彼女の友人の本が消えた理由
それから僕たちはお互いに見える景色を説明し合った。
ここなたちは図書コーナーではなく、音楽の個人レッスン室に居るそうだ。これまでのことが腑に落ちる。僕らは見ている景色がまったく違うのだ。
ただ一つだけ、共通する一角があった。
それは、レッスン室の棚と図書コーナーの段ボールの棚の位置。
しずくの本はこの棚の中に置いておいたら、いつの間にか無くなっていたそうだ。今、その棚には何も入っていない。
「そういえばこの棚に、しずくの本ではないけれど、似たようなものが置いてあったことがあったよ。誰かの忘れ物かなって思って、そのままにしておいたんだ。それもいつの間にか無くなっていたけど」
ここなが首をかしげる。僕はふと、おかしな気付きを得てしまった。
近くにあった本を一冊、棚の中にそっと入れてみる。
「え!棚に何か現れたよ!」
ここなが驚きの声をあげた。しずくが寄ってくる。ここなは興奮を抑えられない様子だ。しずくの声は聞こえないが、目は驚きを隠せていなかった。
「来栖さん。ちょっとその本に触ってみて」
「え?いいの!?」
ここなの指がゆっくりとその本に触れる。そして引き抜かれていく。
僕の目にはここなの手が見えている。だけど、この手が見えないとしたら、本は浮いてみえるはずだ。
ここなの手に本が完全に収まった時、僕の視界からも、本は完全に見えなくなった。
忽然と消えては現れる。そして、浮く本。
図書コーナーの摩訶不思議現象の再現。
気持ちが昂るような、はたまた怖くて鳥肌が立つような何とも言えない気分になる。
「ここな。その本をまた棚に戻してみて」
「うん!」
ここなが本を棚の中に戻すと、僕の目の前の棚に本が再び出現した。僕はその本を取り出し、元の場所に戻す。
「あ!消えちゃった!」
なるほど。そういうことなのか。しずくの本が消えた理由はコレだ。
しかしこれが事実だとすると、しずくの本は学校の生徒の誰かが持っている可能性が高い。
「しずくさんの本だけど、僕の学校の生徒が持っていっちゃったかもしれない」
「結人くんのお友達?」
「友達じゃないよ。僕の知らない人。この棚がある場所は学校の図書コーナーだから、来栖さんの場所と違って、自由に本を持ち出せる場所なんだ。だから、しずくさんの本を誰が持っていったか特定するのは簡単じゃない」
高校の全校生徒数は数百人以上。貸出記録に記載せずに持っていく生徒だっているだろう。もしその場合、生徒全員に一人一人確認するのは厳しすぎるし、僕にそんな技量はない。
「学校のものなのに、誰が持っているか分からないの?」
「一応、管理はしているよ。だけど完璧じゃない」
「でも学校のものならば、必ず元の場所に戻すものでしょう?」
ここなの表情はキョトンとしている。元に戻さない生徒がこの世にいるはずもないと明らかに信じている目だ。
どうして見つけられないの?っとも、言われているかのようだった。策が何もないわけではない。そもそも何も動いてもいない。
僕に向けられるここなの無垢な瞳に、僕の心は揺れ動いた。
最初から音を上げるのはどうなのか。
ここなとしずくは、僕の学校の生徒に話しかけることはできない。それを助けられるのは僕しかいない。両方の存在が視える、この僕だけだ。
これまでの僕は、隼人以外の生徒に自ら進んで話しかけるということはしてこなかった。だけど、意を決する。
「しずくさんが探している本って青色なんだよね?」
しずくの本の特徴をしっかりとたたき込もう。そして、しずくの本を探し出してみせる。
「しずく、本は青色だったよね?」
しずくがここなに、何やら説明している。
「青色だって。表紙が青色で、裏表紙が緑色」
「裏が緑?本のサイズはどれくらい?」
「しずく、本のサイズってどれくらい?」
しずくが両指を使って、これくらいとサイズを作ってくれる。
