第5話
国立士官学園には、一つの暗黙の了解があった。
───ELに乗らずして、ELを語るな。
エクス・ロギア。
人類が数十年前に生み出した、人型駆動兵器。
全高十数メートルから二十数メートルにも及ぶ巨体を持ち、搭乗者の操作を機械的に拡張するその兵器は、戦場の在り方を根本から変えた。
かつて戦車や航空機が担っていた役割の一部を引き継ぎ、複雑な地形にも対応し、専用の装備を用いることで近距離から遠距離まで、あらゆる状況で戦闘を行う。
機体の性能と、操縦者の技量。
その二つが噛み合った時、ELは一騎当千の戦力となる。
だからこそ、国立士官学園の学生たちは幼い頃からELに憧れ、操縦技術を磨き、将来のエースパイロットを目指していた。
彼らにとって、ELは単なる兵器ではない。
自らの可能性を広げ、誰かを守り、未来を切り開くための力だった。
そんな彼らにとって。
「ELには乗らんぞ」
朝一番の授業で、担当教官がそう宣言したことは、到底理解できるものではなかった。
「……は?」
教室の中央で、レオン・アシュフォードが間の抜けた声を上げる。
その周囲でも、学生たちが顔を見合わせていた。
昨日、生身で訓練機を圧倒した教官が、今日はELに乗らずに授業を行うという。
一体、何をするつもりなのか。
教壇に立つ夜来つむぎは、そんな学生たちを不思議そうに見渡した。
「聞こえなかったか? 私はELに乗るつもりはない、と言ったのだ」
「い、いやいやいや! 先生、ちょっと待ってください!」
赤髪の少女、リリア・フェルゼンが勢いよく立ち上がった。
「昨日、あんなにすごいことをやっておいて、今日は乗らないんですか!?」
「そもそも、私はELに乗ったことがないと言っただろう」
「いや、そうなんですけど!」
「それに、私が乗る必要もない」
「……必要もない?」
リリアが首を傾げる。
つむぎは彼女の疑問に答える代わりに、教壇の端に置かれていたチョークを手に取った。
そして、黒板の中央に一つの言葉を書き記す。
戦術。
「諸君らはELの操縦者を目指している。ならば、私が教えるべきことは、ELの操縦方法ではない」
つむぎはチョークを置き、学生たちを見渡した。
「ELを使って、どう戦うかだ」
その言葉に、教室が静かになった。
「どのような機体を選ぶべきか。どのような状況で、どの武装を使用するべきか。味方とどう連携し、敵の行動をどう制限し、何をもって勝利とするのか」
淡々とした口調だった。
しかし、そこに並べられた問いは、どれも簡単に答えられるものではない。
「機体を動かす技術と、戦いに勝つ技術は、似ているようで別物だ。どれほど優秀な操縦者であろうと、勝利条件を見誤れば敗北する」
「……ですが、先生」
レオンが手を挙げた。
昨日の模擬戦を経て、彼の中でつむぎへの認識は大きく変わっていた。
それでも、疑問がなくなったわけではない。
「実際にELを操縦した経験がない先生に、そこまで教えられるものなんですか?」
「良い質問だ」
つむぎは素直に頷いた。
「では、逆に聞こう。敵のELがこちらより速く、強く、射程も長かった場合、君ならどうする?」
「地形を利用して、射線を切ります」
レオンは即座に答えた。
「敵が地形ごと破壊できる火力を持っていたら?」
「……味方の支援を要請します」
「味方が来るまで持ちこたえられなかったら?」
「それは……」
レオンの言葉が途切れる。
つむぎは追及をやめず、穏やかに問いを重ねた。
「敵がこちらの位置を把握しており、支援要請まで妨害してきたら?」
「……」
「敵は君たちの機体の性能を把握している。こちらの攻撃は通用せず、敵の攻撃をまともに受ければ一撃で戦闘不能になる。しかも、撤退路まで塞がれている。さて、どうする?」
レオンは黙り込んだ。
頭の中で、いくつもの戦術が組み立てられては崩れていく。
地形を利用する。
味方の支援を求める。
敵の射程外へ逃れる。
どれも、条件が一つ変わるだけで成立しなくなる。
「戦場には、教科書どおりにいかない状況がいくらでもある」
つむぎは、責めるでもなく言った。
「だからこそ、操縦技術以外のものが必要になるのだ」
学生たちの表情が、少しずつ真剣なものへ変わっていく。
そんな中、教室の後方から声が上がった。
「それって、先生自身がELを操縦できないことへの言い訳じゃないんですか?」
発言したのは、眼鏡をかけた細身の少年だった。
ユリウス・クロイツ。
機体の運動理論や戦術シミュレーションに優れ、操縦科でも上位の成績を誇る学生である。
