第3話 命の値踏み
レオンは、レナの構えを黙って見ていた。無表情の奥で、何かを測るように。
(……こいつの動き、実技室の時と違う)
魔術は拙い。だが──妙に魔力の圧が強い。
鋭い踏み込みに反射的にレナは構えるが、遅い。
刃先がわずかに軌道を変え、彼女の腕をかすめた。
「っ……!」
浅い切り傷に血がにじむ。その瞬間、背後の廊下から足音が近づいてくる。次の一歩を踏み込む寸前、レオンの耳がその音を捉えた。刃が止まり、彼はわずかに顔を上げる。重い足音と共に、教師の怒声が響いた。
「何をしている!」
レナは肩で息をしながら、必死にその場に立っていた。痛みで腕が重く感じ、心臓の鼓動が耳に痛いほど響いている。レオンは剣を下ろし、淡々と言った。
「やめだ」
状況を察したようだった。
「これ以上騒げば退学だ。……俺にはまだ、ここにいる理由がある」
視線を横に流し、彼は冷たく鋭い笑みを作った。
それだけ告げると、背を向け、廊下の向こうに消えた。
レナは膝から崩れ落ちた。張りつめた空気が急に抜けた。
「……ああ……死ぬかと思った……」
自分の息だけが、冷たい廊下に響いていた。
***
(……アリス先生、すごく心配してくれてたな。でも……明日からまた、あのレオンって人と組むの……嫌だな)
医務室で手当を受けて、寮に戻る。
やがて、自分の部屋の前まで戻ってきた、そのとき。
「……ここは俺の部屋だ。何の用だ」
レオンが苦々しい顔で廊下の向かいから歩いてきた。
「……え? 自分の部屋に帰ってきただけですけど」
互いの扉が向かい合っていた。
レナは自分の部屋を指差した。
「……自分の部屋に帰ってきただけですけど」
レオンの眉がわずかに動く。
「……男女混合寮か。俺の向かいが、お前の部屋かよ」
「……表札、かけてますけど」
「そんなもん、見てるわけないだろ」
レオンは一歩近づき、言葉を重ねる。
「──今度の実技は、本気を出せよ」
レナは何も返さなかった。ただ黙って鍵を回し、自分の部屋に部屋に入りこんだ。
***
レオンは昼休みに軽食を持って、学院の屋上へ向かっていた。扉の鍵は魔術で封印され、生徒は立ち入れないようになっている。だが、相応の魔力があれば指先で紋をなぞれば、錠は静かに外れる仕様だった。
扉を開けると、先客がいた。
レナだった。風に揺れる赤い髪。頬を濡らすものを、彼女は慌てて指先で拭った。
「……ここで何をしてる」
振り向いたレナの目は、まだ泣きはらして赤かった。
「……レオン…さん」
「何でこんなにお前と会う羽目になるんだ」
レオンはため息をつき、屋上の端に腰を下ろして持参したパンをかじり始める。
「……ここ、立入禁止ですよ」
「お前もいるだろ」
レナは少し迷った末、口を開いた。
「……以前のパートナーが、よく連れてきてくれた場所なんです」
「俺と組む前の話か」
「……ここに来るたびに思い出すんです。実技演習のときに、助けられなかったことを。後悔ばかりしてます」
「弱い者は死ぬ。それがこの世界の理だ。……Eクラスではお前がパートナー殺しだって噂になってるが、何で反論しない?」
「……何度も違うと言ったけど、誰も信じてくれなかった。それに……私のせいで死んだのは、事実だから」
俯いた声は、風にさらわれるように小さかった。
「……なし崩しに犯人扱い、か。馬鹿らしい」
レオンは短く吐き捨てると、手元のパンを置いた。
「午後の実技、手加減なしでやれ。お前、適当にやってるだろう」
「えっ!? い、いつも本気でやってますけど!」
慌てて首を振るレナに、レオンは無言で冷たい視線を向けた。
「……あの、もう戻ってもいいですか」
レナは視線を逸らしながら、階段の方へ歩き出す。
「好きにしろ。ただ、ここに俺がいたことは誰にも言うな。Eクラスの奴らが煩いんだ。飯くらい静かに食いたい」
「……それだけ有望と思われてるんですよ」
「フン。どうせ見た目と強さだけだ。──中身なんて見ちゃいない」
レナは小さく笑った。
