ここなの父への思い01
僕がすかさず、そう尋ねると、ここなは大きな瞳を怯えるように小さく揺らした。そして唇をぎゅっと閉じる。泣きそうだった。その表情に、僕は一気に後悔する。
ああ、これが僕の中にある『目には見えないもの』だと、僕は分かった。どうしてこんなことを聞きたくなったのか。こんなにも胸が苦しいのか。
だけど、その僕の身勝手さが、ここなを泣かそうとしている。これは大切なものと言えるのだろうか。産まれてはいけなかったのではないだろうか。
「……ごめん。言わなくていい」
僕はすぐさま、ここなからの返答を、怖くて自ら閉じてしまった。
* * *
一人、辻村家のリビングに戻ってきたあと、僕は自分の家に帰る気分になれなかった。
ここなに言ってしまったこと。ここなのあの表情。自分の行動を悔いて、リビングのテーブルの上に項垂れる。
「結人。何しけた顔してるんだよ」
声か聞こえてきて、顔をあげると、テルがリビングから続く二階の階段から歩いて降りてくるのが見えた。
「……テル?」
「友人の俺が話を聞いてやろうか?」
僕をいじるような口調で話しかけてきたテルだったけれど、その表情は優しかった。そしてそもそも、いつもの登場の仕方と違う。
「……今日は、僕を驚かそうとしないんですね」
「俺だって、空気はちゃんと読める」
テルはそのまま僕の近くまで歩いてきて、僕の頭の上に掌を乗せた。
「な、なんですか」
「玲人の真似~。俺もやってみたかったんだよね!」
そう言って、頭の上に乗せた掌をガシガシと動かす。それに合わせて、僕の首までガクガクした。
「テル!もっと優しくするものでは?」
「えー?そうなのかー?」
そう返しながらも、力を弱めない。
僕はテルにされるがまま、頭の上に感じる大きな掌の温もりを感じていた。そして、遥か昔の記憶を思い出す。本当にあった出来事なのかも分からない光景。幼い頃、遊具が並ぶ公園で、泣いている僕の頭を撫でた男性の姿。
『つらいか?』・「つらいか?」
記憶の中の男性の声と、目の前のテルの声が重なる。
「え?」
「これまで結人は、敢えて他人と関わらないようにしてきたからな。関心を持たなければ、相手の心に触れることだってない。そしたら、自分が振り回されることだって無かったはずだ。こんな風に他人の自分への思いを考えて、落ち込むことだってな」
テルは僕の頭の上に乗せていた掌を離し、僕の隣に座る。
「だけど関わったからこそ、『目には見えない大切なもの』ができたんだろう」
他人と関わったからこそ、関心を持ったからこそ、僕の中に『目に見えない大切なもの』はできた。今の僕にとって、それは『特別なつながり』なんだと分かった。
だけど、それができたからこそ、これまで感じたことがなかった気持ちがたくさん出来上がっている。その感情が良いものだけなら良かった。好ましくないものも生まれる。大切なものを脅かそうとするし、自分らしさを奪う。僕自身のことを嫌いにさせる。
「だけどそのせいで、自分が思いもしなかった感情があるって気付かされました。それが僕をおかしくさせるし、振り回しもする」
「それはな。結人がその感情に浸っているだけなのが、要因かな」
浸っているだけ……?確かにそうだ。僕はずっとここ最近、いろいろな感情に浸り続けている。
「いろんな感情を知ることは良いことだよ。それがどんなものであっても大切なものだ。良いも悪いもない。だけど浸るのは、ほどほどくらいがいい。どんどん動けなくなってしまうからな。そろそろ、どうなりたいかを考えてみたらどうだ?結人が一番、最高だと思う結末を思い描け。それが分かったら、あとは深く考えずに、結人が思ったままに行動すればいい」
僕が一番、最高だと思う結末。
ここなのことを思う。僕はここなのことを知りたい。頼られたい。いや、そうだけど、大切なことはそうじゃない。
ここなの可愛いとびっきりの笑顔を思い出す。僕はいつだって、ここなに笑っていて欲しい。
「今、ここなは玲人の庭に居るよ」
テルにそう言われて、僕はパッと立ち上がり、リビングから駆け出していた。
「まったく、どうして人間になると、こうも不器用になるんだろうな」
僕の姿が玄関の奥へと消えた後、テルはそう呟いて、その場からシュンと姿を消した。
4.
