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第四章 王都全域、ただいま絶賛生中継中

王立学園の大広間は、王都中心部を見下ろす丘の上に建っている。

通常であれば、中央広場に集まる市民の声が届くことはない。

石造りの分厚い壁と、温度を一定に保つ防音結界が、外の喧騒を遮っているからである。

しかし今夜ばかりは、その結界も役目を果たしていなかった。

大地を揺らすような歓声が、閉ざされた窓を越えて押し寄せてくる。


「金無しカボチャ!」

「治水工事費を返せ!」

「孤児院の屋根もだ!」


怒号の中には、笑い声も混じっている。

王国の第一王子が、婚約者を断罪しようとして自分の不正を暴かれた。

その喜劇的な構図は、民衆の怒りに絶妙な逃げ道を与えていた。

エドバードは扉の方を向いたまま動かない。


「なぜだ」


低い声が漏れる。


「なぜ、外の者たちが俺の資産を知っている」


大広間に集められた者たちも、同じ疑問を抱いていた。

この夜会は王立学園の卒業生と、その親族のみが参加できる閉鎖的な催しである。

外から覗き見ることなどできず、ましてや双響鏡が表示した数字を知る方法はないはずだった。

マリアが恐る恐る窓へ近づいた。

カーテンの隙間から外を見る。

その途端、彼女の目が大きく見開かれた。


「何よ、あれ」


大広間の壁面が光に包まれる。

双響鏡が、王都中央広場の様子を新たな映像として投影したのである。

広場には、数万人もの市民が集まっていた。

彼らが見上げているのは、王都からの告知に使用される巨大な魔導鏡だった。

その表面には、今まさに夜会場へ立つエドバードとマリアの姿が映っている。

映像の中の魔導鏡に、映像を見ているエドバードが映る。

鏡の中へ鏡が続く奇妙な光景だった。


『お知らせいたします!』


ジョンの声が、王都の映像とともに大広間へ響く。


『現在、この特別実況は王都魔導通信網を通じて、各所へ絶賛配信中です!』


「配信だと?」


エドバードは天井の双響鏡を睨んだ。


『中央広場、東西の市場、官庁街、王立騎士団本部、各学園寮、商業組合、及び認可済みの民間魔導鏡へ接続されています』

『推定視聴者数を算出します』


王都の地図が空中へ浮かび、光の点が次々と灯る。

その数は瞬く間に増えていった。


『現在の推定視聴者数、八十二万四千百三十二名です』

『驚異の視聴率だぁぁ!』

『王都人口の九割を超えています』


「九割?」


マリアの声がかすれた。


『なお、残る一割の大半は、就寝中の乳幼児と、山間部への出張者です』

『起きている者は、ほぼ全員が見ているぅ!』


会場の若者たちは顔を見合わせた。

一部の者は、自分たちの狼狽する姿まで全国規模で映っているのではないかと気づき、慌てて背筋を伸ばす。

エドバードは別の意味で姿勢を正した。


「そういうことか」


彼の顔に、なぜか自信が戻る。


「民は俺の勇姿を見るために集まったのだな」


『現在、中央広場で最も多く使用されている呼称は、金無しカボチャです』


「その言葉を口にするな!」


『事実の集計です』


「では、俺を支持する者もいるはずだ!」


『簡易感情分析を実施します』


市民たちの声と表情が解析され、三つの数字が表示される。


《エドバードを支持する・二パーセント》

《支持しない・九十三パーセント》

《何が起きているのか分からない・五パーセント》


『支持率二パーセント!』

『開幕前の想定を大きく下回りました!』


「二パーセントもいるではないか!」


『支持者の内訳を確認します』


映像が切り替わる。

酒場の片隅で、顔を赤くした酔客が魔導鏡を見上げていた。


『王子様、頑張れぇ! 俺は何があっても王子様の味方だぁ!』


隣の客が尋ねる。


『ところで、今映っているのは第二王子か?』

『第一王子です』

『第一王子なんていたのか?』


映像が再び切り替わる。

エドバードが個人的に雇った劇団員たちが、気まずそうに小さな旗を振っている。


『契約上の応援義務を履行しています』

『純粋な支持者は、ほぼ確認できません!』


エドバードの顔が再び赤くなった。


「放送を止めろ!」


『停止権限は所有者にあります』


視線がレティシアへ集まる。

彼女は新しい紅茶を飲みながら、王都の映像を眺めていた。

中央広場の魔導鏡は、想定通り安定している。

通信遅延は一秒未満。

各中継器の魔力消費も許容範囲だった。

三か月にわたる調整が無駄にならず、内心では安堵している。

