しずくが抱える目には見えない大切なもの
しずくは自宅に居るそうだ。ここなたちの住居スペースに案内してもらう。
広大な自然の中に、円盤型の建物が並んでいた。宇宙に合った方が似合っている見た目。ここに人が住んでいるのを想像できない。外壁は白っぽいガラスで覆われていた。中の様子はまったく見えなかった。
室内は外の雰囲気とは一転して、アットホームな空間だった。座り心地の良さそうなソファ。寝転びたくなる広い床。適度に観葉植物や家具が置かれていて、生活感を感じさせる。
外観からは中の様子が見えなかったけれど、室内の大きな窓からは外の様子が確認できた。団らんスペースの奥には食堂がある。調理をする場所も見えた。
「ここな。おかえりなさい」・「お姉ちゃん、おかえりー」
「ただいまー」
家族がここなを出迎える。団らんスペースには何人かの人が過ごしていた。年を召した男性や女性、また僕の母と変わらないくらいの年齢の女性、逆にまだ歩き始めたばかりの幼児もいる。男女問わず学生くらいの子供たちも数人居て、家族の年齢幅はとても広そうだ。
「しずくは?」
ここなが声をかけてきた女性に尋ねる。年齢的にきっとここなの母の一人なのだろう。
「しずくは自分の部屋にいるわ」
「はーい」
ここなの家族は僕にはまったく目もくれないから、やはり僕の姿は映し出されていないのだろう。場所が場所なだけに、まるで不法侵入をしているような気分だった。
そんな僕に、ここなは微笑みかけて、「こっち」と口パクをして手を小さく招いた。
ここなに連れられて、団らんスペースを抜ける。そこは通路がぐるりと円を描くように伸びていた。等間隔に並ぶ扉がある。この各扉の先が家族それぞれの個室なのだろう。ここながそのうち、一つの扉の前で止まった。
「ここがしずくの部屋」
ここなが扉をノックする。
「しずく居る?ちょっと話がしたいんだけど、いいかな」
「ここなさんですか?」
部屋の中からしずくの声がして、扉が少し開く。
「さっき話したことでしたら、私はもう決めたことです。その話だったら終わりです」
しずくのいうその話とは、自分が作った曲をもう演奏しないということだろう。しずくが何故、そう決断してしまったのかをしずくの口から聞きたいと思ったけれど、今すぐその理由を聞き出すのは難しそうだ。
「今回はね。用事があるのは私じゃなくて、結人くんなんだ」
「結人さんが?」
ここなが僕に手を差し出してくれた。僕はそれに触れ、しずくの前に姿を映し出す。
「しずくさん。お願いがあるんだ」
「お願いですか?」
「ここなから、作曲したものはもう演奏しないって聞いたよ。だけど、ほら読書会も一緒にしただろう?だからせめて、しずくさんが作曲した音楽、最後に僕に聞かせて欲しいんだ」
読書会をした後、再度作曲し直したこと。それをここに来るまでの間に、ここなから聞いていた。それでも納得できず、演奏したくなくなってしまったのならば、その曲を聞かせてもらったら、何か分かるかもしれないと思った。
「え……。でも……」
「頼む。あの絵本がどんな音楽になったのか、聞いてみたいんだ」
いつも僕に有無を言わせないここなみたいに、僕は身じろぎせずに訴えた。しずくは僕の押しにたじろいでいたけれど、何も言わずに返事を待っていたら、観念してくれたようだ。
「……分かりました。一度だけです」
しずくは僕たちを部屋に招き入れてくれた。
僕とここなを部屋にあるソファに座らせ、しずくは演奏しやすいように固めの椅子を自分用に用意した。大きな楽器ケースを持ってきて、ケースから楽器を取り出す。
その楽器は僕が知っているものではまったくなかった。吹奏楽部の学生がマリンバを演奏しているのを何回か見たことはあるが、彼らが弾いているマリンバとはまるで違う。
それは透明のガラスのような素材で作られた楽器だった。部屋の明かりが楽器に当たると角度によってキラキラ光る。
「とても綺麗な楽器なんだね。これがマリンバなの?」
「そうだよ。クリスタルで出来ているんだ。これは自宅練習用のコンパクト版なんだけど、十分に素敵な曲が弾けるよ」