肌寒くなった夜の風が、庭に咲き誇る百合の花を静かに揺らしていた。その百合の前で、ひっそりと座り込んでいるここなの横顔は、雲に陰り光を失った月のように沈んでいた。
ここなにそんな顔をさせてしまっている自分が許せなかった。そして、その現況も。
「ここな」
「……結人くん」
ここなが僕の方に振り返った。目が合う。僕を見たここなは、また大きく瞳を揺らしたあと、どこか恥ずかしさを隠すように決まりの悪い顔をした。
「さっきはごめん。ここなの気持ちを考えずに、父さんのことをあんな風に聞いてしまって……」
父の話を切り出すにしても、もっと良い言い方があったはずだ。あの時の僕は、自分の中にある父へと対抗意識を、ここなに強く向けてしまった。ここなが隠したがっていた傷に、そんな思いで触れようとした。
「ううん。私の方こそ、先生のことを一緒に探して欲しいってお願いしておきながら、どうして探しているのかをちゃんと話してなかったよね」
しずくに、ここなと父の話を聞くまでは、僕もそこまで理由を気にしていなかった。僕も僕で、父に会えたら確認したいことがたくさん出来ていたから、父を探すという同じ目的があるくらいにしか思っていなかった。
「……結人くんに、先生を探している本当の理由を……話すね」
そう言いながらも、ここなの声は少し震えているように感じた。
「無理に話さなくていいよ。僕に話そう、僕が必要だって思った時でいいから」
ここなに頼られたい。父よりも必要とされたい。そんな思いができてしまったのは僕の問題で、ここなに強要することではない。
「……そうじゃないの。結人くんのことを、信頼していないから話せないとか、そういうことじゃないの。ただ……、結人くんにも、先生と同じように見放されちゃったらいやだなって思って、それで言い出せなかったの」
父さんがここなを見放した?
ここなが座っている位置をずらして、僕が座れるスペースを作ってくれる。僕はここなの隣に腰を下ろした。
「……私ね。家族の中で一番年上のお姉さんなんだ。だからっていう決まりも役目もないんだけどね。いつも私は兄弟たちの手本にならなきゃっていう思いがどこかにあったの。本当は年下の兄弟たちに甘えたり頼ったりして、「それは私はできないから、やって」とか、「それは私はやりたくない」とか、素直に言えば良かったんだけど、お願いされると断れなかった。できないお姉さんを見せたくなかったというのが大きいのかな」
ここなはあの兄弟たちの一番上のお姉さんなのか。10人以上も居る兄弟の一番年上は、僕の世界でも普通に考えて我慢を強いられそうな立場だ。お手本だって強いられそうな気がする。
「だんだんそれが性分になって、頼られることや誰かのために動ける自分のことはすごく誇りになっていたし、そんな自分が好きだとも思っているんだよ。今の自分がいるのは、一番上のお姉さんだったおかげだって」
ここなの自ら率先して先に動けるところとか、誰かのために一生懸命なれるところは、そういう積み重ねがあったからなのだろう。
「だけどね。やっぱり誰かに甘えてたくなることはあって、その相手が私にとって、先生だったの。他にもお父さんや、お母さんは居るんだけど、私にとって先生が一番、その対象だったのもあって……。それが行き過ぎちゃったから、先生は私から離れていっちゃった」
僕はふと、その感情がどっちのものなのだろうと気になってしまった。家族としてのものなのか、それとも……。
家族として、ましてや父親ならば、甘えたり頼ったりするのは普通のことだし、それがいけないことではない気がする。それが親というものだろう。だけど、ここなは父だけに行き過ぎた?それは、もしかして……。
「……だから、お父さんって呼ばないで、先生って呼ぶの?」
「え……?」
「だ、だから。お父さんって呼びたくないのかな……っと」
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さて、ここなの父への思いはどんな形なのか?
次回、更新は明日の朝7時です。




