89:ちょっぴり悪辣な堕とし方⑥
(柔らかい……)
義晴は覚醒する直前にそんなことを思った。
薄ら目を開ければ、随分と高い天井があって、その手前に双丘と、更に奥で見知った顔が覗き込んでいる様を発見する。
見覚えのある顔は、義晴にとっては可愛い顔して地獄の鬼かと思われる程に苛烈なる技の師ルアフであった。
「俺は、そうか、気絶していたのか」
呻くように声に出す。
この間にもルアフは自分の前髪を撫でている。
後頭部に感じる柔らかさも相まって、一瞬もう自分は死んでいて冥府の境にいるのかとすら錯覚してしまった。
「どうなったんだ?」
「気絶してた。怪我をしてそのまま、ね」
「そうだ、敵は?!」
「心配しなくても全部片付けたよ」
まだ戦闘中だった事を思い出して慌てて身を起こそうとしたがルアフの指が額に押し当てられて再び身を横たえる。
後頭部に当たる感触の柔らかさを疑問に思って手で触れてみれば、それが彼女の太ももであると勘付く。
「え、ちょ?!」
「どうかした?」
「いや、膝枕って……」
「頑張ったご褒美」
ルアフは優しげで愛おしげな顔で、義晴の前髪から頬の輪郭にかけて指でなぞる。
気恥ずかしさを覚えながら、それでも戦いが終わったのだと自分に言い聞かせて肩から力を抜く。
それからぼんやりと思い返している内に急に思い出して自分の腕を目の前まで持ってくる。
「生えてる……」
意識を失う直前の光景と言えばそれはもう苛烈な代物だった。
ずんぐりとした二足歩行型のロボットが腕をこちらに向けて突き出したかと思えば、そこに搭載されていたレンズのような物が青白い光を放って、ほぼ同時に体のバランスが崩れるのを察知。
目を向けた先で光の筋に切り飛ばされる右腕と僅かに血飛沫が飛ぶのを見つけた。
もう一度敵機を見た時には横合いからルアフの姿が滑り込んできていて「これは勝ったな」なんて確信めいたものが脳裏を過ぎるのと同時にプツリと視界がブラックアウトした、というのが目を覚ます直前の光景だった。
だから記憶通りなら右腕は焼き切られ喪失しているはずなのである。
「あたしだって一応は魔法少女だからね。腕の一本や二本くらいなら何とか出来るのよ」
「治してくれたのか。ありがとう」
「うん、感謝の気持ちがあるなら貸しは返そうね」
「うん?」
魔法少女、なんてこの世界じゃあ聞き慣れない単語に眉を顰めそうになった義晴。
しかし疑問はそれ以上の疑問にすぐさま塗り潰されてしまう。
「キス、しよ?」
「……え?」
穏やかで優しげで扇情的な音色。
耳を疑うがルアフは微笑みを崩すことが無い。
「別に付き合ってとか、そういった話じゃないの。ただ、ね。初めての口付けは好きな男の人と交わしたいと思ってたから、ね?」
ルアフの頬がみるみる赤らんでいくのが分かった。
なんだこの可愛い娘さんは?!
義晴は思わず身を起こし、「……マジか」なんて呟いてしまう。
「マジだよ。ヨシハル」
正面から見ればルアフは正座じゃなくて女の子がよくするアヒルさん座りというか、崩した正座姿だった。
そりゃあ床が石で出来ているのだし、人間の頭は10kgくらいはあるらしいし、江戸時代にあった拷問みたいな絵面を自分でやるには痛すぎるだろうよ。
でもその全体像があまりにも可愛らしくて、思わず手を差し伸べてその身を立たせてしまった義晴はそのままの勢いで抱き締めてしまった。
あれ、俺ナニしてんだ?