ここなが説明をしてくれる間に、しずくが楽器をセッティングする。
準備が整うと、僕らに一度静かに礼をして、音を鳴らす棒を胸に抱き、深く深呼吸する。そして、その楽器を奏で始めた。
しずくが楽器に触れると、空気に溶けていくような音が響いた。しずくの楽器の触り方や叩き方で音が変わる。『星の王子さま』の冒頭をイメージさせる不安を感じさせる旋律から曲は始まり、登場人物達の出会い、喜びと葛藤、安らぎと焦り、それらを僕の心に感じさせる。
僕は気付けば、楽器から奏でられる繊細で透き通る音楽に聞き入っていた。音色が身体にしみ込んでくる。目を瞑ると、僕がイメージした物語の光景が浮かび上がってくる。
正直に言って、しずくの演奏は凄く良かった。隼人にも聞かせたいと思った。いやそれ以上にいろんな人にこの曲を聞いてもらいたいと素直に思った。
しずくが部屋いっぱいに物語の余韻と感動を残して、演奏を終える。
僕がしずくの演奏の素晴らしさに拍手をしようとした時、
「……やっぱ、こんなんじゃダメです!」
と、しずくはいきなり声をあげた。
しずくがそんなに酷く批判するような仕上がりではない。何がダメなのか分からなかった。
「しずくさん。僕には何がダメなのか分からないよ。凄く良かったと思う」
だから、僕は素直にそう伝えた。だけど、しずくは大きく首を振って歪んだ顔をした。
「良くないんです!南みたいに迫力はないし、奏みたいに華やかじゃない。ぜんぜん良くないんです!」
南?奏?しずくから出てきた言葉は誰か人の名前だろうか。
「やっぱりダメです。もう二人とも帰ってください。私の曲ではダメなんです!」
しずくはそう言って、僕たちを目で突き放した。これ以上、話を聞くのは難しそうで、僕たちはしずくの部屋を後にした。
* * *
僕たちは生活感を感じない質素な部屋の中に居た。紺と白で整えられたカーテンや寝具。家具は片手で数えられるくらいしかない。来客用の部屋だろうか。ここなが床に座ったから、僕もそれにならって腰を下ろす。
「しずくのあの発言を聞くと、理由はやっぱり二人のことが関係してるんだね」
「南さんと奏さん、だっけ?」
「うん。彼女たちとしずくは小さい頃から仲良しでね。三人でずっと一緒に演奏を楽しんできた子たちなの。その二人がね、こないだ二重奏のリサイタルを依頼されて、演奏したんだ」
リサイタル。しずくがここなもリサイタルをしたことがあると言っていたが、この世界の子供たちは音楽の才能がずば抜けているのだろうか。
「しずくさんと同い年ってことは僕より2歳年下で、16歳だよね」
「そうだね」
「16歳でリサイタルを開くなんて、かなりの実力なの?」
「私としずくは音楽専攻だって話したよね」
「音楽関係の学校に通っているという認識ではいた」
「私たちの世界では、10歳になったら、どの分野を専攻するか選択するの。もちろん途中で変更も可能だけど、18歳になった頃には専攻した分野で十分に活躍できるくらいにはなれる。だからリサイタルも依頼があったら受けるよ。16歳で演奏するのは、ちょっとだけ早いって感じかな」
「なるほど……」
音楽関係を好きな子供たちがそんな年齢からレッスンを積む。そうだとしたら、それなりのレベルにはなれるのだろう。だけど裏を返せば、上手な子供たちの集まりの中で、揉まれるということでもある。
「しずくたちはね。いつか三人で三重奏をして初リサイタルをしようって話していたんだけど、今回依頼されたリサイタルは二人だけの演奏だったの。しずくは気にしていないと言っていたけれど、自分の演奏に納得いかないと悩み出したのも、そのリサイタルが決まった頃だったんだ」
「迫力のある演奏ができる南さん。それと華やかな演奏ができる奏さんか……」
そういった風に演奏の音色を表現するなら、今日のしずくの演奏は、繊細で清らかな演奏ができる人なんだなと思った。
