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第十二章 侵入計画、最初から全て実況されています

帝都北部にある警備局作戦室の中央には、巨大な立体地図が浮かんでいた。

光で形作られた街道の上を、二つの赤い点がゆっくりと進んでいる。

一つはエドバード。

もう一つはマリア。

本人たちは帝国の追跡を鮮やかに振り切っているつもりだが、国境へ提出した偽造通行証に魔力署名が残っていた。

エドバードの魔力署名は、グラディス王国第一王子だった頃に正式登録されている。

双響鏡が司法記録と国境管理記録を照合した結果、彼の偽名は、門を通過した時点で用をなさなくなっていた。


「現在地は?」


ルークが尋ねる。

警備局長は地図の一点を指した。


「帝都から西へ二十二キロの宿場です」

「同行者は?」

「元男爵令嬢マリア・ローゼンジで間違いありません」

「偽造業者との接触記録は?」

「三名を確認しております」


警備官が資料を卓上へ並べる。


「通行証を販売した男、その男へ用紙を流した国境管理局の下級官吏、そして帝都側で二人を受け入れる予定の運び屋です」

「運び屋の目的は?」

「エドバードを利用して外交問題を起こし、その混乱に乗じて押収品を国外へ持ち出す計画かと」

「元王子を煙幕にするわけですか」


レティシアは資料へ目を通しながら呟いた。

エドバード自身が組織犯罪を計画できるとは考えにくい。

だが、彼は派手で、目立ち、予測不能で、警備の注意を引きつけるという一点において、極めて優秀だった。

本人が価値を理解していない囮ほど、犯罪者にとって扱いやすいものはない。


「今すぐ拘束するのは容易です」


警備局長が言う。


「ただし、運び屋と内通官吏が逃走する可能性があります」

「予定どおり、二人を帝都近郊まで誘導する」


ルークは立体地図へ手を伸ばし、赤い光点から宮殿へ至る経路をなぞった。


「組織側が動いた時点で一斉に押さえろ」

「承知しました」

「ただし、宮殿内へは入れないように」


その言葉へ、レティシアが顔を上げる。


「殿下」

「何だ」

「今、最後の指示だけ、実現しないような予感がいたしました」

「奇遇だな」


ルークは真顔だった。


「私もだ」


『過去の行動傾向を分析した結果、対象者が想定外の経路で宮殿へ到達する確率は六十八パーセントです』


「高すぎませんか?」


『エドバード氏には、本人の不利益となる偶然を引き寄せる特異な傾向があります』

『才能です!』

『褒めてはいません』


ジョンの赤金色の輪が地図の周囲を勢いよく回った。


『しかし皆様、ご安心ください! 今夜の舞台は既に整いつつあります!』


「舞台ではない」


警備局長が訂正する。


『おっと、警備局長から早くも厳しいツッコミが入りました!』


「作戦会議です」


『正式名称は?』


「不法侵入者誘導作戦」


『長い!』

『元王子侵入ツアーよりは適切です』


「後者は誰が考えた」


ルークが尋ねる。


『私です!』


「却下だ」


ジョンの輪が目に見えてしおれた。

レティシアは立体地図へ視線を戻す。


「二人が宮殿を目指すなら、西側の旧庭園を通る可能性が高いでしょう」

「理由は?」

「一般向けの観光案内図では、旧庭園から皇族居住区まで直線で結ばれております」

「実際は?」

「迷路と池を迂回するため、正門から入るより遠回りです」

「案内図を正しく読めると思うか?」


ルークの問いに、会議室が静まり返る。

誰も答えなかった。


「読み違えることを前提に、両方向へ警備を置きましょう」


レティシアの提案に、警備局長が頷いた。


「拘束手段はいかがいたしますか?」

「非致死性を徹底してください」


彼女の返答に迷いはない。


「軟泥式拘束区画、粘着網、睡眠香、低出力の麻痺結界を配置します」

「対象者が元王族である点は?」

「考慮する必要はありません」


