彼女の相談事
僕と再会できたことを素直に喜んでいる彼女の顔は、とても可愛い。
だけど相手は得体のしれない存在ではあるから、心は複雑。
「……き、聞きたいこと?庭や先生のことならあれ以上は……」
「ううん違うの。本のことなの」
「本?」
「友達の本がずっと見つからなくて、いろいろな人に聞いて回っているんだけど出てこないの。その本があった場所の近くに結人くんが居たから、もしかしたら何か見てないかと思って」
本と言われて思いつくのは図書コーナーだ。
本が浮いた騒ぎがあった時、そういえばここなはあの棚を眺めていた。もしかしてあの棚の中に、その友達の本があったのだろうか。
だけど友達の本っていうのは変だ。あそこにあった本は全て学校の図書室の所蔵書だ。個人の本がそこにあるというのはどういうことだろう。
「タイトルは?」
「タイトル?」
「本の題名。表紙に書いてあるやつ」
ここなが困った顔をする。
タイトルを覚えていないのだろうか。
「本に何か書いてあるのは知ってるけど、私も友達もなんて書いてあるか読めないの」
「読めない?」
「知らない文字なんだ」
知らない文字。日本語ではないということだろうか。
「あ!でも本の色は覚えているよ!可愛らしい絵が書かれていて青色なの!」
「青色」
「中はね、なんていうのかな。とても素敵なの。文字は読めないんだけど、本の中からね、絵が浮き上がってくるの!」
「絵が浮き上がってくる?」
どういう本なんだろう。普段本を読まないから、いまいちピンとこない。
「ごめん。そういう本に心当たりがないよ」
「そっか。結人くんも知らないかぁ」
ここなが残念そうに肩を落とす。
僕がここなの望む答えを持ち合わせていなくて落ち込むのは二回目だ。気分が下がる。
「なんか、またごめん」
「いいの、いいの。こちらこそ、ごめんね!」
ここなはそう言って、僕を気遣って笑ってくれたけど、その大きな瞳はまだ少し暗かった。
「私、どうしても探してあげたいんだ。友達の大事な本なの。あの本は特別なものだから」
ここなはそれを僕に言うのではなく、自分に言い聞かせるように声に出した。
「結人くん。もし、そんな本を見たら私に教えてくれる?」
僕にその本を見つけられるかどうかは分からないけれど、ここなの暗い顔を見ているのはつらい。
「ああ。あったら伝える」
「ありがとう。じゃあ、他にも探したいところがあるから行くね!」
「ああ」
また壁の中へと消えていくここなを僕は見送る。
『私、どうしても探してあげたいんだ』。そう言ったここなの横顔が強く脳裏に残っていた。友達の本探しを諦めない意気。
この後も探しに行くくらい、彼女は一生懸命だ。僕に何か出来るだろうか。
翌日、学校に到着した僕は、普段行かない図書コーナーへと足を延ばした。とりあえず青の本を探してみる。
図書コーナーは即席なのか、高さや色がバラバラなカラーボックスが置かれていた。隙間には段ボールまで活用している。
並べられている本も大きさや厚さなど、まちまちだ。本を左から順々に見ていくと五十音順だと気付いた。その中で青い本。そして読めない文字の本を探してみる。
だけど青い本は一つもなく、文字はすべて日本語。外国語で書かれた本は置かれていなかった。
貸出記録表を見るが、記載欄は今週分の日付になっていて、ここなと初めて会った時期の記録は残っていなかった。
僕はなんとなく気にかかり、そのあとも時間があれば図書コーナーに寄った。だけど数日経過した後も、青い本は見当たらなかった。
* * *
それらしい本は今日も見当たらない。
図書コーナーの前で溜息をつき、教室に戻ろうとした時だった。廊下に突然、ここなが現れた。僕の位置からだいたい5メートルくらい離れたところから、ここなは何もないところから浮き出てきた。
「あれ?結人くん?」
僕も驚いたが、ここなも同様に驚いていた。
見えたタイミングはたぶん同じだったようだ。幸い廊下には僕以外の生徒は居ない。僕はそれをしっかりと確認して話しかけた。
「来栖さん、友達の本のことなんだけど」
「え!何か心当たりがありそう!?」
ここなが目を輝かせて、嬉しそうにする。
「いや、ごめん。そうじゃないんだ。その本が青色で読めない文字なのはこないだ聞いたんだけど、本の大きさや厚さとか、もう少し詳しく教えて欲しいんだ」
もしかしたら、見逃している可能性もある。もっと情報が欲しかった。
「あ、そうだよね!そしたら友達にしっかり聞いてくる。明日、この場所で、このくらいの時間に会える?」
「えっと……それは」