そのしずくが示したサイズと、本が浮いた時に図書委員の生徒が抱えていた本のサイズが近かった。
「もしかしたら、あの本がそうなのか!」
「え?心当たりがあるの!?」
ここなが目を輝かす。僕はそれを抑えるように、ここなに真剣な目を返した。
図書委員が持っていた本は、図書室の本だ。図書委員が背ラベルを確認しないわけがない。
しずくの本を特定するには、私物だと分かるものも必要そうだ。
「本がしずくさんのものだと分かるような、証明できるようなもの、あったりする?」
「証明?しずくの本だって分かるようなもの?あの本はそもそも誰も持ってなくて、その『本』って呼ばれているもの自体も、その本しかないんだ」
「それ自体もその本しかない?」
「なんて言ったらいいのかな。あの本はしずくのおじいさんが元々は持っていたものなんだけど、あれと同じものを誰も作ることができないし、誰一人として持っていないの。だからこそ、特別で……」
同じものを誰も作れない。誰一人として持っていない。
それがどういうことなのかピンと来なかった。だけどそうなると、ここなたちにとってはかなり貴重なものだということは分かった。
そのうち、考え事をしていたしずくが、ここなに何か話しかけてきた。
「本の中に自分の名前を書いてあるの?」
しずくが頷く。なるほど、しずくの名前が書いてあるなら、本を特定するのに使えそうだ。
* * *
僕は隼人に図書委員の生徒を紹介して貰った。
自分から話したこともない生徒に声をかける。すごく緊張したが、その図書委員は親切に僕の質問に答えてくれた。
図書室に所蔵された摩訶不思議現象が起きた本は、小さな王子様が描かれた本だった。中を開くと絵が飛び出すように作られた仕掛け絵本。
ここなが言うように、絵を見ているだけで楽しめた。中の文章は子供が読めるくらい簡単な日本語。ここなたちはそんな日本語すら読めないということなのだろう。
残念ながら、図書室にあった本はしずくの本ではなかった。
図書委員に事情を話して貸出記録表を見せてもらう。
その本を借りたことのある生徒全員に声をかける。僕は、そんなもう一段階上のハードルを乗り越える羽目になったのだった……。
* * *
チャイムが鳴り終わるのを待ってから、僕は図書コーナーに向かった。
「結人くん!」
ここなは僕が来るのをまだかまだかと待っていたようで、姿が見えたと同時に、僕の名を呼ぶ。
「しずくの本あった?」
「あったよ」
持っていた本を段ボールで出来た棚に入れると、ここなが歓声を上げる。
「そう!この本だよ!」
「その本がちゃんとしずくさんの本か確認してみて」
「分かった!」
ここなが手を伸ばすと、棚の中から本は消えた。僕から見えなくなってしまったけれど、ここなの仕草を見れば実感できた。
ここなの目が潤んでいる。無事、ここなの手に、その本は戻ったのだ。
「間違いなく、しずくの本だよ。ちゃんと、しずくの名前が書かれてる」
「ああ。良かった」
これがしずくの本であることは確信していた。本の背表紙の裏には、明らかに僕が読めない文字が書かれていたから。今まで一度も見たことのない文字だった。
「しずくの本、見つけてくれて、本当にありがとう!」
ここなの潤んだ瞳と喜びに満ちた笑顔に、震えるような嬉しさを感じた。
「私ではどうすることもできなかった」
ここなのその言葉に重みを感じる。苦しいものではない。今回のことは確かに僕にしかできないことだと思うからこそ、大切にしたい重み。
「結人くんが居てくれて、本当に良かった。知り合いになれて、本当に嬉しい!」
温かくて。柔らかくて。全身を優しく包み込むようなそんな感覚が、僕を満たす。
ここなみたいに他の人には見えない存在は、ずっと僕を苦しめるだけだった。
それなのに、視えることが役立った。ここなを喜ばせることができた。
この体質のせいで、いろいろなことを諦めてきた。だけど僕は初めて、この体質があることを前向きに受け止めている。
