第三十九話 ユリアンの後悔
夜。仕事が終わって帰る途中に雨が降り始め、急いで屋根がある場所へ向かっていたころ。
「……」
白髪の男性が、傘も差さずに空を見上げているのを見つけた。青い目は虚ろで、心配になった僕は彼に話しかけた。
「あの」
「……」
男性は何も反応しない。
「あの、大丈夫ですか?」
「……」
何回も声をかけてみたが、反応は無かった。長時間も雨に濡れていたら体調を崩してしまう可能性がある。急に触るのは申し訳ないけれど……最後の手段だ、と男性の肩に触れたことで、ようやく彼は僕の存在に気が付いたようだ。
「……あぁ、永夢くんか」
とても、とても暗い声。ようやく、僕は彼がユリアンさんだと気づいた。
「どこか、屋根のある場所に行きましょう。体調を崩してしまうかも……」
「大丈夫だよ」
「……どうしてですか?」
ユリアンさんは光を映さない、暗い眼差しで再び空に目を向けた。
「今は、雨に打たれていたい気分なんだ」
「それなら、僕も一緒に居ます」
「……君も体調を崩してしまうかもしれないよ?」
「今のユリアンさんを放っておくことはできませんから」
「……そっか」
隣に立ち、ユリアンさんと同じように空を見る。星も、月も、雲が覆っていて見えない。……というか、雨が目に入ってきて目が開けない。ユリアンさんを見ると、瞬き一つしていなかった。痛くないのだろうか。
「その、何かあったんですか?」
「……少しだけ、生前のことを思い出してたんだ」
ユリアンさんはぽつりぽつりと生前のことを語り始めた。
・
僕たちの親は、七歳の頃に殺されてるんだ。僕は、両親が殺されているところを、この目で見ている。だからこそ、家族を失うことを過剰に恐れていた。
兄さんはああ見えて生前は社交的な人でね。友人も沢山いたし、良く笑う人だった。兄さんが今の性格になったのは、たぶん、ひまり……幼馴染であり、恋人である人と喧嘩してからだろうね。
僕は兄さんのことが大好きで、尊敬してて、絶対に失いたくなかった。あんな理不尽は、もう味わいたくなかった。だから常に一緒に居た。兄さんが出かけるなら僕もついていったし、一緒の部屋で寝てた。兄さんも、僕のトラウマを知っていたから何も言わなかった。
そんな兄さんが事故で死んだと知ったとき、僕は絶望した。絶望して、すぐに思いついたのが「自殺」だった。両親が死んだあと、僕たちを養ってくれていた祖父母も死んでいたからね。この世に家族が居なくなって、生きてる意味がなくなった。
だから、死んだ。
兄さんと黄泉の国で再開したとき、兄さんはすごく動揺してた。動揺してたし、泣いて謝罪してた。
・
「たまに、思うんだ。僕のこの選択は正しかったのか。あのまま生き続けたほうが良かったのか」
淡々と、他人事のように、ユリアンさんは語る。正直、かける言葉が見当たらなかった。あの時に別の選択をしていたらどうなっていたのかを考えることはある。例えば、足が動かないからと不貞腐れずに人と積極的に関わっていたら、奈子さんも安心していたのかも、とか。でもそれは結果論にすぎなくて、過去選択した行動を変えることはできない。
「……生き続けることは、正しいこと、なのかもしれません」
絞るような声。ユリアンさんは黙って続きを待っている。言葉を選びながら、僕は続きを話す。
「でも、苦しみに耐えられずに自殺を選んだことを、正しくないことだったとは思いたくない、と、僕は思います」
「それは、どうして?」
「だって、自殺をした人は自ら死を選ぶほど追い詰められていたはずです。そんな人に”正しくないことをした””耐えて生きていればいつか活路が開けていたかもしれないのに”なんて言うのは、酷だと思うから」
「……そっか。君は、そう思うんだ」
「自殺を肯定するわけではないですけど……死後、この選択を後悔する可能性はありますし」
「そうだね。……うん、その通りだ」
ユリアンさんは視線を地面に向ける。どこかすっきりした様子で、口元に微笑みを浮かべた。
「良く考えたら、僕はこの選択を後悔してない。ただ、兄さんを悲しませたこと。それが一番、心残りだった」
「……気持ちは晴れました?」
「ある程度ね。それに、生前の後悔も、これでようやくはっきりした」
「聞いても、良いですか?」
ユリアンさんは頷き、右手を胸に当てる。
「僕は、兄さんと一緒に幸せになりたい。僕一人が幸福になっても意味がないんだ。兄さんが生前の後悔を解消して幸せになる。それがきっと、僕が転生する条件なんだ。……たぶんね」
屈託のない笑顔で、嚙みしめるように。ユリアンさんはそう言った。




