しずくが打ち明けてくれた過去
しずくはソファに座っている僕の隣に腰を下ろす。
「結人さんは、ここなさんから玲人先生が居なくなった理由を聞いていますか?」
「居なくなった理由?最初は僕の世界に迷い込んだかもしれないから、一緒に探して欲しいってことだったけど」
その後、テルから父の話をきいた。今は星ノ川銀河評議会が関わる何かしらの案件で動いていると聞かされた。その案件がどんなもので、どこに居るのかは未だ情報はない。
「ここなさんは玲人先生が居なくなったのは、自分のせいだと思っているんです」
「ここなのせい?」
「玲人先生が居なくなった日の前日、実はここなさんと玲人先生は重苦しい雰囲気で言い合いをしていたんです。その後、ここなさんは一人で泣いていました。ここなさんが泣いたのをその時初めて私は見ました。次の日、玲人先生はもう居ませんでした。玲人先生が居なくなってから、ここなさんはピアノを弾くのを止めてしまいました」
「そうなんだ……」
僕の中で気になっていたここなの事情。ここなは話したくなさそうだったけれど、それをしずくから聞いて、余計にここなのことが心配になった。
ここなはいつだって明るい笑顔を見せてくれる。そんなここなが泣いているところを想像するだけで、胸が締め付けられる。
「ここなさんが玲人先生と間に何があったのか知らないですし、ここなさんの気持ちも尊重したいです。だけど、このままピアノを辞めてしまうのも違う気がして……」
しずくがここなにピアノの話を振った時、ここなはあまり触れて欲しくない雰囲気を出していた。ここなの中で、まだ整理しきれていないからなのかもしれない。
「結人さんと出会ってから、ここなさんの表情はとても良くなりました。結人さんのこと、頼りにしているんだなって分かります。どうか、ここなさんを助けてあげて欲しいんです」
しずくは僕に深々と頭を下げた。だけど、ここなは僕に助けなんて、求めているんだろうか。さっきだって、事情を聞こうとした僕を明らかに拒絶した。もちろん、ここなが僕を必要としてくれるなら、それに応えたい思いは十分にある。
「しずくさん。話してくれてありがとう。ここなが僕を頼ってくれるなら、その時はもちろん」
「はい。お願いします」
「しずく~。お風呂そろそろ出るよーー」
ここなが風呂場の方からしずくのことを呼んだ。しずくはソファから急いで立ち上がり、僕から離れた。しずくが風呂場に向かうのを見送ってから、僕はその場で天井を仰ぐ。
父さん。今、本当にどこに居るんだ?何か大事な案件を抱えているにしても、ここなを泣かして居なくなるのは薄情じゃないか?
母のことにしても、ここなのことにしても、僕は会ったことのない父に対して、苛立ちのようなものを感じ始めていた。
3.
リビングに、寝支度を整えた四人が集まった。本を読みながら、眠くなってしまうことも考慮して、いつでも寝れるようにした計らいだった。
だけどまぁ……。
「……おぉ、なんかいいな」
隼人があまりしたことのない目で二人を見ていた。その気持ちは分かる。だけどだ。
「隼人。……そんな目で見ちゃダメだ」
パジャマ姿のここなとしずく。二人は絵本を膝に載せ、仲良く話をしている。その姿の眩しさといったら……。もうこれは完全な癒しだ。透明人間になったら、ずっと眺めていられるかもしれない。
「……さぁ、読書会を始めようっ!」
僕は気持ちを切り替えようと、声をあげる。
『星の王子さま』という話は、サハラ砂漠に不時着した飛行士が、宇宙から地球にやってきた王子さまとの出会いから別れ。そして王子さまが歩んできた人生の話を語る物語だった。
僕と隼人は二人が開いている絵本のページの箇所を、文庫本の内容で読んであげた。文庫本の分量はそれなりに多かった。読み終わった頃には、僕のあくびは止まらなくなっていた。
「しずくさん、どうだった?作曲のイメージは掴めそう?」
目をこすりながらしずくに尋ねる。しずくは僕の声が聞こえなかったのか、絵本に集中していた。ページを広げ、しばらく目を瞑る。そして次のページを開く。それを繰り返しているのを見て、僕はひとまず、しずくをそっとしておくことにする。