「ねぇ、結人くん」
「ん?」
「結人くん、私のこと、ずっと来栖さんって呼んでるでしょう?」
「え?ああ」
「しずくのことは名前で呼んでるのに……」
「え…、それはしずくさんの苗字を知らな……」
ここながグイっと僕の近くに寄ってきて、顔を近づかせてくる。
「私のこと、ここなって呼んで!」
ここなの頬は少し赤い。そして僕の身体も熱くなってくる。
「ね?」
ここなの大きな瞳の圧が僕の心をかき乱す。
ここなと今、名前で呼ばないと、離れてくれない流れだ。
「こ、ここな……さん?」
「さんはなし!しずくより、私の方が結人くんとずっと一緒にいるんだから」
「……こ、ここな」
僕がそう呼ぶと、ここなはその響きにちょっと恥ずかしそうにしてから、満足そうに笑って僕から離れた。
「うん。それがいい」
僕の身体の火照りは未だ冷めそうにない。
「結人くんって、私にしか見えないんだよね?」
「ああ」
「これまで会話ができたの、私だけなの?」
そう聞かれて、こないだ見た夢のことを思い出す。あれは夢なのか、本当の記憶なのか。もしかしたら幼い時に誰かと話したことがあるかもしれない。だけど、ちゃんと覚えていない。
「今、こうしてちゃんと会話ができているのは、ここなだけだよ」
そう言うと、ここなはちょっと嬉しそうに笑った。
「えへへ。そうなんだ!結人くんと私だけの体験だね!なんか楽しいね!」
ここなの声がとても弾んでいて、僕はどことなく照れくさくなる。
他の人に見えない存在は、憂鬱なものだったのに、ここなと居ることは、楽しいことに変化していく。真反対の感情を僕に与えてくれる。
「こうして結人くんと仲良くなれたんだから、もっとお話したいけど、お互い友達や周囲の人から見えないとなると、どこで話すか考えちゃうね。
私は別にどう思われてもいいんだけどね。しずく曰く、見えない方が私に気を使うことになるんだって。そう言われちゃうと、しずくたちに毎回気を遣わせるのは本意じゃないもんね」
見えない方が気を使う?ここなのその発言は僕の中にはなかった考えだった。
僕がずっと気を使ってきたんだと思っていた。だけど実はそうじゃない?
僕はただ自分のことばかり考えていただけで、周囲の人たちの気持ちなんて、考えてこなかった。
母の気持ちを考えてみた。母はずっと僕に優しい。そしてふと、隼人のことも頭に浮かんだ。
いつも元気に楽しそうに僕に話しかけてくれる隼人。
だけど僕が体質のことを隠した時、時折みせたことがある心配そうな、困ったような表情。
「ねぇ、結人くん。シントウ神社って聞いたことある?」
「シントウ神社?」
僕の住んでいる地域には神社が一つだけある。
それは学校からずっと南側に向かったところで、この地域の大きな河川敷を歩いていくとたどり着く。
だけどそんな名前だっただろうか。
「確か、『シンドウジンジャ』だった気がする。その神社ならあるけど」
神道神社。昔からある古い神社だ。
「シンドウジンジャ?ちょっと呼び方が違うんだね」
「その神社がどうかした?」
「私に起きている不思議なことをね。しずくがおじいさんに相談したらしいの」
「そうなんだ」
「そしたらね、その神社の名前を教えてもらったの」
「その神社なら周囲に気を遣わずに話せるかもしれないの?」
「それは行ってみないと分からないんだけど、結人くんとその神社に一緒に行ってみたいと思って」
「いいよ。神道神社に一緒に行こう」
僕らはその神社に行く日と時間を決めて、そしてそこで会えなかった時は、僕の自宅の前で落ち合う約束もした。
その時、僕はここなとの話に夢中になりすぎていて、図書コーナーの近くで誰かが潜んでいたことに、まったく気付いていなかった。
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