他の人には見えない彼女は幽霊じゃない?
本が浮いた?そんな摩訶不思議な事、起こるわけないだろう。
「信じられないだろうけど、実際に見たんだ」
図書コーナーにたどり着くと生徒が数人集まっていた。
先ほど起きたことを聞く。図書委員が本の在庫をチェックしていた時、ある本が目の前で浮いたそうだ。
浮いたといっても空高く浮いたわけではない。本が棚からひとりでに外に出てきて、落下せずにまた棚に戻ったらしい。
隼人はその時、図書委員と話をしていたから、一緒に目撃した。
なにかしらの振動がそうさせたのではないかと思ったが、棚に触れていないし、地面も揺れてもいないという。
見間違いだと片付けてしまいたいが、目撃したのが二人となると不躾に否定もできない。
「それで、その浮いたのはどの本?」
「図書委員の彼女が持ってる」
図書委員の胸元に、一冊の本が抱かれていた。
腕に隠されてよく見えないが、緑色で、大きいサイズの本だ。
周囲の興奮冷めやらない空気のせいで、図書コーナーから離れられずにいた。その時、階段の影から高校生くらいの女の子がふわりと現れた。
反射的に身構えた。学校に似つかわしくない私服姿で、階段の脇から浮き出てきたからだ。
彼女は僕たちにまったく目もくれず、まっすぐに図書コーナーへと近づいていった。そして立ち尽くす。数秒、そこから動かない。位置的に本が浮いた棚の前なのは偶然だろうか。
彼女はその棚の中を覗き込み、首をかしげる。前かがみになったせいで下がった髪を、指でなぞって耳にかけた。
可愛い子だ、と思った。
彼女の横顔に吸い込まれる。肩をすくめた彼女は背筋を伸ばし、こちらに向き直って歩き出した。
彼女と目が合った気がした。いや、実際には合っていない。僕が彼女をじっと見てしまっていたからだ。
彼女はすぐ近くにいた隼人たちをすり抜けて、こちらに向かってくる。やはり彼女は他の人には見えない存在。それなのに、僕はいつもと違って彼女から目を離せずにいた。
透き通った白い肌。整った顔立ち。凛とした立ち姿に大きな瞳が印象的だった。芯の通った、全てを見透かしてしまうような目。片側に大きく三つ編みされた黒髪が白いブラウスの上でかすかに揺れる。
僕は立ち尽くしたまま、彼女に見惚れ、彼女の姿が僕の目の前まで近づいてきてやっと、自分を取り戻す。
彼女の身体が僕と重なる。もちろんぶつかる衝撃は起きるはずない。するりとすり抜けていく、はずだった。
一瞬だけだ。ぶつかった感触があった。それは痛みではなく、そよ風が吹いたくらいの軽い感じ。だけど、一度も体験したことのない感覚。
僕は驚き、反射的に彼女へと振り返った。彼女は振り返らない。そのまま離れていく。その姿に何故か胸の奥が小さく疼いて、彼女の背中を見つめてしまう。
次の瞬間、彼女は突然、振り返った。
彼女の大きな瞳とパチリと目が合う。そして彼女が驚いた顔をした。
「……あれ?ずっとそこに居ましたか?」
しかも、話しかけられた。
「……え?」
息が止まった。産まれてから一度も起きたことがない事態だ。全身に緊張が走る。一気に溢れだした動揺に僕は耐えることができなかった。足は勢いよく、その場から逃げ出していた。
教室まで止まることなく走り込み、自席に座る。はぁっと大きく息を吐き、バクバクしている鼓動を抑えようと試みる。
彼女と目が合った。しかも話しかけられた。
こんなこと今までなかった。なかったはずなのに、どうして……。
ふと脳裏に、遥か前にも誰かに話しかけられた記憶がフラッシュバックした。
僕はまだ幼くて、そして大きな手のひらが僕の頭を撫でた。そんな光景。でもハッキリしない。
「結人」
「ぎゃぁーーー」
いつの間にか隣にいた隼人に声をかけられ、僕は大きな声をあげる。教室にいる生徒たちが一斉に僕を見た。気まずい空気が教室内を満たす。とても恥ずかしい。僕は机に視線を落とす。
「驚かせて、ごめん」
隼人がそう言うと、教室の空気は元通りになってくれた。生徒たちはまた友人たちと雑談をし始める。僕はどっと疲れて、机の上に突っ伏した。隼人は空いていた僕の前の席に座り、僕をのぞき込む。
「大丈夫か?何か見たのか?」
「……いや、なにも見てない」
突っ伏したまま素っ気なく答える。隼人とそれ以上話す気力はなく、黙り込んだ。
隼人はそっとしておいた方がいいと思ってくれたようで、さらに追求してくることはなかった。
* * *
例の彼女が気になって、それからの僕は散々だった。先生に指名されても気付かない。答えることもできない。体育授業はうわの空で、ボールを頭に当てられる。
