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変節の宰相:馮道:1章:李存勗時代①

〇馮道、李存勗に連れられて幽州から晋州へ向かう道中にて


幽州(ゆうしゅう)の牢獄(ろうごく)に閉(と)じ込(こ)められてから、馮道(ふう・どう)が味(あじ)わった苦(くる)しみは長(なが)く、深(ふか)かった。冷(つめ)たい石壁(いしがべ)に囲(かこ)まれ、外(そと)の世界(せかい)から断絶(だんぜつ)された日々(ひび)。だが、時(とき)は流(なが)れ、ついに李存勗(り・そんきょく)――彼(かれ)の運命(うんめい)を大(おお)きく変(か)えることになる、あの独眼(どくがん)の将軍(しょうぐん)が彼(かれ)の解放(かいほう)を命(めい)じたのだった。


今(いま)、二人(ふたり)は車(くるま)に揺(ゆ)られて、幽州(ゆうしゅう)の地(ち)を後(あと)にし、北方(ほっぽう)の要衝(ようしょう)・晋州(しんしゅう)へと向(む)かっている。李存勗(り・そんきょく)の声(こえ)が車内(しゃない)の静寂(せいじゃく)を破(やぶ)った。


「馮道(ふう・どう)よ、わたしの本拠地(ほんきょち)である晋州(しんしゅう)に着(つ)けば、これからの我(わ)が軍(ぐん)の全貌(ぜんぼう)がお前(まえ)にも見(み)えてくるだろう。」


馮道(ふう・どう)はしばし視線(しせん)を遠(とお)くの地平線(ちへいせん)へと向(む)けた。目(め)の前(まえ)に広(ひろ)がるのは荒涼(こうりょう)とした北方(ほっぽう)の大地(だいち)。しかし、その荒涼(こうりょう)のなかにも、李存勗(り・そんきょく)が築(きず)き上(あ)げた強固(きょうこ)な拠点(きょてん)の匂(にお)いが満(み)ちていることを、馮道(ふう・どう)は知(し)っていた。


「まず、晋州(しんしゅう)は私(わたし)の拠点(きょてん)にして、後唐(こうとう)建国(けんこく)の根幹(こんかん)だ。ここには政治(せいじ)と軍(ぐん)の両面(りょうめん)から重臣(じゅうしん)たちが揃(そろ)い、私(わたし)の野望(やぼう)を支(ささ)えている。」李存勗(り・そんきょく)は静(しず)かながらも自信(じしん)に満(み)ちた口調(くちょう)で続(つづ)ける。


「郭崇韜(かく・すうとう)、これは我(わ)が軍(ぐん)の参謀(さんぼう)で、政治(せいじ)と軍略(ぐんりゃく)に通(つう)じた人物(じんぶつ)だ。彼(かれ)の策(さく)は度々(たびたび)我(わ)が軍(ぐん)の勝敗(しょうはい)を左右(さゆう)してきた。李嗣源(り・しげん)、私(わたし)の従兄弟(いとこ)にして、兵(へい)の統率(とうそつ)に優(すぐ)れる将軍(しょうぐん)。彼(かれ)の指揮(しき)のもとで、多(おお)くの戦(たたか)いに勝利(しょうり)を収(おさ)めている。そして董璋(とう・しょう)、武勇(ぶゆう)に秀(ひい)でた重臣(じゅうしん)であり、前線(ぜんせん)で多大(ただい)な活躍(かつやく)を見(み)せている。」


馮道(ふう・どう)はそれぞれの名(な)を聞(き)きながら、ただの武力集団(ぶりょくしゅうだん)ではない、統率(とうそつ)の取(と)れた軍団(ぐんだん)であることを痛感(つうかん)した。


「李存勗(り・そんきょく)軍団(ぐんだん)の政治体制(せいじたいせい)は非常(ひじょう)に組織的(そしきてき)だ。軍(ぐん)と政治(せいじ)が密接(みっせつ)に絡(から)み合(あ)い、晋州(しんしゅう)の統治(とうち)は一枚岩(いちまいがん)である。兵士(へいし)はただの戦力(せんりょく)ではなく、行政官(ぎょうせいかん)や地方(ちほう)の民(たみ)と連携(れんけい)し、民心(みんしん)を掌握(しょうあく)しながら力(ちから)を蓄(たくわ)えている。地方(ちほう)の豪族(ごうぞく)や有力者(ゆうりょくしゃ)も取(と)り込(こ)み、地域(ちいき)の安定(あんてい)に努(つと)めている。」


