しずくが輝くとき
別日。来條が住んでいる集会所のホールには、修復されたマリンバが置かれていた。集会所の窓から差し込んだ光が、クリスタルに反射して、透明のマリンバがキラキラ輝く。
「こうしてホールに置くと、一段と綺麗だね」
「でしょう。早くこのマリンバが奏でる音、聞きたいな」
そのためには、一番の難関が待っている。
「ここなさーん。約束どおり、来ましたよーー」
集会所の入り口から、しずくの声が聞こえた。
「しずくさんに僕、睨まれるかな……」
「怒りはするだろうね」
ここなが楽しそうに笑う。案の定、ホールに入ってきたしずくは、修復されたマリンバを見て、声をあげた。
「マリンバが修復ってる?ど、どういうことですか!聞いていないです!」
「しずくさんに内緒で、僕が修復士さんにお願いしたんだ」
「結人さんが?た、対価はどうしたんですか?」
「それは、これから……考える」
「え!?」
僕はしずくの返事を曖昧に濁す。
「ね!しずく。せっかくなおったんだし、こないだ葵ちゃんたちに聞かせていた曲、奏でてみない?」
「葵ちゃんたちに聞かせた曲ですか?でもそれより、あの時、葵ちゃんたちが弾いていた曲!私、そっちを弾いてみたいんですよ!」
「僕の世界の曲を?」
「はい!葵ちゃんたちの演奏曲、とっても頭に残っていて……」
しずくはマリンバに近づき、音を奏で始めた。僕の馴染みのあるメロディーがホールに響いていく。楽器がそもそも違うから、葵たちが奏でていた音色とは雰囲気が変わるけれど、あの時の楽しさが伝わってくるそんな音色が周囲を包み込んでいく。
「一度聞いただけなのに、こんなに弾けるものなんだ」
「しずくは耳がいいんだよね。吸収力も早いの。私よりも結構手先が器用なんだよ」
ここなが、姉らしい目でしずくを見つめる。マリンバを楽しそうに引いているしずくは、念願のおもちゃを手に入れた子供のように演奏に夢中になっていた。その顔はとても可愛らしい。
しずくが演奏に聞き入っていると、集会所に人が入ってきた。その人の数は、だんだんと一人、二人と増えてきて、彼らは思い思いに、マリンバを囲んで椅子を並べ始めた。集まってきた人達の中には、こないだ住居スペースで見かけた人もいる。
「え……?なんで、家族が来ているんですか?」
人が集まってきていることに気付いたしずくが、キョトンとその場で固まった。この起きている事態を理解していないのは、おそらくしずくだけあろう。
「お集まりの皆さん。今日はありがとうございます。演奏が始まるまでにはまだ時間がありますので、ゆっくりしていてください」
ホールに入ってきた来條が集まった人達に挨拶し始める。
「会場の準備するだろう?手伝うよ」
「せっかくのしずくの晴れ舞台だから、しっかりと準備しないとね!」
今、集まってきてくれた人達は、どうやら手伝いに来てくれた人達のようだ。
「どういうことですか!ここなさん、結人さん!」
しずくが僕らのところにやってきて、小さな声を出し、僕たちを睨んでくる。しずくは周囲の様子から、これから何が行われるのか気付いてしまったようだ。
「しずく、ちょっとあっちに行こうか」
ここながしずくにそう声をかけて、僕らはホールから出て、集会所の奥にある面会室に向かう。面会室の扉を閉めると、
「聞いていません!」
と、しずくは怒りの声をあらわにした。
「しずくさん、ごめん。僕が来條さんにお願いした」
「何をですか!」
「しずくさんのリサイタルを開催してほしいって」
「………っ!!」
しずくが驚愕の顔で引きつる。まぁ、予想はしていた。それは怒るだろう。睨まれるだろう。だけど、これまでに、しずくのちょっと頑固なところを見ていた僕は、事前に説得するよりも、その場を作ってしまった方が良い気がしたのだ。