「そうですね……黙ってたら格好いいと思いますよ。黙ってたら、ですけど」
「……やけにそこを強調するな」
レオンの口元がわずかに引きつった。
***
実技の授業前、レナはふらりと視界が揺れた。足元が頼りなくなり、医務室へと向かう。
「レナちゃん、大丈夫?何があったの」
学院付属の医務官、アリスがすぐに駆け寄ってくる。
「…… 昨日から水だけで過ごしたからかな?たぶん、ただの貧血だと思います」
「また!?Eクラスの支給金じゃ少なすぎるものね……とりあえずベッドに横になって!何か持ってきてあげる」
「少し寝てたら治ります。アリス先生に迷惑かけられないし……実技行かないと………」
「そんな状態で行かせられるわけないでしょ」
言い合いの末、レナは結局ベッドに横になるしかなかった。
まぶたが重くなりかけた頃、保健室のドアが音を立てて開く。
「……やっぱりここか。実技の時間にいないと思ったら、何をサボってる」
低い声に顔を向けると、そこに立っていたのはレオンだった。
「っ……」
目眩を堪えて立ち上がろうとするレナを、アリスが制止する。
「レナちゃん!ダメだって。今、具合悪いでしょ」
「……具合が悪い?」
レオンの視線がレナに向けられる。
「あなたが新しいレナちゃんのパートナーね。貧血で動けないの。連れ戻させるわけにはいかないわ」
「貧血?」
「支給金だけで生活してるから、まともに食事をとってないのよ」
レオンは短く息を吐き、視線を逸らす。
「……それなら、もういい。今日の実技は無理だな」
それだけ言い残し、踵を返して保健室を出て行った。
「……あれが噂のパートナー、ね。ルックスは良いけど、難しそうなタイプだわ〜」
「実際、やりづらいですよ。以前のパートナーとは仲良かったけど……今は全然」
レナは小さく首を振る。今日の実技を休んだことを、彼がきっと怒っているだろうと思うと、胸が重くなった。
***
寮へと戻ると、レナは自分の部屋の前に立つレオンの姿を見つけた。
「……な、何の用ですか? 実技をキャンセルしたから……怒ってるんですか?」
「そういえば、お前、十三歳だっけ。……バイト禁止の年齢か」
レオンは言葉と同時に、手に持っていた紙袋を差し出した。中にはパンや干し肉、保存のきく食料が詰まっている。
「……え」
「実技もできないほど弱ってたら、こっちが困る。明日の昼、昨日と同じ屋上に来い」
短くそれだけ告げると、レオンは背を向け、廊下を歩き去っていく。
「え……? ちょっと待って……」
呼び止めた声も届かず、彼は振り返らなかった。
***
翌日の昼、レナは昨日の言葉通り、屋上へと足を運んでいた。
「昨日は……ありがとうございました」
膝を立てて座っているレオンの姿を見つけ、恐る恐る礼を言う。
「別に礼を言われるようなことはしてない。俺が進級するために必要なことをやってるだけだ。……大体、お前、俺より早くここに来てるんだろ?進級しようと思わないのか?進級すれば学院の支給額が上がる」
「……戦うことには、向いてないから」
レナは視線を落とす。本当は──学院なんて来たくなかった。けれど、孤児の自分に寮と支給金がある場所は、他になかった。
「生活のためにここにいるのかよ。何の目的もなく」
レナはそれ以上何も言わなかった。
「……まあ、個人の事情に深く首を突っ込む気はない」
レオンはゆっくりと立ち上がり、屋上の端に歩み寄る。
そこには淡く揺らめく結界が張られていた。
「それより、今日呼んだのはあるものと戦ってもらうためだ。そこにある結界の中に、昨日俺が捕らえた魔物を封じ込めてある」
「……魔物?」
「パートナーとして相応しいかどうか見定めさせてもらう。そんなに強い魔物じゃ無い。これで負けるようなら──終わりだ。生きたいのなら、勝て」
そう言いながら、レオンは短剣を抜き、ためらいもなく自らの指先を切った。滴る血が結界の紋に触れた瞬間、光が弾け、封じられていた気配が目を覚ます。
レナの背に緊張が走った。




