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0- 情報屋の産声

 何より、何より食事の時間が一等嫌いなのだ。


 少しでも目標を誤るとキンと甲高い音を立てて非難してくるナイフに、耳に入る夜会のゴシップに、量が少なくて複雑な味がするだけのスープ。

 小奇麗な洋服は動きづらく、高い椅子は座り慣れない。食事をサーブした初老の男は無関心そうに部屋の隅に立っていたが、きっと彼よりリズワの方が疎外感を感じていた。


「ねぇ、あなたもそろそろきちんとしたテーブルマナーを身に着けて頂戴よ」


 この広い屋敷を牛耳る女がそう言って、話題の矛先をリズワに向けた。動揺してフォークが皿に当たり、カチャリと不細工な音を立てる。

 まともな教育も受けさせなかったのはそっちだろうに。


「はい、お母様」


 平坦で起伏のない声が響く。場は水を返したように静かになり、大ぶりの耳飾りを着けた女は口端を吊り上げると「やだわ」と甲高い猫なで声で言った。彼女が「意地悪」の時に使う声色である。


「それ以外の言葉も喋れるんでしょうね?そうじゃないと明日から苦労するわよ」

「はい」


 リズワは機械のように答えた。彼はこれ以外の言葉をこの屋敷で喋ったことがない。「はい、お母様」「はい、お父様」「はい、お兄様」「はい、わかりました」それ以外の言葉は必要ない。それ以上を要する生活を、この屋敷で送ってきてはいないから。


「あなただって外に出ればアイルミシク家の一員だって見られるんだから」

「はい」

「あぁ嫌だ嫌だ。なんだってアシュレーの大おば様の、駆け落ちして生んだ子供のそのまた子供なんてうちで面倒見なきゃいけなくなったんだか」

「はい」

「仕方がないよ母さん、高貴なるものの務めだ。持てるものは与えなくては」


 「兄」は彼の母によく似た醜悪な笑顔で言った。そのだらしない身なりは許されてリズワのテーブルマナーが許容されないことにリズワはいつだって耐えてきた。その腹を蹴飛ばす妄想をもう幾度となくしてきて、それを実行に移すことはこれからも無いだろう。

 感謝はしている。故郷が無くなって身寄りがないリズワを引き取ってここまで育てたのは紛れもなく彼らだ。彼は下働きのように雑用をこなして、取ってつけたような、教育とも言えないような粗末なものを身に着けてきた。リズワには何もなかった。血の繋がっていない意地悪な「家族」以外、何も。


 母と父を思い出すとき、いつだって最初に思い浮かぶのは彼らのあたたかい笑顔ではなくて、変わり果てた2人の肢体だった。首元から血を流して死んでいた死体。二人だけではない、一晩にして故郷の小さな町の人間すべてが「そう」なっていた。

 リズワはその時、ちょうど麓の町まで買い物に行っていた。パイに使う小麦粉が無くなったから。次の日は母の誕生日で、リズワはサプライズのために夜に小麦粉を受け取りに行ったのだ。両親を思い出すとき、リズワはいつも己の選択を悔やむ。

 そして未だ知れないその殺人犯を恨み、やるせなさに息を吐くのだ。


 ファミリーネームがアイルミシクになってからずっと厄介者の扱いをされてきた彼だが、明日からはその環境が変わる。十六になる歳の貴族の子息がこぞって入る寄宿学校に入れられることになったのだ。

 王立ユダリト学園。優秀な子供が集まる全寮制の学校で、リズワは明日から新入生になる。彼はとにかくほっとしていた。彼は人見知りで環境が変わることにストレスを受けるタイプではあったが、このクソみたいな屋敷を去れるのだ。

 リズワを体よく追い出したいアイルミシク家の思惑あってのことだが、願ったり叶ったりだ。とりあえず向こう三年間、どうしようもなく嫌いな人たちと離れて暮らせる!


 屋敷から動けなかったこの三年間を思うと涙だって出そうなくらいだ。もちろんこれは冗談だが。

 リズワの青い瞳は野望に燃えていた。彼は束の間の自由を手にしたのだ。彼にはやりたいことがどうしてもあった。そのためにならなんだって出来る、その命投げうってでもやりたいこと。


 両親を殺した者への、復讐。




 ユダリト学園には4つの寮があって、リズワは貴族ばかりが集まっているトゥカノエという寮の所属だった。太陽を模したピンバッジはトゥカノエの象徴で、彼らは揃いも揃って傲慢でプライドが高かったが、特段他人を害そうともしない奴らだった。そりゃあそうだ、学園内の地位はそのまま社交界の地位を示している。誰も彼もが、誰も彼もから好かれようと必死だったのだ。

 リズワは張り付けた笑みで同級生たちとぽつりぽつりと会話を交わして、そしてそれきり二度と話さない、みたいな友好関係しか築けなかった。根っからの貴族にはきっとわかってしまうのだろう、リズワが本当は貴族なんかじゃないことが。ハリボテがバレてしまうのだ。リズワは別に貴族と馴染もうなんて思っていなかったからそれでよかったけれど。


 誤算だったのは、トゥカノエ寮生は他の寮との関りが希薄であることだった。貴族でなくてもユダリト学園には入れる。国が優秀な生徒を通わせて、将来的に役に立つ人材を輩出しようとしているから。

 しかしそういう生徒は貴族の象徴・太陽のピンバッジを見ると途端に緊張したように縮こまって言葉をなくすか、距離を取るか、すり寄ってくるような人間ばかりで、リズワはもううんざりしていた。彼は「事件」について知っているか聞くために近くの地域出身の生徒を探そうとしたけれど、もちろんうまくいくはずもない。何もかもが窮屈だった。何もかもが!


