第3話 交錯する刃
廊下の角を曲がった瞬間、レナは息を呑んだ。そこに、さっきまで隣にいたはずのレオンの姿はなかった。胸の奥に、重たい予感が落ちる。足が自然と速くなる。
呼吸が荒くなっても構わず、視線を左右に走らせる。やがて──人の声ではない、何かが軋むような音が聞こえた。
(……嫌な音……)
たどり着いた先で、レナが目にした光景。それは“喧嘩”などという生易しいものではなかった。上級クラスの少年が壁際に追い詰められ、レオンの剣が喉元へと迫っている。
血の匂いが、まだ刃先についていないのが不思議なくらいだった。彼の動きは静かで、正確で、容赦がなかった。一歩、また一歩と詰めるごとに、逃げ場は確実に潰されていく。
(……このままじゃ……殺される)
レナは小さく息を呑み、周囲を見回す。誰も止めない。誰も近づかない。ここで止めなければ、間違いなく命は途切れる──その確信だけが、レナの背を押した。
僅かに自分の肌を爪で傷つけて血を流す。そして、魔力痕が残らないほど弱く抑えた障壁魔法を放った。見えない壁がレオンと少年の間に割り込み、少年は力なく床に崩れ落ちた。浅く早い呼吸──生きている。まだ間に合った。
「……誰だ」
低く、冷たい声が空気を裂いた。レオンが振り返る。青い瞳が、氷のように光っている。
その視線と、真正面からぶつかる。
「……お前が?」
「……殺すつもり、だったんですよね」
レナは息を整えながら言った。
「学院の中での殺しは……禁止のはずです」
「はあ……」
吐き捨てるような短い息。次の瞬間、足音もなく距離を詰められる。視界いっぱいに、彼の冷え切った顔が迫っていた。
「……黙れよ」
囁くようにして、それは刃物のように鋭かった。
「……お前から、殺してやろうか」
空気が軋む。ほんのわずかな間に、世界が閉じられたように感じた。その中で、レナはただ──目を逸らさなかった。
***
レオンは、レナの構えをじっと見ていた。その目は笑っていない。無表情の奥で、何かを測っている。
(……こいつの動き、実技室の時と違う)
魔術そのものは拙い。だが──妙に魔力の圧が強い。
修羅場を潜った者の足運びでもないのに、この息の張りつめ方は何だ。
鋭い踏み込みに反射的にレナは構えるが、遅い。
刃先がわずかに軌道を変え、彼女の前腕をかすめた。
「っ……!」
瞬間、浅い切り傷から血がにじむ。焼けるような痛みが走る。その瞬間、背後の廊下から硬い足音が近づいてくる。次の一歩を踏み込む寸前、レオンの耳がその音を捉えた。刃が止まり、彼はわずかに顔を上げる。重い足音と共に、実技室の空気を切り裂く怒声が響いた。
「何をしている!」
教師の怒声だった。レナは肩で息をしながら、必死にその場に立っていた。痛みで腕が重く感じ、心臓の鼓動が耳に痛いほど響いている。レオンは剣を下ろし、淡々と言った。
「やめだ」
短い言葉に感情はない。ただ、事務的に状況を処理するような声。
「パートナー殺しは、さすがに退学処分になりかねないからな」
「……」
視線を横に流し、彼はわずかに笑みを作った。だが、それは冷たく、鋭く、何一つ温度を帯びていない笑みだった。
「俺には……まだ、ここにいるべき理由がある」
それだけ告げると、背を向けた。足音もなく、まるでそこに最初から存在しなかったかのように、その姿は廊下の向こうへ消えていった。
レナは膝から崩れ落ちるように座り込んだ。張りつめた空気が急に抜け、身体が自分のものではなくなったように震えている。
「……さっき……あの人……殺そうとしてたくせに……」
かすれた声が漏れる。
胸の奥がまだ痛い。
「……ああ……死ぬかと思った……」
自分の息だけが、冷たい廊下に響いていた。