あまりにもこんな調子だから、一人で帰すのは心配だと、隼人は部活に行かず、有無を言わさずついてきたくらいだ。
彼女は本当に何だったのだろう。学校で何をしていたのだろう。彼女の可愛らしい姿も相まって、僕は彼女のことばかり考えてしまう。
「そーいや、この空地も奇妙な噂がある場所だったな」
隼人が立ち止まってそう言ったことで、僕はその時、自宅への帰り道を一本間違えて曲がったことに気付いた。
「結人。ちょっと俺、中を見てきていいか?」
「え?中に入るのか?」
呼び止める前に隼人はもう中に入ってしまっていた。その空地は周囲が白いフェンスに囲まれている。入っても大丈夫なのだろうか。人ひとりが通れるような入口が開いているが、いかにも関係者立ち入り禁止の雰囲気だ。
隼人は空地の中をあちこち眺めながら、歩いていた。隼人を呼び戻さなければ。声が届くように空き地に近づくと、空き地の奥に人影があるのに気付いた。その人影をじっと見ると、僕の鼓動は小さく跳ね上がった。
彼女だった。さっきまでずっと考えていた彼女だ。そっと息をのむ。
彼女はどこか思いつめた様子で、空地の隅から一点を見つめていた。その先にあるのは、なんてこともない住居の裏壁だ。
「なんにもないな」
隼人が戻ってきて、様子がおかしい僕に気付く。
「どうした?」
「い、いや」
そう答えながらも彼女を見続けていると、彼女の顔がこちらに向く気配がした。僕は慌てて、目をそらす。
「行こう」
隼人にそう言うと、すぐさま踵を返し、その場から離れた。
* * *
「ゆっくり休めよ」
隼人は僕の肩を軽くたたくと、来た道を戻っていった。
これから自宅に帰るのだろうか。それとも部活に戻るのだろうか。勝手に付いてきたとはいえ、わざわざ僕のためにここまで来てくれた。隼人が見えなくなるまで、見送る。
彼が見えなくなってから後ろを振り返ると、可愛い目とパチリとあった。例の彼女がそこに立っていて、にこりと微笑む。
「こんにちは」
「うわぁ!」
また驚いてしまって、声をあげてしまう。そして、どうしようもない恐さが溢れてきて、その場から逃げ出そうとしてしまった。
「待って!お願い、逃げないで!」
そう呼び止められてしまい、ビクつきながらも振り返る。
彼女は切実な声を出した。
「話を聞いて欲しいの」
大きな瞳が、僕を捉えて離さなかった。
* * *
彼女の名前は来栖ここな。
年齢は僕より一つ年上で、音楽関係の学校に通っている学生らしい。彼女の身の上話を聞く限り、普通の高校生と変わらない生活をしているようだ。
「来栖さんは幽霊じゃないの?」
僕以外には見えない存在。その一つの選択肢は幽霊。人型の妖怪という選択肢もあるが、妖怪かと聞くよりも幽霊かと聞く方が幾分オブラートだろうか。でも幽霊って足がないイメージがある。だけど、ここなには足がある。ちなみに彼女以外の存在にも皆、足はついていた。
「幽霊?……幽霊ってなに?」
ここなは幽霊を知らないようだ。
「亡くなった人が魂になって現世を彷徨うんだ」
「私がその幽霊じゃないのかっていうこと?」
「……ああ」
実際に幽霊だったとしたらどうしよう。急に「そうだよ」っと言ってきてホラー展開とかキツすぎる。
「魂になるっていうことは還るってことだよね。でも私は生きているから違うと思う。結人くん、面白いこと言うね!」
ここなは笑った。
いや、死んだことすら覚えていないから、彷徨っているという可能性も否めない。とはいえ本人にそんな話をするのも酷かもしれない。
「それで、なんで私が結人くんに話しかけたかと言うとね!」
「ああ」
「結人くんがあの場所に居たから」
「あの場所?」
「先生が大切にしていた庭に」
「庭?」
さっき居た場所と言えば、道を間違えて立ち寄った空地のことだろうか。あの空地はここなにとって、先生が大切にしていた庭だということか。
「あの庭に、先生と私以外の人が入ってきたことは無かったの。でも結人くんが居たのを見て、それで……」
中に入ったのは隼人だけど、誰かの土地に勝手に入るのは良くない。
「ごめん。入っちゃいけない場所だったのに、友達が勝手に入ってしまったことは謝るよ」
「友達?」
ここなが不思議そうに首をかしげる。
「あの場所には僕以外にも友達が居たんだ。僕と一緒に居たでしょ?短髪で背の高い男が」
「うーん、居たかな?結人くんだけだった気がしたけど」
ここなは隼人が見えなかったらしい。僕以外の人たちがここなの存在を見えないように、彼女からも僕以外の人達は見えないのか?
