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変節の宰相:馮道:1章:李存勗時代②

〇『風に訊け、波に問え――馮道、諸国のことを語る』


________________________________


風(かぜ)に訊(き)け、波(なみ)に問(と)え――馮道(ふう・どう)、諸国(しょこく)のことを語(かた)る


晋陽(しんよう)の秋(あき)は短(みじか)い。


夏(なつ)の名残(なごり)を引(ひ)きずった陽光(ようこう)が高(たか)く、遠(とお)くに霞(かす)む太行山(たいこうざん)の尾根(おね)が、朝夕(あさゆう)にはうっすらと金(きん)に染(そ)まって見(み)えた。


この晋陽(しんよう)は、いまや李存勗(り・そんきょく)の根拠地(こんきょち)として栄(さか)え、多(おお)くの文官武将(ぶんかんぶしょう)が参集(さんしゅう)し、新(あら)たな天下(てんか)を夢見(ゆめみ)て策(さく)を練(ね)る場所(ばしょ)である。


その城内(じょうない)の一隅(いちぐう)、風(かぜ)の通(とお)る涼(すず)やかな廊下(ろうか)にて、馮道(ふう・どう)は李嗣源(り・しげん)と並(なら)んで腰(こし)を下(お)ろしていた。


李嗣源(り・しげん)は李存勗(り・そんきょく)の従兄弟(いとこ)であり、勇将(ゆうしょう)として名高(なだか)い男(おとこ)。冷静(れいせい)で思慮深(しりょぶか)く、主君(しゅくん)にも臆(おく)せず意見(いけん)を進言(しんげん)するところから、内外(ないがい)の信頼(しんらい)を得(え)ていた。


馮道(ふう・どう)は、もともと幽州(ゆうしゅう)の文士(ぶんし)である。 戦乱(せんらん)の只中(ただなか)をくぐり抜(ぬ)け、いまやこの晋陽(しんよう)にて文事(ぶんじ)の責任(せきにん)を任(まか)されようとしている。


ふたりの間(あいだ)には、すでにいくつかの議論(ぎろん)が交(か)わされていたが、この日(ひ)はより広(ひろ)い視野(しや)――すなわち、中国(ちゅうごく)全土(ぜんど)に林立(りんりつ)し始(はじ)めた割拠(かっきょ)勢力(せいりょく)たちの動向(どうこう)について、語(かた)らうことになっていた。


________________________________


七国(ななこく)の動向(どうこう)


「李将軍(りしょうぐん)。天下(てんか)にはすでに、七(なな)つの勢力(せいりょく)が割拠(かっきょ)しております」


馮道(ふう・どう)が帳面(ちょうめん)を開(ひら)きながら、穏(おだ)やかな口調(くちょう)で語(かた)りはじめた。


「東南(とうなん)の江淮(こうわい)には呉(ご)、これは楊氏(ようし)が立(た)てた政権(せいけん)。都(みやこ)は広陵(こうりょう)(いまの揚州(ようしゅう))にあり、長江(ちょうこう)を挟(はさ)んで戦略的(せんりゃくてき)にも要地(ようち)を占(し)めております」


「ふむ……かの地(ち)は物資(ぶっし)が豊(ゆた)かで、軍(ぐん)もよく整(ととの)っておると聞(き)く」


李嗣源(り・しげん)が頷(うなず)いた。


「加(くわ)えて、四川盆地(しせんぼんち)には**前蜀(ぜんしょく)**がございます。王建(おう・けん)の息子(むすこ)、王衍(おう・えん)が継(つ)ぎましたが、聞(き)けば奢侈(しゃし)を好(この)み、政(まつりごと)は乱(みだ)れているとか」


「だが……あの地(ち)は天然(てんねん)の要害(ようがい)、取(と)り込(こ)みは容易(ようい)ではあるまいな」


「まさしく」


馮道(ふう・どう)は、筆(ふで)で地図(ちず)の一点(いってん)を指(さ)しながら続(つづ)ける。


「それから、長江(ちょうこう)の中流(ちゅうりゅう)には小国(しょうこく)が二(ふた)つ。荊南(けいなん)、またの名(な)を南平(なんぺい)。この地(ち)は地勢(ちせい)が狭(せま)く、軍事(ぐんじ)的(てき)には脅威(きょうい)になりませぬが、逆(ぎゃく)に申(もう)せば、交通(こうつう)の要(かなめ)を押(お)さえております」


