1-1 情報屋とフローリア
結論から言えば、ある場所を除いて、リズワの求めるような情報は学園内に無かった。
教師も含めて探したが、彼の両親につながるような情報は無い――そもそも田舎の豪雪地帯で起きた殺人事件を知っている生徒がいないのだ。貴族はもっぱらゴシップや戦争に夢中で、そうでない生徒は日々を生きるのに必死だから。リズワのかつての故郷近くに住んでいた生徒もいないようだった。
……さて、「ある場所を除いて」と言ったが、目下リズワを悩ませるのはある寮の生徒だった。
太陽のトゥカノエ、獅子のアダーミン、梟のエルライと厳めしいモチーフが並ぶ寮の中で、その寮のモチーフは「茨」である。棘を象った文様を身に着ける生徒は、下手するとリズワよりも近寄ることを恐れている生徒が多いのではないだろうか。
――グルイス寮。芸術家の集う寮。
奇人収容所と名高いそこの生徒は他の寮と比べて寮生が圧倒的に少なく、各学年片手で数えられる程度しかいない。しかし彼らの情報は、リズワをもってしても手に入れられなかった。名前、参加している授業……これらの情報はわかっても、パーソナルな情報はなにひとつ手に入らない。彼らを少しだけ知る生徒は揃って「変人ばかりだ」と笑い、知らない生徒は根も葉もない噂を嬉々として語る。
そもそもグルイス寮というのは飛びぬけて他の寮との交流が少ない。授業時間以外のほとんどは寮にこもって芸術に勤しんでいるから、らしい。
リズワがこの寮に固執するのは、彼が一度だけ聞いた噂のせいだ。
「グルイス寮には吸血鬼がいる」
それを聞いて思い出したのは両親の死体。彼らは首元から血を流して倒れていた。両親も、村のほかの住人も、死因は失血死だった。
馬鹿馬鹿しいことだとリズワだってわかっている。村を滅ぼしたのが吸血鬼かもしれないなんて、そんなのは馬鹿げている。
しかしたった数か月で形成された「情報屋のプライド」がリズワの思考を邪魔した。茨の棘が「暴けるものなら暴いてみろ」と笑っているようだった。
調べるのはタダだ。そして「ほら違った。言っただろ」とその時笑えばいい。リズワはそう思って、グルイス寮について調べるべく重い腰を上げた――のだが。
案外「機会」というのは簡単に訪れるらしい。
「あなた、ユダリトの生徒よね……!」
華奢な少女の腕がリズワの腕を引っ掴んでいる。
「あの人のこと追いかけるから、手伝ってほしいの!」
フローリア・フローフィリア。リズワと同じく一年生、ユダリト学園には珍しい女生徒。人形のように整った可愛らしい顔立ちの学園のマドンナ。
――茨の寮・グルイス寮の寮生のひとりである。
リズワは彼女に腕を掴まれてしまったので、学生街のレンガ道を彼女と共に全速で走ることになってしまった。
どうしてこんなことになったのか?以下、解説である。
その日、リズワは学生街のあるカフェーに居た。店内は昼間だというのにオレンジのランプが要るほど暗く、煉瓦造りの壁にはリズワの影がゆらゆらと揺れていた。
リズワは手帳にペンを走らせていた。言うまでもなく情報屋の仕事である。彼は窮屈そうな姿勢で、神経質に手帳に文字を走らせていた。これは彼の日課だった。ここは金のない貧乏人が来るところでなければ、貴族が来るほど格式高くもない。彼はよくここで仕事の整理をしていた。彼の部屋は依頼人のノックが止まないから、まあ仕方のないことだ。
彼は黒いインクでびっしり埋まった手帳を手で仰いで乾かし、次のページを捲ろうとしたのだが。急にふっと手元が暗くなったのでその手を止めた。ランプの油でも切れたのかなと顔を上げたその瞬間。
知らない男と目が合った。
ガタン!大きな音と共に彼のテーブルに男が倒れこんできたのだ。男は驚愕に満ちた表情で上を向いて倒れていた。その首から、血が流れているのが見える。
「……は?」
思わずリズワの口からそんな情けない声が漏れた。彼の掌に男の首から垂れた血がぽたりと落ち、その温かさで我に返る。
音を立てて椅子から飛び上がって距離を取る。男は痛みに苦しみ喘いでいて、良かった、死んではいないようである。それにほっとしたのも束の間のことだ。リズワはそこから動けなくなってしまった。
男をそんなふうにした誰かが――何かが、すぐ隣にいるのだから。