なんて自分の中の冷静な部分が疑問を呈したかにも思われたが、そこで冷静さを取り戻せるほど青年は経験もなければ歳を重ねているわけでもなくて。
腹の底から湧き上がる劣情に背中押されるまま、心の臓を鷲掴みするかの如き甘やかな少女の顔へと自分の顔を寄せていく。
ちゅ。
最初は触れるか触れないかの接吻だった。
ちゅ、ちゅ。
二度三度と繰り返す内に深さを増していく腕の力。
抱き締め返す手の温もりを背中に感じる。
何度も何度も口付けて、深く。もっと深くへと二人を引きずり込んでいく。
求め合うように。
貪るように。
凍えるかとすら錯覚する程の熱い接吻。
やがて身を引いた二人の唇。
互いを結んでいた透明な筋がプツリと切れる様までをも薄闇の中であってさえ克明に描き出していた。
「なんか、恥ずかしいね」
「お、おう」
瞳を潤ませながら、耳まで真っ赤にしつつも顔を背ける彼女の立ち姿にそこはかとない淫靡さを感じた義晴は、自分も似たような顔をしているのも気付かないまま、急に押し寄せた罪悪感らしき気持ちを誤魔化すように周囲を見回す。
すると微かな衣擦れの音を聞いた。
ハッとして目を上げるとフロアの奥に見えていた廊下の向こうから何かがやって来る気配。
敵かと慌てて臨戦態勢を執った義晴は、しかし見知った輪郭を確認して肩から力を抜いた。
「ああ、雨宮、無事で良かった」
「義晴君、……うん、何とかなった。義晴君も平気そうで良かった」
現れたのは分断された仲間達、雨宮愛菜と一ノ瀬姉妹、それから焰だ。
紅髪の娘は、本人の言葉を信じるならルアフとほぼ変わらない年齢の筈なのだが、どう見てもこの中じゃ一番の年長者に思われる。
そんな焰の肩の上には球形のドローンが浮遊しており、一眼レフといった趣のレンズをこちらに向けていた。
『どうやら無事に合流できたみたいね。調べていて分かったけど、その部屋の横にもう一本廊下があって、奥に資材置き場っぽい部屋があるみたい。ちょっと調べてみてくれないかしら?』
ドローンからルリの音色が発せられる。
義晴達は周囲を見回し、通路ではないが壁に切れ込みの入った箇所を見つけた。
「隠し通路か……」
「どうしたら良い?」
今にも燃え盛ってしまいそうな情動を悟られまいとするように感慨深くといった体で呟く義晴。
一方でルアフはドローンに向けて問うが、他の誰の視線ともかち合わない瞬間に愛菜を見つめ、僅かながら勝ち誇ったように笑んで見せた。
「……っ!?」
薄緑色髪少女の視線に勘付いた愛菜が息を飲むが、そんな微かな遣り取りさえドローンからやって来た返事で掻き消されてしまう。
『焰ちゃんのデバイスを経由してサーチとハッキングを掛けるわ』
「はい、姉上」
言われた焰が壁まで近づいて行って、腕に装着された手甲型デバイスの背面からピューっと端子を伸ばして壁に押し当てる。するとドローンの向こう側、大樹の家に待機しているのであろうルリが何やら呟いて、カタカタとキーボードのキーでも叩くような音が微かに漏れ出てくる。
ややあって、「ピコーン」と壁から音がして一部分が陥没、左右に押し開かれたかと思えば奥に続く廊下が出現した。
「「おぉ」」
思わず感嘆の声をあげる面々。
義晴は仲間達の顔を一巡見回し、ルアフと頷き合うと自ら足を踏み出す。
後衛も追従し、歩くこと五分少々。
視界が一気に開けてゴチャゴチャとした部屋に到達した。
『どうやら見立て通り資材庫のようね。じゃあお目当ての金属塊をくすねて即時撤退。戦闘なんて全部スルーして帰ってきなさいね』
球形ドローンのカメラ越しにリアルタイムで状況を見ている司令官殿が明るい声で司令を出して、こうして一行は踵を返すのだった。
「――じゃ、ここからは私の仕事だから。君たちはゆっくり寝てなさいな」
ルアフと焰を加えて6人になった勇者一味はこんなちょっぴり波乱の種を植え付けられた格好でルリの待つ大樹の家まで戻ってきた。
家に到着するなり持ち帰ったミスリル塊を奪い取られてしまった義晴はルリが去り際に残していった言葉通りに自分のテントに帰って泥のように眠る。
なお、この時点で既に即席聖剣モドキは完成しており、ミスリル金属を収納棚に押し込んだルリがホクホク顔だったことなんて勇者一味は知る由もなくってなもんだ。
――時刻は真夜中。
雨宮愛菜は一人森の中、木の切り株に腰を落ち着け闇の中をぼんやりと見つめていた。
「……」
思い返すのは義晴とルアフのキスシーン。
何度も何度も繰り返し再生される映像に胸が締め付けられる思いだった。
愛菜は聖女というスキルを持っている。
それは一般的な聖職者とは違って冗長な祈りの言葉も無く奇跡を発現できるといった代物で、また同時に得ている加護とやらのおかげで闇の眷属には近づいただけで能力を減衰させることが出来るらしい。実感は無いけれど……。
いずれにしたって、そんなご大層な能力を持っていても、愛しい人を振り向かせるには至らなかった。
自分はなんて無力なのかと。自分には魅力が無いのかと嘆くばかりの夜であった。
「こんばんは。良い夜ね」
そんな静かな夜の森。
