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白銀色の明日を

いらっしゃいませ。

4.白銀色の明日を



「おはよー!」


水帆の元気な挨拶が教室に飛ぶ。


瞬間、教室にいた生徒がこちらをぱっと向いた。



女子からの視線はともかく、男子からの『なんであいつが?』『ゆるせんなぁ』『ピアノがちょっとできるだけでイキリやがって』と言わんばかりの剥き出しの敵意が詰まった視線がぼすっ、ぼすっ、とぶつかる。


俺がいることに気づいた瞬間に悪意にまみれるというのは非常に高い技能かもしれないが、突然そんな敵意を向けられてはこちらとしてはいい気がしない。


「水帆ちゃーーん!」


一人の女子がぱたぱたと駆け寄ってくる。


「ねね、今日の放課後の話なんだけどさー」


「あっ、うんうん、どうしたの?」


「とりあえずこっち来て!作ってきたんだよね〜」


そう言って水帆を連れていく。


それについていき自分も自分の席に着いて準備を始めると、ふと机の中に何か入っていることに気がつく。


「…なんだこれ?」


そこには小さな便箋が縦の谷折りの四つ折りにされて入っていた。


小さく『暁音結希くんへ』と書いてある。


おそるおそる開くと、そこには整った字でこう書いてあった。


『今日の放課後に音楽準備室に来て欲しいです』


はて。ずいぶんと短い文だ。


差出人の名前が書かれていないというのはいささか疑問ではあるが、万一自分以外の生徒が見つけたときの身バレ防止策、というわけだろうか。


まあ音楽準備室まで行って待ち伏せればわかってしまうのだが。


とはいえ放課後に関しては、水帆も何か用事があるようだし、行けないということもない。


流石に男子の差し金…ということはないだろうが…というかそうでないことを祈る。


そのままそっと便箋を胸ポケットにしまい、何事もなかったかのように準備を再開した。


————————————————————————


きーんこーんかーんこーん


終業のチャイムが鳴る。


「起立!」


「気をつけ!礼!」


「「「ありがとうございました」」」


あっという間に四限目が終わった。


気づけば昼休みであった。


そして毎度の如く一部の女子が自分の席の周りを囲むように…


「ゆーちゃん」


「ん?」


「購買行くから、付いてきて」


突拍子もない要求に驚きはしたが行かない理由もない。


「あ、ああ、わかった」


周りの女子たちは少し不満そうだったが、何ともなしに察したのか不平を言う者はいなかった。




「なぁ、どうしたんだよ?」


「え?」


水帆は目をぱっちりと開けながらこちらを向く。


「購買にパンを買いに行くだけだよ?」


「じゃあなんで俺…?」


「え、もしかしたら購買に行くまでに拐われちゃうかもしれないよ?」


「あー…」


「何その『はいはい』みたいなの」


「んで何を買うんだ?」


「…………」


「決めてなかったんだな…」


「そ、そういうわけじゃないし、っていうか普通そうでしょ」


「…まあそうかもな」



言われてみれば購買に行く前に『今日はメロンパンを買おう』などとちゃんと考えて行ってはいなかったかもしれない。


『パン買おうかな』だとか『コーヒー飲みたいな』だとかぐらいだ。



