ここなと。そして、これからも
起きませんように。そう願いながら、僕の手がここなの頬のすぐ近くまでたどり着く。触れる感触を期待した。だけど…。
僕の手はするりとここなの頬をすり抜けてしまった。感触すら感じない。目の前にいるここなはホログラムのように、触れようとしても触れられなかった。
同じ世界に居ないから、触れられないんだった……。
いつもよりも輪郭がはっきりしているから、その事実をすっかり忘れさせてしまっていた。
これまで感じたことがなかった動揺が沸き起こっていた。思いのほかショックを受けている。
そして深く意識してこなかった事実に気付かされた。今、ここなは僕のことが見える。会話ができる。
でも一番最初はどうだった?ここなは僕が見えていたのか?
僕たちは住んでいる世界がそもそも違う。本来なら交わることも触れることもできない存在だった。
しずくは僕のことが見えなかったし、来條だって、ここなが居なければ僕が見えない。
じゃあもし、ここなが僕のことを見えなくなったら……?
そんなことが起きたときのことを想像する。息が詰まる。急激に心が冷え込んでいくようだった。
僕はそのまま身震いし、眠ってしまったここなを見る。夜風が冷たくなった気がする。このままこの場所で寝かさせていたら、風邪を引いてしまうかもしれない。
「ここな、起きて」
僕の声は聞こえるはずだ。だけど、今のここなの耳には届いていない。
「ここな。ここで寝たら風邪をひくよ」
ゆすって起こしたい。だけど、肩すらつかめなかった。
触れることができないなら、こういう時、どうしたらいいんだろう。
もしここなの身に何かあったときは、僕は何もできないということになる。
沈んでいく気持ちをどうにかしたくて、せめてここなが風邪を引かないようにと願い、僕は自分が来ていたジャージを脱いだ。それをここなの上にかける。
ジャージの下は薄着だったから、僕自身も寒さを感じて、ここなのすぐ真横に寝転んだ。触れられないここなの身体に、僕自身の身体も重ねる。
僕は感触のないここなの輪郭を抱きしめるようにして、ジャージの下にもぐりこんだ。
ここなの寝息をしっかりと近くに感じる。
僕は目を閉じて、その寝息だけに意識を傾けた。
* * *
薄明るい朝日と寒さを感じて目を覚ました時、ここなはもう居なかった。
僕は急いで起き上がり、隼人たちがいるテントスペースに走って戻った。
ここなの姿を探して、キャンプ場内を駆け回った。だけど、どこにも見つけることが出来ない。
ここなは先に帰っただけだ。住んでいる町に帰れば、また会える。もう会えないなんてことにはならない。消えてしまうなんてことは起きない。
僕を不安にさせるマイナスな思考が浮かんでくるたびに、僕はそれを否定し続ける。
帰りのバスの中は賑やかだった。実行委員をした生徒たちがトランプをしようと誘いにきてくれる。だけど、そんな気分にはまったくなれない。
隼人がそんな僕の様子を見て、疲れているみたいだからそっとしておいてやろうと言ってくれた。
僕はバスの車窓から、じっと外を見続けていた。
落ちていく感情に飲み込まれないように。ただ黙って、平静を保つことに必死だった。
学校にバスが到着する。バスのドアが開く音。
その瞬間、僕が保とうとしていた平静は弾けてしまった。
バスを降り、走り出す。足はまっすぐ辻村家に向かっていた。
この止められない衝動は何だろう。僕が僕じゃないみたいだ。
辻村家の門扉も、玄関も、どの扉も僕を急かす。脱いだ靴も投げ出したまま、最後にリビングの扉を開ける。
その瞬間、僕の心は一気に解放された。暗く飲まれそうだった思いは消え去っていく。
「結人くん。おかえり」
ここなの声。ここなの笑顔。僕の闇は溶かされていく。
僕はここなのすぐそばまで走り寄った。胸に込み上げてくる思い。僕の手はそのまま、ここなの頭の上に伸びていた。
手のひらにしっかりと、ここなの髪の感触が広がった。
ちゃんと触れられる。ここながちゃんとここにいる。そのことが嬉しくて、髪の感触が心地よくて、僕はそのままここなの頭を撫でていた。
「……どうしたの?結人……くん」
小さくてやわらかくて、ちょっと戸惑っているここなの声。
「……いや。なんか良かったって思って」
きっとここなの求める答えにはなっていない。
だけど、ここなは嫌がらずに、僕に頭を撫でられっぱなしでいてくれた。