この場所は学校だ。いつ生徒が通るか分からない。図書委員の生徒も時々、この場所に来ているだろうから、誰もいないタイミングがどの時間帯なのか何とも言えない。そんなことを心配していたら、案の定、廊下の向こうから生徒の話し声が聞こえてきた。
まずい。ここなと話しているところを見られたら、学校で変な噂が広まってしまう。
「来栖さん、ごめん。ちょっと急用ができた!また!」
「え、結人くん?」
僕はここなの約束に答えずに、生徒が近づいてくる方向とは反対側に歩き出した。階段を駆け上がり急いで離れる。西館の僕の教室に戻るには遠回りだが致し方ない。
話を勝手に中断してしまい、ここなには申し訳ないことをしたが、今後の学校生活が危ぶまれる方が僕には恐ろしかった。
* * *
「隼人。図書コーナーのことなんだけどさ」
「ああ、最近まったく何も起こらなくて、つまらないよな」
「い、いや。何も起こらない方がいい。そうじゃなくて、あの場所を管理している図書委員なんだけど、いつも何時くらいにあの場所に来る?」
「何か聞きたいこととかあるのか?」
「い、いや。そういうわけじゃないんだけど」
むしろ逆だ。誰にも会わないように、来る時間を知りたい。
「特に何時っていうのは決まってないみたいだぜ。1日1回、整理整頓と貸出内容のチェックをすればいいらしい。俺が見ている感じだと、割と昼休憩の時間に行ってる生徒が多いかな」
となると、昼休憩時間は一番避けた方がいいようだ。
「ちなみに、前に本が消えて現れたとも話していたよね。それってどんな本だった?」
ここなは友達の本が見当たらなくなったと言っていた。つまりは消えたということだろう。図書コーナーの摩訶不思議な現象は『本が消えて現れる』ということも起きていた。なにか関連性があるかもしれない。
「どんな本だったかまでは俺も知らないな。浮いた本は見たけどな」
僕もその本は見た。どんなタイトルまでかは見えなかったが、緑色で結構大きめの本だった。
「なんだったら、俺が話を聞いた図書委員に話を聞きに行くか?」
「い、いや。まだ、いい」
まずはここなからどんな本なのか詳しく聞いてからでいい。
「そっか。じゃあ、必要だったら言ってくれよな」
「分かった。ありがとう」
やはり今日ここなに会った時間帯にもう一度行ってみるしかないようだ。
昨日ここなと会った時間よりも少し遅れて図書コーナーに行くと、ここなは廊下ではなく、座り込んで本棚の中を見ていた。
「昨日はごめん。それと遅くなってごめん」
僕は周囲に誰もいないことを確認してから、ここなに声をかけた。
「結人くん、来てくれたんだね!」
ここなは僕の声に気付いて立ち上がり、廊下の方に歩いてくる。そして僕は昨日とは違うことに気付く。
ここなの後ろにもう一人の人影。ここなよりもだいぶ背が低い、眼鏡をかけた女の子が立っていたからだ。
彼女は髪を両肩の上で束ねていて、そのツインテールの髪型のせいか、見た目はとても幼く見える。身体はやはりここなと同じように少し透けているようだ。
僕が彼女のことをじっと見ていたからだろう。ここなが僕にしずくを紹介する。
「こちらは私の友達で本の持ち主。しずくっていうの。どうせなら、本人に直接聞いた方が早いかなと思って連れてきちゃった。
しずく、こちらが話していた結人くんだよ」
するとしずくは目元をぎゅっと近づけて、僕の方を睨むように見てから、眼鏡をずらしたり合わせたりする。そのしずくの視線はどこか僕の目とはズレたところにあった。
何が起きているのかは、すぐに分かった。しずくはここなに向かって何かをしゃべっているようだ。口は動いているが僕はしずくの声が聞こえない。
やはりそうだ。これまで僕は彼らからは見えない存在だっだ。そして僕は彼らが見えるけれど、彼らの声はずっと聞こえていなかった。それが普通だった。
「え?誰もいない?何を言ってるの?結人くん、ここに居るよ。ね!結人くん」
ここなが困ったように僕を見る。僕は苦笑いをして、ここなを見た。
「来栖さん、落ち着いて聞いて。しずくさんには僕が見えない。ちなみに僕はしずくさんの姿は見えるけど、しずくさんの声は聞こえない」
「え?どういうこと?」
驚いているここなにしずくが何か話しかけている。しずくの顔はとても困惑しているようだ。
「確かに最近、あちこち動き回っているけれど、疲れているわけじゃないよ。だってちゃんと結人くんのことが見えるんだよ?」
しずくがここなの肩を叩いている。そして耳元にコソコソ話をするように話しかけている。そして、キョロキョロと周りも見ているようだ。