「んで、本当のところは?」


「え?」


「いやいや、流石に本当にパンを買うだけなんだったら呼ばないだろ」


「呼ぶかもよ?」


「今までだって呼んでないじゃないか」


そういうと、水帆はむむむ……という顔をして黙り込む。


「……言わなきゃダメ?」


「…ま、いいよ、水帆と購買に行くのも楽しいしな」


「えっ?!あ、ど、どうも〜」


水帆は少し照れくさそうにしながら髪をくるくると指に巻いた。


実際水帆と喋っている間は話題が尽きないし、変に気を遣う必要もないのでありがたい。


そう思ったのも束の間、沈黙が二人を包む。

そのまま無言で歩いていると、前に購買が見えてきた。


「…ね、ゆーちゃんは何か食べたいものある?」


「うーん…まあ何があるかもわからんし、なによりお弁当は持ってきてるんよな…」


「そっかぁ」


水帆はポケットから財布を手に取り、中身を取り出す。


「こんなところで出したら落とすぞ」


「そんなことないし」


水帆が少し不満気に言う。


その瞬間、後ろから複数人の生徒が走ってくる気配がした。


そちらを見やると一人が後ろを振り返ってよそ見をしながら走っている。


その進路の先には水帆がいた。


とっさに水帆の腕を掴んでこちら側に引き寄せる。


「ひゃっ?!」


その生徒はギリギリぶつからず、水帆の横をかすめて走り過ぎていった。


しかし引き寄せたことで水帆の手にあった硬貨が滑り落ちる。


「あっ?!」


とっさにしゃがんで取ろうとするが、水帆を引き寄せていたことで水帆越しに手を伸ばす格好になる。


「…あっぶねぇ…」


ギリギリのところでキャッチし、一息を()く。


が、その瞬間、頬に暖かな息を感じて身を固くする。


「……え?」


「ゆ、ゆーちゃん……」


おそるおそる横を見ると、そこには上気した水帆の顔があった。


「あ」


思わず腕をとって引き寄せた上に自分が前にかがみながら硬貨を拾ったことで、水帆を抱きしめるような格好になっていたのだった。


「ご、ごめん…!」


「……」


水帆は何も言わない。


あわてて身体を離そうとした瞬間、突然水帆が手を身体に回した。


「?!」


「………ゃ」


「…ちょっ、手外して…?!」


「むり」


「なんで…?!」


「…………」


「……いや、あの、ね!?」


少し無理やり剥がそうとするが、がしっとしがみついたまま離れようとしない。


「わ、わかったわかった!あとで!あとでな?!」


周りからの好奇と羨望と羞恥の目線が心をえぐる。


「……ダメ?」


その一言に理性が一瞬で蒸発しそうになった。

脳内を『可愛い!!』という感情が数十周する。

瞬く間にその速度は上がっていこうとし、脳内の知的活動を停止させんとするが、どうにかギリギリのところで理性を保った。


「…と、ともかく離れて?!」


「……ちぇっ」


水帆がしぶしぶ、といった様子で手を解く。


「…まじで…」



『まじでやめてくれ』


そう言いかけたがその続きが出なかった。


水帆の顔が真っ赤だったからだ。


それもそのはず、水帆は普段こんなにべったりすることはない。それにも関わらずこんなにも恥ずかしくなりながら不慣れなことをしていると思うと健気さが勝って文句を言う気が失せてしまった。