倒れた男から視線を外すことができない。リズワの脳裏には亡き父が男に被って見えた。だってあまりにも似すぎている!父も首から血を流して死んでいた。あらゆる全ての嫌な記憶が強制的に脳内に上映され、あぁこれが走馬灯かとやけに冷静な脳のどこかで思ったその時、カフェーの扉が勢いよく開かれた。
「何してるの!」
三歳の弟を叱る、七歳の姉のような声色だった。少女の声だ。可憐な声は「精一杯こわい声を出しました!」といった様子で、別に怖くはなかったけれど。
扉を開けたのはチョコレート色の髪の美少女だった。ブラウンのワンピース姿の彼女はずんずんと店内を臆することなく進み、リズワの隣に立っていた痩せぎすの男に「あなたね?」と詰め寄る。
そこで初めてリズワは「犯人」の姿を直視できた。ボロボロの服を着た五十代くらいの男。無精ひげに使い古した革靴なんて、この学生街でその姿はあまりにも異質に見えるだろう。ここは学校の多い学生ばかりの街なのだから。
男は狼狽えた様子で「あ」とか「う」とか繰り返した後、少女の耳についた小さな飾りを見て突然「青薔薇!」と叫んだ。少女がその声にびっくりして後ずさり、男はそんな少女を突き飛ばすようにして店外へと走る。
「きゃっ」
「うわっ」
何の因果か少女が倒れた先にいたのはリズワである。突然の恐怖体験に足ががっくがくになっている彼ではひと一人分を支えることなど到底できず、普通にすってん転んで強かに壁に後頭部を打ち付けた。
「ああ!ごめんなさい怪我はないかしら!」
少女がすぐさま立ち上がってリズワに手を伸ばす。リズワはそれを片手で制して、「大丈夫」と立ち上がった。全然膝は笑ったままなので、当たり前だが大丈夫ではない。
少女は他の客や店員を見まわして怪我を確認した後、血を流してる男に「もうすぐ救護が来るわ」と言い、店員に彼の止血をするよう指示している。その姿はなんだかこなれていて頼もしさすら感じさせた。緊迫していた店内の空気がいくらか弛緩したとき、少女がリズワの顔を見て「あ」と声を上げた――正確には彼女は彼の顔ではなく、服を見たのだ。
王立ユダリト学園の、ブルーの制服を。
「あなた、ユダリトの生徒よね……!」
華奢な少女の腕がリズワの腕を引っ掴んだ。
「あの人のこと追いかけるから、手伝ってほしいの!」
解説は以上である。
そういうわけでリズワはうまく動かないままの足を必死に動かして、学園きっての美少女とともに学生街を爆走していた。
フローリアは入学早々めちゃくちゃに話題になったが、実際にその目で見たのはリズワにとって初めてである。神様がとくべつ手をかけて作ったような美しいかんばせ、鈴のような声、華奢な後ろ姿。確かに男子生徒ばかりのユダリト学園で噂になるのも頷ける、のだが。
いかんせんその美少女、ちょっと足が速すぎるのである。
リズワは結構必死で走っているのだが、それでようやく彼女と同等くらい。しかも彼女は「あっちの右の通りに行ったみたい」とか「次の角を曲がるよ」とかリズワに話しかけながら走っているのだ。リズワは信じられない気持ちで、しかし置いていかれるわけにはいかないと思ったので黙って走った。「どうして犯人を追いかけてるんだ」とか「なんで方向がわかるんだ」とか「足早すぎるだろ」とか、言いたいことは山ほどあったがとにかく走った。
前を走っていたフローリアのくるくるの髪が、ようやくその速度を緩める。リズワはどっと疲れて肩で息をしていた。何分走ったのだろうか、ずいぶんと遠くまで来てしまった気もする。フローリアは疲れた様子も見せず、「ここね」と路地裏のドアを指差した。
「逃げても無駄なのに、往生際が悪いんだから」と彼女はぷりぷり起こっていて、リズワはもう何個目かわからないハテナを頭上に浮かべる。しかしリズワがその中からひとつめの疑問を選んでいる間に、フローリアはそのドアをノックしてしまった。
「ごめんくださーい」
「おいちょっと待て」
フローリアは「どうしたの?」とリズワに聞いた。それはこっちのセリフだ。殺人未遂事件の犯人がいるらしい部屋のドアを簡単にノックするなよ、というかなんで犯人を追ってるんだよ、てかなんで方向わかったの?あと足早すぎるだろ!