「道(みち)の狭(せま)きこそ、時(とき)に剣(けん)より鋭(するど)い」


李嗣源(り・しげん)の目(め)が鋭(するど)く光(ひか)った。


「他(ほか)には?」


「湖南(こなん)には楚(そ)がございます。馬殷(ば・いん)が建(た)てた国(くに)にて、辺境(へんきょう)ながらも兵(へい)は精鋭(せいえい)、民政(みんせい)も整(ととの)っております」


「楚(そ)は……侮(あなど)れぬな。あの馬殷(ば・いん)は兵站(へいたん)の管理(かんり)が巧(たく)みだ」


「ええ。そしてさらに東(ひがし)、浙江(せっこう)には呉越(ごえつ)。銭氏(せんし)が都(みやこ)を杭州(こうしゅう)に置(お)いております。ここも財力(ざいりょく)では随一(ずいいち)でしょう。宋代(そうだい)には“東南形勝(とうなんけいしょう)”と申(もう)しますが、まさにその地(ち)です」


「確(たし)かに、銭塘江(せんとうこう)を扼(やく)しておる。港(みなと)も深(ふか)い」


馮道(ふう・どう)は、最後(さいご)の一国(いっこく)を静(しず)かに指(さ)し示(しめ)した。


「そして、遠(とお)く南(みなみ)、広東(かんとん)には南漢(なんかん)。地(ち)は遠(とお)く、気候(きこう)も異(こと)なり、文化(ぶんか)も独特(どくとく)。けれど、南海(なんかい)貿易(ぼうえき)により財貨(ざいか)は豊(ゆた)かです」


「なるほど、七国(ななこく)。いずれも一角(いっかく)の雄(ゆう)」


李嗣源(り・しげん)は地図(ちず)を見(み)つめ、軽(かる)く息(いき)をついた。


「これらとどう向(む)き合(あ)うべきか。それが、我(わ)が晋陽(しんよう)の将来(しょうらい)を左右(さゆう)することになる」


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文武(ぶんぶ)の調和(ちょうわ)


廊下(ろうか)に吹(ふ)き抜(ぬ)ける風(かぜ)が、竹(たけ)の葉(は)をさらさらと鳴(な)らした。


馮道(ふう・どう)は筆(ふで)を置(お)き、ゆっくりと手(て)を組(く)んだ。


「李将軍(りしょうぐん)……すべてを一度(いちど)に討(う)つことは不可能(ふかのう)です。いまは、交(まじ)わるべき者(もの)と盟(ちか)い、敵対(てきたい)すべき者(もの)を慎重(しんちょう)に選(えら)ぶべきでしょう」


「同感(どうかん)だ」


「呉越(ごえつ)や楚(そ)、あるいは呉(ご)あたりとは使者(ししゃ)を通(つう)じ、互(たが)いの利(り)を重(おも)んじて和(わ)を結(むす)ぶ。その間(あいだ)に、後梁(こうりょう)を打(う)ち破(やぶ)り、まず中原(ちゅうげん)を確保(かくほ)するのです」


李嗣源(り・しげん)の眉(まゆ)がわずかに動(うご)いた。


「それは、政(まつりごと)の人(ひと)の道(みち)……では、武(ぶ)の者(もの)ができることは?」


「内(うち)を安(やす)んじ、軍(ぐん)を鍛(きた)え、諸将(しょしょう)をまとめることです。そして、民(たみ)を苦(くる)しめぬこと。李存勗(り・そんきょく)様(さま)の御威(みい)を、民草(たみくさ)が喜(よろこ)んで仰(おお)げるように整(ととの)える。それが、武(ぶ)と文(ぶん)が手(て)を取(と)り合(あ)って行(おこな)う政(まつりごと)でございましょう」


その言葉(ことば)に、李嗣源(り・しげん)はしばらく無言(むごん)で頷(うなず)いた。


やがて口(くち)を開(ひら)いたとき、彼(かれ)の声(こえ)は静(しず)かで、それでいてどこか熱(ねつ)を帯(お)びていた。


「馮殿(ふうでん)……我(われ)らが道(みち)は、容易(たやす)いではない。が、今宵(こよい)あなたと語(かた)らって、わずかに霧(きり)が晴(は)れたようだ」


「わたくしも、です。李将軍(りしょうぐん)がただの武人(ぶじん)でないこと……改(あらた)めて心強(こころづよ)く思(おも)いました」


ふたりは微笑(ほほえ)み合(あ)い、同(おな)じ方角(ほうがく)を見(み)つめた。


その先(さき)に広(ひろ)がるのは、七(なな)つの国(くに)、幾千(いくせん)の民(たみ)、そして未(いま)だ定(さだ)まらぬ未来(みらい)である。


だが、彼(かれ)らには語(かた)る言葉(ことば)があった。筆(ふで)と剣(けん)が交(まじ)わり、策(さく)と誠(まこと)が共(とも)にあるならば、きっと風(かぜ)は道(みち)を開(ひら)く。