そのうち、恥ずかしそうに頬を染めだして、そして気持ちよさそうな目をして、僕にそっと微笑んだ。
二人を包み込む空気が、キャンプファイアーの時と同じような光で、キラキラと輝いているような気がした。
僕たちは住んでいる世界が違う。だけど、今、僕たちは触れ合える。
それがどんな制限があっても、条件があっても、こうして近くに居ることができるならば、僕はこの今を失いたくない。
ここなと出会ってから、僕はずっと疎んでいた特異体質を少しずつ受け入れられるようになってきた。ただ嫌で仕方なかったのに、そこまで嫌ではなくなっている。
視えちゃう僕でも、これからは前向きに生きていける。
ここなが居てくれれば、僕はきっと、もっと自分らしい在り方が分かってくる。そんな気がした。
「またテルから任務を頼まれたら、ここなも手伝ってくれる?」
「何言ってるの。当たり前だよ。逆に、結人くんに拒否権がないくらいだよ?」
ここなが目を少し細めて、いらずらっぽく笑う。
「あはは」
ここならしくて、僕も笑う。
世界を跨いで互いに姿が見えるのは僕らだけ。今、僕らがそんな関係なのはきっと意味があるのかもしれない。僕がこんな体質で産まれてきたことにだって。
「おつかれー!」
急に声が聞こえてきて、僕たち二人はびくりと肩を上げた。
慌てて振り返るが、周囲には誰もいない。と思った瞬間、テルがシュンっと少し離れた場所に現れた。
「て、テル!」・「テルさんだ~」
僕とここなの反応は正反対。僕はビクっと驚いたが、ここなはもう既にテルの特殊な現れ方に慣れていた。
「イチャイチャしていたところを申し訳ないが、さっそくだけど、次の任務をお願いしたい」
「………っ!」
テルは僕たちの様子をちゃっかりと見ていたと知り、冷や汗をかく。
「テルさん!次はどんな任務ですか?」
決まりが悪い僕とは正反対に、ここなはもうやる気スイッチがオンのようだ。
そんなここなの目は例のごとくキラキラしている。その表情に僕は愛しさと可愛さを感じて、ふっと笑みが零れてしまう。
「なんだ、結人。お前、楽しそうな顔をしてるな」
テルが僕の顔をみて、ニカリと笑う。
「え?」
僕はこれまで、いつだって、自分はつまらない顔をしていると思っていた。
───だけど今の僕は、楽しそうな顔をしているのか。
それを知って、ほんわりと灯る温かさ。
信頼できる仲間が出来た。隼人、恵利華。そして僕に微笑んでくれるここな。目の前で僕をからかいたくて仕方なさそうにしているテルも、僕にとって変化の糧だ。
僕はまだ、僕の世界と、ここなの世界しか知らない。だけど、この世界は二つだけはなくて、僕が知らない世界が、もっと存在しているという。
僕が持っている生まれながらの特異体質。これを活かして、『CWC』を解決していく。
それを続けていたら、僕はあまり好きじゃない自分を好きになっていけるかもしれない。自分でそれを認められる日がくるかもしれない。そして、その先に、僕の父と再会する機会も……。
「こうして『CWC』に関わっていったら、僕も変わるかな」
「ん?結人くん、なあに?」
「ううん、いや。次の任務も、うまく解決できるといいなっと」
「結人くんと一緒なら、大丈夫。だって、私たちは世界を跨いでも繋がっていて、これまでもいくつか解決してこれたんだから」
ここなの真っ直ぐに僕を信じてくれていると分かる瞳が、僕の心を震わす。
「これからも、一緒にそんな未来にしよう」
後ろ向きではない、自らそうしていくのだという気持ちが僕に勇気をくれる。
「ああ。そうしよう」
ここなの笑顔は今日も眩しい。
第一部 完
引き続き、ここまで読んでくださり本当にありがとうございます。
第一部が終了しました!
ここまで頑張れたのも、みなさまのおかげです。
いかかでしたか?
ぜひ、読後の感想を頂けたら嬉しいです!
すこしでも、結人たちとその仲間たちのことを好きになってもらえていたら、嬉しいです。
次回から、第二部へ。
明日から、更新を7時、12時、21時で、投稿してみようと思います。
『CWC』を通して、結人や大切な仲間たちが成長していくストーリー。
引き続き、応援していただけたら嬉しいです。
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