第6話
研究室の奥には、一機のELが保管されていた。
全高は約十九メートル。
現行の標準機と比較すると、全体的に細身のシルエットをしている。無骨な装甲はところどころ取り外され、露出した内部構造には、通常の量産機とは異なる設計思想が見て取れた。
胸部装甲の一角には、識別番号とともに、短い記号が刻まれている。
――《R-00》。
「こちらは研究用の試作機です」
隣に立つセレスティアが説明した。
白衣の裾を軽く整えながら、彼女は手元の端末を操作する。すると、機体の周囲に設計データが立体映像として展開された。
「正式採用されなかった旧式の設計を基礎に、駆動系と制御系を大幅に改修しています。現行機にはない機構も試験的に組み込まれているんですよ。ただ……少々、厄介な問題がありまして」
「問題?」
「操縦者の入力に対して、機体の動作が安定しないんです。通常の制御プログラムでは、反応にどうしても遅れが生じる。かといって、反応速度を上げると、今度は入力に対して過剰に反応してしまう。微細な操作にも機体が大きく動いてしまうので、実用化には至っていません」
セレスティアの口調には、研究者としての悔しさが滲んでいた。
「制御系の調整だけでは解決できないんです。駆動系にも問題があるのか、それとも機体そのものの設計に原因があるのか……。現状では、まだ結論が出ていません」
「なるほど」
つむぎは相槌を打ち、目の前の巨人を見上げた。
「もし可能でしたら、先生の意見をいただけないでしょうか?」
「意見と言われてもな。私はELに乗ったこともなければ、整備の経験もないぞ?」
「ええ、承知しています。ですが、先ほどの説明を聞く限り、先生には機体の構造についても独特の見方があるようですから。専門家とは異なる視点からの意見も、研究の助けになるかもしれません」
「そういうことなら、見てみるくらいは構わない」
つむぎは機体の足元へと歩み寄った。
装甲の隙間から覗く駆動部に目を向ける。
関節の配置。人工筋肉の取り回し。姿勢制御装置の位置。そして、全身の構造を通じて、力がどのように伝達されるよう設計されているのか。
彼は一つひとつを確かめるように視線を動かした。
「……ふむ」
「何か気になるところが?」
「そうだな。膝関節の構造は、負荷が集中しやすそうだ。人工筋肉の応答速度に対して、制御系の補正が追いついていない可能性もある。少なくとも、出力を上げるだけでは解決しないだろう」
「……っ!」
セレスティアの目が輝いた。
「それは、現在私たちが検証している問題と一致しています! 特に、人工筋肉の出力変化に対する制御補正の遅れは、原因の一つとして疑われているんです!」
「そうか。ならば、見当違いというわけでもなさそうだな」
「見当違いどころか、かなり的確です! 先生、本当にELの設計や整備に携わったことがないんですか?」
「ないな」
「一度も?」
「一度も」
つむぎはあっさりと答えた。
セレスティアは、信じられないものを見るように彼を見つめた。
「……ますます不思議な方ですね」
「よく言われる」
「褒めているんですよ?」
「それはありがたい」
つむぎは微笑みながら、機体の膝へと手を伸ばした。
そして、装甲の継ぎ目に指先が触れた、その瞬間だった。
――ぞくり。
胸の奥を、冷たい何かが撫でていった。
つむぎの指が止まる。
先ほどまで見ていた設計上の問題とは、まるで異なる違和感。
昨夜、学園の奥から感じ取ったものと同じ気配だった。
生物ではない。
少なくとも、通常の意味で生命を持つものではない。
だが、ただの機械とも言い切れなかった。
鋼鉄の外殻の奥。そのさらに深い場所に、何かが潜んでいる。
目に見える部品でも、電気信号でも、機体を動かすための機構でもない。
もっと根本的な――この機体が、ここに存在していることそのものに関わる何か。
つむぎは、そっと目を細めた。
「……セレスティア先生」
「はい?」
「この機体は、いつからここにある?」
「設計そのものは十年以上前のものです。製造されたのは、その翌年だったと記録されています。ただ、数年前に原因不明の不具合が見つかりまして。それからは実験を中断し、研究用として保管されているんです」
「数年前、か」
つむぎは短く呟いた。
「……何か気になることでも?」
セレスティアが首を傾げる。
つむぎは機体から手を離した。
「いや。少し妙な気配がしただけだ」