――これは、乱世(らんせ)にあって理(り)を保(たも)った男(おとこ)、馮道(ふう・どう)の歩(あゆ)みの、ほんの序章(じょしょう)に過(す)ぎぬ。



〇『黄河を越えて――李存勗、開封を狙う』


時(とき)は、五代十国(ごだいじゅっこく)。 唐王朝(とうおうちょう)がすでに潰(つい)え、華北(かほく)は諸侯(しょこう)群雄(ぐんゆう)の草刈場(くさかりば)と化(か)していた。


中原(ちゅうげん)に覇(は)を唱(とな)えていたのは、後梁(こうりょう)の朱氏(しゅし)。 かつて唐末(とうまつ)の宦官(かんがん)政権(せいけん)を覆(くつがえ)し、自(みずか)ら帝位(ていい)についた朱全忠(しゅ・ぜんちゅう)の後(あと)を継(つ)いだ者(もの)たちである。


一方(いっぽう)、北方(ほっぽう)の太原(たいげん)に拠(よ)ったのが、李克用(り・こくよう)の子(こ)、李存勗(り・そんきょく)であった。 晋王(しんおう)を称(しょう)し、北(きた)の漢族(かんぞく)・胡族(こぞく)の連合軍(れんごうぐん)を率(ひき)いて勢力(せいりょく)を広(ひろ)げていたが、彼(かれ)の眼差(まなざ)しは常(つね)にひとつの一(ひと)つの都(みやこ)――開封(かいほう)に注(そそ)がれていた。


後梁(こうりょう)の首都(しゅと)、開封(かいほう)。


中原(ちゅうげん)の喉元(のどもと)にあたる大河(たいが)、黄河(こうが)の南岸(なんがん)に広(ひろ)がるその地(ち)を掌中(しょうちゅう)に収(おさ)めることは、すなわち天下(てんか)を名乗(なの)る資格(しかく)を得(え)ることに他(ほか)ならなかった。


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出陣(しゅつじん)の決意(けつい)


ある晩秋(ばんしゅう)のこと――


晋陽(しんよう)の本営(ほんえい)にて、李存勗(り・そんきょく)は一枚(いちまい)の地図(ちず)を前(まえ)に座(すわ)していた。 その顔(かお)には、久(ひさ)しく見(み)なかった高揚(こうよう)の色(いろ)が浮(う)かんでいる。


「間者(かんじゃ)の報(しら)せによれば……後梁(こうりょう)、開封(かいほう)の守(まも)りが薄(うす)いとな」


声(こえ)には重(おも)みがあった。


参列(さんれつ)していた諸将(しょしょう)がざわめく。だが、誰(だれ)ひとり異(い)を唱(とな)える者(もの)はいない。


李存勗(り・そんきょく)は、もとより果断(かだん)な男(おとこ)である。 武勇(ぶゆう)に優(すぐ)れ、若(わか)き日(ひ)には父(ちち)の李克用(り・こくよう)と共(とも)に戦場(せんじょう)を駆(か)け、今(いま)では誰(だれ)もがその軍才(ぐんさい)を認(みと)めるところであった。


「ならば、時(とき)は来(きた)り――我(わ)が軍(ぐん)の主力(しゅりょく)を率(ひき)いて黄河(こうが)を渡(わた)る。中原(ちゅうげん)の王道(おうどう)、今(いま)ここに定(さだ)めん」