だってしずくにはリサイタルを成し遂げられる実力が備わっていると確信した。しずくの部屋で聞いた日も、葵たちに合った日も、どちらもしずくの演奏は素晴らしかったのだから。
「しずくさん。今日のリサイタルで、マリンバを演奏してくれませんか?」
僕はしずくに頭を下げてお願いする。
「……そんな、私には人前で弾くなんて、まだ無理です」
「大丈夫だよ。今日は来條グループだけのリサイタルなんだから。みんな家族のようなものでしょう。肩肘をはらなくていいから」
ここながしずくの肩を撫でる。
「でもだけど、住居スペースが違う人も居ますから、普段顔を合わさない人がいっぱいいますし……」
来條グループというのは大きな家族の括りなのだろう。前回、ここなたちが暮らしている住居スペースに訪れた時、ここなの建物の他にも、周りにいくつかの建物があった。今日集まってくれている観客はそこに住んでいる人達なんだろうなと察した。
「こないだ葵ちゃんの演奏会に行った時、しずくは本当に楽しそうに楽器を演奏していたと思う。そうでしょう?しずく」
「それは本当に楽しかったです。私が葵ちゃんくらいの時、あんな風に楽器を演奏していたことを思い出して、みんなと音を合わせるのが嬉しかったし、ただただ楽しかったです」
「今日もその思いのまま、演奏すればいいの」
「その思いのままですか?」
「そうよ。さっきも楽しそうに弾いていたじゃない」
しずくはここなにそう言われて、ハッと何かに気付いたようだった。
「そういうことだったんですね。ここなさんも、結人さんも、隼人さんも。あれは、私のために動いてくれていたんですね」
しずくは僕たちが葵の吹奏楽サークルに連れて行った意味を理解したようだ。しずくは、一度うーんと唸ったけれど、その後、ふぅっと大きく息を吐いた。
「仕方がないですね。身内だけですし、気楽に弾きます」
しずくは演奏することを承諾してくれた。だけど……。
「南と奏がいる」
リサイタル開始直前、観客席に友人がいることに気付いたしずくは、舞台袖で足をすくめた。演奏会の主役としてドレスを身にまとい、後は舞台に立つだけだったのに、しずくは下を向いて、ドレスのスカートをぎゅっと掴む。
事態の深刻さに気付いたここなが、オロオロし始めた。
「ご、ごめんね。二人は私が呼んじゃった」
だけど、二人を呼ぶことは必要だったと僕も思う。しずくが本当に向き合わないといけないのは、友人の二人なのだから。
「二人の前で、演奏なんてできない……」
しずくの手が震えていた。僕は、そんなしずくの肩をそっと支えた。
「できなくないよ。南さんや奏さんと自分を比べなくていい。しずくさんだからこそできる演奏がちゃんとある」
「そんな演奏、私にできるんですか?」
不安がっているしずくに、僕は真剣な声で答える。
「できるよ。しずくさんの演奏を初めて聴いた時、本当に素敵だと思ったんだ。綺麗で繊細で、しずくさんにしかできない演奏だって思った。上手に弾こうとか、二人に対抗しようとか、そんなことは考えないで。ただただ楽しく演奏しようって気持ちで挑んでみてほしい」
「ただ楽しく演奏すればいいのですか?」
「ああ。そうしたら、しずくさんにも、自分にしかできない演奏がどんなものか、きっと分かる」
ここなも、しずくの手をギュッと握った。そして真っ直ぐな瞳をしずくに向ける。
「しずくはずっとこれまで大好きな打楽器で、たくさんの音を奏でてきたでしょう?その積み重ねは、ちゃんとしずくの力になっているよ。しずくの個性になってる」
「本当……ですか?」
「「もちろん!」」
僕とここなは気付けば、揃って力強くそう答えていた。声が合ったことに僕たちが驚いて、目を合わせていると、しずくがそれを見て、ぷぷぷっと吹き出す。