隼人が時計を見て、僕をげんなりさせることを言った。
「もう、こんな時間かぁ。思ったよりも時間が掛かったな~」
「それは隼人がちょこちょこ、脱線させるからだろう」
僕はすかさず、隼人に突っ込みたくなる。この物語の冒頭には、王子さまが「羊の絵を描いて」と飛行士にお願いするところがある。すると隼人が「そうだ!それぞれ自分が思いつく羊を描いてみようぜ!」と言い出して、読み始めて一分もしないうちに、絵を描く時間になったのだ。
そんな調子の読書会だったから、しょっちゅう脱線した。そのせいで僕は、結構くたびれていた。
「だってせっかくこうしてみんなで読んでいるのに、ただ聞いてるだけじゃつまんないだろうと思ってさ。ここなちゃん《《も》》、良かっただろう?」
「うん!とても楽しかった。それに良いお話だったね!この物語が伝えたいことって、『心で大切なものを見る』ってことだよね!」
ここなはこの物語の伝えたいことを感じ取ったようだ。
「そうそう!だから、さっさと本を読み終わる効率化を重視するよりも、もっとその場の雰囲気に合わせてさ、自由に本の内容を感じることだって、大切なことだって思うぜ?」
「………っ」
隼人にそう言われてしまえば、何も言い返すことができなくなる。ここなと隼人がその後も本の話題で満足そうに盛り上がっているのを見て、僕は喉元が苦しくなった。二人の会話に混ざれない。
だって、この物語の伝えたいことが、どうしてそこまで重要なのか、いまいちピンと来なかったからだ。
『目には見えない大切なもの』がある。物語のテーマはそこだった。だけど、それを自分に置き換えた場合、自分にとってそれが何なのか思い浮かばなかった。
それらは敢えて意識していないと気付かないだろう。目の前のことに一生懸命だったら、意識することすら忘れてしまう。だから、簡単に見えるものばかりに、気持ちが向いてしまうのは仕方がないことではないだろうか。そう思いながらも、僕の心の中はモヤモヤが広がっていく。
絵本に集中していたしずくが、絵本を閉じた。そのままボーっとしているしずくに、僕は話しかける。
「しずくさん、大丈夫?話の内容、伝わった?」
自分のことがあったから、しずくにもう一度、尋ねてしまう。
「そうですね。この本の絵の理解は深まりましたよ」
そう答えて微笑んだ。
だけどその笑顔はどこかスッキリしていないような顔をしていたから、僕の心のモヤモヤと重なるように見えてしまった。
* * *
美術室へと向かう廊下の窓の向こうは、薄暗い雲が立ち込めていた。どうしてこんなにも気分が晴れないんだろう。
隼人とここなの満足した顔、しずくのスッキリしない顔。それらが頭の中に浮かんできて、喉の辺りが苦しくなる。
美術室の中を見ると、そこに阿砂はいなかった。準備室の方に居るのだろうか。美術室の中を抜け、開けっ放しになっている続き戸から、準備室の中を覗き込む。
息を飲んだ。その場で固まる。阿砂が声も出さすに、静かに泣いていたからだ。
阿砂の手は白い石膏像の頬へと伸びていた。指先は石膏像の傷に触れたまま止まっている。阿砂の頬にも涙がつたう。その涙は顎の下で粒になって、落ちていった。
阿砂の目はどこか虚ろだった。憑かれているようにも見えてしまう。向かい合っている石膏像の無表情な白さが不気味に感じた。
僕はハッと我に返り、阿砂に気付かれないようにしずかに身体を引く。どうしてという戸惑いと、どうしたらという緊張が心の中で波打つ。
いつも軽やかな声で話し、明るく壮快に笑っている阿砂。そんな彼女しか見たことがなかった僕には、まったく想像もできない表情。
恵利華が暗い色を纏っているっと言っていた。今みた阿砂の様子はまさにそれに相応しい。表情からは感情の色すら消えていた。
石膏像と同じように生気のない人形のような姿。流れ落ちていた涙だけが、生身の人であることを表していた。
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