ルークの声が冷たく響く。


「既に廃嫡されている以前に、国境を越えて罪を犯す者を血筋で扱い分ければ、法そのものが腐る」

「承知しました」


警備局長は姿勢を正した。


「では、法に基づき、他の不法侵入者と同様に扱います」


レティシアは隣に立つルークを見た。

彼は彼女の過去を利用し、外交上の優位を得ることもできた。

元王子を見せしめにし、グラディス王国へ圧力をかける選択肢もある。

だが、ルークは最初から、エドバードを特別な駒として扱っていない。

罪を犯した一人の人間として、法の前へ立たせようとしていた。

その厳格さは、復讐よりはるかに信頼できるものだった。



会議が終わる頃には、帝都へ夜の帳が下りていた。

警備官たちが慌ただしく退出した後、レティシアは作戦室へ残り、立体地図の赤い点を見つめていた。

ルークも急かすことなく隣へ立っている。


「申し訳ございません」


彼女の言葉へ、ルークは眉を寄せた。


「何について謝っている」

「私に関係する者が、帝国の国境を侵し、これほど大がかりな作戦を必要とする事態を招きました」

「彼は君の所有物か?」

「いいえ」

「君が帝国へ侵入するよう命じたのか?」

「まさか」

「偽造証明書を用意したのも君ではない」

「当然です」

「ならば、君が謝る理由はない」

「ですが、彼の目的が私である可能性は高いでしょう」

「それでも、犯罪を選んだのは彼だ」


ルークは机へ片手を置いた。


「レティシア」


いつもの合理的な声音より、少しだけ低い。


「君は、問題が起きるたびに自分の責任範囲を広げる」

「それは――」

「王国の財政が傾けば、自分の管理が足りなかったと考えた」


彼女の言葉を遮った声に、責める響きはなかった。


「エドバードが書類を読まなければ、自分の説明が不十分だったと思った」

「……」

「倒れるまで働いても、休む前に謝罪した」


否定できるものは一つもない。

レティシアは手袋をはめた指を重ねた。


「私がもっと早く、彼の性質を正すことができていれば――」

「できない」


ルークは断言した。


「人間は帳簿ではない」


鋭い言葉なのに、不思議と痛くはなかった。


「誤りを見つけたからといって、君が赤字を入れれば修正されるものではない」

「……少々、耳が痛うございます」

「痛いなら、覚えてくれ」


ルークは彼女へ向き直った。


「一人で全てを片づけようとするな」

「殿下」

「今は私たちがいる」


私、ではない。

私たち、と彼は言った。

皇太子だけでも、警備局だけでもなく、帝国そのものを含む言葉だった。

レティシアは、帝国へ来てまだ長い月日を過ごしたわけではない。

それでも、研究院には彼女のための机があり、議会には彼女の発言を待つ人々がいて、食堂の給仕は紅茶の好みを覚えている。

警備局の者たちは、彼女の問題だから協力するのではない。

帝国の一員へ向けられた脅威として、当然のように対処している。


「私たち、でございますか」

「不満か?」

「いいえ」


レティシアの唇に、穏やかな笑みが宿った。


「とても心強く存じます」


その笑みを見たルークの表情が、ごくわずかに緩む。

双響鏡の赤金色の輪が激しく明滅しかけたが、青銀色の輪が横から押さえ込んだ。

『今です、殿下!』と叫びたそうな光り方だったものの、音声は出なかった。

セネカによる強制消音措置である。



一方、帝都西側の宿場町では、カボチャ商人夫妻が深刻な問題へ直面していた。


「金がない」


エドバードは革袋を逆さにした。

机の上へ落ちたのは、小さな銅貨二枚とパン屑だけである。


「知ってる」


マリアは寝台へ横たわり、盗んできた毛布へくるまっていた。


「なぜこれしかないのだ」

「偽造通行証を買ったからでしょ」

「君が値切らなかったからだ」

「値切ったわよ」

「いくらだ」

「最初は銀貨百枚って言われたのを、九十八枚にしてもらった」