「……二人がそう言ってくれるなら、間違いじゃないですね」
しずくはそう言って、僕たちに柔らかい緩んだ表情を見せてくれた。音楽を純粋に楽しんでいるときと同じリラックスした様子が見て取れた。もう大丈夫そうだと僕は感じる。
「しずくさん。楽しんで演奏してきて」
「私たちも一緒に楽しむからね」
僕とここなが微笑むと、しずくは力強く頷いた。
「分かりました。私、やってみます」
「うん」・「ああ」
僕とここなはまた同時に頷いて、しずくをちょっと笑わせた。しずくは拍手が喝采する中を、背筋を伸ばして堂々と歩いていった。
そしてしずくは、これまで聞いた演奏よりも遥かに魅了させる音を奏でていた。友達もいる大勢の前で、自分の作った曲を披露することもできた。
演奏終了後、拍手を浴びながら、瞳を潤ませ、顔いっぱいに広がる輝いた笑顔で、友達に手を振りかえす。
リサイタルの最後に、来條がマリンバの修復士を舞台に招いた。しずくにお礼をさせて、お互いに一言二言交わし、握手をする。これで双方の対価が完了した。
* * *
演奏会の後、しずくはマリンバを囲んで、友人や家族たちと、話に花を咲かせていた。僕はそれを見て心から安心する。しずくの笑顔。きっともう大丈夫だ。
「ここな。僕は先に帰るよ。家族たちとの時間を楽しんで」
「ありがとう、結人くん。そこまで送る」
僕たちが集会所の入り口の方へ歩き出すと、僕は来條に呼び止められた。
「結人さん。しずくのこと、今回はありがとうございました」
来條はそう言ってから、僕らに深く頭を下げた。
「そ、そんな。来條さんにもご協力をお願いしましたし……」
「いえいえ。いろいろ尽力をいただいたのは、結人さんとここなさんですから。おかげでしずくは吹っ切れたようですね」
来條につられて、しずくを見ると、しずくは友人である南と奏と一緒に舞台に立ち、楽しそうにマリンバを奏でていた。
「まだ子供でもあり、ですが、もうすぐ大人にもなるしずくに、忘れて欲しくない大切なことがあることに自分で気付いて欲しかったのです。だから厳しいことも言ったのですが、結人さんを頼ることになってしまいました」
来條は今回の事の経緯をよく知っているのだろう。
「読書会をしていただいた結人さんにはたいへん申し訳ないんですが、読書会をした後も、しずくの曲がそこまで変わっていなかったでしょう。しずくの曲は、読書会をする前から、本のイメージどおりに完成していたんです。
ですが、しずくは周りの目を気にし過ぎていました。こんな音楽では評価されない。こんな仕上がりだと馬鹿にされる。その思いがしずくを不安にさせ、ストーリーの中身を知ればもっと良くなるはずと拘ったんです。必要なのは周りの目を意識することや比較することではない。
自分の中に感じるそのままを、目には見えない自分の中にある思いや愛の表現を、大切にするということ。それがしずくには必要なことだったんです。私はそれを受け止めて欲しかったんです」
しずくは今日、自分が作曲した曲を披露することで、自分の中にある表現に自信を持てたんだと思う。そうなるまでには、勇気がいったし、怖かったと思う。
だけど、しずくは今回それが出来た。来條が望んでいたその第一歩をしずくは今日、自ら踏み出せたと思う。
マリンバを奏でながら、友人たちに満ち足りた表情ができているしずく。そんなしずくを僕たちは眺めて、嬉しくなった。
引き続き、ここまで読んでくださり本当にありがとうございます。
皆さまの応援がとっても励みになります!
しずくは元気を取り戻してくれたようです。
さて、残すは?
次回の更新は、本日12時の予定です。