彼(かれ)は、軍議(ぐんぎ)の席(せき)を立(た)ち、傍(かたわ)らに控(ひか)えていた文臣(ぶんしん)へと振(ふ)り返(かえ)った。


「馮道(ふう・どう)!」


名(な)を呼(よ)ばれた男(おとこ)は、静(しず)かに歩(あゆ)み出(で)た。


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馮道(ふう・どう)の支(ささ)え


馮道(ふう・どう)――


本来(ほんらい)は幽州(ゆうしゅう)の書生(しょせい)に過(す)ぎぬが、才覚(さいかく)を買(か)われ、今(いま)では李存勗(り・そんきょく)の腹心(ふくしん)と目(め)される一人(ひとり)であった。 温和(おんわ)な物腰(ものごし)の中(なか)に、芯(しん)の通(とお)った胆力(たんりょく)を秘(ひ)め、戦(いくさ)のときも政(まつりごと)のときも、必(かなら)ず一歩(いっぽ)退(しりぞ)いて全体(ぜんたい)を見渡(みわた)せる希有(けう)の人物(じんぶつ)である。


「はい、殿下(でんか)」


「これより、全軍(ぜんぐん)を挙(あ)げて南征(なんせい)する。戦(いくさ)の備(そな)え、糧秣(りょうまつ)と軍資(ぐんし)を万端(ばんたん)整(ととの)えよ。時(とき)は急(きゅう)なり」


「御意(ぎょい)……ただちに着手(ちゃくしゅ)いたします」


馮道(ふう・どう)は即座(そくざ)に深(ふか)く一礼(いちれい)し、退出(たいしゅつ)した。


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兵站(へいたん)の戦場(せんじょう)


その後の数日(すうじつ)、晋陽(しんよう)の城下(じょうか)は静(しず)かな熱(ねつ)に包(つつ)まれた。


馬(うま)が整(ととの)えられ、鍛冶場(かじば)では矢尻(やじり)が雨(あめ)のように鍛(きた)えられる。 兵士(へいし)たちは昼夜(ちゅうや)を分(わ)かたず訓練(くんれん)に励(はげ)み、街道(かいどう)には米俵(こめだわら)や乾肉(かんじし)、塩(しお)、兵糧丸(ひょうろうがん)を積(つ)んだ車(くるま)がひっきりなしに行(い)き交(か)った。


馮道(ふう・どう)は、そのすべての指揮(しき)にあたった。


彼(かれ)は戦場(せんじょう)には出(で)ぬ。されど、その働(はたら)きなくしては、軍(ぐん)は一歩(いっぽ)も動(うご)けぬ。 商人(しょうにん)と交渉(こうしょう)し、倉庫(そうこ)を開(ひら)き、地方(ちほう)の郡守(ぐんしゅ)に命(めい)じて徴発(ちょうはつ)を行(おこな)い、また兵卒(へいそつ)の家族(かぞく)を慰撫(いぶ)して不安(ふあん)を鎮(しず)めた。


時(とき)に豪族(ごうぞく)が米(こめ)の買(か)い占(し)めを企(くわだ)てれば、使者(ししゃ)を送(おく)り、理(り)と利(り)で屈服(くっぷく)させる。


時(とき)に輸送路(ゆそうろ)が洪水(こうずい)で絶(た)たれれば、土木(どぼく)の民(たみ)を率(ひき)いて仮橋(かりばし)を架(か)ける。


まさに、紙(かみ)と筆(ふで)の戦場(せんじょう)を一人(ひとり)で駆(か)ける将(しょう)のような姿(すがた)であった。


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黄河(こうが)を渡(わた)る


数十日後(すうじつご)――


李存勗(り・そんきょく)の軍勢(ぐんぜい)は、ついに指出(しゅつじん)の刻(こく)を迎(むか)える。


軍旗(ぐんき)はなびき、金鼓(きんこ)は鳴(な)り響(ひび)き、晋陽(しんよう)の空(そら)は一面(いちめん)の黄塵(こうじん)に包(つつ)まれた。 軍装(ぐんそう)を整(ととの)えた騎兵(きへい)が次々(つぎつぎ)と南(みなみ)へ進(すす)み、輜重車(しちょうしゃ)は山(やま)を越(こ)え、川(かわ)を越(こ)え、黄河(こうが)の北岸(ほくがん)に布陣(ふじん)する。