「……で結局すいは何を買うんだ」


結局そんな普通のことを問うた。


「えーっ、うーん………愛」


「なんだその昭和みたいな」


「昭和に生きたことないくせに」


「それは確かに」


水帆は少し頭を巡らせ、空中を見て目を細める。


「ま、ここは無難に焼きそばパンかな…」


「おー…あ、お金」


「あ、そうだった」


硬貨が数枚載っている水帆の手に、硬貨をそっと置くと、ちゃ、と響かない軽い音が鳴った。


「と、そんなことはさておき」


「…ん?」


「…さっきゆーちゃん、『後で』って言った…よね?」


「あ」


そういえばそんなこと言ったな。


あの時は咄嗟にそう言っただけだったので深く考えていなかった。


嫌な予感がする。


水帆はにやにやとしながら口を開く。


「えーっと……後でってことは……放課後…してくれるってこと?」



硬貨を両手で弄びながら問い詰めてきた。



「あー………うーん」



水帆の言い方のせい(おそらくそうでなくともだが)で、列にいた人たちがちらちらとこちらを見ていることが恥ずかしいことこの上ない。


しかし水帆がこんなにも直接的にアプローチしてくることは前例がなく、一体どんな風に返せばいいのかがわからない。


そのまま黙っていると、水帆がふと目を瞬きながら口を開いた。


「って冗談だよ?あたしは放課後予定あるんだから」


そこまで言って、ふと水帆の目に揶揄の色が浮かんだ。


「…ま、別に明日でもいいんだけどね?」


「ひぇっ」


「明日は……寝かせないよ♡」


「やめてくれっ?!恥ずかしい…!」


今日の水帆は今までにはなかったほどに押しが強い。

いつもなら軽く受け流せば優位を確保できたのに、それが通用しない。


いつもの水帆を小型犬だとすれば今の水帆は大型犬、それもシェパードのようなものだ。


今までのようにやっていたら逆に怪我をしかねない。


「…なんか今失礼なこと考えてなかった?」


「ぎくっ」


「…図星の反応じゃん…」


水帆はわざとらしく息を大きく吐き、やれやれと言った様子でいる。


「…い、いやそんなことないけど!?」


「ふーん?それならいいんだけど」


ようやくパンの置いてある机に辿り着く。


しかし、そこにはたまごパンとコッペパン、メロンパンのみ残っていて、焼きそばパンの値札だけがそこにはあった。


「…えーっ…どうしよう…」


水帆は心底残念そうにしている。


どうにかしてあげたい、とは思うが、自分は焼きそばパンを生み出したりすることはできないし、材料も………ん?