「気配……ですか?」
「ああ」
「機体から?」
「そうだな」
セレスティアは、改めて《R-00》を見上げた。
彼女は長年、ELの構造や駆動理論を研究してきた。異音や振動、制御信号の微細な変化なら、ある程度は経験から推測できる。
しかし、今の機体は静まり返っていた。
電源は待機状態。駆動系も停止中。センサーにも、特筆すべき異常はない。
そこにあるのは、研究対象として保管された一機の試作ELにすぎなかった。
「計測器には、特に異常は出ていませんけれど……」
「だろうな」
つむぎは穏やかに答えた。
「私が感じたものは、計測器で測れるようなものではない」
「……どういう意味ですか?」
「気にしなくていい。まだ、私にもよくわかっていないからな」
その言葉に、セレスティアはますます興味を惹かれたようだったが、それ以上は尋ねなかった。
つむぎは再び《R-00》を見上げる。
鋼鉄の巨人。
人間が知識と技術を注ぎ込み、作り上げた巨大な道具。
人を運び、戦い、時には命を守るために動くもの。
本来ならば、そこに生と死の境界など存在しないはずだった。
だが、この機体は違う。
少なくとも、つむぎの権能はそう告げていた。
生きているのか。
それとも、死んでいるのか。
あるいは――生と死、そのどちらにも属していないのか。
境界そのものが、ひどく曖昧になっている。
つむぎは口元に、かすかな笑みを浮かべた。
「……面白い」
その呟きは、隣にいたセレスティアにも届かないほど小さかった。
◇ ◆ ◇
その日の放課後。
つむぎは学園の中庭を歩いていた。
空は夕焼けに染まり、校舎の窓を茜色に輝かせている。訓練を終えた学生たちは、それぞれ談笑しながら寮へと戻り、遠くからは訓練用ELの駆動音が微かに聞こえていた。
平穏な光景だった。
この世界に来てから、つむぎは何度か奇妙なものを目にしている。巨大な機械に乗り込んで戦う若者たちも、その機械を極限まで発展させようとする研究者たちも、彼にとっては未知の存在ばかりだ。
けれど、こうして夕暮れの中を歩いていると、どこにでもある学園の日常と大きく変わらないのだとも思う。
「先生!」
背後から、聞き慣れた声が飛んできた。
振り返ると、レオン、リリア、そしてユリウスの三人がこちらへ歩いてくるところだった。
「どうした? 三人揃って」
「今日の授業のことで、少し聞きたいことがあって」
レオンが答える。
いつもの鋭い眼差しはそのままだったが、以前のように、つむぎを疑う色は薄れていた。
実際に手合わせを経験し、彼の教えが単なる口先ではないことを理解し始めたのだろう。
「聞きたいこと?」
「はい。先生は、戦場で何を一番大切にしているんですか?」
レオンの問いに、リリアもユリウスも口を閉じた。
三人とも、それぞれに理由は違うのだろうが、同じ疑問を抱いていたらしい。
戦術を教えると言いながら、つむぎは操縦技術そのものにはほとんど触れない。彼が語るのは、勝つための手段だけではなかった。
どうすれば戦いを避けられるか。
どうすれば味方を生き残らせられるか。
そして、どうすれば不利な状況から戻ってこられるか。
その根底には、一貫した何かがあるように思えたのだ。
つむぎは少しだけ考えてから、静かに答えた。
「生きて帰ることだな」
「……それだけですか?」
レオンが思わず問い返した。
「それ以上に大切なことがあるか?」
つむぎは不思議そうに首を傾げた。
まるで、なぜそんな質問をされるのか、本気で理解できないとでもいうように。
三人は、すぐには答えられなかった。
「任務を達成することも重要だ。仲間を守ることも、敵を倒すことも、状況によっては必要だろう」
つむぎはゆっくりと歩きながら、言葉を続けた。
「だが、生きて帰らなければ、その先にあるものを守ることもできない。任務を果たしたとしても、守るべき人間を失えば、後悔することだってある」
彼は夕焼けに染まる空を見上げた。
どこまでも穏やかな声だった。
「戦場で死ぬことを、美徳のように語る者もいる。命を懸けて任務を果たしたのだから、それで十分だと。……だが、私はそうは思わない」
一瞬だけ、彼の目から柔らかさが消えた。
「生きて帰るために知恵を絞り、技術を磨き、仲間と協力する。それでもなお、死ぬことがある。どれほど気をつけても、避けられない瞬間はあるだろう」
つむぎの言葉には、机上の理論では済まされない重みがあった。