微かな風に木の葉は音も立てない闇の中で、目端にポゥっと光が灯ったかと思えば聞き覚えのある声がやって来た。
「何の用ですか?」
できれば構って欲しくない。嫉妬に歪む顔なんて誰にも見られたくないと突っ慳貪に返す愛菜。
声の主は賢者の呼び声も高い女性、ルリさん。
「いいえ、大した用事ではないの。ただ――」
「でしたらほっといて下さい!」
ルリの声を遮って愛菜が大きな声を出す。
思った以上に声に勢いがあって、自分でも驚いてしまう。
そんな愛菜に柔らかな笑みを手向けて、瑠璃色髪の賢女様は愛菜の真ん前までやって来た。
「放っておけないの。だって貴女がそんなだと義晴君が死んでしまうから」
「え、なにを……」
ビクリと身を震わせた愛菜に彼女は優しげな、それでいてどこか無機質な声を紡ぐ。
「要点を言っておくと。この先、義晴君は魔王に突っ掛かって行くでしょうね。私が作った聖剣を手に持って。けれど今のあなた達では彼が魔王に近づく前に消し炭にされてしまう未来を変えられない。作られた聖剣も効力を発揮する事なく叩き壊されてしまう。全て貴女が台無しにしてしまう」
「だったら……」
「私はルアフと焰を彼に預けるつもりは無いの」
考えた事に先回りで答えられてしまう。
愛菜は苦渋の顔で魔法の光に照らし出される面持ちを見上げた。
「二人は彼に肩入れしすぎている。勇者の盾になって殺されてしまうかも知れない。私はそんな人間に大切な家族を任せるつもりは無い。……私はあなた達ほど彼を信頼しているわけではないから」
ルリは笑みを引っ込めて唇をキュッと引き結ぶ。
愛菜は自分の中で不謹慎と思いながらも安堵している事に気付いた。
「だから貴女には魔法少女になって貰わなきゃいけないと、私は思ったの」
「魔法少女?」
「ええ、ついさっき聞いた話を言えば、貴女の知らない所で彼、致命傷を負って死にかけていたらしいの」
「え、そんなこと聞いてない」
「その怪我はルアフが完治させたようだけれど。じゃあ聖女なんて肩書きを持っている貴女はそのとき何をしていたの?」
「私、は……」
色恋に頭を悩ませていた愛菜には現実的な状況打開の方法が考えつかない。
思考に霞が掛かったように思考が鈍くなっている事にさえ気付けない。
「魔法少女は聖女のように奇跡の代償を神に肩代わりさせることができない。けれどその代わりに、全てを自分の意思だけで決定できる。神の傀儡である事を止めてしまえば、貴女は貴女の望む全てを手に入れる事が出来る」
「ぁ……うぅ……」
呻く愛菜。畳み掛けるルリ。
少女の心はもう鵜呑みにするしか出来ない程に弱り切っていた。
「ルアフは魔法少女で、だから義晴君を死の淵から呼び戻す事ができた。彼の気持ちを手繰り寄せることができた。じゃあ、貴女はどうするの?」
僅かに首を傾いで問う瑠璃色髪。
視界の中で淡い光がユラユラと揺れている。
愛菜は、少し考える素振りを見せた後、どこか虚ろな瞳で頷いた。
「……てください」
「よく聞こえないわ。もう一度、ちゃんと声に出して自分の意思を言ってちょうだい」
ルリが責めるように告げる。
愛菜は再び可憐な唇から言葉を紡ぎ出す。
「わたしを、魔法少女にしてください」
「ええ、分かったわ。貴女の願いを叶えましょう」
そしてルリの手が伸びてきて、愛菜の神に触れた。
キィィィ……ン。
こだまするのは甲高い音色。
二人の輪郭に光が灯る。
「憐れなる神の眷属よ。汝からその力の全てを剥奪し、新たに闇深き業深き祝福を与えましょう。汝に魔法の理を超えた新たなる理を。契約の契りを今此処に――」
キュバッ!
瞬間、森の中に光の柱が突き立った。
光に当てられて視界が真っ白に染まる。
愛菜は絶叫したつもりになったが、その音色すら丸ごと包み込んで。
やがて光は収束し、微かな筋の一本さえ残さず消失した。
「あぁ……」
「生まれ変わった気分はどうかしら、愛菜ちゃん」
「凄いです……ルリ様……」
愛菜の輪郭に宿るのは黒い光。
少女は妖艶な笑みを浮かべると座っていた切り株から腰を上げる。
「今から貴女は私の眷属。魔法少女という名の奴隷。隷属の契約は結ばれた。もう神の手は届かない。もう神の目は届かない」
そんな聖女を優しく愛おしげに抱き寄せたルリは、囁いて笑みを浮かべる。
聖女とは言うなれば神の僕。
その契約を破棄させ新たな契約を結ぶということは、即ち神の手から奪い取った事を意味する。
虚ろな、けれど熱い情念の宿った瞳で愛菜は身を任せ、抱き締められる事に至福の悦びを感じている。
「では愛菜ちゃん、今夜はもう部屋に戻ってお眠りなさいな」
「はい、ルリ様」
自分が傀儡へと書き換えられてしまった事実に気付くことすら許されない少女。
愛菜は言われるままに踵を返し、自分が寝起きしている大樹の別邸へとつま先を向ける。
勇者パーティは四人で、その構成は何も変わっていない。
ただ、勇者たる義晴を除いた三人が三人ともルリの眷属と化した事に目を瞑れば。
夜は暗く、朝は遠い。
一人居残った瑠璃色髪の乙女は小さく息を吐いて袂にあった魔法の光を吹き消すのだった。