「…水帆、この後暇か?」


「そうだけど…なんで?」


「焼きそばパン食べたかったんだろ、じゃあ食べようぜ」


「…どうやって?もう焼きそばパンは…」


「まあまあいいから、とりあえずそのコッペパン買おう」


その瞬間、水帆の顔に驚きの色が浮かんだ。


「…もしかして学食に行って焼きそばパン作ろうとしてる?」


「…大正解」


「ゆーちゃんってたまに突拍子もないこと考えるよね」


そう言いながらも水帆は嬉しそうにコッペパンを手に取り、会計に向かった。





そうして、水帆がコッペパン片手に会計から戻り、一緒に学食に向かっているときだった。



♩~



「…ん?」


かすかだが誰かがピアノを弾いている音が聞こえた。


この辺りでピアノがあるのは音楽室ぐらいだ。


とはいっても音楽室もここからはかなり遠く、通常聞こえるようなことはない。


♩~ ♫ ~


「………トルコ行進曲?」


聞こえる限りではトルコ行進曲らしいが、かなり強めのアレンジがかかっているように聞こえる。


「ね、ゆーちゃん」


水帆が横から声をかけてくる。


「…んー?どうした?」


「ゆーちゃんはお弁当持ってこないの?」


「…え?」


「あたしが焼きそばを注文してそれをパンに挟んで、食べてから帰ってたらお弁当食べる時間なくなっちゃうような…?」


「…確かに!」


水帆はコロコロと笑い、じゃあ早く取ってきなよ、と言った。



かくして教室に戻り、『なんでこいつだけ戻ってきたん…?』みたいな視線を感じながらお弁当を取り食堂に向かっている時だった。


♬ ~


「!」


また、音が聞こえた。


力強いながらも、繊細な音色だった。



ふと、いったい誰がこんなにも上手にピアノを弾けるのだろう、と気になった。



しかし、自分は水帆を待たせてもいる。


流石に幼馴染をおいて自らの興味を果たそうとは思わなかった。




「どこだ?」


うちの学校の食堂は妙に広い。


その上テーブルと椅子がたくさん置いてあるために一人を探すのは骨が折れるのだ。


と、


「ゆーちゃん!こっちこっち!」


「あ、いた!」


水帆が両手を大きく振っている。


自分はいそいそと弁当を持って幼馴染の元に向かった。


「おー、いい感じじゃん!」


幼馴染の座る席の前には、綺麗に詰められたお手製の焼きそばパンと余った焼きそばが乗った皿が置かれている。


「…でも、先に食べててもよかったのに」


「えー、だってご飯って一緒に食べ始めるものでしょー?」


「うーんお行儀がいいな…」


待っててくれた、ということを少し嬉しく思いながら、隣にあった席に座る。


「そういえばゆーちゃんのお弁当は何?」


「え?あー、なんだろ」


「いつもお母さん任せだからわからないんだー」


「うっ」


そもそも中2の春ごろの、『この一年でできるようになりたいこと』…とかいうものに、『自分のことを自分でできるようにする』ということを書いた。

この陳腐に陳腐を重ねたような目標だが、それは未だに果たされていない。

そしてそのことを、たびたびネタにされる(主に水帆と実平)…のだが。


「…でもすいだってそうじゃないか」


「エ?」


「とぼけても意味ないぞー?」


「ナンノコトカナーヨクワカラナイナー」


水帆は目を逸らしながら口を尖らしている。


「…け」


「わー!わー!わー!言っちゃダメーっ!」


こんなに必死になっている理由は、水帆が『結婚する』と書いていたからだ。


それこそあの頃は婚姻可能年齢が女子16歳と男子18歳だったような気がするが、といっても中2からは2年近くあるし、いったいなぜそんな血迷ったことを書いたのかはいざ知らない。


「…別に誰も聞いてないだろ」


「聞こえちゃったら困るじゃん!」


「聞こえないってば」


「じゃ、じゃあもし聞こえちゃったらもう明日から学校行かないからゆーちゃん一人で行ってね?」


水帆は頬をぷくーっと膨らませている。


「あー、いいけど」


「え?!」


思わぬ自分の返答に目を白黒させながら口をパクパクさせる。


「え、あ、じゃあちゃんとあたしの家に宿題とか届けてね?!あとメンタルケアも!」


「…メンタルケア…?」


「うん」


「え、何をすればいいの…?」


そう訊ねると、水帆は一瞬黙って、指同士をくるくると巻きつけるように手遊びをして言った。


「…乙女にそんなこと言わせるの…?」


「…」


「ん?」


「…あのなぁ、そのくだり好きだよな、すい」


水帆は少し首を傾げる。


「…えー、だってゆーちゃんがそういう目で見てくるからじゃーん」


「?!」


え、さっき恥ずかしいから言わないで〜、みたいなこと言ってたやつの言うことじゃないだろ?!


「そんな驚きあきれた、みたいな顔してもダメだよ、変態ゆーちゃん?」


「お?言ったな?言っちゃったな?」


「でも事実だし」


「…う」


まあ確かに自分が水帆のことを決してそういう目で見ていない…と言ったら嘘になる。


まあそれはそうだ。


以前も言ったかもしれないが、もう一度語らせてもらおう。


まずプロポーション。身長はともかく、あの大きな………。

そしてほどよく丸みを帯びた女性らしいボディライン。


そんでもってツンデレ。


さらに普段は若干眠たそうな眼をしているのに時折見せる、ぱっちり開いた眼と澄んだ瞳。


そして愛らしい顔立ち……



逆にどこをどう取ったら「可愛くない」とか「好きじゃない」と言い得るだろうか!

と声高に主張したいところだ。



と、ここまで心の中で呟き、ふと、水帆を見やると顔を真っ赤にしてぷるぷると俯いている。


もしかして自分で言ったことで勝手に恥ずかしくなっているのだろうか?


