第8話
そこは、普段ならば限られた研究者しか立ち入ることのできない場所だった。
研究棟地下第二施設。
旧式ELの保管庫である。
かつて実戦配備されていた機体や、開発計画が途中で中止された試作機。さらには、技術的な問題から正式採用を見送られた実験機など、現在の技術体系では再現が難しい機体が数多く収められていた。
その多くは、すでに第一線を退いたものだ。
しかし、旧式だからといって、危険性まで失われたわけではない。
全高二十メートル近い鋼鉄の巨人たちは、ひとたび動き出せば、それだけで脅威となる。ましてや実戦用の武装を備えた機体ならば、無人であろうと十分な破壊力を持っていた。
そして今、その保管庫のすべてで、異常が発生していた。
『起動シーケンス、開始』
『識別コード照合……失敗』
『外部操縦者、未確認』
『操縦系統、応答なし』
『戦闘行動プロトコル、強制実行』
赤い警告灯が明滅する。
整然と並んでいた鋼鉄の巨人たちが、次々と頭部を持ち上げた。
全高十八メートルを超える重装甲型。
二振りの大型ブレードを装備した近接戦闘型。
長距離狙撃を目的に開発された砲撃型。
そして、正式採用に至らなかった数々の実験機。
そのすべてが、まるで同じ意思に従うかのように動き始めていた。
搭乗者はいない。
起動命令を送った人間もいない。
外部からの制御信号すら確認されていない。
それにもかかわらず、機体は自らの意思を持つかのように歩き出していた。
床を踏みしめる駆動音が、保管庫の壁を震わせる。
『全機、戦闘配置へ移行』
無機質な音声が響いた。
『統率個体より命令を受信』
『敵性存在を排除せよ』
その瞬間、保管庫の隔壁が内側から吹き飛んだ。
轟音とともに、鋼鉄の巨人たちが地下通路へと進軍を開始する。
彼らが向かう先には、研究員たちの執務区画があり、そのさらに先には、学生たちが利用する施設へと繋がる通路があった。
そこにいる者たちは、まだ何も知らない。
自分たちの足元で、何かが目覚めたことを。
そして、それが今まさに、彼らのいる場所へと迫っていることを。
◇ ◆ ◇
「全員、後退! 学生を第一避難区画へ誘導しろ!」
警備部隊の隊長が怒鳴った。
彼の目の前では、一機のELが通路の壁を破壊しながら接近していた。
全高は二十メートルを超える。
旧式の重装甲型。
その両腕には大型の武器が装備されており、装甲の厚さも現行の標準機を上回っていた。
その巨体が、障害物など存在しないかのように通路を進んでくる。
「どうして無人機が動いているんだ!?」
「わかりません! 操縦系統は完全に切断されているはずです!」
「ならば、外部から制御している何者かがいるはずだ!」
「通信を遮断しましたが、効果がありません! そもそも、外部からの制御信号自体が確認できません!」
「くそっ……!」
隊長は歯噛みした。
旧式とはいえ、ELは兵器だ。
その巨体と出力を考えれば、人間が生身で対抗できるような相手ではない。
ましてや、十機以上の機体が同時に動いている。
通常の警備部隊だけで制圧するのは、あまりにも困難だった。
「隊長! 正面から、さらに三機!」
「何だと!?」
通路の向こうから、三機のELが姿を現した。
その手には、訓練用の模擬武装ではなく、実戦用の兵装が握られている。
大型の剣。
実弾式の機関砲。
そして、対EL戦闘を想定した高出力ランス。
「全員、遮蔽物へ退避しろ!」
警備隊員たちが散開する。
次の瞬間、機関砲が火を噴いた。
轟音。
連続する銃声。
壁面が砕け、床が抉られ、通路に大量の粉塵が舞い上がった。
人間がまともに受ければ、命はない。
それほどの攻撃だった。
しかし――。
「――少々、騒がしいな」
粉塵の向こうから、場違いなほど穏やかな声が響いた。
隊長は、はっと顔を上げた。
「……夜来先生!?」
そこに立っていたのは、黒い和服を纏った少年だった。
夜来つむぎ。
腰には一本の刀が差されている。
いつもと変わらない、穏やかな表情。
落ち着いた立ち姿。
しかし、その瞳だけは違っていた。
敵を見据える眼差しから、温度が消えている。
「ここから先は、学生たちの避難経路だろう?」
つむぎは、目の前のELを見上げながら言った。
「そ、そうですが……! 危険です、先生! 相手は旧式とはいえ、実戦用のELです!」
「知っている」
「生身で戦うつもりですか!?」
「そのつもりだが」
「無茶です!」
隊長の叫びが通路に響いた。
つむぎは、困ったように首を傾げる。
「そうか? 私は、あれらに乗るつもりはないのだが」
「いや、そういう問題では……!」
言い終わる前に、三機のELがつむぎへ照準を合わせた。
『敵性存在を確認』
『脅威度、算出中』
『排除を開始』
機関砲の銃口が、少年へと向けられる。
隊長の顔が青ざめた。
「伏せろおおおおっ!」
轟音。
無数の弾丸が、つむぎの立っていた場所へ殺到した。
床が砕ける。
壁が削れる。
粉塵が通路を覆い尽くす。
しかし、その直後だった。
「……遅いな」
声は、ELの背後から聞こえた。
機関砲を構えていた機体の頭部が、わずかに傾いた。
装甲の表面に、一本の細い線が走る。
次の瞬間。
ガシャンッ!
