僕の特異体質
1.
職員室の窓から見える景色が、不穏な色に包まれていくことに僕は焦っていた。西の空は青から紫へと光度を下げ始めている。グラウンドの木々の影もさっきより濃くなった。夕暮れが近い。数時間もすれば、辺りは暗くなってしまう。
「柏木。聞いているのか?」
「……は、はい」
クラス担任が窓の外を気にしている僕を見て、諦めたように軽く息を吐く。
「強制はしない。ただもう一度、検討してみて欲しい。今後のためにもな」
「分かりました」
退室の許可が下りた。僕は頭を下げ、急ぎ足で職員室を出る。そのまま昇降口へ向かうと、下駄箱の靴を取り出した。
「あれ?結人、まだ居たのか」
部活の途中なのだろう。テニスウェア姿の東条隼人が僕を見て、驚いた。
「ああ。担任に呼び出されて」
「あらま。何の用だったんだ?」
隼人との付き合いは長い。普段なら答えていたかもしれないけれど、今はそんな余裕がない。早く帰りたい。昇降口の外の色はオレンジの光を背負い始めている。
「ごめん。そろそろ日が暮れるから帰る」
急いで靴を履く。
「見えちゃうからか?」
隼人の言葉に、僕の身体は勝手にピクリと反応する。
「そんなわけないだろう」
隼人に苦笑いを返して、昇降口を後にした。
校舎を出て、夕暮れの道を足早に進む。校門前の逆T字路は、北側に進むと駅前商店街、南側は神社や海辺へと繋がっている。
夜になるにはまだ早い。高校生ならまだ遊びたい時間。同じ制服の生徒がはしゃいだ声をあげながら、北側に歩いていくのが見えた。
僕は迷わず、東側へと進む。
東側は住宅が広がっていた。背の高いマンションが並ぶ都会ではないが、田畑が広がるド田舎でもない。平均並みな町、星種町。
しばらく歩くと、通路の左側にブロック塀が見え始めた。前方の曲がり角から、青年が下を向きながら歩いてくる。
このままではぶつかる。僕に気付いていない彼に当たらないよう、道を譲ったはずだった。
それなのに、彼は僕の真横でビクっと体を大きくのけ反り、派手にこけた。
「大丈夫ですか!?」
僕は咄嗟に、倒れ込んだ彼に声をかける。しかし彼は何の反応もしない。自分の頭を撫でながら、どこか一点を見つめて、こちらに目もくれない。
ハッとして、彼の姿をじっと見た。
彼の身体は薄く透けて、夕暮れの光を通している。彼の完全な肉体はそこに存在していなかった。
倒れていた彼が勢いよく立ち上がり、僕の身体に突進してくる。反射的に身構えたが、衝撃はまるでない。彼はあっさり僕の身体をすり抜けて、何事もなかったかのように歩き出し去っていく。
僕はその様子を目で追い、立ち尽くす。そして、彼とは違う視線を感じて、我に返った。
その視線へと振り向くと、気味悪そうに僕を見ていた親子と目が合った。
ああ……。だから嫌なんだ。
僕は慌ててその親子と目をそらし、その場を離れた。
さっきよりもスピードを上げ、自宅へとひたすらに進む。
目の前にある四つ角を曲がれば、自宅はすぐだ。
四つ角の電柱の陰から、すっと音も立てずに老婦人が現れた。
僕はもうそれには驚かない。この老婦人はこれまでに何度も見ているからだ。
彼女の身体も夕日に透けていて、僕の目の前を通り過ぎ、向かいにあるブロック塀をすり抜けて消えていく。
できるだけ周囲に目を向けないようにして、僕はさらに歩き続けた。
「ただいま」
二階建てアパートの一室。自宅のドアを開ける。洗面所に向かい、手を洗いながら、鏡に映った顔を見た。
───いつ見ても本当につまらない表情をしている。
この顔が、喜びや活気、楽しさを映し出していたことはあっただろうか。思い出せない。
放課後、楽しそうに笑いながら、歩いていく生徒たちの笑顔。
こんな僕が、あんな風に笑う日なんてくるのだろうか。
ダイニングに入ると、母がテーブルに夕飯を並べていた。
「おかえりなさい。お腹空いたでしょう。座って待ってて」
自分の茶碗と箸が置かれた席に座る。向かいの席には母のもの。そして右側の席には食器は並べられていないが、眼鏡をかけた初老の男性が座っていた。
僕は小さく母に気付かれないように溜息をつく。
彼は特別だ。いや、もう慣れるしかなかったというほかにないのかもしれない。
当たり前かのように、ゆったりと椅子に腰をかけている彼は、お茶を飲むような動きをする。手には何も持っていない。その仕草がそう見えるというだけだ。
僕がその様子をじっと見ていると、振り返った母が「眼鏡さんはお茶タイム?」と聞いてきた。僕はただ頷く。
「眼鏡さん」、それが僕たちの彼の呼び名だった。彼は僕の視線に気付かないし、目が合ったことは一度もない。触ったこともある。でも実体はない。
「何を飲んでいらっしゃるのかしらね。同じものを飲んでみたいわ」
母に彼は見えていない。僕に合わせて、そう言ってくれているのだ。
眼鏡さんは、僕が目が見えるようになった時からこの部屋に住んでいる。見たものを正直に言うことしかできない当時の幼い僕は、この眼鏡さんの存在に落ち着かなかった。
だって彼は椅子のないところで宙に浮かんだまま座るし、何もないところで立ち止まり何かを探すし、部屋の壁の中に消えてしまう。