「だからこそ、死なずに済む可能性を一つでも増やすべきなのだ。避けられる危険は避ける。勝てない相手とは正面から戦わない。必要ならば退くことも、逃げることも、恥ではない」
彼は三人を振り返った。
「生き残ることを諦めるな。戦いは、死ぬためにするものではないのだから」
レオンは真剣な表情で、ゆっくりと頷いた。
「……わかりました」
その声には、以前にはなかった確かな重みがあった。
リリアも珍しく茶化すことなく、つむぎの顔を見つめている。
一方、ユリウスは眼鏡の位置を直しながら、何かを考えるように視線を落としていた。
「先生の考え方は、合理的ですね」
「そうか?」
「はい。戦闘における損失を減らすことは、戦術上も重要です。ただ、実際には任務の重要性や、撤退によって生じる被害も考慮しなければならない。必ずしも生存を最優先できるわけではありません」
「その通りだ」
つむぎはあっさりと認めた。
「だからこそ、何を守るべきなのか、何を諦めてはならないのかを、普段から考えておく必要がある。いざという時に、その場の感情だけで決めようとすれば、判断を誤ることもあるからな」
「……なるほど」
ユリウスは、今度こそ納得したように頷いた。
「ありがとうございます、先生。参考になりました」
「それならよかった」
つむぎは小さく微笑んだ。
その空気を破ったのは、リリアだった。
「先生!」
「うん?」
「じゃあ、明日の訓練は何をするんですか?」
「明日か」
つむぎは少しだけ考えるような仕草を見せた。
そして、にこやかに告げた。
「明日は、ELから降りてもらおう」
「…………え?」
三人の声が重なった。
「機体を使わずに、敵の攻撃を避ける訓練だ。場合によっては、接近してきた相手の動きを見極めるところまでやってもらおう」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
リリアが慌てて声を上げた。
「私たち、操縦科なんですけど!?」
「知っている」
「ELの操縦技術を鍛えるんですよね!? なんで機体から降りるんですか!」
「ELから降りた状態で敵に遭遇する可能性もあるだろう?」
「それは、まあ……ありますけど!」
「ならば、訓練しておいて損はない」
つむぎは、少しも悪びれずに言った。
「それに、機体が動かなければ戦えない、というのでは困る。機体を失った時、操縦者自身に何ができるのか。それを知っておくことも、戦場では重要だ」
「理屈はわかりますけどぉ……!」
「よかった。話が早いな」
「そういう意味じゃありません!」
リリアの抗議を受け流しながら、つむぎはさらに言葉を重ねる。
「もちろん、基礎訓練も続ける。走る、跳ぶ、受け身を取る、転んでもすぐに立ち上がる。どれも大切だからな」
「……今日も走るんですか?」
「当然だ」
「えええええっ!?」
リリアの悲鳴が、夕暮れの中庭に響き渡った。
レオンは額に手を当て、天を仰ぐ。
「……操縦技術を教えてもらえると思っていたんだがな」
「そうですね。私も、ここまで基礎体力を重視されるとは予想していませんでした」
ユリウスは眼鏡を押さえ、深々とため息をついた。
「何を言っている。機体を操るのも人間だ。操縦者自身が自分の身体を制御できなければ、機体の制御もままならないだろう」
「それは……そうかもしれませんが」
「うむ。理解が早くて助かる」
「納得したわけではありません!」
リリアの声が、再び響く。
その様子を見て、つむぎは楽しそうに笑った。
この世界の若者たちは、思っていた以上に面白い。
生真面目で、負けず嫌いで、理屈を並べることもあれば、感情のままに不満を口にすることもある。
けれど、彼らは決して無気力ではなかった。
自分たちの技術を磨き、強くなろうとしている。知らないことを知ろうとし、納得できないことには疑問をぶつけてくる。
未熟ではある。
それでも――教える価値は十分にある。
少なくとも、つむぎはそう感じ始めていた。
――その時だった。
学園の奥から、けたたましい警報音が鳴り響いた。
『緊急警報。研究棟地下区画にて異常発生。関係者は直ちに避難してください』
無機質なアナウンスが、学園全体に響き渡る。
談笑していた学生たちが足を止め、警報の発信源へと視線を向けた。
先ほどまで和やかだった中庭の空気が、一瞬にして張り詰める。
「研究棟……?」
