第7話
格納庫に、沈黙が落ちた。
誰一人として動けなかった。
研究員たちは、目の前で起きている現象を理解できずにいた。
数年間、まともに起動することすらなかった試作機が、何の前触れもなく自律的に動き始めた。
外部からの操作信号は確認されていない。
電源系統にも、駆動系にも、目立った異常はない。
それなのに、機体は未知の文字列を表示し、あろうことか、格納庫にいる一人の少年を明確に指し示している。
まるで、その少年を認識しているかのように。
「……警備部隊はまだか!?」
研究員の一人が、焦燥に満ちた声を上げた。
「現在、上層部からの許可を待っています!」
「許可だと!? 目の前で機体が異常動作を起こしているんだぞ!」
「しかし、相手は国家機密に指定された試作機です! 正式な命令なしに武装を使用するわけには……!」
「ならば、何かあってから責任を取るつもりか!?」
怒号が飛び交う。
しかし、その騒ぎをよそに、夜来つむぎは《R-00》を見つめていた。
「死を統べる王、か」
聞き覚えのない呼び名だった。
少なくとも、この世界に来てから、そんな名を名乗った覚えはない。
だが、彼がかつていた世界では、似たような呼び名を何度も耳にしてきた。
死神。
冥府の王。
終焉の使徒。
神々は、自分たちの理解を超える力を持つ者に、勝手な名を与える。
そして、その名を恐れる。
時には崇め、時には忌み嫌い、最後には排除しようとする。
つむぎにとって、それは珍しいことではなかった。
「お前は、私を知っているのか?」
彼は静かに問いかけた。
当然、普通の機械なら返答などしない。
しかし。
『照合中』
《R-00》の音声が、格納庫に響き渡った。
『対象の生命構造を解析』
『解析不能』
『対象の存在階層を解析』
『解析不能』
『対象の権能を解析』
『――警告』
直後、格納庫の照明が一斉に明滅した。
「何だ!?」
研究員たちが、慌てて手元の端末を確認する。
電力供給に異常はない。
照明設備の故障でもない。
それにもかかわらず、光が不規則に揺れ、格納庫の壁に奇妙な影を落としていた。
『解析対象が、解析機構へ干渉しています』
「……ほう」
つむぎの目が、わずかに細くなる。
今の現象は、偶然ではない。
機体が彼を解析しようとした瞬間、つむぎの権能――【死生冠】が反応したのだ。
相手が何であろうと、自らの権能に触れようとする気配を、彼は察知できる。
だが、こんなことは初めてだった。
機械が、彼の存在を解析しようとした。
そこまではいい。
問題は、その解析機構そのものが、彼の権能に触れた途端、異常を起こしたことだ。
まるで、機体の内部にある何かが、【死生冠】と同じ領域へ手を伸ばしているかのようだった。
「……興味深いな」
つむぎは、ゆっくりと歩き出した。
その足取りに迷いはない。
「セレスティア先生」
「は、はい!」
少し離れた場所で、呆然としていたセレスティアが我に返る。
「この機体は、今までにこうした現象を起こしたことがあるのか?」
「ありません! 最後に起動試験を行ったのは数年前です。それ以降は保管状態にありました。今回の異常は、完全に予想外です!」
「そうか」
つむぎは短く頷いた。
そして、彼女に向き直る。
「では、一つ頼みがある」
「な、何でしょうか?」
「この場にいる者たちを、少し離れた場所へ移動させてくれ」
「……え?」
「危険があるかもしれない」
セレスティアの顔から、血の気が引いた。
「まさか、機体が暴走する可能性があるということですか!?」
「その可能性もある」
「ならば、先生も下がってください! ここは警備部隊に任せて、私たちも退避を――」
「いや」
つむぎは、穏やかに首を横に振った。
「私が残る」
セレスティアは言葉を失った。
「ですが……!」
「安心しろ。無闇に壊すつもりはない」
つむぎは《R-00》を見上げた。
「少なくとも、こちらから手を出さない限りはな」
その言葉に、セレスティアは何かを言いかけた。
しかし、口を開いたまま、すぐには言葉が出てこなかった。
彼女は昨日、訓練場でつむぎの戦いを目撃している。
生身の人間でありながら、巨大なELを圧倒した少年。
その異常な身体能力も、機体の動きを見切る判断力も、通常の操縦者や兵士の常識からはかけ離れていた。
彼が本気を出した場合、どれほどのことができるのか。
考えれば考えるほど、むしろ心配すべきなのは、彼自身よりも目の前の試作機なのではないかという気さえしてくる。
「……わかりました」
やがて、セレスティアは苦渋の表情で頷いた。
「ですが、何かあれば、すぐに退避してください。いいですね?」