彼は感情的に反発しているわけではなかった。
むしろ、理論を重んじる彼だからこそ、実践経験のない人間が戦術を教えることに疑問を抱いていた。
「先生の言うことは、理屈としては正しいと思います。でも、実際に機体を操縦したことがなければ、理論と現実の違いは分からないでしょう?」
「そうだな」
つむぎは、あっさりと認めた。
その予想外の返答に、ユリウスがわずかに目を瞬かせる。
「だから、私は実機の操縦については専門の教官に任せるつもりだ」
「……え?」
「私は戦術を教える。操縦は操縦の専門家から学べばいい。何か問題があるか?」
ユリウスは口を開きかけ、閉じた。
確かに、言っていること自体は間違っていない。
操縦技術を教えることと、戦術を教えることは別だ。
だが、それならば――。
「では、先生は一体、何を根拠に戦術を教えるんですか?」
「経験だ」
「どのような?」
「戦場での経験だな」
つむぎは、少しだけ考えてから付け加えた。
「まあ、君たちの知る戦場とは、だいぶ違うだろうが」
その言葉に、誰も笑わなかった。
昨日、彼らは目の前で見せつけられたのだ。
この少年が、生身でELを圧倒する姿を。
そして、その戦い方が、彼らの知る戦闘理論から大きく逸脱していることも。
彼が語る戦場とは、一体どのような場所なのだろう。
ELが存在しない戦場なのか。
それとも、ELすら通用しない戦場なのか。
尋ねてみたい気持ちはあったが、誰も口に出せなかった。
「……分かりました」
ユリウスは、納得したような、していないような表情で座り直した。
つむぎは満足そうに頷く。
「よろしい。では、さっそく授業を始めよう」
彼は黒板に、もう一つ文字を書いた。
**最強の敵と遭遇した場合、どうすれば勝てるか。**
「今日の課題はこれだ」
教室が静まり返る。
つむぎは、にこりと笑った。
「ただし、敵を倒すことだけが勝利ではない。敵を撤退させること、味方を生還させること、目的を達成して戦場を離脱すること。それらもまた、立派な勝利だ」
彼はチョークを置いた。
「それでは、考えてみようか」
◇ ◆ ◇
授業開始から三十分後。
「……先生」
ユリウスが、疲れ切った顔で手を挙げた。
「なんだ?」
「この課題、条件がおかしくありませんか?」
「そうか?」
「敵の機体は、こちらより全性能が上。こちらの武装では装甲を貫通できず、敵の攻撃は一撃でこちらの機体を破壊できる。さらに敵は、こちらの戦術をすべて把握している……」
ユリウスは黒板に並ぶ条件を指差した。
「これでは、勝ち目がありません」
「本当に?」
「本当に、です」
「では、なぜ勝ち目がないと思う?」
「……こちらの戦力が劣っているからです」
「それは、戦力の話だろう」
つむぎは首を傾げた。
「勝敗の話とは違う」
ユリウスは眉をひそめる。
理屈の上では理解できる。
しかし、現実の戦闘で、性能差を覆すことがどれほど難しいかは、彼自身がよく知っていた。
「敵が圧倒的に強いのなら、まともに戦わない。それが最初の答えだ」
「ですが、敵がこちらの目的を理解している場合、逃げることも難しいのでは?」
「目的を知られていることと、目的を達成できないことは同じではない」
つむぎは黒板の隅に、小さく文字を書いた。
目的の再定義。
「例えば、君たちが重要な施設を防衛しているとしよう。敵の戦力は圧倒的。正面から戦えば、まず勝てない」
「はい」
「だが、君たちの本当の任務が、施設そのものを守ることではなく、施設内の人間を避難させるための時間稼ぎだったら?」
「……敵を倒す必要はない、ということですか」
「そうだ。敵を足止めし、進路を誘導し、可能ならば別の場所へ引きつける。必要なのは、撃破ではなく時間だ」
つむぎは、さらに別の文字を書いた。
敵の勝利条件を利用する。
「敵にも目的がある。施設を奪いたいのか。物資を破壊したいのか。特定の人物を捕らえたいのか。目的がある以上、敵もまた、何らかの制約を抱えている」
彼は学生たちを見回した。
「敵の能力がどれほど高くとも、敵の目的まで無限に広がるわけではない。守らなければならないものがあるかもしれない。時間に制限があるかもしれない。命令に従わなければならない事情があるかもしれない」
つむぎは、黒板に書いた二つの言葉を指し示した。
「自分の弱さばかり数えていると、相手の弱さが見えなくなるぞ」
ユリウスは、じっと黒板を見つめていた。
敵の能力と、敵の目的。
それらを切り離して考える。