李存勗(り・そんきょく)は出陣前(しゅつじんまえ)、ひとときの静寂(せいじゃく)を馮道(ふう・どう)と共(とも)に過(すご)ごした。


「よく整(ととの)えたな、馮道(ふう・どう)」


「もったいなきお言葉(ことば)にございます。すべては殿下(でんか)のご英断(えいだん)あってのこと」


李存勗(り・そんきょく)は笑(わら)った。


「……開封(かいほう)は遠(とお)い。だが、そなたの力(ちから)があれば、どれほどの道(みち)でも踏(ふ)み越(こ)えられよう」


馮道(ふう・どう)は黙(もく)して頭(あたま)を下(さ)げた。だが、その瞳(ひとみ)はどこまでも澄(す)んでいた。


それは理(り)の人(ひと)の覚悟(かくご)――勝(か)っても驕(おご)らず、負(ま)けても惑(まど)わぬ。 長(なが)き戦乱(せんらん)に身(み)を置(お)きながら、人(ひと)の道(みち)を見失(みうしな)わぬ者(もの)の眼(まなざし)であった。


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やがて、黄河(こうが)のほとりに陣(じん)を敷(し)いた軍(ぐん)は、朝霧(あさぎり)の中(なか)を静(しず)かに渡(わた)り始(はじ)める。


幾百(いくひゃく)もの馬蹄(ばてい)が川面(かわも)をたたき、舟(ふね)が滑(すべ)り出(だ)し、渡橋(とばし)が幾重(いくえ)にも重(かさ)ねられてゆく。


その流(なが)れの彼方(かなた)には、開封(かいほう)の楼閣(ろうかく)が、薄(うす)ぼんやりと陽(ひ)に照(て)らされて浮(う)かんでいた。


――これは、馮道(ふう・どう)という一人(ひとり)の文人(ぶんじん)が、静(しず)かなる胆力(たんりょく)で支(ささ)えた大戦(たいせん)の、始(はじ)まりの光景(こうけい)である。




〇『黄河を越えしとき――馮道記す』


……この戦(いくさ)を思(おも)い出(だ)すたび、胸(むね)の裡(うち)に冷(ひや)やかな風(かぜ)が吹(ふ)き抜(ぬ)けるような気(き)がいたします。 私(わたし)が、晋王(しんおう)・李存勗(り・そんきょく)様(さま)に仕(つか)え、開封(かいほう)を目指(めざ)した、あの晩秋(ばんしゅう)のこと――


時(とき)は、唐(とう)が既(すで)に滅(ほろ)び、後梁(こうりょう)が華北(かほく)を支配(しはい)していた頃(ころ)。 そして我(わ)が君(きみ)、存勗様(そんきょくさま)は太原(たいげん)を本拠(ほんきょ)とし、晋王(しんおう)を名乗(なの)って北地(ほくち)を治(おさ)めておられました。 とはいえ、その胸(むね)の内(うち)には、すでに「王(おう)」の二字(にじ)では収(おさ)まりきらぬ志(こころざし)が燃(も)えておられたのです。


ある夜(よ)、密(ひそ)やかに軍議(ぐんぎ)が開(ひら)かれました。 存勗様(そんきょくさま)の眼差(まなざ)しは、黄河(こうが)の向(む)こうをじっと見据(みす)えておられました。


「――後梁(こうりょう)、いま守(まも)り手薄(てうす)なり。開封(かいほう)へ攻(せ)め入(い)る好機(こうき)にござる」


そのお言葉(ことば)は、雷鳴(らいめい)のようでございました。 誰(だれ)もが息(いき)を呑(の)みましたが、反対(はんたい)の声(こえ)など出(で)ようはずもありません。 我(わ)が君(きみ)は、常(つね)に最(もっと)も険(けわ)しき道(みち)を選(えら)び、それを真っ(まっ)すぐ貫(つらぬ)いてこられたお方(おかた)なのですから。


「馮道(ふう・どう)、そなたにすべてを託(たく)す。軍(ぐん)の糧秣(りょうまつ)と資金(しきん)の手配(てはい)、万事(ばんじ)を頼(たの)むぞ」


――そう仰(おお)せつかったとき、私(わたし)の背中(せなか)には、氷(こおり)のような汗(あせ)が流(なが)れました。


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兵站(へいたん)の苦心(くしん)


戦(いくさ)の準備(じゅんび)とは、何(なに)よりもまず「時(とき)」との戦(たたか)いでございます。 兵糧(ひょうろう)の確保(かくほ)、車馬(しゃば)の動員(どういん)、武器(ぶき)の補充(ほじゅう)、道中(どうちゅう)の水路(すいろ)の確保(かくほ)、さらには兵(へい)の士気(しき)…… どれか一(ひと)つでも欠(か)ければ、進軍(しんぐん)の脚(あし)はたちまち止(と)まりましょう。


