新しい任務の始まり
1.
レースのような雲の間を、澄んだ青がしおらしく色を放つ。初夏の爽やかな風が、僕の足取りを軽くする。最近、景色を楽しめるようになったと感じている。
以前の僕は下ばかり向いていた。だけど今は、顔を上げて歩く余裕がある。他の人には見えない存在が浮いていても、壁の中に消えても、僕はもうそこまで気にしない。
立ち並ぶ住居。舗装された道路。道路標識。電柱。所狭しと人工物があるこの世界は、どこに目を向けても情報で溢れている。考えたくないことがあったとき、それらは僕の気を反らして、埋もれさせてくれる。
僕は辻村家の玄関を開ける。そのまま廊下とリビングを抜けて、もう一つの玄関を開けた。その先に広がるのは、さっき見た景色と打って変わって、人工物がほとんどない世界。
こっちの世界は、どこに目を向けても豊かな自然ばかりが広がっている。それらは、僕の気を晴らして、考えることそのものを忘れさせてくれる。
どっちの世界が良いか悪いか。そんな風には分けられない。きっとどっちも必要があってそう存在している。両方を知っている僕は、どちらの世界も大切にしたい。
見上げれば、さっき見た雲が浮かんでいる。遥か遠くに見える景色に見覚えのある山々が連なる。世界を跨っていたとしても、僕は同じ大地に立っているのだと実感する。
「ここな」
父の庭で水やりをしているここなに声をかけると、ここなは振り返って、僕の名を呼び微笑んだ。庭の花たちに引けを取らない可愛らしさが咲き開く。
「まだ水やりが終わってないの」
ここなは花の一つ一つに声掛けをしながら水を与えているのを知っていた。
「そうだろうなと思って、手伝いにきた」
「本当?じゃあ、結人くんは、百合の花に水をあげてくれる?」
「分かった」
この庭の一番目立つところには、百合が植えられている。僕の母が大好きな花。父はこの庭で、その花を大切にしていた。このたくさん咲き誇る百合の花を見る度、ほんのりとした温かさが湧く。だけどそれは行き場なくて、小さな痛みに変わり胸の奥に沈んでいく。
訳あって行方知れずになっている父。今はどこで何をしているんだろう。
「おーい、お前ら~」
どこからともなく聞こえてきた、姿は見えないけれど、声で誰が現れるのかは分かった。僕は身構える。
「よっ!」
テルは突然、僕の足元に現れた。
「………っ!!」
そ、そこに現れるのか!反則だろうっ!僕の身体はどうしようもなく、ビクンっと跳ねた。
「相変わらず、まだ慣れないんだな~」
僕を驚かすことに成功したテルは、その場に座り込んだまま僕を見上げ、ニカリと白い歯を見せた。
「……もういい加減に、普通に現れてくれませんか?」
「や~だね。結人をからかうのが最近の俺の楽しみ」
「サイテーです」
テルに冷ややかな目を向ける。だけどテルはそんな顔をする僕すら、嬉しそうに見てくるから埒が明かない。
「あ~!テルさんだ。また新しい任務ですか?」
テルが現れたことに気付いたここなが、目を輝かせて僕らのところに走り寄ってくる。
「ここな!み、水!」
「え……?」
ホースから出ている水は止まっていなかった。細かい水の雫が大きな弧を描いて、僕とテルの頭上へと向けられる。僕とテルはびしょ濡れ。
「あ……。ど、どうしよう!テルさん、ご、ごめんなさい!!結人くん、ごめんね!」
とっても慌てた顔で、テルと僕に真剣に謝っているここなの表情は、責めることができないくらい可愛い。許す以外の選択肢なんてあるのだろうか。
「大丈夫だよ、ここな」
ここなが安心するよう笑顔を見せてから、濡れた服を引っ張っる。
「だけど着替えがないから、一度自宅に帰らないと」
「その必要はないさ」
テルがパチンと指を鳴らすと、ここなの手にあったホースの水が止まった。僕とテルの身体を濡らしていた水分がシュワっと水蒸気になって、一瞬湯気が湧く。そして次の瞬間には、それらは空気の中に消えていった。
濡れていたはずの僕の服は、乾燥上がりのようにほんのり温かくカラっとしていた。
「ほい。乾いた」
テルが瞬きするのと変わらないくらい簡単なことのようにやってのける。
「良かった~。テルさん!ありがとうございます!」
ホッとしたように喜びを表すここな。
「……なんでもありですね」
呆れる僕。
「そんなことはない。これでもちゃんと約束は守っている」
「どんな約束ですか?」
「さあな。そのうち分かる」
いつも肝心なところは明かしてくれない目の前のテルは、やっぱり僕より遥かに普通じゃない。
* * *
「それで今回の任務だけどな」
花の水やりを終え、辻村家のリビングに戻ってきた僕たちは、テルからの新しい任務を聞くことになった。
キャンプ場の初任務を解決して以降、数回の任務をこなしていた。それらは僕とここなが自身の世界に居たまま解決できる割と簡単な任務だった。
だけど、今回、テルから頼まれた任務は、これまでとはだいぶ毛色が違った。
「結人の学校にもうすぐ教育実習生が来る予定だ。その人物の動向を見守って欲しい」
「動向を見守る?今回、『CWC』は関係ないんですか?」
「いや、『CWC』は起きる。だけど、今回の『CWC』は流動的で、こちらで対処できるものではない。こっちも予測ができないというのが実情かな」
「その教育実習生が、『CWC』を起こすかもしれないんですか?」
「うーん。それもどうだか、正直見えていないんだよね。だから、とりあえず観察かな」
「ではひとまず、その教育実習生を気にしていればいいんですね?」
「ああ、その感覚でいい。どのみち何かあれば、結人は動かざるを得なくなるだろうからな!」
テルは僕を見透かすように微笑んだ。
「それで彼女が、テルから依頼された『観察対象』なんだな」
「ああ」
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