…まあ水帆らしいが。



「どうした?」


「え、いや、その…」


水帆は顔も上げずにぷるぷるとしている。


「?」


「…ゆ、ゆーちゃんは、あたしのこと、そんな風に思ってたんだ…」


「…へ?」


思わぬ言葉に理解が追いつかない。


「……ゆ、ゆーちゃん、もしかして……」


「…」


「…心の声、漏れてるよ…?」


まさかありえないと思っていた事実に絶句した。


「……う」


情けない声がかすかに漏れる。


「…ど、どこから聞こえてた…?」


「…」


水帆は顔を赤らめたまま口をつぐんでいる。


「……逆にどこを、のところから」


「〜〜〜!!」


心の中でつぶやいていたと思っていたのは、声に出てしまっていたらしい。しかも「好きだ」ということを示唆するようなところが。


もっとも、一番最初が聞かれてなかっただけましかもしれない。


「…ふーん」


水帆は嬉しそうにしている。


「……やっぱりこのあと家行ってあげようか」


「いい!いいです!」


「そっか、来て欲しいんだ?」


「そういう意味のいいじゃない!結構ってこと!」


「結構期待しちゃってるって?」


水帆はニマニマとしながら揶揄ってくる。


「うーん…大丈夫です、ってなんか日本語って断ろうとすると肯定しかねないな?!」


「いやいや、ゆーちゃんの本音が漏れてるんだよー?」


「違うが?」


「はいはいそうだねー……ていうかあと5分で食べ終わらないと授業間に合わないんじゃない?」


「え?」


机の上に置いたスマホを手に取ると、パッとついた画面には確かに「12:53」と書いてあった。


そんな意味もない争いをしている間に気づけばこんなにも時間が経ってしまっていたとは…


「やばいじゃん、早く食べなきゃ」


それきりご飯を夢中で頬張ることとなった。




しばらくして、


「ごちそうさまでした」


掻き込んだとはいえ十分に舌を満足させてくれた弁当と作った自分自身と生産者に感謝を込め手を合わせ、ふと水帆を見ると、


「…う〜っ…!」


その手には焼きそばパンが半分ほどあった。


「…え?」


確かに水帆は食べる速度は遅い。

口が大きくない、というのか、一口が驚くほど小さい。


中2の頃、水帆がメロンパンを食べるのに20分以上費やしていて驚いたものだったが、まさか今もなおこんなに遅いとは思ってもいなかった。


「……ん!」


水帆が焼きそばパンを持った手を差し出してくる。


「……あ、食べろって?」


「ん」


口いっぱいに頬張り一生懸命にもぐもぐとしている水帆は少しハムスターを連想させる。


「…おっけー」


まあこれを断る理由もないわけで。


水帆から焼きそばパンを受け取り、ぱくっ、と一口、口に入れた。


最初に来たのはほのかに甘いコッペパンの味だ。決して単体でも不味いわけではないのだが、どこか物足りない。

そこに、リンゴ果汁が隠し味として使われているソースの焼きそばが一気にコクと塩味、旨みを足す。


おまけに、あまり喉越しのよくないパンと喉越しの良い麺ということで食感にも差があり、美味しい。


これを考えた人は天才だ。


そのまま無我夢中で食べ続け、気づけば最後の一欠片となっていた。


それを、ぽいっ、と口に放り込む。


「美味しい?」


ようやくパンを飲み込んだらしい水帆が訊いてくる。


「うん美味い」


「ふふ」


水帆が優しげに薄く微笑む。


「嬉しそうだな」


「だって作ったのを食べてもらって『美味い』って言ってもらえたら嬉しいでしょ?」


「…まあそうかもしれないけど…」


正確には水帆が作ったわけじゃない、とその後に繋げようとして、やめた。


「ともかく早く戻らないと」


「あ、お皿」


「お皿は俺が片付けておくから」


「え、大丈夫?間に合う?」


水帆が少し難色を見せる。


「少なくともすいが持つよりかは早くつくぞ?」


「でもあたしが…」


「はい、いいからいいから、ほら行った行った!」


渋々、といった様子で水帆が教室の方に走っていった。


自分もその様子を見届けると、急いで食器を学食に持っていき、猛ダッシュで教室に戻るのだった。



———————————————————————————



「……はぁ」


授業が終わり、ガヤガヤと騒がしい教室。


「…間に合ったね」


背後から水帆にささやかれる。


「…あ、あぁ、そうだな」


「間に合うなんて思ってなかった」


水帆のささやき声が少しこしょばゆい。


「…う」


「…?どうしたの?」


「…あ、あのさ、普通に喋ってもいいんじゃない?」


「え?」


「だから、その、ささやく、必要はないんじゃない?」


水帆は少し思案する様子で黙り、しかしまたささやき声で言った。


「うーん、でも、いけないことをしてる感じでちょっとドキドキしない?」


「いや確かに!するけど!する必要ないだろ?!」


「え?嫌?」


「嫌でもないけど…!恥ずかしいじゃん?」


水帆はささやいているが自分は普通の声量で話しているので、ぱっと見一人で騒いでいるようにも見えるかもしれないな、などと思いながら、とりあえず水帆がささやくのをやめてもらおうとする。