戦力差が圧倒的であることと、任務の達成が不可能であることは、必ずしも同義ではない。
これまでの彼は、与えられた条件の中で、最も効率のよい戦闘方法を探すことに集中していた。
しかし、そもそも戦闘そのものを避けるという選択肢は、どれほど真剣に考えていただろうか。
「……なるほど」
ユリウスが、ぽつりと呟いた。
「敵を倒すことを前提にするから、選択肢が狭まるんですね」
「そういうことだ」
つむぎは頷いた。
「もちろん、逃げることが常に正解というわけではない。戦わなければ守れないものもある。退却すれば、より大きな被害が出る場合もあるだろう」
彼の声が、ほんの少しだけ低くなる。
「大切なのは、何のために戦っているのかを忘れないことだ」
その言葉には、単なる戦術論では片づけられない重みがあった。
「勝利するために戦うのか。誰かを守るために戦うのか。あるいは、これ以上の犠牲を出さないために戦うのか。目的が違えば、選ぶべき手段も変わる」
つむぎは黒板から離れた。
「強い敵を倒すことに執着して、本来の目的を見失う。そうなれば、どれほど優れた戦士でも、戦いに負けることになる」
リリアが、感心したように頷いた。
「なるほど……。強い相手と戦う時ほど、相手の事情を考えろってことですね」
「そういうことだ」
「でも、先生」
彼女は首を傾げた。
「先生なら、そういう相手にも普通に勝てそうですけど」
教室の空気が、ほんの少し緩んだ。
つむぎは、困ったように笑った。
「……さてな」
否定も肯定もしない。
ただ、曖昧に笑うだけだった。
彼は、自分の強さを誇示することに興味がなかった。
ただ、勝つべき戦いに勝つ。
守るべきものを守る。
それだけだ。
かつての世界では、それができなければ、家族も、仲間も、己自身も失うことになった。
一つの判断の遅れが、取り返しのつかない結果を招く。
敵を見誤れば、守るべきものが失われる。
だから彼は強くなった。
誰にも負けないほどに。
そして、誰にも頼らずに済むほどに。
――そうするしかなかった。
「先生?」
リリアの声に、つむぎは我に返った。
「どうした?」
「いえ、なんだか少し、怖い顔をしていたので」
「……そうか?」
つむぎは頬に手を当てた。
自覚はなかった。
どうやら、昔のことを思い出すと、表情に出てしまうらしい。
「すまない。少し考え事をしていた」
そして、いつもの穏やかな笑みを浮かべた。
「さて、授業を続けようか」
「は、はい!」
リリアは慌てて背筋を伸ばした。
その様子に、教室のあちこちから小さな笑いが起きる。
つむぎは再び黒板へ向き直った。
今日の授業は、まだ始まったばかりだった。
◇ ◆ ◇
午前の授業が終わった頃。
つむぎは、学園の機体開発科棟に呼び出されていた。
迎えに来たのは、銀髪の女性だった。
白衣の胸元には、機体開発科主任教官の徽章が光っている。
「夜来先生。お時間をいただき、ありがとうございます」
「セレスティア先生だったな。構わんよ」
「では、こちらへ」
セレスティア・ヴァレンは、研究棟の奥へとつむぎを案内した。
廊下の両側には、ELの部品や各種の駆動装置が展示されている。
大型の人工筋肉。
複雑な関節機構。
機体の姿勢を制御するための演算装置。
そのどれもが、つむぎにとっては見慣れない技術の結晶だった。
もっとも、未知の技術だからといって、理解できないとは限らない。
つむぎは興味深そうに展示物を眺め、時折、足を止めた。
「ずいぶんと精巧だな」
「ありがとうございます。ELの開発技術は、現在も進歩を続けていますから」
セレスティアが誇らしげに答える。
しかし、次の瞬間。
「しかし、少し無理があるな」
彼女の足が止まった。
「……どの部分でしょうか?」
つむぎは、すぐ横に展示されていた関節機構を指差した。
「こちらの関節だ。人間の膝を参考にしているようだが、荷重のかかり方が不自然だ。これでは、急停止した際に駆動部へ負担が集中する」
「……!」
セレスティアの表情が変わった。
つむぎは、別の展示物へ視線を移す。
「それと、こちらの人工筋肉。出力は十分だが、収縮時の反応速度と制御周期が噛み合っていない。操縦者の入力に対して機体の動きが遅れる原因になっているのではないか?」
「ちょ、ちょっと待ってください」
セレスティアは、慌てて端末を取り出した。
「今の話、もう一度詳しく聞かせていただけますか?」
「構わんが……」
つむぎは不思議そうに首を傾げた。
「そんなに難しい話をしたつもりはないぞ?」
