〇【静かなる筆、国を立つ――馮道、五経に心を寄せて】
馮道と『五経正義』の編纂
夜明けの光が、帳の隙間から静かに差し込んでくる。
冬の気配が空気に混じる頃、私は都の東隅に構えられた簡素な書院に、日々(ひび)足を運んでいた。年はすでに天福二年(九三七年)、私は齢五十五となっていたが、筆を握る手は未だ衰えぬ。むしろ、今こそが人生の正念場であろうという心持であった。
私の名は馮道。唐の滅亡より続く五代十国の動乱を、文臣として渡り歩いてきた老臣である。梁・唐・晋と三朝に仕え、世の多くを見、声を殺して幾度も流血を避けた。
世の変遷を知る者として、今、私が最も力を注いでいるのは、「学」であった。
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学びへの信念と『五経正義』の編纂
人は、剣によって国を奪う。だが、筆によって国は治まる――。
それは若き日のある日、朽ちかけた書巻を繙いていたとき、ふと心に浮かんだ言葉だった。戦に明け暮れるこの世で、儒の教えは遠ざけられていたが、私はそれを忘れなかった。学びは、人の心を照らす灯火であると信じていた。
この頃、後晋の開国が成り、石敬瑭殿が皇帝となった。彼は武に秀でた人であったが、文の道に通じた者ではなかった。そのため、私は進言したのだ――この国に真の治世をもたらすには、法と秩序だけでは足りぬ。人の心を正す学問、つまり教育の整備こそ急務であると。
その進言を受けて、ようやく陽の目を見たのが『五経正義』の編纂であった。
『五経』とは、儒教の根幹をなす五つの経書――『詩経』『書経』『礼記』『易経』『春秋』を指す。そして『正義』とは、それらを解釈し、体系立て、後の世に正しく伝えるための注釈書である。
私はかねてより、これらが世にばらばらの解釈で伝えられていることを憂いていた。諸子百家が跋扈する戦国のような混沌では、真の学は根づかぬ。だからこそ、五経を国家の根本とし、共通の教義として定めなければならぬと考えたのだ。
編纂にあたり、私は当代きっての学者たちを招いた。中でも若き儒者・許寧は、驚くべき記憶力と洞察力を持ち、古典を語らせれば風のごとく淀みがなかった。彼らと日々(ひび)議論を交わし、書を繙き、幾百の夜を重ねる中で、『五経正義』は次第にその輪郭をあらわしていった。
そして、私はそれと並行して、学を選ぶ制度――すなわち科挙の整備にも手を伸ばした。
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科挙の整備と馮道の志
かつての唐においても科挙は存在したが、五代の乱世でその制度は形骸化していた。貴族の推薦や軍功ばかりが重視され、真に才ある者が陽の目を見ぬ現状を、私は何よりも惜しんだ。
そこで私は提案した。儒学の素養をもって官に就くべきであると。
すなわち、書に親しみ、礼を弁え、論を立てて人心を導く者――そうした人材を科挙によって選び抜く仕組みを、今一度蘇らせるべきだと。
これには反対も多かった。武臣は、筆を持つ者を軽んじる。だが、私は譲らなかった。時に低く、時に穏やかな声で、ただ一つ――「学の道こそ、乱世を終える鍵である」と繰り返した。
やがて、皇帝の勅許を得て、新たな科挙制度が整えられた。儒学の知識を問う筆試が重視され、門地に関わらず試験を受けられるようになったのだ。
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筆に込めた祈り
朝が来る。書院の窓から、淡く白む空を眺めながら、私は筆を置く。
この国の行く末を、今の私に語ることはできぬ。石敬瑭殿が遼に差し出した燕雲十六州――あの選択が、この国にいかなる未来をもたらすか、それは私の手の届かぬところにある。
だが、こうして書を編み、学を広め、後の世に知を繋ぐことならば、今の私にもできる。
乱世のただなかにあっても、人は学ぶ。学ぶことで己を律し、他を知り、世を治める。
私が望むのは、ただそれだけだ。剣ではなく、筆によって国が形作られる時代が、いつか再び訪れることを――。
老いた心の奥に、静かな祈りを抱きながら、私はまた巻物の余白に筆を走らせた。
それが、私の務めであった。
――馮道、天福の冬、筆録す。
〇『風の記すもの──馮道、五十代半ばの独白』
五代十国の動乱と馮道の思索
夜気は、涼しさに一抹の鋭さを宿す。 馮道は、燈を薄くした書斎の隅に身を寄せ、机上の地図を見つめていた。
年は天福二年──すなわち、紀元九三七年。 五十有五の齢を重ねたこの宰相は、静かに、しかし確かに、胸の内を反芻していた。
「……人の世というものは、理では割り切れぬものですな。」
独り言のように、彼はつぶやく。時代はまさに五代十国の嵐の中にあった。
後梁、後唐、そして今は後晋。短命の王朝が北中国を巡り、次々(つぎつぎ)と玉座を奪い合う。一方、南方には呉、楚、閩、南唐など、割拠する地方政権が十あまり──。かつての唐の威容は、すでに遠き蜃気楼であった。
「我が主──石敬瑭殿が即位し、後晋が立国したのは、つい先日のことのように思えるが……」
馮道の視線は、地図の西北に広がる草原へと移る。そこには漢字で「契丹」と記されていた。