「だからやってるんだけど…?」


「え?」


水帆は当たり前だ、と言わんばかりの声色で言う。


「恥ずかしそうにしてるゆーちゃんがかわいいからやってるんだけど?」


「ぬわっ…えぇ…」


自分がいかにもドン引きしてますと主張するような顔で言うと、水帆はまた少し笑った。


水帆の笑い方は少し独特だ。


笑い方といえば、わはは、とか、きゃはは、とか、きゃっきゃ、とか、まあ実に色々ある。


その中でも、水帆はころころ、と笑う。


あまり聞き馴染みのない擬音かもしれないが…かといって今作った言葉でもない。


どう表現すればよいのだろうか。

少し違うかもしれないが、猫が顎の下を撫でられてゴロゴロ言っているのに近いかもしれない。


とりあえずそろそろささやくのはやめていただきたいのだが…。


「…とりあえず次の移動教室行こうか」


「次は授業交換で数学だよ?」


あ、普通の声量に戻った。


一体どういう基準で変えているのか…。


「まじか、最悪」


「ゆーちゃんは数学嫌いだもんね」


「消えてなくなればいいと思う」


「かわいそうな数学…」


自分は数学が嫌いだ。


大嫌い、というほどでもないが、なくなってくれれば嬉しいことこの上ない。


「でもすいは数学得意だよな」


「ま、少なくともゆーちゃんよりはね?」


「いや俺じゃなくとも」


水帆は基本的に勉強は全てできるが、その中でも数学はとても得意だ。この前なんか全国模試の数学で90点台後半を叩き出し、まさかの1位だった。


「ん、でもゆーちゃんもその割には結構取れるじゃん」


「平均はな?」


「はいはい、いつものね」


「これ俺が悪いの?!」


流石に数学が嫌いだとはいっても、定期考査にしろ受験にしろ数学はついて回ってくる。

ないがしろにするわけにはいかなかった。


その時、ふと少しいい声が聞こえた。


「おーいアキ、次の班決めどうすんの?」


実平か。


「…あー」


『アキ』というのは自分の実平からの呼び名だ。

なんでも、『暁音』という苗字を聞いた時に「アキアカネ」というトンボを思い浮かべらしく、それからずっと『アキ』と呼ばれている。

失礼な野郎だが、まあもう慣れてむしろそう呼ばれないのはまたキモい。


そしてまた、今一瞬だけでも実平の声を「いい声」だと思ったことに嫌気がさした。


とその瞬間、

「…お前、今「いい声」だと思ったろ?」

自慢げに言った。


「うっざ」


「あーはいはい、負け惜しみか?」


「黙れよセクハラ変態ドブインコ」


「なんだその語彙力のなさを自慢するような罵倒は?」


「あ゛?」


なんでこいつと話すとすぐ喧嘩になるのか、そしてなんでこんなにムカつくんだろうか。


「お前の自制心が足りないから」


「なんで心の声聞こえてるんだよ!」


「いやお前の考えてることなんかAIに考えさせた小説の一部みたいな陳腐な内容ばっかだぞ?むしろAIのほうがマシかもしれん」


さぞ正論かのようによくわからない理論をぶつけてきた挙句にしっかり馬鹿にすることも忘れない、流石人をイラつかせる言葉遣いをマスターしているだけある。


「AIに使われっぱなしそうなあんたがいうの?それ」


突然横から水帆が援護パンチを繰り出す。


思わぬ方向からに驚きはしたが仲間が多いのはいいことだ、とも思った。


まあそれで勝てるかどうかは別として。


「お?言うじゃねぇか、AIに取り込まれて変態おじさんたちに好き勝手されてそうなくせに」


「そのクソキモ妄想やめてもらえる?結構気色悪いから。あと変態おじさんってあんたのこと?」


「やってほしいのか?」


「死んで」


あー始まった。


この地上波では流せなくなるだろうギリギリアウトの口喧嘩。


こうなると自分ではもう収拾つかないので、全く違う話題を振って逸らすしかない。


「…とりあえずホームルームまでに考えておく」


「えぁ?何を?」


「班決め」


「あーね」


実平がめんどくさそうに頭を掻く。


「ま、ともかくこれで俺の用事は済んだから。じゃあ二人で仲良くやってな、変態同士」


「お前が言うか」

「あんたが言うの」


水帆と声が揃った。


実平は何も聞こえなかった、という手振りをしてそのまま男子の輪の中に戻っていった。



「…なんの話をしてたんだっけ」


水帆が問う。


「さぁ?」


「ま、いっか。思い出せないことは重要じゃないって言うし。」


「それもそうだね」


大抵世間話など他愛無い話題ばかりだ。


後になって思い出せる内容の方が少ないだろう。


「ところで…」


きーんこーん…


チャイムが鳴り始めた。


「やっべ…数学の教科書もってきてねー…」


かーんこーん……きーんこーんかーんこーん…


最後が妙に間延びしたチャイムが止む。



「はい、じゃあ号令!」


いかにも数学に傾倒してきました、みたいな顔をしている先生がぬるっとした声で号令を求める。


「きりーつ!」


あまり揃わない椅子を引く音。


「礼!」


「「「「おねがいしまーす」」」」


昭和だったらきっとやり直されていたであろう、未完成、いや組み立て始めてすらいない号令で授業が始まる。


先生が黒板に向かい、問題番号やらなにやらをカカカッ、と音を立てながら書いている。


して、ガッ、とチョークを黒板に打ち付け、こちらに向き直る。


「はい、じゃあ前回宿題にしたこれらの問題の答え聞いていきまーす」


視線を教卓にある座席表の上で滑らせ、しばらく彷徨わせた後、ふと顔を上げた。


本当の「数学教師の見本」みたいな人だ。


「じゃあまずは亜北!ここの答えは?」


「2√2です」


…いやはやしかし、なんでこう数学は実感が湧かないのだろう。


るーとに、などと言われても、確かに数としては存在するのだろうし、一辺が1の正方形の対角線が√2であることも知ってはいるのだが…なんとも測れない長さなのが気に食わない。