頭部装甲が、音を立てて床へ落ちた。
つむぎは、すでに刀を鞘へ納めていた。
「なっ……!?」
隊長は絶句した。
斬ったのだ。
全高二十メートルのEL、その頭部装甲を。
たった一振りで。
しかも、内部構造を無差別に破壊することなく、センサー類と外装の接合部だけを正確に断ち切っていた。
機体の頭部が不自然に揺れ、照準が大きく乱れる。
それでも、駆動系は停止していない。
つむぎは、倒れかけた機体の脇をすり抜けながら、静かに振り返った。
「安心しろ。操縦者はいないのだろう?」
彼は刀の柄に手を添えた。
「ならば、できるだけ壊さずに止めてやる」
「壊さずに……?」
隊長が呆然と呟く。
つむぎは、その問いには答えなかった。
視線を向けた先では、残る二機が再び照準を合わせていた。
「もっとも――」
つむぎの口元が、ほんのわずかに吊り上がる。
「こちらを殺すつもりで来るのなら、多少の手加減は必要なくなるがな」
白刃が、赤い警告灯の光を受けて鈍く輝いた。
◇ ◆ ◇
最初に動いたのは、重装甲型だった。
全高二十二メートル。
肩部には大型の装甲板を備え、両腕には対EL用の戦斧を装備している。
その巨体が、床を震わせながら突進してきた。
『目標捕捉』
『近接戦闘へ移行』
重量を乗せた一撃。
戦斧が、つむぎの頭上へと振り下ろされる。
まともに受ければ、コンクリートの床ごと粉砕されるだろう。
だが、つむぎは退かなかった。
ほんの半歩、横へずれる。
斧の刃が、和服の袖を掠めた。
その瞬間、つむぎの刀が閃く。
一閃。
戦斧の柄が、根元から断ち切られた。
二閃。
右腕の駆動ケーブルが切断される。
三閃。
左脚の膝関節を覆っていた装甲が、音もなく剥がれ落ちた。
「……っ!?」
隊長が息を呑む。
一連の動作は、あまりにも短かった。
重装甲型が次の動作へ移るよりも早く、機体の攻撃手段と姿勢制御能力が奪われていたのだ。
巨体が大きく傾く。
倒れ込もうとする機体の足元へ、つむぎは軽く足を添えた。
蹴ったというより、ほんの少し、進行方向を変えただけだった。
それだけで、倒れる方向が変わる。
重装甲型は、周囲の機体を巻き込むことなく、人のいない壁際へと崩れ落ちた。
轟音が響く。
床が震え、粉塵が舞い上がる。
つむぎは刀を払った。
刃に付着した埃が、ひらりと床へ落ちる。
「次」
その一言を合図にしたかのように、残りのELが一斉に動き出した。
砲撃型が後方から射撃を開始する。
狙撃型が通路の奥から照準を合わせる。
近接型が左右に展開し、つむぎの退路を塞いだ。
その連携は、無人機とは思えないほど洗練されていた。
一機が正面から圧力をかけ、別の機体が逃げ道を塞ぎ、後方からの射撃で行動範囲を制限する。
互いの動きを補い合う、合理的な戦術だった。
しかし。
「隊列が整いすぎているな」
つむぎは、静かに呟いた。
「個々の判断で動いているのではない。何者かが全機を統率している」
その直後、彼の姿が消えた。
狙撃型の銃身が切断される。
砲撃型の砲塔が、根元から落ちる。
近接型の両脚が、ほぼ同時に機能を停止する。
刀は、必要な時にしか振るわれなかった。
装甲の厚さ。
関節の位置。
駆動部の配置。
機体が動く際に生じる、わずかな重心の変化。
つむぎはそれらを瞬時に見極め、必要な場所だけを斬っていた。
巨大な機械の弱点を、人間の身体と同じように理解しているかのようだった。
いや、むしろ――人間以上に理解しているのかもしれない。
ELの動きには、必ず理由がある。
関節が動くから、腕が振るわれる。
駆動系が力を伝えるから、脚が踏み出される。
制御系が指令を出すから、機体が反応する。
ならば、その連鎖のどこか一つを断てばいい。
つむぎは、機体の全身を流れる力の方向を見極め、必要最小限の一撃で動きを奪っていく。
その姿は、巨大な機械を相手にしているというよりも、相手の身体の仕組みを知り尽くした者が、急所を押さえているように見えた。
「ば、馬鹿な……」
隊長は、呆然と呟いた。
ELの装甲は、銃弾や爆発から機体を守るために設計されている。
その一部を刀で断ち切ること自体、通常ならば不可能に近い。
だが、つむぎの刀は違った。
力任せに装甲を破壊しているのではない。