もっとも、その感情が表情に現れることはない。


「止めろ、レティシア!」

「なぜでございましょう?」

「これは王家に対する反逆だ!」

「司法上の記録を、認可された通信設備へ接続しているだけでございます」

「王都中へ流す必要などない!」

「王族による不正の告発ですもの」


レティシアは微笑んだ。


「証人は、多い方がよろしいでしょう?」


エドバードが息をのむ。

そこでようやく、彼女の狙いを理解したらしい。

この告発が夜会場の中だけで行われていたなら、王家は騒動を内々に処理できた。

招待客へ箝口令を敷き、双響鏡の記録を封印し、エドバードの失態を「若者同士の恋愛問題」として片づけることも可能だっただろう。

国庫流用についても、王子の教育不足を理由に責任者を処分し、本人を守ったかもしれない。

しかし、今や八十万人以上の国民が証人である。

誰が何を言ったのか。

どの予算が何へ使われたのか。

全てが同時に共有されている。

八十万人分の記憶を、王家の権力で消すことはできない。


「最初から、これが目的だったのか」


エドバードの声には、初めて明確な恐怖があった。


「私の目的は、事実を公にすることだけでございます」

「俺を辱めるためだろう!」

「事実を述べることのどこが悪逆なのでしょう?」


レティシアは穏やかに問い返した。

エドバードは答えられない。

その代わり、天井へ指を突きつけた。


「衛兵!」


大広間の壁際に控えていた近衛騎士たちが、一斉に姿勢を正す。


「今すぐ、あの魔道具を破壊しろ!」


誰も動かなかった。

近衛騎士たちは困惑したように視線を交わす。

エドバードは苛立ち、足を踏み鳴らした。


「聞こえなかったのか!」


近衛隊長が一歩前へ出た。


「命令は承りました」

「ならば従え!」

「お断りいたします」


会場がざわめいた。

エドバードの目が見開かれる。


「俺は第一王子だぞ!」

「存じております」

「王族への命令拒否が、どのような罪になるか分かっているのか!」

「司法上の証拠物件を破壊する命令へ従った場合、証拠隠滅への加担となります」


隊長の声は硬かった。


「双響鏡は司法局の認可を受け、現在の記録は正式な証拠保全手続きの対象となっております」

「そんなものはレティシアが勝手に――」


『司法長官の許可証を再表示します』


セネカが書類を映し出す。

先ほど見せられたものと同じ、真正な公文書である。


「ならば、俺自身が壊す!」


エドバードは壇上近くに置かれていた装飾用の長杖をつかんだ。

天井へ向けて振り回す。

もちろん、数メートル上空に浮かぶ双響鏡へ届くはずがない。


『王子、自ら証拠隠滅に挑戦!』

『未遂であっても心証は悪化します』


「降りてこい!」


『証拠物件に対する攻撃を確認しました』


双響鏡が天井付近を滑るように移動する。

エドバードは長杖を手に追いかけた。

双響鏡が右へ逃げれば右へ。

左へ逃げれば左へ。

大広間の中央で、王子が銀球を追い回す奇妙な追跡劇が始まった。


『王子、逃げる証拠を猛追!』

『追えば追うほど、新たな問題行動が記録されます』

『しかし止まれない!』

『感情が理性を完全に追い越しました!』


エドバードは投げ上げた長杖を空振りし、勢い余って一回転した。

床へ倒れる寸前で踏みとどまったが、白いマントを自分で踏み、後ろ向きに尻餅をつく。

中央広場の映像から、爆発的な笑い声が届いた。

王都の酒場では、客たちが机を叩いている。

商人たちは早くも新商品の相談を始めていた。

その中でも仕事の早いパン屋は、焼き上がったパンの端を二つ袋へ入れ、「王子の個人資産」と名づけて店先へ並べている。

値段は銅貨一枚。

それでも誰も買わず、見物客は写真用魔道具で記録するだけだった。


『王都西区のパン店で、関連商品の販売が始まりました!』

『事実関係に一部誤りがあります』

『どこですか?』

『現時点の殿下は、パンの耳二個すら所有していません』


『商品名の方が、王子より裕福だぁ!』


エドバードは床に座ったまま震えていた。

マリアは他人のふりをするためか、会場の端へ少しずつ移動している。

しかし桃色のドレスがあまりにも目立つため、隠れることには成功していない。



王都南区では、古びた集合住宅の一階に人々が集まっていた。

部屋の壁には、近所の酒場から借りてきた小型魔導鏡が置かれている。

昨年の洪水で家財を失った老女は、画面に映る桃色の首飾りを見ながら唇を結んだ。


「あれが、私たちの石垣だったのかい」