「善処しよう」
「先生!」
「冗談だ」
つむぎは軽く笑った。
「無茶をするつもりはない。約束しよう」
その表情に、いつもと変わらない穏やかさが戻る。
セレスティアは不安を拭いきれない様子だったが、やがて研究員たちへ避難を指示した。
警報音が鳴り続ける中、研究員たちは何度も振り返りながら格納庫を後にしていく。
最後の一人が退出し、重い隔壁が閉じられた。
広大な格納庫に、再び静寂が訪れる。
残されたのは、つむぎと《R-00》だけだった。
◇ ◆ ◇
「さて」
つむぎは、機体の正面へと歩み寄った。
十九メートル近い巨体は、再び沈黙していた。
だが、つむぎにはわかる。
この機体は、ただ停止しているわけではない。
何かを待っているのだ。
彼が近づくことを。
彼が触れることを。
そして――彼が、その内側にある何かを見極めることを。
「……お前は、何者だ?」
つむぎは、改めて問いかけた。
返答はない。
代わりに、胸部装甲が淡く輝いた。
『対象を再確認』
『生命情報……照合不能』
『魂魄情報……照合不能』
『存在情報……』
機械音声が途切れた。
その瞬間。
格納庫の空気が、凍りついた。
いや、実際に温度が下がったわけではない。
音も、光も、空間そのものも、何一つ変化していない。
それなのに、つむぎは確かに感じた。
世界の何かが、一瞬だけ別のものへと置き換わったような感覚を。
そして、彼の視界に、見知らぬ光景が流れ込んできた。
燃え盛る都市。
崩れ落ちる巨大な塔。
空を覆い尽くす、無数の黒い影。
赤く染まった大地の上で、人々が逃げ惑っている。
その中央に、一つの人影が立っていた。
人間の姿をしている。
だが、人間ではない。
その存在の周囲では、光が失われ、音が遠ざかり、空間そのものが歪んでいた。
そこにいるだけで、周囲の世界が少しずつ形を失っていく。
つむぎは、直感的に理解した。
――神。
かつて彼がいた世界で、何度も対峙してきた存在と同じ種類のもの。
人間の理解を超えた力を持ち、世界の理に干渉し、自らを超越者と称する者たち。
だが、その姿には見覚えがなかった。
彼が殺してきた神々の誰とも違う。
それなのに、存在のあり方だけは、確かに似通っていた。
そして、その神らしき存在の前に、一機のELが立っていた。
《R-00》に似た機体。
しかし、現在のそれとは、明らかに異なっていた。
装甲の隙間から覗く内部構造は、まるで生物のようだった。
人工筋肉が脈打ち、装甲の下で何かが蠢いている。
機械であるはずなのに、そこには確かな生命の気配があった。
機体の胸部には、巨大な紋様が刻まれている。
それは、つむぎがよく知るものだった。
生と死の境界。
存在を存在たらしめる、根本的な理。
そして、【死生冠】に通じる、権能の痕跡。
「……これは」
つむぎが呟いた、その瞬間。
光景が砕け散った。
視界が元に戻る。
目の前には、相変わらず鋼鉄の巨人が立っていた。
格納庫の照明も、警報灯も、何事もなかったかのように点滅を続けている。
しかし、つむぎの表情は変わっていた。
彼はゆっくりと手を伸ばし、機体の胸部装甲へ触れた。
冷たい金属の感触が、指先に伝わる。
その奥に、何かがある。
先ほどの光景は、単なる映像データではない。
機械が保存していた記録を再生したわけでもない。
もっと根本的なものだ。
機体に刻まれた、存在の痕跡。
過去に何があったのか。
何を見て、何を経験し、何を失ったのか。
そのすべてが、断片的な情報として、つむぎの権能に触れてきたのだ。
そして、その痕跡は、一つの可能性を示していた。
この世界には、かつて神がいた。
ただの伝承や、人間が作り上げた信仰の対象ではない。
実際に存在し、人類と何らかの関わりを持っていた、超越的な存在。
そして、人類はその神に対抗するために、ELを作り上げたのかもしれない。
つむぎは、ゆっくりと手を離した。
「……そういうことか」
彼は、天井を見上げた。
当然、そこに空はない。
視界を遮るのは、無機質な天井と、無数の配管だけだ。
それでも、彼の中では、いくつかの疑問が一つの線へと繋がり始めていた。
この世界は、単なる機械文明ではない。
高度な技術を持つ人類が、科学の力だけで発展してきた世界とも限らない。
その根底には、彼のいた世界と同じように、神の領域へ踏み込んだ痕跡がある。
そして、その痕跡は今もなお、どこかで息づいている。
『対象の接触を確認』
《R-00》の音声が響いた。
『権能反応を検出』
『解析を開始します』
「やめておけ」
つむぎが、静かに告げた。