リリアの表情から、笑みが消えた。
「地下区画って、何があるんだ?」
レオンが呟く。
ユリウスもまた、警報の内容を分析するように眉を寄せていた。
「研究棟の地下には、一般の学生が立ち入れない区画があります。詳しい研究内容までは知りませんが、少なくとも通常の実習施設ではないはずです」
その言葉を聞いても、つむぎは何も答えなかった。
ただ、警報が響いた方向へと目を向けていた。
胸の奥で、あの違和感が強まっていく。
研究室で《R-00》に触れた時に感じた気配。
そして昨夜から、学園の奥底に潜んでいると感じていた、あの得体の知れない存在。
それが今、はっきりと動き始めている。
まるで、長い眠りから何かが目を覚ましたかのように。
「……なるほど」
つむぎは静かに呟いた。
「ようやく、動き出したか」
そして、踵を返した。
「先生、どこへ!?」
レオンの声が背後から飛んでくる。
つむぎは振り返らずに答えた。
「少し、様子を見てくる」
「危険です! 警備部隊が向かっているはずです!」
「そうか。ならば、彼らの邪魔をしないようにしよう」
言葉だけを聞けば、無理に介入するつもりはないように思える。
しかし、その歩みは確実に速くなっていた。
「……いや、先生。それ、絶対に様子を見るだけじゃないですよね?」
ユリウスの指摘に、つむぎは答えなかった。
ただ、彼の口元に浮かんでいた微笑みが、ほんのわずかに薄れていく。
研究棟の地下。
そこに何があるのか、つむぎはまだ知らない。
だが、一つだけ確かなことがあった。
あの気配は、ただの機械から発せられるものではない。
そして、その気配は――彼の権能【死生冠】に、明確な反応を示していた。
◇ ◆ ◇
同じ頃。
研究棟地下、第三格納区画。
赤い警報灯が、規則的な明滅を繰り返していた。
警報音が格納庫の壁に反響し、並んだ機材の表面を赤く染め上げている。
「駆動系、異常なし!」
「制御プログラムの再起動を試みます!」
「駄目です! 外部からの操作を受け付けません!」
研究員たちが端末の前を行き交い、次々と報告を上げる。
しかし、画面に表示される数値は、彼らの混乱をよそに、奇妙なほど正常だった。
電源系統に異常はない。
駆動系にも異常はない。
制御プログラムの破損も確認されていない。
それなのに、誰も機体の状態を把握できずにいた。
格納庫の中央。
そこには、一機のELが立っていた。
全高、約十九メートル。
暗い灰色の装甲に覆われた、細身の巨人。
その外観は、現行の標準機とは異なる古い設計を思わせる。長年にわたって起動されることのなかった試作機は、静かに直立したまま、何の反応も示していなかった。
胸部装甲に刻まれた識別番号。
――《R-00》。
その頭部に、淡い光が灯った。
「……っ!」
近くにいた研究員が息を呑む。
「今、頭部のセンサーが……?」
「ログを確認しろ! 起動命令は送っていないはずだ!」
「確認しています! しかし、外部からの操作信号は記録されていません!」
その時、格納庫のスピーカーから、機械音声が流れた。
『……検知』
研究員たちが一斉に顔を上げる。
それは、通常のシステム音声とは明らかに異なっていた。
定型文を読み上げるだけの、無機質な案内音声ではない。
妙な間を挟み、まるで何かを確かめるように、言葉を選んでいる。
『未知の生命反応を検知』
『照合……失敗』
『再照合……失敗』
『識別不能』
「生命反応だと……?」
研究員の一人が、困惑した表情で端末を確認した。
生命反応を検出するセンサーは搭載されている。救助活動などで操縦者や要救助者の位置を特定するための機能だ。
しかし、この格納庫にいるのは研究員だけだった。
そして、機体のセンサーが示している方向には、誰もいない。
「センサーの誤作動か?」
「いえ、複数の系統が同じ反応を検出しています。単純な故障とは考えにくいかと……」
「なら、何を検知しているんだ!?」
答えられる者はいなかった。
その間にも、《R-00》の頭部は、微かな駆動音を立てて動き始めていた。
『警告』
『対象の生命情報、解析不能』
『対象の存在……』
音声が途切れた。
一瞬、格納庫からあらゆる音が消えたように感じられた。
研究員たちは、息をすることさえ忘れたように機体を見つめていた。
そして。
『――神性反応を検知』
誰も、その言葉の意味を理解できなかった。
神性。