壁の中に消えることは諦めたが、食卓や家具は眼鏡さんの行動に合わせて買い換えたし、置く場所も移動していた。だから彼はこの家で違和感なく存在している。
僕の特異体質を、母は最初から否定しないで受け止めてくれた。
母の性格はちょっと人よりズレているというか、抜けているというか、言わば天然なところがある。そのおかげか僕は敬遠されずに済んでいる。
周りの子とは違う不気味な子が自分の子だと受け止められない親もいるだろうに。
父は最初から居なかった。母に父がいない理由を聞いたら、「お父さんは他界したのよ」と言われた。だから母とずっと二人暮らし。
僕は眼鏡さんを見る。いや、この人を入れたら、三人暮らしなのだろうか。
食事の最中、母が優しい声で聞いてくる。
「今日は珍しく帰りが遅かったわね。何かあったの?」
「不参加で提出した課外授業、もう一度検討してほしいって担任に言われた」
「あら、そうだったの」
僕は、他の人には見えない存在が視えてしまう。
人が居るはずのない場所に人が見えたり、浮いていたり、突然現れて消えたりする。そして昼間より夜の方がよく見える。だから暗くなったらできるだけ外出したくない。
見知らぬ土地に行くのも怖かった。
長年同じ町に住み続けていると、同じ場所で同じ人を見る。
突発的に、帰り道であった青年のような存在に出くわしてしまうことはある。だけど四つ角の老婦人や眼鏡さんのように、定位置があるのだ。
学校のA教室にはこの人。この道にはこの子供、あの公園にはあの年配者など。いつも同じ場所で見える存在に対しては、高校生にもなると対処できた。
だから出来るだけ慣れていて勝手の分かる地域から出たくない。そんな理由で地元の高校を選ぶくらい僕は臆病だった。
「お母さんは無理にとは言わないわ。結人の好きにしなさい」
「ありがとう、母さん」
そんな僕に母はいつだって優しい。
そして僕の体質のことを知っているのも母だけだった。
2.
「なぁ、知ってるか?」
朝のホームルーム後、隼人が目を輝かせながら、僕の前にやってきた。
「知らない。聞きたくない」
どんな話か察した僕は即答する。
「えー、聞いてくれよー。あのな!」
隼人は僕の拒絶などお構いなく、話を続ける。
「東館の1階に図書コーナーが出来ただろう。ある生徒が読もうと思った本を取ろうとしたら、その本が目の前で突然消えたんだって!見間違いかと思って諦めたんだけど、最後にもう一度その棚を見たら、消えたと思っていた本がそこに現れたんだって!」
隼人の興奮した声。
「忽然と消えては現れる本!すげー、気になる!俺も見たい!」
隼人はとっても楽しそうだが、僕は憂鬱になっていく。
「単なる見間違いだろう」
僕はトーンを下げて声を出す。
「いや、見間違いじゃない。同じことを体験している生徒が他にもいるんだぜ!」
今度は苦笑いを返すしかない。
「この学校って他にもいろいろ不思議なことがあるんだぜ!夜の音楽室が奏でるピアノ。学校の裏山に出没する幽霊。学校に限らず、市内にもいろんなところにネタがあってさ。すげー、ワクワクしないか!」
いや、しない。絶対ろくなことにならない予感がする。
「結人!まずはその図書コーナー、一緒に見に行こうぜ!」
「いやだよ」
「そんなこと、言わないでさー!行こうぜ!」
授業開始のチャイムが鳴ったことで、話は一度保留になり、ホッとする。
僕の体質を隼人に話したことはない。
だけど僕の挙動不審な態度が隠し切れていないからか、オカルト好きの勘が働くのか、隼人は『結人は霊感が強いに違いない』と僕にすり寄ってくるようになった。
隼人とは小学校からの同級生。何かと僕に構ってくるようになったのは中学で同じクラスになってからだ。
事あるごとにこんな話を聞かされては振り回されているうちに、一番よく話すクラスメイトになっていた。
僕がよく会話をするクラスメイトは隼人だけだ。過去、特異体質のせいで変な行動をしてしまうと、気味悪がられたし、奇妙な視線を向けられた。離れていく人もいたし、避けてくる人もいた。
高校に入学し、僕は敢えて友達を作らないことにした。自分からは決して声をかけない。
だって、仲良くなったと気を許した瞬間、気持ち悪がられて離れていかれるのはつらいじゃないか。
隼人なら、正直に自分の体質のことを話しても気持ち悪がられることは無いだろう。だけど逆に、僕の体質に余計興味を持つかもしれない。
それを想像した時、どうしてか胸が苦しくなる。こんな僕に仲良くし続けてくれるのは、単にオカルト好きの興味本位なだけなのだ。そう決定付けられるのを僕は怖がっている。
保留になった話はあっけなく昼食の時間に訪れた。弁当箱を片付けていると、隼人が慌てた顔で教室に駆け込んできて、
「結人、まじだ!急いで来てくれ!」と僕の腕を掴んで引っ張ったからだ。
僕を引っ張っている隼人の顔は、興奮した中にも真剣さがあった。いつものふざけた顔とちょっと違う。
「なにかあったのか?」
「本が目の前で浮いた」
「は?」
私の作品に出会ってくださり、本当にありがとうございます。
楽しんでいただけていたら、いいな。
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