今回の任務の観察対象
僕の高校の美術室。僕から今回の任務を聞いた隼人は、教育実習生として配属してきた阿砂唯に目を向けた。
茶色の髪のポニーテール。スーツ姿ではなく、動きやすそうなロングパンツにカットソー。彫刻科専攻と自己紹介していたが、身なりは上品さよりも機能性を重視した恰好だ。
男性受けするような清楚さや可愛さには興味がないようで、男っぽい口調で話すのが印象的。生徒たちからは、頼りになる姐御といった感じで、すぐに男女問わず打ち解けていた。
「なんだ、東条、柏木。私の顔をじっと見て。何かついてるか?」
僕たちの視線にも、あっけらかんと突っ込みを入れてくる軽さ。
「私に見惚れるなよ。クラスの女子を敵になんて、回したくないからな」
僕に意味深に微笑んで、そんな冗談を言ってくるくらいの大胆さも持ち合わせている。
悩み多き青春時代の生徒たちをカラっとした笑顔で、「そんな深く考えるな。なんとかなる」と背中を押してくれる。阿砂唯は、そんな先生になる姿が思い浮かぶ明るい人だった。
僕と阿砂の会話を聞いていたのだろう。すぐそばに居た男子生徒が、「そーいえば」っと僕に振り返った。
「こないだ駅前で、柏木が可愛い女の子と歩いてたの見たよ、俺」
「え……?」
突然、振られた言葉に戸惑った。すぐに、ここなのことだと分かったけれど、どうしてそんな話をしてきたのだろう。
「えぇ!柏木くん、女の子と歩いてたの!?」
男子生徒の声が聞こえたのであろう。今度は、これまた近くにいた女子生徒まで入ってきた。
「なんだ柏木。彼女が居たのか?」
阿砂まで遠慮せずに突っ込みを入れてくる始末。
「仲良さそうに、手も繋いでいたぜ」
男子生徒がそう付け加えたら、女子生徒たちの小さな嘆きが聞こえた気がした。
「え?……え…っと」
何故プライベートのことで、周囲からよく分からない圧を受けているのだろう。これまでこんな質問をされたことが無かった。
もちろん女の子と外出したこと自体そもそも無かった。とはいえ、男子高校生は女の子と外出すると、こうやって質問攻めに合うのが通過儀礼なのか?
何て答えたらいいのか迷ってしまう。最近になって、クラスメイトと会話する機会が増えてきていただけに、無下にも出来ない。
「その子、結人の従妹の姉さんだよ。一つ年上なんだよな、結人」
上手く切り返しができない僕に代わって、隼人がフォローしてくれる。
「あ、ああ。そうなんだ」
隼人に話を振られたままに流されて、肯定する。
「海外に住んでいてさ。今はこっちに遊びに来ているから、街を案内してやったんだってさ」
隼人がさらに適当宜しく、僕の代わりに話してくれる。
「なぁんだ。そうなんだぁ!手を繋いでいたのは海外流ってことかぁ」
女子生徒は何故か納得してくれたらしく、笑顔に戻る。
「柏木の親戚かよ。なるほど、あの可愛さも納得だわ」
男子生徒もよく分からないが納得してくれて、その話はお開きになってくれた。隼人が僕の肩をポンポンと叩いて、ニカっと笑う。
「な~んだ。からかい甲斐がないな」
阿砂もつまらなそうに離れていった。僕は一人、目を瞬いて、今の流れにまったく納得できていなかった。
僕たちは班ごとに分かれ、美術課題に取り組んでいた。一つの被写体を囲んで模写する。教室に入る日差しが少し熱い。
僕は締め切った窓の明るさに目を細める。冷房を入れるにはまだ早い季節。教室に熱気が籠り始めていた。
暑さに耐えながら画板の上の画用紙に鉛筆を走らせる。すると、その画板の向こうに男性の姿が突然現れた。僕はその気配を目だけで追う。
彼は僕の世界の住人ではない。光を通すと透ける身体。教室の床よりも明らかに高い位置を歩いている異様な動き。そして、この教室にいる教諭や生徒が誰一人として、彼に気付かない。
教室に現れたその男性は両手を前に突き出しながら、窓辺の方に向かって歩いていた。彼の人相やその動きをこれまでも何回か見たことがあった。この美術室に来ると、よく遭遇していたからだ。
「わりぃ。ちょっと窓を開けていいか」