その瞬間。
機体の胸部から放たれていた光が、ぴたりと消えた。
『…………』
「私を解析しようとするのは構わん。だが、無理に踏み込めば、お前の方が壊れるぞ」
脅しではなかった。
つむぎにとって、それは単なる事実だった。
【死生冠】は、対象の生と死、その境界に干渉する権能だ。
相手が機械であろうと、生物であろうと、あるいはそのどちらにも属さない存在であろうと、彼の権能が届くのであれば、そこに例外はない。
無理に解析を続ければ、この機体の内部にある何かが、彼の権能に触れ続けることになる。
それが何を引き起こすかは、つむぎにもわからなかった。
だからこそ、警告したのだ。
しばらくして、《R-00》の胸部に、ごく小さな光が灯った。
『……解析を中断』
「賢明だ」
つむぎは、満足げに微笑んだ。
その反応が、単なるプログラムによるものなのか。
それとも、機体の奥に潜む何かが、自らの意思で判断した結果なのか。
今の段階では、まだわからない。
だが、少なくとも一つ。
この機体は、彼の言葉に応じた。
つむぎは、もう一度だけ《R-00》を見上げた。
「いずれ、ゆっくり話を聞かせてもらおう」
その言葉に、機体は何も答えなかった。
しかし、胸部の光が消えた後も、つむぎには、その奥にある何かの気配が感じられていた。
まるで、長い眠りにつく前に、彼の存在を確かめるように。
◇ ◆ ◇
それから十分後。
研究棟の会議室には、学園長、セレスティア、警備責任者、そしてつむぎが集まっていた。
机の上には、《R-00》の起動ログや、格納庫内で記録された異常データが並べられている。
だが、それらを確認しても、明確な結論は出なかった。
「……つまり、機体は自然に停止したと?」
学園長が、資料から顔を上げた。
「ああ。現在は停止状態にある」
つむぎは簡潔に答えた。
「現在は、ということは……」
「また動く可能性はある」
会議室に、重い沈黙が落ちた。
警備責任者が険しい表情で口を開く。
「ならば、機体を解体するべきではありませんか。原因不明の異常を起こした以上、再発を防ぐ必要があります」
「待ってください!」
セレスティアが、すぐさま反論した。
「まだ原因がわかっていません。ここで解体してしまえば、貴重な研究資料を失うことになります!」
「研究資料よりも安全が優先だ!」
「だからこそ、原因を調べる必要があるのです!」
二人の議論が激しくなる。
警備責任者の主張にも、一理ある。
得体の知れない現象を起こす機体を、そのまま保管するのは危険だ。
一方、セレスティアの言う通り、原因を究明せずに解体してしまえば、今後同様の現象が起きた際に対処できなくなる可能性もある。
どちらの意見も、簡単には退けられなかった。
そんな中、つむぎは黙って湯呑みを手に取った。
彼らが議論しているのは、機体をどう扱うべきかという問題だ。
だが、彼にとって最も重要なのは、別のことだった。
「一つ、確認したい」
つむぎの声に、全員が口を閉じた。
彼は湯呑みを机に戻し、学園長へ視線を向けた。
「この世界では、神という存在は知られているのか?」
「……神?」
学園長が眉をひそめた。
あまりに唐突な質問だった。
「宗教上の概念としてなら、もちろん知られている。歴史や神話にも登場するし、信仰の対象として祀られている地域もある。だが、それが実在するかどうかとなると、別の話だ」
「そうか」
つむぎは頷いた。
「突然、どうしてそんな質問を?」
「いや。少し気になっただけだ」
それ以上、つむぎは説明しなかった。
この世界に存在する神が、彼の知る神と同じ存在なのか。
それとも、単なる伝承や比喩にすぎないのか。
まだ判断するには早い。
ただ一つ、確かなことがある。
あの《R-00》が、彼の権能に反応したこと。
そして、機体から伝わってきた光景に、神の痕跡があったこと。
それだけは、間違いなかった。
「……夜来先生」
セレスティアが、慎重に口を開いた。
「先ほどの現象について、何かご存じなのですか?」
「残念ながら、詳しいことはわからん」
つむぎは正直に答えた。
「だが、あの機体には、単なる機械以上の何かがある」
「単なる機械以上……。それは、人工知能のようなものですか?」
「違うな」
つむぎは首を横に振った。
「人工知能であれば、少なくとも情報処理や学習といった仕組みで説明できる。だが、あれはそういうものとは少し違う」
「では、いったい……?」
「もっと根本的なものだ。少なくとも、私の知る限り、あれは通常の機械ではない」
会議室に、再び沈黙が落ちた。
誰もが、目の前の少年の言葉を理解しようとしていた。