「難しいかどうかを判断するのは私です!」
思わず声を張り上げたセレスティアは、すぐに咳払いをして姿勢を正した。
「……失礼しました。少々、興奮してしまいました」
「いや、気にしなくていい」
「ありがとうございます。それで、先ほどの関節の話ですが……」
セレスティアは端末を操作し、設計データを呼び出した。
「先生のおっしゃるとおり、急停止時の負荷分散は、現在の開発部門でも問題になっています。駆動部の耐久性を確保すると、今度は反応速度が落ちてしまう。反応速度を優先すると、長時間の稼働で部品の消耗が激しくなるんです」
「なるほど。ならば、力を受け止める場所と、力を逃がす場所を分けて考えればいい」
「……具体的には?」
「人間の膝も、単純に曲げ伸ばしをするだけの構造ではない。筋肉と腱、それに周囲の関節が連動することで、負荷を分散している。機体にも同じ考え方を応用できるのではないか?」
セレスティアは、画面を見つめた。
数秒後、彼女の指が素早く動き始める。
「……確かに。主駆動部に負荷が集中する前に、補助機構側へ逃がす構造を組み込めば……いえ、ただ、それだと制御系の処理が……」
彼女はぶつぶつと呟きながら、画面上にいくつもの図を描き込んでいった。
つむぎは、その様子を静かに見守っていた。
やがて、セレスティアははっと顔を上げた。
「……どうして、そこまで分かるのですか?」
「見れば分かるだろう?」
「分かりません!」
即答だった。
つむぎは少しだけ驚いた。
「そうなのか?」
「そうです! その問題は、私たちの研究室でも長年議論されている課題なんですよ! しかも、今の説明は、実際の試験データとほぼ一致しています!」
セレスティアは、興奮を抑えきれない様子だった。
「先生は、本当にELの開発経験がないのですか?」
「ない」
「整備経験も?」
「ないな」
「では、どうして……」
彼女は言葉を失った。
設計データを見たわけでもない。
試験結果を確認したわけでもない。
ただ展示されていた部品を眺めただけで、研究者たちが長年頭を悩ませてきた問題の一端を指摘したのだ。
しかも、その指摘は、机上の空論ではなかった。
「人間の身体を参考にしているのだろう? ならば、身体の構造を理解していれば、ある程度の見当はつく」
「……身体の構造?」
「骨格、筋肉、関節。力を受け止める位置と、力を逃がす方向。それらを理解していれば、機械の構造にも応用できる部分はあるだろう」
セレスティアは、口を開いたまま固まった。
彼女は知らなかった。
この少年が、どれほど長い時間をかけて自分の身体を鍛え上げてきたのか。
どれほど多くの敵と戦い、どれほど多くの攻撃を受け、どれほど細かな身体の動きを研究してきたのか。
夜来つむぎにとって、己の身体は単なる肉体ではない。
生き残るための武器であり、磨き上げてきた技術の結晶だった。
人間の身体がどのように動き、どこに力が生じ、どのような姿勢で崩れるのか。
それを知らなければ、自分より強い敵を倒すことなどできなかった。
彼にとっては、戦いの中で身につけた当たり前の知識。
だが、この世界の研究者にとって、それは新たな発見につながる可能性を秘めた視点だった。
「……夜来先生」
セレスティアが、真剣な顔でつむぎを見つめる。
「ぜひ、研究室で詳しくお話を伺いたいです」
「構わんが、私に分かる範囲でだぞ」
「もちろんです!」
セレスティアは、満面の笑みを浮かべた。
その瞳には、研究者としての好奇心が、隠しようもなく燃えていた。
未知の技術。
新しい発想。
既存の理論を覆す可能性。
それらを前にして、彼女が冷静でいられるはずもなかった。
「それでは、まずは設計資料を確認していただいて、それから試験データを――」
「待て待て。私はまだ、ここに来て間もないんだが」
「大丈夫です! 必要な資料はこちらで用意します!」
「いや、そういう話では……」
「それから、可能であれば実機も見ていただきたいのですが!」
「……」
つむぎは、静かに天井を仰いだ。
どうやら、妙なところで面倒なことになりそうだった。
とはいえ。
研究者としての彼女の熱意は、本物なのだろう。
つむぎは小さく息を吐くと、再びセレスティアへ視線を戻した。
「……分かった。ただし、私にできる範囲でだ」
「ありがとうございます!」
即座に返ってきた返事に、つむぎは苦笑した。
この世界に来て、まだ二日目。
教師としての生活は、思っていた以上に賑やかなものになりそうだった。