一人の男子生徒が教室内の熱気に限界を感じたようだ。立ち上がって窓辺へ。そして僕だけに見えている彼に近づき、彼の身体をすり抜けた。窓に手をかけ、最初は遠慮がちに動かす。だけど、それでは風は吹き込んでこない。彼は思い切って、大きく窓を開けた。
待ち望んでいた気持ちのいい風が美術室内に流れ込んできた。手で軽く抑えた画用紙たちもなびく。その気持ちよさに癒されたのと同時に、『ガタゴトン』と聞きなれない音がなった。
「な、なんだ!?」・「な、なんの音?」
教室内がざわめき、生徒たちが周囲を眺めてキョロキョロする。
「あ!!割れてる!」
ある女子生徒が声を上げて、生徒全員の視線が彼女に集まった。その彼女が指さすその先には、顔と首を象った石膏像。窓辺の棚に置かれていたその石膏像は、その場で無残に形を崩していた。
「なんで割れたの?」・「誰かぶつかったんじゃねーのか?」
「この場所に石膏像を置いていなかったはずだが、なんでこんな場所に」
事態に気付いた美術主任教諭が割れた石膏像に近づいた。阿砂も石膏像に慌てて走り寄ってくる。
「阿砂先生、危ないので片付けてもらえますか」
「は、はい」
阿砂が段ボール箱を持ってきて、割れた石膏像を片付け始める。その阿砂の横で、僕にしか見えない異世界の彼が、いつもとは違う慌てたような動きをしていたのが気になった。
* * *
「今日の日直は申し訳ないがこれをゴミ置き場に持っていってくれ」
美術の授業終わり。日直である隼人が受け取ったのは、先ほどの割れた石膏像が入った段ボールだった。僕は隼人に付き添い、ゴミ置き場まで連れだって歩き出す。
ゴミ置き場に置かれた段ボール。僕は中を覗き込んだ。80センチくらいはあったであろう石膏像が、四分割になっている。綺麗な顔立ちの頬には、一筋のヒビが入っていた。
「なんだか痛そう」
石膏像に痛みはないと思うが、位置が位置なだけに、涙を流しているようにも見える。他の破片を見ると文字が入っているのがあった。何て書いてあるかは分からない。美術品によく書かれているサインのようなものだろうか。
隼人が僕の肩を叩き、行こうぜと促してくる。
「そうだ。保健室が近いし、恵利華のところにも寄ろう」
「恵利華は今日登校しているの?」
ここ数日、僕は恵利華に会えていなかった。登校していることすら知らなかった。
「教室には来ていないけどな。今日は保健室登校しているはずだ」
僕たちは動き出し、同棟にある保健室へと向かう。近くまで辿り着くと、窓辺に座っている恵利華の姿が見えた。手を振ると、恵利華が気付いて、保健室の窓を開けた。
「どうしたのよ。何か用?」
一概にも僕たちは仲の良い友人だと思う。だけど、恵利華の出迎えは冷たい。
「近くに来たから、寄ったんだ。そんな言い方されたら、悲しいじゃんか」
隼人は軽く笑いながらそう返した。恵利華の反応を気にしていないところがたくましい。
「隼人は悲しんでないでしょ。……結人は確かに、ちょっとはそう思ってくれているみたいだけど」
恵利華は僕をちらりと見てから、気恥ずかしそうに目を反らした。僕の心を素直に隼人にバラさなくてもいいじゃないか。確かに悲しかったのは事実だけど……。
「ほらぁ。結人《《は》》悲しんでいるじゃないか。俺らは連絡取り合っているから良いけどよ。結人のために、朝くらい教室に顔を出してやってもいいんじゃないか?」
「結人がスマホを持てばいいじゃない。そうすれば顔を合わせなくって済むでしょ」
「結人は結人で、持たない理由があるんだよ」
「ふん。私だって、教室に行きたくない理由ができたんだから、仕方がないじゃない」
恵利華は入学当初から、《《ある》》理由があって、学校に登校していなかった。僕らと知り合ってから、たまには登校するようになり、教室にも顔を出すようになっていたのだけど、最近また、まったく教室に来なくなっていた。保健室に登校はしていたんだと知り、安心する。
「どんな理由ができたんだ?」
「こないだから来ている教育実習生。あの人の色を見ると、気持ち悪くなるから」
まさか阿砂の名前が出てくるとは思わなかった。
「どうして?」
次回の更新は本日21時予定です。