車(くるま)が進(すす)むにつれて、晋州(しんしゅう)の城壁(じょうへき)が視界(しかい)に入(はい)ってきた。城(しろ)の堅牢(けんろう)さは、北方(ほっぽう)の激(はげ)しい戦乱(せんらん)の中(なか)でも堅実(けんじつ)な防衛(ぼうえい)を誇(ほこ)っていることを示(しめ)していた。


「晋州(しんしゅう)はまた、軍団(ぐんだん)の指揮系統(しきけいとう)も明確(めいかく)だ。大軍団(だいくんだん)は複数(ふくすう)の部隊(ぶたい)に分(わ)かれ、それぞれの司令官(しれいかん)が厳格(げんかく)に任務(にんむ)を遂行(すいこう)する。こうした組織(そしき)の力(ちから)があってこそ、我々(われわれ)は後唐(こうとう)としての統一(とういつ)を見据(みす)えているのだ。」


李存勗(り・そんきょく)の言葉(ことば)は静(しず)かだが、熱(ねつ)を帯(お)びている。馮道(ふう・どう)はその胸中(きょうちゅう)に、彼(かれ)の夢(ゆめ)と野望(やぼう)が鮮(あざ)やかに映(うつ)し出(だ)された。


「馮道(ふう・どう)、お前(まえ)の知識(ちしき)と経験(けいけん)が必要(ひつよう)だ。わたしは単(たん)なる武将(ぶしょう)ではない。乱世(らんせ)を治(おさ)めるには政治(せいじ)の才(さい)も必須(ひっす)だ。だからこそ、お前(まえ)のような策士(さくし)を必要(ひつよう)としている。」


馮道(ふう・どう)は李存勗(り・そんきょく)の視線(しせん)を見返(みかえ)し、固(かた)く頷(うなず)いた。


「仰(おお)せのままに、陛下(へいか)。わたくし馮道(ふう・どう)、全力(ぜんりょく)を尽(つ)くします。」


かくして、馮道(ふう・どう)は新(あら)たな地(ち)で、かつての牢獄(ろうごく)の苦悩(くのう)を乗(の)り越(こ)え、北方(ほっぽう)の激動(げきどう)を駆(か)け抜(ぬ)けるべく歩(あゆ)み出(だ)したのだった。




〇晩春の晉陽(しんよう)


晩春(ばんしゅん)の晉陽(しんよう)


──黄土(こうど)の風(かぜ)に舞(ま)う土埃(つちぼこり)の向(む)こう、城門(じょうもん)の石垣(いしがき)は陽光(ようこう)を浴(あ)びて鈍(にぶ)く輝(かがや)いていた。


幽州(ゆうしゅう)での獄中(ごくちゅう)生活(せいかつ)から解(と)き放(はな)たれた馮道(ふう・どう)は、今(いま)この地(ち)に降(お)り立(た)った。唐王朝(とうおうちょう)滅亡(めつぼう)後(ご)の乱世(らんせ)、群雄割拠(ぐんゆうかっきょ)のなかで一際(ひときわ)強勢(きょうせい)を誇(ほこ)るのが、李存勗(り・そんきょく)率(ひき)いる晋(しん)である。


馮道(ふう・どう)はその李存勗(り・そんきょく)に見出(みいだ)され、晋陽(しんよう)の地(ち)に迎(むか)えられたのだった。晋陽(しんよう)は晋(しん)の本拠地(ほんきょち)であり、政軍(せいぐん)の中心(ちゅうしん)。李存勗(り・そんきょく)の野望(やぼう)はただの地方政権(ちほうせいけん)に留(とど)まらず、やがて中原(ちゅうげん)を制(せい)し、新(あら)たな王朝(おうちょう)を興(おこ)すに至(いた)るが──その兆(きざ)しは、この城(しろ)の中(なか)に確(たし)かに芽吹(めぶ)いていた。