 朝起きて、授業を受け、豪華絢爛な寮に帰り、眠る。これだけの人生。つまらない。これだけ?本当に?本当に俺はこれでいい?

 鏡に映る自分が怯えた顔をしていた。自分が腐り果てていくのをひしひしと感じる。


「なあ、お前、グステンのことは知っているか」


 上級生に話しかけられたのはまだ九月の、新学期の空気が抜けきらない午後だった。


「……ええ。知っていますよ」

「奴が昨日、何をしていたからわかるか」


 上級生は獅子のピンバッジをしていた。おそらく平民出身、腕っぷしの強そうな彼はどちらかといえば「悪い奴」に見える。

 ……グステン。トゥカノエの同級生で、たしか貴族らしい狡猾そうな少年だったはず。彼はたまたま午前の授業が同じで、いつも授業が終わるとそそくさと一人で教室を出る……


「放課後なら、いつも学生街に向かっているはず」


 リズワは深く考えずに喋った。喋ってから、ああ彼はきっと酷い目にあわされてしまう、と思った。まあ、もう言ってしまったことは仕方がない。思考だけは他人にどうこうできるものではないのだ。

 後ろに仲間を何人も連れたその上級生は「そうか」と呟くと何か考えるそぶりをして、ニパッとリズワに笑いかけた。


「ありがとな、これは礼だ」


 上級生はリズワに紙幣を握らせると、足早に去っていく。


「……え」


 リズワは絶句してその場に立ち尽くした。ハッとして胸元を見るとピンバッジがない。どこかで落したのだろう。彼は自分をまさかトゥカノエだと思わなかったから、きっと貴族ではないと踏んで対価を渡したのだ。軽い気持ちで手渡したであろう、一番安い金額の書かれた紙幣。

 リズワにとってそれは天啓だった。その紙切れ一枚が何よりも宝物みたいに見えた。草臥れたそれは灰色の日々の中であまりにも鮮やかだった。はじめて、ほんとうに、自分で手に入れた金のような気がした。

 リズワの口端が上がる。どうかその笑顔が意地悪な「母」と似ていないことを祈りつつも、彼は笑うことをやめられなかった。


 上機嫌のまま街に降りて、その金でパンを買う。ぱさぱさと口の水分が失われるのももうどうだっていい。「アイルミシク」になってから初めて満たされた気持ちになった。

 情報は金になることを知ってしまった!





 リズワの生活はがらりと色を変えた。朝食は部屋で食べていたのを談話室に変え、昼食や夕食も食堂にわざわざ赴いた。世間話、皮肉、陰口。そういった聞こえてくる情報はすべて彼の資産になった。どうしてもっと早く気が付かなかったのだろう?

 名前は、家は、授業態度は?友人は誰で、誰と誰が対立している?リズワは友達と呼べるような友人は居なくて、それが彼の一番の強みだった。フラットに物事を見れるのだ。そもそも彼らについて知らないから、偏見も先入観もあったものではない。

 彼は知りえた情報を、的確に「必要とするところ」へと運んだ。最初は助言程度。次は簡単な対価を求め、その次は依頼されなければ動かない。情報の対価は金ではなく情報にすることもあった。そうして包囲網を広げ、すべてを手中に収める。彼の噂は噂を呼び、同級生どころか上級生まで彼の元を訪れる始末。

 つまるところ、リズワは才能があったのだ。全員が顔見知りの小さな村か、全員が敵の団欒とは程遠い屋敷しか知らなかっただけ。


 リズワは奇特な地位を築いた。学園の情報屋。何でも知っていて、何でも答えてくれる情報屋。この学園で何か知りたいことがあれば、彼に対価を支払ってあとは座っているだけでいい。彼は一目置かれると同時に危険視された。後ろ暗いことがあったり、漠然と不安を抱えている者は彼の名前を口にするのにさえ怯える。当たり前だ。彼はたやすく破滅を連れてくる死神で、きっと彼の背後には不可視の鎌があるに違いないのだから。

 リズワ・アイルミシクに迂闊に関わってはいけない。そんな不文律が早くも生徒の間で囁かれるようになった。


 リズワは報酬の金で安いパンを買って食べる。そりゃ寮や食堂にはもっとおいしくて栄養のある食事が用意されているのだが、この味だけがリズワの腹を満たしてくれるような気がしてならないのだ。

 入学してからたったひと月の出来事である。




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