しずくの演奏は本当に感心するくらいに素晴らしいものだった。作り上げられた曲の音色もとても『星の王子さま』らしい純粋さと天真爛漫さがあって、あの楽器の響きととても合っていた。最初から最後まで表現力の広さがあって、飽きずに聞き入ってしまった。
「誰かの演奏と比べなくても、しずくさんの演奏というだけで十分魅力的だったのにな」
僕はポツリと言葉をこぼす。周りと自分を比べてしまうとき、自分らしさを見失うのかもしれない。
「……そうだよね!結人くんもそう思うよね!」
ここなが僕の言葉を拾って、強く同調する。
「とてもあの曲、素敵だよね!あの作曲したものをみんなの前で演奏したって、ぜんぜん引けを取らないよね!」
「そうだね。そう思うよ」
僕がブレなく強く頷くと、ここなは口元を緩めて安心したように微笑んだ。
「今日弾いた楽器は音階がちょっと少ないの。だから、壊れちゃったマリンバだったら、曲の表現の幅がさらに広がるはず」
「あれより、さらに良くなるのか。それは聞いてみたい」
「だけど今日の演奏を聞いて、気になることがあったんだ」
「気になること?」
「読書会の前に聞いた曲と今日聞いた曲、そんなに変化がなかったの」
「変化がない?」
「うん。しずくは読書会をした後、作曲し直したって言ってた。だけど、しずくは、ほとんど作曲し直してない」
作曲し直していない?それはどういうことだろう。
しずくの思いを思考していると、ここなは僕に向き直って、大きく頭を下げた。
「結人くん。しずくの話を聞いてくれて、ありがとうね」
僕は慌てて、両てのひらと首を横に振る。
「感謝されるようなことは何もできていないよ。むしろ悪化させたかもしれない」
僕がしずくと話したかったのは、どちらかというと自分のためでもあった。しずくにとっての目には見えない大切なもの。それが何かを僕も分かりたかったからだ。感謝されるようなことではない。
「そんなことないよ。今回のことで、私もしずくが抱えている問題が分かったから」
僕もそういう意味では分かった気がした。しずくの演奏を聞いた僕の感覚。そして、しずくのあの反応との差異。
「また時間をおいて、しずくさんとは話してみよう」
「うん。そうだね」
僕たちは頷き合う。ここなは視線を部屋に映して、話題を変えた。
「結人くん、この部屋なんだけどね」
「この部屋?」
僕は改めて、この部屋に意識を向けた。敢えてそう振ってくるということは誰かの部屋なのか?そう考えると、浮かんでくるのは一人だった。
「ここ、先生の部屋なんだ。結人くんに見せてあげようって思って」
「……そうなんだ」
父が過ごしていた部屋。そう言われて、思いを馳せる。数ヶ月前まで父はここに居た。それを事実だと受け止めれば、ちょっと複雑な気分になる。
ここなに目を向ける。寂しさを隠している横顔だった。僕は途端に胸の奥が苦しくなった。
「このペンダントはね。先生の部屋の中に落ちていたの」
ここなは服の下にいつも仕舞っているペンダントをてのひらの上に出した。大切そうにそれを見つめる。そのここなの目元と口元が緩んだその顔に、手まで少し震え始めた。ここなは父の持ち物まで、そんなに愛おしく大事にしている。
「……ここな。もし話したくないことなら話さなくてもいいんだけどさ」
緊張して、呼吸が浅くなる。前置きまでしても、僕はここなに聞きたくなってしまう。
「ここなはどうして父さんを探しているの?」
父の部屋。受け継いだ辻村の家。しずくから聞いた話。そして、ここなが父を考えているときの表情。そのピースをかけ合わせたら、僕の中で、止められない衝動が湧きだしてしまった。
この部屋も辻村の家も、父は気配を感じさせないくらいに綺麗に片付けていた。そして居なくなった。だから確信する。父はもう戻らないつもりなのだ。そう決めて、出ていった。
ここなと父の間に何があったかは分からない。
だけど、父はここなを置いて出ていった。それなら、その代わりに僕はなれない?父さんじゃないとダメなのか?
「《《出ていった》》父さんを追いかけて、ここなはどうしたいの?」
次回の更新は本日21時の予定です。