城内(じょうない)の応接(おうせつ)の間(ま)で、馮道(ふう・どう)は三人(さんにん)の男(おとこ)と顔(かお)を合(あ)わせる。いずれも、李存勗(り・そんきょく)の右腕左腕(うわんさわん)と称(しょう)される者(もの)たちだ。


まず郭崇韜(かく・すうとう)。知略(ちりゃく)と統治(とうち)に長(た)けた名参謀(めいさんぼう)で、李存勗(り・そんきょく)の軍事(ぐんじ)・政治(せいじ)の両輪(りょうりん)を支(ささ)える。彼(かれ)の語(かた)り口(くち)は穏(おだ)やかだが、その奥(おく)には常(つね)に計算(けいさん)された熱(ねつ)が潜(ひそ)んでいる。


「馮殿(ふうでん)、殿下(でんか)はあなたの学識(がくしき)と冷静(れいせい)な判断力(はんだんりょく)を高(たか)く買(か)っておられます。幽州(ゆうしゅう)の獄(ごく)にあってなお志(こころざし)を折(お)らぬその胆力(たんりょく)、見事(みごと)でございましたな」


馮道(ふう・どう)は軽(かる)く会釈(えしゃく)しながら、静(しず)かに答(こた)える。


「生(い)き延(の)びるために言葉(ことば)を慎(つつし)んだだけ。学識(がくしき)と呼(よ)べるほどのものかどうか……」


次(つぎ)に現(あらわ)れたのが、李嗣源(り・しげん)──後(のち)に後唐(こうとう)の第二代(だいにだい)皇帝(こうてい)となる男(おとこ)である。


「馮殿(ふうでん)。あなたの噂(うわさ)はかねてより耳(みみ)にしておりました。乱世(らんせ)には、剣(けん)より筆(ふで)が重(おも)くなる時(とき)もある。我(われ)らが殿下(でんか)も、それをよくご存(ぞん)じだ」


李嗣源(り・しげん)の眼光(がんこう)は鋭(するど)く、しかしその語(かた)り口(くち)は率直(そっちょく)で、兵(へい)を率(ひき)いる将(しょう)の風格(ふうかく)が漂(ただよ)っていた。


最後(さいご)に現(あらわ)れたのは、董璋(とう・しょう)。重厚(じゅうこう)な甲冑(かっちゅう)を身(み)にまといながらも、どこか農夫(のうふ)のような素朴(そぼく)さを残(のこ)すその姿(すがた)は、まさに野戦(やせん)を重(かさ)ねた歴戦(れきせん)の勇者(ゆうしゃ)であった。


「文官(ぶんかん)というのは、どうにも性(しょう)に合(あ)わんと思(おも)ってたが……馮殿(ふうでん)、あんたは違(ちが)う気(き)がする。俺(おれ)のような武人(ぶじん)にもわかる言葉(ことば)で話(はな)してくれるからな」


馮道(ふう・どう)は静(しず)かに微笑(ほほえ)むと、一歩(いっぽ)下(さ)がり、三人(さんにん)に向(む)かって深々(ふかぶか)と礼(れい)をした。


「世(よ)の混沌(こんとん)を正(ただ)すために、言葉(ことば)の力(ちから)がほんの少(すこ)しでも役立(やくだ)つなら、この身(み)、惜(おし)しむことはありません」


この日(ひ)から、馮道(ふう・どう)は晋陽(しんよう)にて李存勗(り・そんきょく)の政務(せいむ)を補佐(ほさ)し、やがて後唐(こうとう)の成立(せいりつ)に至(いた)るまで、幾度(いくど)となく戦火(せんか)と政争(せいそう)のただ中(なか)に身(み)を置(お)くこととなる。だがその歩(あゆ)みは、常(つね)に静(しず)かで、穏(おだ)やかで、そして揺(ゆ)るがぬ芯(しん)を持(も)っていた。


乱世(らんせ)のなかで、一人(ひとり)の文人(ぶんじん)が如何(いかに)にして五朝(ごちょう)に仕(つか)え、なおその節(せつ)を保(たも)ち続(つづ)けたのか──その物語(ものがたり)は、まさにこの晋陽(しんよう)の地(ち)から始(はじ)まったのである。