駆け巡った疑問が口から出そうになった瞬間、ドアの向こうに人の立つ気配があった。二人はそっくり同じタイミングで扉を向く。
「君は危ないから下がっててね」
学園一の美少女はそんな格好いいセリフを口にしてリズワを下がらせた。
ドアが軋みながらゆっくりと開き、中から現れたのは先ほどの男だった。店内は暗いからわからなかったが、そのシャツの襟はべっとりと汚れている。まるで――口元に血を浴びたように。
フローリアはまるで教会のシスターみたいに、厳かな声で告げた。
「モルタで人間を襲った罪。モルタにおける吸血鬼の行動規定に基づいて、あなたを連行します」
男はぶるぶると小刻みに震えていた。怯えや悲しみではない、何かの中毒症状のような震えだ。フローリアは彼をまっすぐ見つめている。そしてゆっくり後ろ向きに数歩歩いて、リズワのすぐそばまで歩み寄った。
瞬間、男が鋭い咆哮を上げてうずくまった。獣のような声を上げ、蹲って何かを唱えている。フローリアは男から目線を外さないまま、おもむろにリズワの手を取った。すべてから取り残されたままのリズワはフローリアにされるがまま、彼女に左手を預ける。
「……蝙蝠?」
リズワは茫然と呟いた。蹲った男の身体が大きな蝙蝠に変容していた。蝙蝠は重そうにその翼を広げ、今にも飛び立とうとしている。
「……ごめんね」
フローリアがそう呟くのが聞こえて彼女に視線を移すと、フローリアはリズワの指先をピッと何かで引っ搔いた。声を上げるでもない小さな痛みが走って、リズワはただただ驚きのままにそれを見つめる。
彼女はリズワの指先を口元まで運んで、そしてわずかに零れた血液を舌で舐めとった。小動物が親愛を示すような、そんな仕草。
「はァッ!?おまっ、なにして……!」
絶句したリズワに構わずフローリアはその手を放す。彼女の茶色い大きな瞳は真っ赤に染まっていた。彼女はその細い腕を蝙蝠に伸ばす。リズワはそれを見ていた。ただ食い入るように見つめていた。
フローリアの声が凛と路地に響いた。
「花よ」
蝙蝠が鋭く叫び声をあげる。
その黒い羽に白い花と蔦が現れ、やがてそれらはぐるぐると蝙蝠を拘束した。飛べなくなった黒い化け物は無様に路地に落ち、ばたばたと必死で体を動かしている。
「……拘束を確認しました。シュナイダー先輩!」
「はいはい」
キィン!と鈍い音がして、剣が蝙蝠の羽に突き刺さっている。
路地の上から男が降ってきたのだ。男は正確に蝙蝠の羽を切り落とし、それからフローリアとリズワを振り返った。
目にかかるほど長い前髪の奥に、紫色の瞳が覗いている。彼はフローリアに「一般人巻き込んじゃ駄目だろ」と、仕方のない妹に言うような口調で告げた。
「緊急だったんです!それに、同じ学校の生徒なら、あとで説明する時間もあるかなって……」
「ああね。でも、運が悪かったんじゃない?コイツ『情報屋』でしょ」
シュナイダーと呼ばれた青年は、フローリアのものとよく似たピアスを着けていた。青い薔薇を象ったピアス。彼はリズワの顔を見るとニコリと笑った。とても今しがた怪物を無効化した人物とは思えない。彼は剣を鞘にしまうと、蝙蝠をひょいと摘まみ上げた。
「……まぁ。頑張ってね、ヒロインちゃん」
「え!シュナイダー先輩は?」
「俺は『コレ』の後始末」
「あぁ、そっか……いつもありがとうございます。頑張ってくださいね、先輩!」
「俺のセリフね?それ」
シュナイダーは「ハハ!」と兄みたいに笑って、そして路地裏の奥へと消えていく。
「さて」
申し訳なさそうに眉を下げたフローリアが、リズワの顔を見て告げた。
「いったいどこから説明しよっか」