隣に座る青年が拳を握る。


「今年も大雨が来たら、また水に浸かります」

「王子様は、知らなかったのかねえ」

「七回も警告されたそうです」

「そうかい」


老女は静かに息を吐いた。


「知らなかったんじゃないね」


王立孤児院では、子供たちが雨漏りの跡が残る天井の下で魔導鏡を見上げている。

院長は子供たちを寝かせようとしたが、誰も部屋へ戻ろうとしなかった。

一人の少年が尋ねる。


「院長先生、僕たちの屋根は、あのお姉さんのドレスになったの?」


院長は答えに詰まった。


「そういう言い方は、よくありません」

「でも、本当なんでしょう?」

「……ええ」


少年は魔導鏡の中のマリアを見た。


「似合ってないね」


院長は叱ろうとして、結局は何も言わなかった。


北方騎士団の王都詰所では、冬季任務から戻った騎士たちが集まっている。

凍傷で耳に強い火傷を負った兵士は、マリア専用馬車の豪華な内装費を見て笑った。


「俺の耳は、あの座席より安かったらしい」


笑い声は乾いていた。


それらの声と感情は、双響鏡の通信網を通じて記録されていく。

夜会場にいる貴族たちも、王子の浪費が単なる数字ではないと理解し始めていた。

予算の向こうには、人間がいる。

奪われた金額の分だけ、先送りされた暮らしがある。



「レティシア様」


エミリアが小声で呼びかけた。


「本当に、偶然の接続なのですか?」


レティシアは彼女を見た。


「双響鏡は古代規格で作られております」

「ええ」

「現代の魔導通信網は、その古代規格を参考に構築されました」

「つまり、接続できることをご存じだったのですね」

「三か月ほど前に、仮説を立てました」

「王都中の通信設備を、お一人で調整なさったのですか?」

「まさか」


レティシアは微笑んだ。


「各設備の定期点検に合わせ、必要な部品の交換を申請しただけですわ」

「その部品が、双響鏡と通信網をつなぐものだったのですね」

「偶然、適合する規格であったようです」

「偶然」


エミリアはその言葉を繰り返した。

レティシアは紅茶を一口飲む。


「偶然とは、十分な準備を整えた者にだけ訪れるものですわ」


その指先が、テーブルクロスの陰でわずかに動いた。

広域通信の出力が一段階上がる。

王都外縁部の魔導鏡まで、新たに接続された。

ジョンの声が嬉々として響く。


『視聴地域、さらに拡大!』

『通信出力に人為的な調整を検出しました』


レティシアの指が止まる。


「セネカ」


『詳細については秘匿します』


「結構です」


エミリアは何も聞かなかった。

知りすぎないことも、友情の一つである。



エドバードはようやく床から立ち上がった。

乱れた髪を手で整え、破れかけた威厳をかき集める。


「この放送は無効だ!」


彼は誰にともなく叫んだ。


「王家の許可を得ず、王族の姿を民へ見せるなど許されない!」


『王立学園卒業夜会は、例年、開会式のみ公式配信されています』

『今年は、その回線が継続しているだけです』


「ならば回線を切れ!」


『通信管理局へ停止命令を出す権限は、国王、宰相、及び司法長官にあります』


「俺は次期国王だ!」


『現国王ではありません』


エドバードは歯を食いしばった。

そのとき、大広間の外が急に騒がしくなった。

複数の靴音が廊下を近づいてくる。

一人や二人ではない。

武装した近衛騎士と、高位官僚を伴う足音である。

閉ざされていた大扉が、外側から激しく開かれた。

金色の刺繍を施した外套が翻る。

先頭に立っていたのは、グラディス国王だった。

その顔は、熟した林檎どころではない。

怒りのあまり、首筋まで真っ赤に染まっている。

国王の後ろには、表情を失った王妃がいる。

さらに財務大臣、司法長官、近衛騎士団長、王宮侍従長が続いていた。

誰もが、今にも倒れそうなほど青ざめている。

国王は大広間を見回した。

倒れた長杖。

乱れた絨毯。

壁一面の会計資料。

桃色の首飾りを隠すマリア。

そして、決めポーズを立て直そうとしている息子。

国王の額に、太い血管が浮かんだ。


「エドバードォォォッ!」


大広間全体が震えた。

エドバードは反射的に背筋を伸ばす。


「父上!」


ジョンの赤金色の輪が、歓喜に満ちて回転した。


『来ましたぁぁ!』

『王都各所の賭けで一番人気!』

『国王陛下、怒りの会場乱入が見事に的中しましたぁぁ!』













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