〇『風、未だ定まらず ― 晋陽にて』


________________________________


風、未(いま)だ定(さだ)まらず ― 晋陽(しんよう)にて


雲(くも)一(ひと)つない青天(せいてん)の下(もと)、晋陽(しんよう)の街並(まちな)みが春(はる)の光(ひかり)に包(つつ)まれていた。


瓦葺(かわらぶ)きの屋根(やね)の向(む)こうに、太原(たいげん)の山々(やまやま)が墨(すみ)のように連(つら)なっている。かつて前漢(ぜんかん)の武帝(ぶてい)がここを「北(きた)の要(かなめ)」と称(しょう)したことも頷(うなず)けよう。匈奴(きょうど)と対峙(たいじ)するための軍政(ぐんせい)拠点(きょてん)として、ここは悠久(ゆうきゅう)の昔(むかし)より、風(かぜ)と戦(いくさ)の交差(こうさ)する地(ち)であった。


いまこの晋陽(しんよう)には、新(あら)たな天下(てんか)を夢見(ゆめみ)る男(おとこ)たちが集(つど)い、策(さく)を練(ね)っている。


馮道(ふう・どう)はその一人(ひとり)であった。かつて幽州(ゆうしゅう)の牢(ろう)に繋(つな)がれた身(み)であったが、いまは一転(いってん)して、後唐(ごとう)の礎(いしずえ)を築(きず)こうとする俊傑(しゅんけつ)たちの中(なか)に名(な)を連(つら)ねている。


この日(ひ)、馮道(ふう・どう)は城内(じょうない)の一角(いっかく)、古木(こぼく)に囲(かこ)まれた庭園(ていえん)で李嗣源(り・しげん)と対面(たいめん)していた。李嗣源(り・しげん)は、先帝(せんてい)・李克用(り・こくよう)の養子(ようし)であり、現(げん)・李存勗(り・そんきょく)の従兄弟(いとこ)。武人(ぶじん)としての風格(ふうかく)と、文(ぶん)に通(つう)じた聡明(そうめい)さを併(あわ)せ持(も)つ人物(じんぶつ)である。


「馮殿(ふうどの)、晋陽(しんよう)の空気(くうき)には、ようやく慣(な)れましたか」


そう声(こえ)をかけてきた李嗣源(り・しげん)は、まだ若々(わかわか)しい面差(おもざ)しながら、言葉(ことば)にはどこか老成(ろうせい)した重(おも)みがあった。


「ええ、おかげさまで……晋陽(しんよう)とは、まこと、面白(おもしろ)い土地(とち)ですな」


馮道(ふう・どう)はゆるりと微笑(ほほえ)んだ。


「辺境(へんきょう)に近(ちか)く、武門(ぶもん)の気質(きしつ)が根付(ねづ)いている。だが、交易(こうえき)にも長(た)け、匠(たくみ)たちの技(わざ)も見事(みごと)。政治(せいじ)の根(ね)を張(は)るには、なかなか骨(ほね)が折(お)れましょう」


「ふむ。それは確(たし)かに……父(ちち)の代(だい)からの軍閥(ぐんばつ)政権(せいけん)です。法(ほう)の整備(せいび)よりも軍令(ぐんれい)の迅速(じんそく)、理(り)よりも義(ぎ)に重きを置(お)く風土(ふうど)。それがこの晋州(しんしゅう)の気風(きふう)ですな」


李嗣源(り・しげん)は冷(ひや)やかな声(こえ)で答(こた)える。


「しかし、帝業(ていぎょう)をなすというのなら、それでは足(た)りぬ。軍(ぐん)だけでは天下(てんか)を治(おさ)められません」


馮道(ふう・どう)は頷(うなず)いた。


「まさに仰(おお)せの通(とお)りです。ゆえに、わたくしどものような文人(ぶんじん)が必要(ひつよう)とされるのでしょう。制度(せいど)の整備(せいび)、財政(ざいせい)の基盤(きばん)、地方官(ちほうかん)の任免(にんめん)。武(ぶ)ではなく、理(り)に基(もと)づく政治(せいじ)。それを小(ちい)さくとも、まずこの晋陽(しんよう)から始(はじ)めねばなりません」