「二枚しか減っていないぞ!」

「相手が頑固だったの!」

「君は交渉が得意ではなかったのか?」

「宝石店でおまけをつけさせるのは得意よ」

「それは交渉と言うのか?」

「殿下よりは得意」


エドバードは言葉に詰まった。

宿代は既に払っているが、明日の食事代はない。

帝都まで歩けば一日。

空腹に耐えれば、到着は可能だろう。


「問題ない」


エドバードは椅子から立ち上がった。


「帝都へ着きさえすれば、レティシアが全て用意している」

「何を?」

「俺を迎える馬車、衣装、晩餐、謝罪の言葉だ」

「最後のはいらないから、晩餐だけほしいわ」

「君は少し食べることから離れろ」

「芋四本しか食べてないのに」

「今日だけで固焼きパンも三枚食べただろう」

「殿下が数えるから、食べた気がしないのよ」


翌朝、二人は宿場を出た。

街道を徒歩で進むつもりだったが、森の入口で例の商人の仲間を名乗る男が待っている。

男は帝都の下水整備業者の札を首から下げ、幌馬車を用意していた。


「宮殿近くまで運んでやる」

「気が利くではないか」


エドバードは疑いもなく乗り込んだ。


「さすがは、俺の威名を知る者だ」

「代金は?」


マリアだけは重要な点を尋ねる。


「いらねえよ」

「無料?」

「ああ」


無料という言葉を聞いた瞬間、彼女の警戒心は消えた。


「この人、いい人ね」

「分かるのか?」

「無料の人に悪い人はいないわ」


後世の倫理学者が聞けば、頭を抱えそうな断言だった。

男の狙いは、二人を宮殿西側まで運び、警備が騒いでいる間に地下水路から密輸品を持ち出すことにある。

その密輸品には、帝国研究院から盗まれた古代魔道具の部品も含まれていた。

だが男は知らない。

出発した瞬間から、上空を帝国警備局の偵察鳥型魔道具が飛んでいる。

さらに、彼の背後を商人に扮した騎士が三組も追っていた。

監視は私室を覗くものではない。

公道上の犯罪捜査として、司法官の令状に基づき実施されている。

双響鏡はその記録を受け取り、宮殿警備隊へ位置情報を伝達していた。


『対象者、帝都西門を通過!』


宮殿内の詰所へ、ジョンの声が鳴り響く。


『カボチャ商人夫妻、順調にこちらへ近づいております!』

『作戦対象を野菜で呼ぶのはおやめください』

『通行証にそう書いてあります!』


警備兵たちは、笑ってはいけないという使命感から、誰もが妙に険しい顔をしていた。

隊長が配置図を広げる。


「第一班は旧庭園北側」

「了解」

「第二班は南の荷物搬入口」

「了解」

「第三班は偽造業者の摘発へ回れ」

「了解」


『本日深夜、元王子侵入ツアーを開催いたします!』


「開催しない!」


隊長の怒声が詰所を震わせた。


『おっと、名称案が再び却下されたぁ!』

『警備上の正式名称は、不法侵入者誘導作戦です』

『やはり長い!』


緊迫と脱力が同時に存在する中、宮殿の警備網は着実に閉じていった。



深夜。

月が雲へ隠れた頃、エドバードとマリアは宮殿西側の森へ到着した。

二人は幌馬車を降り、侵入用の衣装へ着替える。

マリアは黒い上着とズボンを選んだ。

エドバードは、開拓地から持ち出した赤いマントを肩へ留める。

その縁には金糸を模した黄色い糸が縫いつけられ、夜目にも鮮やかだった。


「何でそれを着るのよ!」

「英雄の帰還には威厳が必要だ」

「夜陰に紛れるんじゃなかったの!?」

「闇の中でも、レティシアが俺を見つけられるようにしている」

「見つかったら駄目なのよ!」

「彼女にだけは見つけてもらう必要がある」

「どうやって見分けさせるのよ!」

「愛だ」

「便利な言葉ね!」


二人は口論しながら城壁へ近づいた。

見張り塔には誰もいないように見える。

実際には、弓兵が石壁の陰で待機しており、魔導通信を通じて二人の言葉まで聞いていた。

あまりの堂々たる間抜けぶりに、誰も矢をつがえる気になれない。


「ここから入るぞ」