僕とここなはお互いが見えていて会話ができる。そして僕はしずくの姿だけは見える。だから違和感を感じないかもしれない。
だけどしずくにとっては、ここなしか見えていないのだ。しずくの目線ではここなが誰もいないところに一人で話しかけているように見えているはずだ。その姿は奇妙この上ないだろう。
「周りを気にした方がいい?」
ここなの口から出た言葉にドキリとした。いつも気にしていることだった。
僕はいつも、周りから変な目で見られないように気を張っていた。
奇妙な奴だと噂されないように。
神経をすり減らしながら、平常心スレスレの日々を過ごしてきた。
しずくはここなのことを心配しているのだろう。
ここな以外の人たちから僕の姿が見えないのなら、僕らは関わらない方が賢明なのだ。それがお互いのためになる。
だけど……。
「周りの目なんて関係ないよ!私には結人くんが見えるし、結人くんの声が聞こえる。そして私はしずくの大切な本を見つけたい!それなら話しかけないなんて出来ないよ!」
ここなはハッキリとした声で、そして大きな声でそう言った。
暗かった廊下の窓に、雲間が晴れて、光が差し込む。その眩しさに目がくらんだ。
自分の足元はひどく暗い。ざわつく胸が、その闇を恨めしく咎めている。
ここなは僕の存在自体を気持ち悪がる。避けていくと覚悟したのに。
僕がこれまでしがみついていた恐怖。
ここなは、そんな恐怖を、まるで迷いなく跳ねのけてしまえるのか。
しずくはここなの腕を引っ張り、どうやら移動させたいようだった。
ここなも仕方なく応じ、しずくに引っ張られて、廊下から図書コーナーの棚の前まで移動する。
しずくが一度廊下側に戻り、両手を同時に右から左に移動させる。その姿はなんだか、引き戸を閉めているような姿に見えた。
ここなが僕に視線を写し、手招きする。僕はそれに従い、ここなたちが居るところへと近づいた。
「結人くん!目の前にガラス!え……、ガラスをすり抜けちゃった」
ここなが僕の行動を見て、大きく目を見開いた。
ここなが壁の中に消えていくように、僕もここなの視点からはガラスをすり抜けてしまったようだ。
そのここなの表情を見て、思わず笑いが漏れてしまう。
「な、なんで笑うの?」
「え?だって、僕はこれまでずっと、壁の中に消える来栖さんを見続けてきたんだ。今度は逆に僕が来栖さんを驚かせることがあるんだって思ったら、なんかおかしくて」
「壁の中に消える?私が消えたの?」
「ああ、もう何度か見てる」
「そういえば結人くんって、最初にあった時、突然現れたね。昨日、急用が出来て突然帰っちゃった時もふわっと見えなくなった気がする。見間違いかと思って、あまり気にしてなかったんだけど」
ここなの隣で会話に一人ついていけないしずくが困ったように立っていた。僕は彼女の様子が気になって、そちらに目を向ける。
するとここなも僕の視線に合わせて、しずくを見た。
「私と話している時、結人くんは友達のことを口に出してたよね。もしかすると、私の姿は結人くんの友達からは見えないの?」
「ああ、そうなんだ。だから、しずくさんの反応はよく理解できるよ」
そう伝えた時、僕の頭上から数人の生徒の駆け足の音が聞こえてきた。おそらく、この場所につながる階段を上から生徒が降りてきているのだ。
僕は音がする方へと頭上を上げた後、ここなに向かって、『会話はちょっと中止』の合図として、口元にバツを作った。
ここなはすぐに状況を理解してくれたようでニコニコしながら、うんうんと頷いてくれる。僕はいつになく、その表情に不思議と落ち着きを保つことができた。
これまでの僕だったら、ここなと一緒にいる状況ですら逃げたしたくなっていた。だけど今は彼らが去っていくのをやり過ごせばいいのだと思えている自分に驚いてしまう。
他の生徒たちからは、ここなのような存在は見えない。だから変に慌てなければいい。何食わぬ顔をしていればそれで良かったのだ。
小さく身を潜め、去っていった生徒たちが居なくなったことを確認し、周囲の音を確認する。東館1階の気配を探る。昇降口に生徒がいるようだが、図書コーナーに向かってきている人は居ない。
「おまたせ。しばらく大丈夫そう」
「そう。なら良かった。こちらも大丈夫だよ。しずくが気を利かせて、ガラス戸をしっかり閉めてくれたから。この部屋、ガラス戸を閉めたら音は外に漏れないんだ。でもまぁ、ガラスだから中は丸見えなんだけどね!」
苦笑いをしているしずくを見て、ここなは思いっきり、にっこりと笑った。
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