私(わたし)は、夜(よる)を徹(てっ)して筆(ふで)と算木(さんぎ)を操(あやつ)り、各地(かくち)の郡県(ぐんけん)に書(しょ)を飛(と)ばし、 金(かね)と米(こめ)と馬(うま)と人(ひと)をひとところに集(あつ)めるため、あらゆる手段(しゅだん)を尽(つ)くしました。 民(たみ)が苦(くる)しまぬよう、商人(しょうにん)には利益(りえき)を与(あた)え、豪族(ごうぞく)には義(ぎ)を説(と)き、使者(ししゃ)には誠(まこと)を以(もっ)て交渉(こうしょう)させました。


戦場(せんじょう)に立(た)たずとも、私(わたし)の机上(きじょう)には、別(べつ)の戦(いくさ)があったのです。


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開封(かいほう)陥落(かんらく)


やがて、すべての備(そな)えが整(ととの)いました。 軍(ぐん)は音(おと)もなく黄河(こうが)へと進(すす)み、初霜(はつしも)の降(ふ)る夜(よる)、密(ひそ)かに舟(ふね)を漕(こ)ぎ出(だ)したのです。


この進軍(しんぐん)が、後梁(こうりょう)の将(しょう)たちにはまったくの予想外(よそうがい)であったようでございます。 我(わ)が軍(ぐん)の動(うご)きは、まさに電光石火(でんこうせっか)。舟(ふね)は三日(みっか)で黄河(こうが)を越(こ)え、 騎兵(きへい)は風(かぜ)のように河南(かなん)の地(ち)を駆(か)け抜(ぬ)け、後梁(こうりょう)の守備軍(しゅびぐん)が体勢(たいせい)を整(ととの)える前(まえ)に、開封(かいほう)の城門(じょうもん)に迫(せま)ったのです。


城(しろ)の守(まも)りは、あまりに脆(もろ)く、あまりに早(はや)く、崩(くず)れ落(お)ちました。 十年(じゅうねん)続(つづ)いた梁(りょう)の都(みやこ)は、ほとんど抵抗(ていこう)らしい抵抗(ていこう)もなく、我(わ)が軍(ぐん)の手(て)に落(お)ちたのでございます。


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天下(てんか)の誉(ほまれ)


開封陥落(かいほうかんらく)の翌日(よくじつ)――


まだ戦塵(せんじん)の残(のこ)る中(なか)、存勗様(そんきょくさま)は城中(じょうちゅう)を巡(めぐ)り、 その眼(め)で都(みやこ)の様子(ようす)をご覧(ごらん)になっておられました。


私(わたし)が控(ひか)えておりますと、やがてお呼(よ)びがかかりました。


「馮道(ふう・どう)……見事(みごと)な備(そな)えであった。おかげで一兵(いっぺい)たりとも飢(う)えることなく、 この都(みやこ)へ辿(たど)り着(つ)くことができた」


そう仰(おっしゃ)って、我(わ)が君(きみ)は小(ちい)さく頷(うなず)かれました。 その瞳(ひとみ)には、いつもより深(ふか)い色(いろ)が宿(やど)っておりました。


「――戦(いくさ)は、剣(けん)のみにあらず。お前(まえ)の手(て)が、我(わ)が軍(ぐん)を勝(か)たせたのだ」


このときばかりは、私(わたし)も言葉(ことば)に詰(つ)まり、ただただ頭(あたま)を垂(た)れるばかりでございました。


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筆(ふで)と墨(すみ)の人(ひと)


思(おも)えば、私(わたし)は剣(けん)を握(にぎ)ったこともなく、軍令(ぐんれい)を発(はっ)したこともございません。 それでも、存勗様(そんきょくさま)のお傍(そば)に仕(つか)え、戦(いくさ)の裏(うら)を支(ささ)えることができたことは、 文官冥利(ぶんかんみょうり)に尽(つ)きることでございます。


黄河(こうが)を越(こ)え、開封(かいほう)を陥(おとしい)れたあの勝利(しょうり)―― その一頁(いちページ)に、私(わたし)のような筆(ふで)と墨(すみ)の人間(にんげん)の名(な)が、ほんの少(すこ)しでも刻(きざ)まれているならば、 これ以上(いじょう)の誉(ほま)れは、他(ほか)にございませぬ。


(語(かたり):馮道(ふう・どう))

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