ただそうだとは言っても実生活のほとんどあらゆるものに数学が用いられているのも事実だ。


安易に捨てられないのが非常に憎い。



「…すみません、お手洗いに行ってもいいですか…?」


「…分かった」


ふと後ろで女子が立ち上がって教室から出ていった。


なんの気もなく一瞬目をやり、思わぬ綺麗な後ろ姿に驚き、あんな子がうちのクラスにいたのか、と思わず二度見した。


と、もちろん水帆に席を蹴られる。


「ゆーちゃん?」


「ア、ハイ、スミマセン…」


小声で謝る。


「なんかさ、ゆーちゃんってほんと節操がないよね?」


「えぇ…そこまで言う…?」


「だってなんか可愛い子とか見つけた瞬間に目がすっ、ってなるんだもん」


「え、まじ?」


水帆は少し不服そうに口を尖らせる。


「うん」


「ごめんって…そんな顔すんなよ…」


「ふーん…じゃあ、かわいい、って10回言って?」


「…え?」


水帆はシャーペンを手で弄んでいる。


「……え、今…?」


「いま」


女子に『かわいい』なんて言うこと自体かなり恥ずかしいことなのにも関わらず、まさかそれを授業中にコソコソやらなくてはならないというのはかなり…心にくるものがある。


「…後でじゃダメか?」


そういうと水帆は不満そうにする。


「さっきも後でー、って言ってたよね…?」


「うっ」


「なんでも先延ばしにするのは良くないよ?」


ごもっともな意見だが……しかし授業中にはやはり難しい。


「むしろ授業中だからこそいいんだから」


「…恥ずかしがってる姿を見れるから?」


「そう」


「…くっ」


やっぱり今日の水帆には勝てる気がしない…。



「で、早く言って?」と水帆が急かしてくる。


「むり」と返すと、手にもっていたペンを持ち直し、何かを思いついたような手振りをする。


「じゃあゆーちゃんが『かわいい』って言わない時間が1分経つごとに『かわいい』って言わなくちゃいけない回数増やしていくね?」


「えぐ…そんな『指一本ずつ落としていくよ』みたいなのやめて?」


「いいから」


「まじか…」


水帆は至って真面目に、いや真面目ではないが、本当に言って欲しいと思っているらしく、引く気が一ミリも見られない。


ここは素直に食い下がっておいたほうが身のためかもしれない。


「わーったよ、言えばいいんだろ?」


「ちゃんと心を込めてね?」


「はいはい」


大きく深呼吸をして呼吸を整え、覚悟を決める。


「…かわいい」


ゆっくりと、紡ぐように言う。


水帆は何も言わない。


「かわいい」


同様にゆっくりと言う。


水帆はまた、何も言わない。


「かわいい」


何も言わない。


「かわいい」


「かわいい」


「かわいい」


「かわいい」


「かわいい」


「かわいい」


最後。


「…かわいい」


水帆はかすかに顔が赤くなっている。


「……ありがと」


そういって口を一文字に閉じ、再び開ける。


「……あたしからも。……………かわいい」



その後は羞恥のあまり何も覚えていない。



気づけば放課後であった。



「………あれ?」


見渡しても誰もいない。