「民(たみ)の暮(く)らしを、兵(へい)の規律(きりつ)を、官(かん)の秩序(ちつじょ)を整(ととの)え……」


李嗣源(り・しげん)は庭(にわ)の池(いけ)を見(み)つめた。


「――そのすべての先(さき)に、天子(てんし)の道(みち)がある」


しばし、二人(ふたり)は無言(むごん)で風(かぜ)を聞(き)いた。


李嗣源(り・しげん)がふと目(め)を細(ほそ)めて言(い)う。


「だが問題(もんだい)は、我(わ)が軍(ぐん)の拡張(かくちょう)にあります。西(にし)は岐(き)、南(みなみ)には梁(りょう)がいまだに牙(きば)を剥(む)き、北(きた)では契丹(きったん)が動(うご)いている。拡張(かくちょう)と防衛(ぼうえい)、その両立(りょうりつ)なくしては、我(われ)らの夢(ゆめ)は潰(つい)えましょう」


馮道(ふう・どう)は静(しず)かに問(と)い返(かえ)す。


「李将軍(りしょうぐん)は、拡張(かくちょう)をどのように考(かんが)えですか? たとえば、征服(せいふく)か。懐柔(かいじゅう)か」


李嗣源(り・しげん)はふっと笑(わら)った。


「それを今(いま)、あなたに聞(き)いてみたかった。幽州(ゆうしゅう)にて学(まな)び、各地(かくち)の政変(せいへん)を乗(の)り越(こ)え、今(いま)なお筆(ふで)を執(と)る文人(ぶんじん)の目(め)から見(み)て――この国(くに)は、どう進(すす)むべきでしょうか」


しばしの沈黙(ちんもく)。


馮道(ふう・どう)は空(そら)を仰(あお)ぎ、ゆっくりと口(くち)を開(ひら)いた。


「恐(おそらく)は、戦(いくさ)と政(まつりごと)の並行(へいこう)が肝要(かんよう)です。李存勗(り・そんきょく)様(さま)は名将(めいしょう)にして、野戦(やせん)の雄(ゆう)。ですが、民(たみ)の心(こころ)を掴(つか)むには、兵(へい)ばかりでは不十分(ふじゅうぶん)。各地(かくち)の郡県(ぐんけん)を掌握(しょうあく)したならば、その地(ち)の豪族(ごうぞく)を取(と)り込(こ)み、旧官人(きゅうかんじん)を登用(とうよう)し、穏(おだ)やかな改革(かいかく)を進(すす)めるべきです」


「うむ……つまり、柔(やわら)かく包(つつ)み込(こ)むような天下取(てんかど)り、か」


李嗣源(り・しげん)は頷(うなず)いた。


「そう、それが馮道(ふう・どう)殿(どの)の道(みち)――“柔(じゅう)よく剛(ごう)を制(せい)す”ということですな」


ふと、李嗣源(り・しげん)の声(こえ)が低(ひく)くなる。


「やがて李存勗(り・そんきょく)様(さま)が中原(ちゅうげん)を手中(しゅちゅう)に収(おさ)めたなら、都(みやこ)を開(ひら)き、帝(みかど)となられる。そうなれば、あなたの才(さい)もますます必要(ひつよう)になりましょう」


馮道(ふう・どう)は穏(おだ)やかに笑(わら)った。


「私(わたし)など、時流(じりゅう)に押(お)されて流(なが)れ着(つ)いた身(み)。されど、一滴(いってき)の墨(すみ)が、紙(かみ)の上(うえ)に何(なに)かを刻(きざ)むこともあるでしょう。もしその役目(やくめ)があるのなら、喜(よろこ)んで引(ひ)き受(う)けます」


風(かぜ)が吹(ふ)き抜(ぬ)けた。


木々(きぎ)の葉(は)が揺(ゆ)れ、どこかで鴉(からす)が鳴(な)いた。


――戦乱(せんらん)の世(よ)のただなかで、理(り)と武(ぶ)とが交錯(こうさく)する。 馮道(ふう・どう)という一筆(いっぴつ)が、後(のち)の歴史(れきし)に何(なに)を描(えが)き出(だ)すかは、まだ誰(だれ)にもわからなかった。

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