だが、つむぎはそれ以上を語らなかった。
自分自身、まだ全貌を把握できていないのだ。
確証のないことを並べ立てるつもりはなかった。
学園長はしばらく考えた後、重々しく頷いた。
「……わかった。《R-00》は引き続き厳重に管理する。研究部門と警備部門で協力し、原因の究明を進めよう」
そして、つむぎへと向き直る。
「夜来先生。今後も調査に協力してもらえるだろうか?」
「必要であればな」
「ありがとう。君の協力は心強い」
学園長が頭を下げる。
その言葉に、つむぎは軽く頷いた。
会議は、それで終了した。
資料をまとめる音が響き、出席者たちが席を立ち始める。
しかし、つむぎは会議室を出る直前、ふと思い出したように足を止めた。
「学園長」
「何だね?」
「この学園には、地下の研究施設がいくつある?」
学園長の表情が、わずかに変わった。
「……一般の学生には公開していない施設が三つある。今日の第三格納区画も、その一つだ」
「そうか」
つむぎは、ほんの少し目を細めた。
「ならば、ほかの施設についても調べておいた方がいい」
「どういうことだ?」
「今日の機体は、単独で存在しているとは限らない」
学園長の顔から、表情が消えた。
セレスティアも、警備責任者も、動きを止める。
「……ほかにも、同じような機体があると?」
「断定はできない。ただ、あの機体の反応を見る限り、確認しておく価値はあるだろう」
つむぎは、それだけ言い残すと会議室を後にした。
残された者たちは、しばらく動けなかった。
夜来つむぎという少年は、一体、何を知っているのだろうか。
そして、彼が言う「単なる機械以上のもの」とは、いったい何なのか。
答えは、まだどこにもなかった。
◇ ◆ ◇
その夜。
国立士官学園の教員寮。
つむぎは部屋の机に向かい、今日の出来事を整理していた。
ELという兵器。
それを扱う人間たち。
高度な機械技術を発展させた、この世界の文明。
そして、あの《R-00》。
知るべきことは、まだ多い。
この世界の技術体系についても、軍事組織についても、彼はほとんど何も知らない。
ましてや、あの機体に潜んでいた何かについては、推測すら十分ではなかった。
「……神、か」
つむぎは呟いた。
もし、この世界にも神が存在するのなら。
もし、その神が人類に何らかの影響を与えていたのなら。
ELという技術そのものにも、何らかの関係があるのかもしれない。
だが、今はまだ断定できない。
あの光景が示していたのは、あくまで過去の痕跡らしきものだ。
誰が何のためにELを作ったのか。
神と人類の間に、何があったのか。
《R-00》が、なぜ今になって目覚めたのか。
どれも、答えは出ていなかった。
つむぎは筆を置き、窓の外を見た。
夜空には、見知らぬ星々が輝いている。
ここは、彼が生まれ育った世界ではない。
帰る方法も、まだ見つかっていない。
それでも、彼は焦っていなかった。
調べるべきことがある。
知るべきことがある。
そして、この世界で出会った人々の中には、教える価値があると思える若者たちもいた。
何より――この世界には、まだ知らないことが多すぎる。
「……退屈はしなさそうだな」
つむぎは、小さく笑った。
その時だった。
机の上に置いていた端末が、短い電子音を鳴らした。
画面に表示されたのは、学園長からの緊急メッセージだった。
『夜来先生。至急、研究棟地下第二施設へ来てほしい。新たな異常が発生した』
つむぎは、画面を見つめた。
第二施設。
今日、彼が確認するよう勧めた場所だ。
偶然なのか。
それとも、あの《R-00》の覚醒と関係があるのか。
考えるより先に、続けてもう一通のメッセージが届いた。
『保管されていた旧式ELが、すべて同時に起動した』
つむぎの目から、笑みが消えた。
「……なるほど」
彼は静かに立ち上がり、刀を腰に差した。
今度は、ただ様子を見るだけでは済まないかもしれない。
一機だけなら、偶発的な異常として片づけられたかもしれない。
だが、複数の旧式ELが同時に起動したとなれば話は別だ。
そこには、何らかの共通した原因がある。
そして、その原因が《R-00》と同じものならば――。
つむぎは、部屋の扉へと歩き出した。
鋼鉄の巨人が何十機起動しようと。
この世界の常識が、どれほど変わろうと。
彼が己の在り方を変えることはない。
ELに乗る必要はない。
機体の操縦を学ぶ必要もない。
彼は己の足で戦場へ向かい、己の手で脅威を見極める。
それが、夜来家の人間として生きてきた彼の流儀だった。
そして――神を殺す者の流儀でもあった。