「だが、代償は大きかった。燕雲十六州──これを契丹に割譲したことが、後世にどれほどの重しとなるか……」
契丹とは、北方の遊牧民族である。その君主・耶律阿保機が基を開き、今はその子、耶律徳光が実権を握っていた。彼らは漢風の制度を取り入れ、すでに「遼」の国号を用い始めている。
「遼なる国は、いずれ中原と伍する強国となるやもしれぬ……されど、今はその力を借りてこの国を立てねばならなかった。世の理よ。」
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南方諸国の動向
馮道は筆を執り、紙に南方の情勢を書き付けてゆく。
「南唐は、徐知誥が立てた。かの者、智謀に富む。やがて呉を併呑するであろう。」
「楚は、馬殷の子らが継いでいるが、内訌の兆しあり。政は粗く、長くは保てまい。」
「閩は王氏の国にて、今の主は王延羲。だが、内政は混迷し、民の声は届かぬ。」
「南漢は嶺南の小国に過ぎぬ。劉氏が家を継ぐが、我らにとって脅威とはならぬ。」
「さらに西の前蜀はすでに後唐に滅ぼされ、その地は後蜀が新たに興る。」
彼は筆を置いた。眼前の燈が、かすかに揺れる。
「こうしてみれば、中原の地に国はひとつなれど、天下は未だ安からず。」
言外に、思いは重く滲む。馮道自身、この乱世の中で、すでに五つの王朝に仕えてきた。後梁、後唐、後晋──そのすべての王朝で、宰相を務めてきた男。裏切りと見す者もあろう。だが、彼の胸には、一つの信念がある。
「我は、天下のために仕える。人のために筆を執る。君が誰であれ、民の安寧を図ること、それこそが文臣の本分。」
外では、虫の音がひとしきり高まっていた。
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老文臣の矜持
その響きを受けながら、馮道はそっと紙を巻き上げた。次の朝には、朝議が待っている。乱世にあって、学を以て国を繕うこと──それがこの老文臣の矜持であった。
そしてまた、この夜もまた、彼は静かに歴史のひと頁を綴っていたのである。
〇『燈下の墨守──後晋の文治を支えて』
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後晋の建国と馮道の治世
年は天福二年、すなわち西暦九三七年。季節はすでに晩秋を迎え、洛陽の風も日に日に冷たさを増していた。
この年──石敬瑭、ついに皇帝として即位。後唐を滅ぼし、契丹の援助を受けて、新たに「後晋」の国を興したのである。
だが、この国は、建国と同時に、ひとつの重たい影を背負っていた。
「北に頭を垂れた皇帝など、我が中華にはありえぬ……」
そんな囁きが、街角や学舎のあちこちで燻っていた。
後晋が成立する見返りに、石敬瑭は契丹へ燕雲十六州を割譲した。さらに彼は、名目上、遼の皇帝を「父皇」と呼び、自らを「臣下」と称する文書を送っている。
これが、士人たちの心に火を点けぬはずがなかった。
だが、宮中の一隅──その批判と憤慨の波に、ただ一人、静かに抗する男がいた。名は馮道。文臣としてすでに五朝に仕え、今もなお、政の中枢に身を置く男である。
「中原は今、荒れ果てております。これ以上の戦火を避けるためならば、外面の屈辱も受け入れるべき時もありましょう。」
そう語ったとき、彼の声音に怒りはなかった。あるのはただ、深い疲れと、未来を見据える理の眼だけである。
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文の力による国の繕い
後晋の宮廷は今、馮道ら文官の手で、再び「文の力」を取り戻そうとしていた。
まず、かねてより乱れていた科挙制度を見直し、秀才や進士の登用を公正に行えるよう整備が進められた。試験には、より一層の儒学的知識が求められ、とりわけ注目されたのが──
『五経正義』である。
これは、かつて唐の太宗が命じて編集させた、儒教の五経に対する正統な注釈書。乱世の中で忘れ去られていたこの古典を、馮道はもう一度、学者たちに読み解かせ、学問の柱に据えようとしていた。
「国のかたちは、ただ剣で築かれるものにあらず。筆の力、すなわち人を育てる力こそ、万世の礎なり。」
そう信じる馮道にとって、書物を整え、試験を公平に戻し、士大夫たちに再び学問と徳の道を歩ませることこそ、己が務めであった。
だが一方で、街中に流れる噂は止む気配を見せぬ。
「我らが皇帝は、北狄の手先となったか――」
「遼の皇帝を父と呼ぶとは、これ中華の恥なり!」
馮道はそれらの声を、真っ向から否定することはしなかった。否――できなかったのだ。
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馮道の矜持
その夜、書斎の燈火の下。彼は『春秋左氏伝』の一節をめくりながら、独り言のように呟いた。
「時に抗うことは、英雄の務めかもしれぬ。だが、時を繕うこともまた、臣の道ではなかろうか。」
その言葉に、答える者はない。
ただ硯の墨が、ゆるりと濃さを深めていった。
文を以て国を立てる。筆を以て世を支える。それが馮道の矜持であった。
たとえそれが、誰に誤解されようとも、彼は今、書をひもとき、国を繕う。
それが、戦のない政の世を夢見る者の、静かな抵抗であった。