紡がれる音色
いらっしゃいませ。
「あの…っ!私!暁音さんが推しなんです!!」
「…推し?」
唐突のカミングアウトに困惑する。
「はい!あれは忘れもしない2年前の夏の全国コンクールのことでした…」
かくかくしかじかで、と続きそうなフレーズだ。
2年前…というとちょうど自分がピアノの全国コンクールで2位を取ったときだっただろうか。
「あのとき、私はどうにかギリギリ決勝にまで駒を進められたのですが…」
彼女は恍惚とした表情で続ける。
「そのときに、暁音さんの演奏を聴いたんです…!」
目をぱっ、と輝かせ、こちらを見つめている。
そして、ゆっくりと自身の豊かな胸に手を当て、目を伏せる。
「…あぁ、上には本当の上がいるんだな、と感じました」
まるで神にでもあったかのような振る舞いである。
「…そんな大げさな?」
そう言うと、彼女はこちらをじっ、と見て止まった。
整った顔立ち。綺麗にまとめられた少し茶色がかった髪。そして、気を抜けば吸い込まれてしまいそうな程に澄んだ藍色の瞳。
しばらくして、目をぱちくり、として言った。
「…いいえ、決して大げさではありません。」
そこまで言い切られては反論できるものもできない。
「…そっか」
「…暁音さん、私は………」
そこまで言って、少し躊躇う。
しかし、またゆっくりと言葉を紡ぐ。
「…あなたの演奏に"ひとめぼれ"したんです」
「…ん?」
なんだかすごい破壊力の言葉を受けた気がするんですが?
「だから……"弟子"にしてください…!」
「…弟子?」
困惑が水に落としたインクのように頭の中に広がった。
「……え、友達とかじゃなくて?」
「弟子です」
「えぇ……」
まずそもそも"弟子"なんてものはいたことがない。
というよりも、自分の技量でいる方がおかしいというか。
そんなわけで悩みに悩んでいると、彼女はあわてた様子で口を開く。
「あ…!わかりました!今ここでピアノ弾きますから!」
「…え?」
「きっと私の技量がどれぐらいかわからないから弟子として取るかどうか迷ったんですよね?!」
この子……なんというか、慌ただしいな。
本当に。
まあしかし演奏を聴いてから、その"弟子"とやらをとってみることを検討してみる、というのもいいかもしれない。
「…そっか、じゃあ聴かせてもらおうかな」
「はい!」
そう言うと彼女はすたこらさっさとピアノに走り寄り、諸準備を始める。
そしてあっという間にカバー取りや天板立てを終える。
自分はピアノの側にあった生徒用の椅子を引いてピアノの鍵盤の側に持ってき、そこに座った。
「…何を弾くんだ?」
「…聴いてからのお楽しみです☆」
「まじか」
いつもこんな感じなのだろうか?
なんだか不思議な子だ、というのが率直な感想だ。
「…それじゃあ聴いてください」
そういって、姿勢を正し、鍵盤に手を載せた瞬間、雰囲気が豹変した。
思わず息を呑む。
♩ ~
『革命のエチュード』。
原題、"Étude Op.10, No.12"。
題名はただの練習曲だが、時代背景を見ればそこに込められた想いがより明瞭に伝わってくる。
ポーランドが王座を奪われたことに対する強い怒りがこれでもかと詰め込まれている。
そしてまた、彼女の演奏は作曲者の彼のその感情をそのまま再現したのでは、というほどに強い感情を持っていた。
左手の速いアルペジオ。
疾走感、というには重い、この焦らせるような音。
激しい憎しみと怒りが、胸の底で浮き沈みしながら疼いているようだ。
そして右の力強い打鍵。
その負の感情の中でぷっかりと浮かんでいる言葉、情景を体的に表したものだろう。
言葉にできそうで、できない気持ち。
そんなことが、彼女の演奏からはひしひしと伝わってくる、いや、もはや面前に突きつけられているまである。
演奏が終わった時、自分は息をするのを忘れていた。
「…………は」
小さく息を吐く。
「どうでしたか?」
彼女はにっこりと笑ってこちらを見ている。
「あ、あぁ、とても良かった…!」
思わずそのままの心情を伝えると、彼女の顔がパッと明るくなった。
「ほ、本当ですか!?」
「…しっかしどこかで聞き覚えがあるな…」
全くそのままの演奏を聞いたことがある、というわけではないが、演奏の癖というべきか。
「コンクールじゃないですか?」
「確かに」
コンクールと考えるのが一番妥当だが、最近聞いたような気がしたのだ。
もっとも最近はクラシックなど聴いていないのでおそらく思い違いだが。
「…それにしても」
彼女の演奏は素晴らしかった。
あっという間に呑まれてしまって、ぱっと感想すら出てこなかった。
とは言っても完璧だとは言えない。
時々、いや本当に時々だが、アルペジオのリズムを取りなおしているのが分かる。
演奏区間が長くなればなるほど一定のリズムを刻んだまま別のリズムを演奏する、というのは難しくなるからこそ、一定期間ごとに取りなおすというのは良い解決方法ではあるのだが、それが演奏に出てしまうのはよろしくない。
そう指摘すると、彼女はふんふん、とうなずき、ポケットからメモを取り出した。
「どうしたらいいのかアドバイスいただけたりしないでしょうか」
「うーん……」
少し逡巡したが、思った通りに言う。
「回数だと思う」
「…?」
「左手が、もはや意識せずともそう動くぐらいまで練習してみると良いんじゃないかな」
彼女は少し険しい顔で紙面をじーっと見つめていたが、ややあって口を開く。
「脳筋ですね」
「……え?」
今この子「脳筋」って言った??