「みんな帰るの早すぎだろ…」


何気なく教室の時計を見る。


「……え?」


気づけば18:00になろうとしていた。


「え!?やっば…!」


あの便箋の娘に会いに行っていない。


あわててリュックに荷物を詰め込み、音楽準備室へ走った。





息も絶え絶え、音楽準備室前に滑り込む。


「…はぁ、はぁ、はぁ…」


今日は珍しくオーケストラ部はいない。


「……すみませーん」


ぎぃ、と軋むドアを開けて入る。


煌々と光る蛍光灯と、斜陽の鋭い橙の光が部屋を照らしている。


と、奥の椅子に誰かが座っているようだ。


部屋に濃い影が伸びている。


「…あのー」


そろそろと近寄ると、そこには譜面を膝の上に置いたまま眠る女子生徒がいた。


「………大丈夫…ですか?」


そう声をかけると、一瞬目をぎゅっと閉じ、眠そうな眼でこちらをじっと見て、大きく見開いた。


「ひゃわぁっ?!」


「ご、ごめん!?」


突然の大声に驚いて咄嗟に謝る。


「…あ、ご、ごめんなさい?!起きたばかりだったものでびっくりしちゃって…?!」


あわあわ、と必死に取り繕っている様子のその娘は、どこかで見覚えがあるような気がしたが、思い出せない。きっと気のせいだろう。


「…って、暁音結希くんですか……?」


突然名前を呼ばれ驚く。


「え、あ、そうです……もしかして」


「あの手紙を書かせていただいた者です」


「な、なるほど!?」


もしかしたら、とは思っていたが。


と、その娘は頬を膨らませている。


「遅いじゃないですかーっ!!私ぷんぷんですからねーっ?!」


可愛らしいが、そもそも僕がくる前提なのがおかしいようにも思われる。


「まあ確かに、来るのが遅くなっちゃったのはごめん、だけど…」


少し間をおき、


「僕がここに来るとは限らないでしょ…?」


そう問いかける。



しかし、


「限ります」


とその子は断言した。


「え?」


思わぬ返答に聞き返す。


「だって結希くんですよ?!あの結希くんが女子からの呼び出しに来ないわけないじゃないですか!」


まあ確かに頭の中に「行かない」というのは少しも浮かばなかったが…。


「そんな風に思われてたの?!」


まさかまさかの評価に若干落ち込む。


「…ともかくまずお名前を教えて欲しい…な」


「あれ?!まだ自己紹介してなかったです…!?」


どうもこの娘は色々とバタバタしているらしい。


「初めまして!イワミミクと申します!」


「…イワミ…ミク?」


「はい!石見銀山のイワミに未来と書いてミクと読みます!」


その説明があってようやくどう書くか分かった。


「石見さん、か!よろしくね!」


「はい!よろしくお願いします!」



突然の不思議な出会いは、日が暮れ、明日を待つ夜に入る直前であった…。




更新遅れてしまいました!申し訳ありません!

本日もお読みくださってありがとうございます!

ぜひご感想やご評価もお願いいたします!

それではまた次もよろしくお願いいたしますー。

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