それは宗教的な概念なのか、それとも未知のエネルギー反応を示す技術用語なのか。
少なくとも、彼らが扱ってきたELのシステムに、そのような検知項目は存在しない。
「……今、何と言った?」
「神性反応……と、聞こえましたが」
「そんな機能は、設計データに存在しないぞ!」
困惑と焦燥が、格納庫内を満たしていく。
その直後だった。
《R-00》の胸部装甲が、内側から淡く輝き始めた。
光は、装甲の継ぎ目をなぞるように広がっていく。
同時に、格納庫の床へと奇妙な紋様が浮かび上がった。
円を幾重にも重ねたような図形。その内側には、見たこともない文字らしきものが刻まれている。
それは、ELの設計図には存在しないものだった。
床面に投影された映像でもない。
レーザーによって描かれたものでもなければ、機体から発生した光が偶然そう見えているわけでもない。
紋様は、初めからそこにあったかのように、床そのものへと浮かび上がっていた。
研究員の一人が、震える声で呟いた。
「……何だ、これは……?」
誰も答えなかった。
答えられるはずもなかった。
彼らは機械の専門家だ。
装置の挙動を解析し、原因を特定し、再現性のある説明を導き出す。それが彼らの仕事だった。
しかし、目の前で起きている現象は、そのどれにも当てはまらない。
やがて、《R-00》の頭部がゆっくりと動いた。
ぎこちない動作ではなかった。
駆動音はほとんど聞こえず、関節にも不自然な負荷は見られない。
まるで、その機体自身が意思を持ち、自らの意志で首を巡らせているかのようだった。
その視線が向いた先。
地下へ続く通路の向こう側。
そこから、一人の少年が歩いてくる。
黒い和服。
腰に差した刀。
そして、あらゆるものの生と死を見極める瞳。
夜来つむぎ。
彼は格納庫の入り口で立ち止まると、赤い警報灯の明滅にも、慌ただしく動き回る研究員たちにも構わず、ただ中央に立つ鋼鉄の巨人を見上げた。
「……お前か」
その声に応えるように、機体の胸部が一段と強く輝いた。
つむぎは、わずかに目を細める。
先ほど研究室で触れた時よりも、気配が明確になっている。
あの時は、眠っているものの存在をかすかに感じ取っただけだった。
今は違う。
そこにあるものが、こちらを認識している。
こちらの存在を探り、理解しようとし、そして――何かに反応している。
つむぎは、機体から目を離さないまま静かに告げた。
「どうやら、お前には少しばかり話を聞く必要がありそうだな」
その瞬間。
《R-00》の頭部が、完全につむぎの方を向いた。
『――対象を確認』
無機質な声が、格納庫に響き渡る。
『照合を開始』
『生命情報……解析不能』
『存在情報……解析不能』
『神性反応……高位』
研究員たちが、呆然と機体を見上げていた。
そんな項目が、ELのシステムに存在するはずがない。
それでも、機体は確かに何かを読み取り、結果を出力している。
『識別名――』
音声が、再び途切れた。
胸部装甲の輝きが明滅し、床に浮かんだ紋様がゆっくりと回転を始める。
やがて、機体の胸部に、見たこともない文字列が浮かび上がった。
それは現代の言語でも、軍用コードでもなかった。
にもかかわらず、その場にいた者たちには、なぜか言葉の意味だけが伝わってきた。
『――死を統べる王』
つむぎの表情から、笑みが消えた。
彼がこの世界に来てから、まだそれほどの時間は経っていない。
見知らぬ技術に囲まれ、未知の常識に触れ、自分の知らない世界の仕組みを少しずつ学んできた。
それでも、ここまで明確に自分の本質へ踏み込んでくる存在はなかった。
この機体は、彼を単なる人間として認識していない。
名前を知っているわけではないだろう。
夜来つむぎという個人を理解しているのでもない。
けれど、その奥底にあるもの――彼が持つ権能の根幹に、確かに反応している。
「…………」
つむぎは黙って《R-00》を見つめた。
その瞳には、警戒だけではなく、わずかな驚きが浮かんでいた。
やがて、彼は小さく息を吐く。
「……なるほど。お前は、そういうものか」
その呟きに応えるように、機体の胸部が再び脈打った。
まるで、鋼鉄の巨人の奥底にある何かが、彼の言葉を理解したかのように。
この世界に来てから初めて。
つむぎは、自分の存在を知っている何かと出会った。
そして、その何かは――
彼を、ただの人間として認識していなかった。




