承してる規則はね」

「公、というのは?」

「あは。なんてったってここは『人外特区』だからね?自分の身は自分で守らなきゃ」


 グルイスの不名誉な仇名のひとつのようだ。不名誉な仇名のわりに、彼は微塵も気にした様子もなかったが。



「ミリ寮長につまらない事件を報告してはならない、他人にナイフを刺してはいけない、花を踏みつぶしてはいけない、夜三時を回ってから自室の外に出る際、鏡の前を通ってはならない……」

 他にも彼は「隣の部屋から異音が聞こえたらすぐ逃げなければならない」とか「料理当番の前で食べ物を粗末にしてはならない」ととかぶつぶつ繰り返し、リズワの「守らなかったら?」という問いには「庭の墓石がいっこ増えるだけ」と涼しい顔で答えた。

「なるほど」

 リズワは生気のない目でなんとか頷いた。トゥカノエの日々も案外悪くなかったなぁと今更ながらに思い出しているのである。


 ダリアはウインクをすると微妙な顔をしたままのリズワを置いて去っていった。リズワが部屋のドアを閉めるのを風が後押しする。

 陽が傾き始めていた。そういやこんな夕焼けの日に、フローリアから吸血鬼のことを教わったのだった。あれからもう数週間は経っているだろうか?


 リズワは少ない私物を棚やクローゼットに押し込んで、備え付けのバスタブや洗面台を覗いてみたりして、それから慣れない木目のデスクに手帳を広げた。これからはわざわざ外出して手帳を整理する必要なんてないのだ。

 静かな夜ではなかった。誰かが弾くピアノの音色、鋏が茎を切り落とした音に、何か液体を混ぜるような音も薄らと耳に入る。けれど不思議とそれらは不快でなかった。顔も知らぬ何者かが、お前は孤独じゃないよと伝えてくれているようだ。


 トゥカノエに比べればはるかに質素な、しかし上等で丁寧な仕事で作られたベッドとシーツに横たわる。閉めていない窓から丸い月と星空が見えた。


 真新しい夜は茨の香りがした。


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