「今日の昼も、僕たち学校で会ったよね」
「学校で?……結人くんとは会ったね」
「その時、その背の高い彼も一緒に居たんだけど気付かなかった?」
「そうなの?そのときも結人くんは一人だったよ」
確定だ。あの場所には隼人以外にも数人の生徒が居た。だけどここなには見えていない。
「それで来栖さんは、僕がその先生の庭に入ってきたから、僕に声をかけてきたの?」
「そうなの。結人くんがどうしてそこに居たのか知りたくて」
「どうしてって言われても」
ここなはその次の言葉を躊躇うように、間を置いた。
「……先生が、居なくなっちゃったの」
彼女の声は沈んでいた。さっきまで笑顔だった顔に影が落ちる。
「それで先生の行方を捜しているんだ。結人くんが先生の庭に居たから、もしかしたら何か知っているんじゃないかって思って」
ここながとても真剣な瞳を大きく開いて、こちらに期待を込めてきた。だけど僕には、その視線に応えられるものがまったくない。先生の存在すら知らないし、そもそも目の前にいる彼女だって、今日会ったばかりなのだ。
「ごめん。まったく心当たりがないよ」
「あの庭に居たのは?」
「あの庭にも、ただ通りかかっただけだなんだ。なんの理由もなくて」
「なんの理由もない?」
「迷ったっていうのか、間違えたというか……」
本当にたまたまあの空地に行ってしまっただけだった。あの場所に居た理由を聞かれても答えるものがない。
「……迷い込んだって感じなのかな」
ここなは僕の答えをどこか自分を納得させるかのように小さくつぶやいた。彼女をさらに沈んだ表情にしてしまったことに、僕も気分が沈む。
「役に立てなくて、ごめん」
僕が暗い表情を見せたことで、ここなは途端に俯いていた目を大きく開けた。
「いいの、いいの!結人くんが謝ることじゃないよ!」
沈んだ僕をなだめようと、さっきも見せてくれた笑顔を僕に向けてくれる。
「結人くんは気にしないで、ね!」
先生が居なくなって落ち込んでいるのは彼女のはずなのに、自分のことよりも僕のことを気遣ってくる。そんなここなの優しさに触れ、僕の彼女に対する思いは、単なる得体の知らない存在ではなくなっていく。
「でも、また会ったら仲良くしてくれる?」
「……ああ」
そんな彼女を無下にできなかった。僕は頷いてしまう。
「良かった!じゃあ私、帰るね!結人くん、またね!」
ここなは去っていく。途中、僕に振り返って、大きく手を振ってくれた。そんなここなの行為は可愛らしかった。だから恥ずかしさを隠しながら手を振り返したけれど、その後ここなが壁の中に消えていったから、僕の振り上げた手はそのまま、宙で止まるしかなかった。
3.
泣き声が聞こえる。誰かが泣いている。
泣いているのは誰?それは僕?
公園が見える。滑り台や砂場。だけどそれらの遊具は僕の視線よりもずっと大きい。
僕はとても悲しかった。何故……?
だって友達が僕のことを変だと言ったから。僕の大好きなこの人が見えないと言ったからだ。
大きな手のひらが頭の上に乗せられた。とても温かくて優しい撫で方。
「つらいか?」
「……うん」
「でも、それを選んだのは自分だっていうことを忘れちゃいけない」
よりいっそう、手のひらが僕の頭を撫でて、そして肩を抱いてくれる。
「大丈夫だ。いつか分かる」
そう言った声が耳元に残っているような感覚を持ちながら、同時に電子音が遠くから聞こえてくる。その音は次第に強くなり、僕は部屋の目覚ましが鳴っているのだと分かって、手を伸ばした。
* * *
図書コーナーやあの空地に足を運ばなかったからかもしれないが、またねと笑ってくれたここなとは、あれから遭遇していなかった。
残念な気もしたが、ほっともしていた。他の人には見えない存在は視線が合わず、声も聞こえない。それならば無視すればいい。
だけどここなみたいに視線が合ってしまったら、声をかけられてしまったら、僕はどうしたらいいか困ってしまう。
だから一週間が経過して、平穏を取り戻しつつあると思い始めた頃、ここなが自宅の前で待ち伏せしていた時の僕の心の動揺は大きかった。
「結人くん!」
「……く、来栖…さん」
「実は結人くんに聞きたいことができたんだけど、あれからずっと会えないから、ここならまた会えるかもって待ってたの!」
僕はまた、彼女の瞳に捕まった。
引き続きここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。
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