刃を通すべき場所へ、正確に通しているのだ。
「いったい、何者なんだ……あの人は……」
誰に向けたわけでもない呟きだった。
当然、答える者はいない。
つむぎは最後の一機を無力化すると、刀を鞘へ納めた。
通路には、動きを止めたELが何機も横たわっている。
しかし、致命的な損傷を受けた機体は一つもなかった。
武装は切断され、駆動部の一部は破損している。
それでも、機体の中枢は可能な限り保たれていた。
つむぎは、その様子を一瞥した。
本来なら、もっと簡単な方法がある。
【死生冠】を用いれば、機体の駆動を一瞬で停止させることもできる。
だが、今はまだ使わない。
この機体たちから感じられる気配は、明らかに異常だった。
ただの故障でも、制御系の暴走でもない。
何かが、機体の奥から動かしている。
その正体を知るためにも、できる限り原形を残しておきたかった。
「……さて」
つむぎは、通路の奥へ視線を向けた。
「そろそろ、親玉に出てきてもらおうか」
まるで、その言葉を待っていたかのように。
通路のさらに奥から、重い足音が響いた。
ドン。
ドン。
ドン。
一歩ごとに、床が震える。
倒れていた機体の装甲が、小刻みに揺れた。
やがて、粉塵の向こうに巨大な影が浮かび上がる。
他の機体よりも、一回り大きい。
漆黒のELだった。
全高は二十四メートル。
全身を覆う装甲は、光を吸い込むような暗い色をしている。
頭部には、王冠を思わせる三本の突起。
肩部には、ほかの機体には見られない奇妙な紋様が刻まれていた。
その姿には、兵器としての機能美とは別の、異様な威圧感があった。
そして、胸部装甲には。
《R-00》。
昨日、地下第一施設で起動した試作機と、まったく同じ識別番号が刻まれていた。
つむぎの目が、わずかに細くなる。
「……なるほど」
同じ番号。
同じ気配。
だが、目の前の機体は、昨日のものとは明らかに異なっていた。
昨日の《R-00》が、眠りから目覚めたばかりの存在だったとするなら。
こちらは、最初から戦うことを前提に造られたかのような姿をしている。
いや、あるいは――。
つむぎが考えを巡らせるより早く、機体の頭部が動いた。
その視線が、まっすぐに彼を捉える。
『対象を確認』
無機質な声が響いた。
『異世界由来の生命体』
『神殺しの権能を確認』
『排除優先度――最上位』
つむぎの表情から、笑みが消えた。
「……異世界由来、か」
この機体は、彼がこの世界の人間ではないことを認識している。
それだけではない。
彼の持つ力についても、何らかの情報を得ているらしい。
『統率個体、R-00』
『旧式EL群の指揮権限を保有』
『全機、攻撃を再開せよ』
その命令が発せられた瞬間、動きを止めていたELたちが、一斉に再起動した。
関節が動き、頭部が持ち上がり、失われた武装の代わりに残された腕が、つむぎへと向けられる。
その数、二十機以上。
通路の奥からも、さらに複数の機体が姿を現した。
重装甲型。
近接戦闘型。
砲撃型。
そして、見覚えのない実験機。
それらが、統率個体の命令に従って、つむぎを取り囲むように展開していく。
逃げ道はない。
前後左右を、鋼鉄の巨人たちが埋め尽くしていた。
もっとも、普通の人間ならば、という話だが。
つむぎは刀の柄に手を添えた。
その動作に、力みはない。
むしろ、ようやく興味を引く相手が現れたとでもいうように、彼の口元には薄い笑みが浮かんでいた。
「……ふむ」
二十機を超えるEL。
そのすべてが、こちらを敵として認識している。
それだけの戦力を前にしても、つむぎに焦りはなかった。
ただ、目の前の漆黒の機体から伝わってくる気配に、少しばかり意識を向けていた。
他の機体とは違う。
この《R-00》には、より濃い何かが宿っている。
そして、その奥には――昨日の試作機と同じ、あの異質な痕跡があった。
「ようやく、退屈しない相手が出てきたな」
つむぎは、静かに笑った。
刀の柄を握る指先に、わずかな力がこもる。
赤い警告灯が、彼の横顔を照らした。
『全機、攻撃開始』
統率個体の命令が響く。
鋼鉄の軍勢が、一斉に動き出した。
そして、夜来つむぎもまた、一歩を踏み出した。