「あっ、す、すみませんっ!実は……」
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「…なるほどねぇ」
元々の話の内容の割に話はめっちゃ長かった気がするが、要は「小学生の頃通っていたピアノ教室の先生は「質より量」タイプで、暇さえあればピアノを弾けと言わんばかりであったのだが、彼女はそれに反発して教室をやめて独学でやってきたんだそうだ。
「でも、やっぱり同年代の、尊敬するピアノ演奏者の人も、量だったんだな、って思って」
そう言う彼女の顔には、決して翳りはない。
「先生は、正しかったのかも、とも思いました」
自分は黙ったままだった。
決して、呆れて言葉も出なかった訳ではない。
逆に驚いて畏敬の念を抱いていた。
それこそピアノは「何回弾いたか」が勝負、というのは流石に嘘だが、それでも強ち完全に嘘だとも言い切れない。
その演奏を自らのものにし、表現していくためには、やはりどうしても何回も弾く必要がある。
仮に新品のスポンジを水の入ったバケツに投げ入れてみよう。
一回目では、染み込むどころか浮くかもしれない。
何回も何回も、回を重ねるうちに徐々に沈むようになっていき、スポンジに水が染み込んでいく。
そんな感じだ。
しかし彼女は違う。
数回の演奏で自分のものにする。
ちょうどスポンジを水に浸して、揉むようなものだ。
そんな常人とかけ離れたことをやってのけるには、「強靭な共感力」と「強固な演奏技術」が必要不可欠であり。
「…そうかもしれない」
彼女はメモを胸ポケットにポイ、と入れた。
「それで、もしかしたら」
自分は少し切りながら続ける。
「その頃の君の努力が、今の君を支えているのかもしれないね」
「……!」
彼女はそうだったのか、と言わんばかりに口を押さえ、驚きの表情になる。
「……なるほど…!」
彼女はしばらく納得した様子でいた。
ピアノの後片付けを済ませ、壇を降りて、こちらに歩み寄ってくる。
自分から約3歩ぐらいのところで、ピタッ、と立ち止まった。
「…やっぱり」
「ん?」
「暁音さんの弟子にしてください!」
「…え」
再びの唐突な「弟子にしてくれ」要求よりも、
あ、それまだ言ってたんだ、と言うことに一番驚く。
「ダメですか?」
おおよそ水帆だったら上目遣いになりそうな台詞だったが、彼女は本当のそのままのテンションで言った。そして、今気づいたが、彼女の背丈は自分より1、2cm小さいぐらいで、目線の高さもさほど変わらない。思っていたより高かった。
「うーん…」
しかしとはいっても、自分は"弟子"をとれるほどのものではなく…
「あ、分かりました!」
「え?」
突然手を胸の前でぱん、と合わせ、何かを思いついたらしく口を開く。
「弟子だからダメなんですね?」
ようやく気づいたのか。
「そうだな、つまり…」
「妹なら良いってことですよね?」
「………へ?」
何を言っているんだこの子は。
「え、つまり、弟子は「弟」ってあるけど、私は女子だから…ってことじゃないんですか?」
「いやいやいや」
そんなわけがない。というかそんなことよりも"妹"ということの方がよっぽどまずい。
「いやそもそもね?!弟子って別に男子だけじゃないから!そうでなかったら姉弟子とか妹弟子とかよくわからないことに…!」
「ほえーっ…」
あ、ダメだこりゃ。
「と、とにかく!弟子の方がまだまし!」
そう言うと、彼女の顔がパッと明るくなる。
「じゃあ弟子にしてもらえるんですね!?」
「あ、いや、そーいうわけじゃ…!!」
「やったーっ!!」
うーん。
とても嬉しそうなので否定しようにもしきれない。
どうしたものか。
「あ、私そろそろ帰らなくちゃいけないので…!」
そう言って荷物を引っ掴んで音楽室の扉を押す。
「じゃあ、また明日!!」
「ああ、また、あした…」
バタン、と扉が閉まり、音楽室に静寂が訪れる。
「…嵐のような子だな…」
そう、無意識に呟いた。
明日、教室にもこの春嵐が吹き込むとは思ってもみなかったが。