エドバードが壁際の蔦をつかむ。


「登れるの?」

「王立学園の剣術試験で、城壁攻略の型を学んだ」

「型だけで登れる?」

「無論だ」


彼は蔦へ足をかけ、勢いよく身体を持ち上げた。

蔦が根元から外れる。


「ぬおっ!」


背中から地面へ落ちる寸前、マリアがマントを引いた。

赤い布が首へ食い込み、エドバードは苦しげな声を上げる。


「し、絞まる!」

「助けてるのよ!」

「首を絞めているようにしか感じぬ!」

「文句を言うなら手を離すわよ!」

「待て!」


壁上の警備兵たちは、声を立てずに肩を震わせていた。

二度目の挑戦で、エドバードは排水管を利用することを思いついた。

今度は半分まで登る。


「見たか、マリア!」

「上で言って!」

「俺に不可能は――」


排水管が外れた。

大量の雨水が頭上から降り注ぐ。


「ぶはっ!」


『おっと、元第一王子、登頂前に清めの水を浴びたぁぁ!』


突然、夜空から大音声が降ってきた。

エドバードの動きが止まる。


「この声は!」


城壁、庭園、見張り塔。

周囲の魔導灯が一斉に点灯した。

闇は瞬く間に押し退けられ、赤いマントと濃い化粧が白日の下より鮮明に照らし出される。

空中には、赤金と青銀の二つの輪が展開されていた。


『さあ始まりましたぁぁ! 元第一王子エドバード選手による、許可なし帝国宮殿侵入競技!』

『そのような競技は存在しません』

『開始前から顔が割れております!』


「双響鏡……!」


マリアの顔から血の気が引く。


「どうして分かったのよ!」


『偽造通行証から登録済みの魔力署名を検出しました』

『職業欄はカボチャ商人!』


「何だと!?」


『同行者は、妻・カボチャ!』


「家名じゃなかったの!?」


『家名である可能性は0.01パーセント未満です』


城壁の陰から、警備兵たちの堪えきれない笑いが漏れた。

エドバードは濡れた髪をかき上げ、空中の双響鏡へ指を突きつける。


「卑怯だぞ、レティシア!」


『何がでしょう?』


「俺の到着を予測して、このような演出を用意するとは!」


『自意識過剰率が測定上限へ到達しました』

『新記録です!』


「姿を見せろ!」


エドバードは宮殿へ向き直った。


「レティシア!」


声が夜の庭園へ響き渡る。


「俺が来たぞ!」


宮殿三階の窓辺で、レティシアは紅茶を一口飲んでいた。

隣にはルークが立ち、手元の記録帳へ何かを書き込んでいる。


「聞こえたか、レティシア!」


窓が静かに開いた。

レティシアは眼下の元王子を見下ろす。

美しい顔には怒りも恐怖もなく、ただ、処理予定になかった書類を追加された官僚のような疲労が浮かんでいた。


「来なくて結構です」


『明確な入場拒否が出ましたぁぁ!』

『なお、宮殿への招待記録も存在しません』


エドバードは胸へ手を当てる。


「強がる必要はない!」


レティシアはカップを受け皿へ戻した。

澄んだ音が、夜気へ響く。

それは三か月前、王国の夜会場で歴史的実況が始まった時と、まったく同じ音だった。

エドバードの頬が引きつる。


「さあ」


レティシアは微笑んだ。


「始めていただきましょう」


『承知しましたぁぁ!』


庭園全域の魔導灯が、さらに明るさを増す。


『エドバード選手、帝国宮殿への無許可挑戦!』

『現時点での成功確率は、一パーセント未満です』

『残る一パーセントに、本人だけが全財産を賭けているぅ!』

『なお、全財産はほぼありません』


「余計なことを言うな!」


エドバードは叫び、庭園へ走り出した。

その後をマリアが追う。

彼らの前方には、旧庭園の迷路と、軟泥式拘束区画と、待機する警備兵たちが待っている。

背後では、偽造組織を摘発する騎士団が動き始めていた。

侵入計画は、始まる前から終わっていたのである。






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