83:勇者ヨシハルと風の魔法少女⑫
天上に輝くは星々と二つの月。
されど森の中は光も大して届かず薄闇に包まれている。
「ヨシハル、準備は良いかな? かな?」
「ああ、やってくれ」
今、俺は石の上で座禅を組んでいる。
視界の奥にはスリングショットもどきを構えるルアフ師匠の輪郭が薄ぼんやりと浮かび上がっている。
俺は印を組んでいた手を解くと腕を軽く広げた。
「フッ」
ヒュオ。
ルアフ師匠が何の手加減も無く石つぶてを投擲する。
鼓膜に感じる僅かな音色。
凄まじい速度で飛来する石を目視で確認なんて出来るワケがない。
「フンッ!」
パキャン!
だが、小石は俺の顔面には直撃しない。
指先一つを小石の軌道上に添えて、飛来物を粉々に砕く。
大賢者ルリの家まで連れてこられてから一週間。
それはもう地獄の日々だった。
新たに師匠の名乗りを上げた焰さんと交代で俺をしごく。
ルアフが言うには俺を見ていない時は一ノ瀬姉妹や雨宮を監督しているらしいが、それは兎も角。
朝起きてから就寝という名の意識不明の重体に陥るまで、修行、修行、修行。
おかげで筋肉だってモリモリになった。
世紀末覇者を名乗れるようになるまであと一息といった所まで鍛え込まれていると自負している。
「それにしたって君、一週間でよくもまあここまで変わったもんだ」
「ああ。それもこれも全部師匠のおかげだ」
何度も気絶してその度ごとに三途の川とかお花畑とか、そういったヤバい風景を見せられて今日に至る。
これで変わってなけりゃ逆におかしいだろ。
「嬉しいこと言ってくれるじゃあないか。師匠冥利に尽きるねえ」
「念のために言っておくけど、半分は嫌味なんだぜ?」
「じゃあその嫌味が丸っと称賛に変わるまで、しごいてあげなきゃね」
「俺の目にはアンタが悪魔にしか見えねえよ」
闇の向こうでルアフ師がニタリと笑むのを感じる。
背筋を走る悪寒は風邪引いたとか、そういう事じゃないとすぐに察する事が出来る。
彼女が手にしていた得物を地面に落とす音を聞いた。
「次は拳を凌いでみなさいな」
「手加減の一つもしてくれってんだコンチクショウ」
「腑抜けたことを言うもんじゃないよっ!」
地獄の特訓によって変貌した俺の心技体。
師が拳を構えて飛び掛かってくるのを気配の揺らぎから察知した俺は、座している大石を両手で叩いてその反動で直立するとユラリと構えを執る。
「オラァ!」
「怒羅ァァ!!」
師弟の拳が闇の中で踊り狂う。
師ルアフの拳は竜巻の如き暴風を腕に纏わり付かせて放つ剛拳。
そして同じ拳を俺は会得しつつあった。
ズドンッ!!!
闇夜の中で二つの暴風が激突し互いの勢いを喰らい合う。
衝撃で周囲の木々がミシリと傾ぎ、砕かれた枝葉が撒き散らされる。
「流石はあたしの弟子だ。褒めてあげよう」
「こンのぉっ!」
そして蹴りつける両者の脚が空中で交差する。
ブワッと空気が弾き出されるのを感じた。
そして競り負けたのは俺の方だった。
ドゴッ!
「げふっ!?」
盛大に吹っ飛ばされてきりもみ状に宙を舞った俺がそのまま地面に叩き付けられる。
数秒ほど気絶したのが自分でも分かった。
「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ……」
「おやおやぁ? お偉い勇者様はこの程度でへばっちゃうのかなぁ?」
ニンマリと口元を笑ませたルアフ師匠が、地面に伏せっている俺を見下ろしながらほざきやがる。
一週間と繰り返された図式ともなると悔しさすら湧いてこない。
「あ、アンタ俺を殺す気かっ?!」
「人間そんなんじゃ死にやしないよ。特に君は伸び盛りで叩いたら叩いただけ強くなる才能の塊なんだ。だから容赦はしないよ!」
「ひでぇ……」
DV夫に毎日虐められる妻の気持ちとはこういう物なのだろう。
師匠は身を屈めると足下に這いつくばっている俺の肩をガシリと掴んで、一本釣りでもするようにそのまま持ち上げる。
これでも体重はそこそこある筈なんだが、右手一本で軽々持ち上げてしまうあたり少女の皮を被った化け物なのだろう。
ゴスッ。
「いでっ?!」
「今失礼なこと考えたでしょ?」
「くっ……人の心を読みやがって」
「減らず口叩けるぐらい元気なんだし、もう1セットいってみよっか」
「この悪魔……!」
などと遣り取りして、俺はまた修行という名の地獄へ連れ戻されてしまうのだった。
もちろん、延長されたトレーニングは俺が血反吐吐いてぶっ倒れるまで続いたものである。
◆ ◆ ◆
――勇者ヨシハルが地獄の特訓に勤しみ連日と変わらぬ気絶、そのまんまの姿で設営されたテントに放り込まれ就寝していた頃。
大賢者なんて仰々しい二つ名で呼ばれる事が稀に良くある瑠璃色髪のルリさんは家の一階部分で勇者一味の一人と対談していた。
「それで、どういうつもりなのかいい加減に聞かせて欲しいンだけど」
テーブルを挟んで黒髪ポニテの強気美少女、一ノ瀬夏樹がルリに詰め寄る。
まるで答えを急かすようにテーブル板をコツコツと叩く指先。
強気と言うよりは短気なだけかも知れないが。
「それはいちいち聞かないと分からない事なのかしら?」
ルリはテーブルの上に置かれたティーカップを摘まんで口元にて傾ける。
一見すれば紅茶にも思われるが、実のところ森で採集した薬草を煎じた薬草茶。
瑠璃色髪は僅かに眉根を寄せながらも「あなたも飲んだら?」と相手を促す。
夏樹は茶に対しては全くの無関心で、そのくせ同じくテーブルに置かれたクッキー皿には手を伸ばしている。
「想像する事はあるわ。けど、その口から直接聞きたいわね」
「ふ~ん」
この一週間、夏樹は一日の大部分を魔力増強の為の瞑想に費やしていた。
それはルリがそうしろと指示したからであり、悪く言えば落ち着きの無い夏樹を見張る格好でルアフと焰を交代で前に立たせていたからだ。
『どれだけご大層な魔術理論を並べ立てたところで実際の力として行使できなければ机上の空論。魔力という物は魔法を使う際の燃料なのだから可能な限り容れ物を拡張するのは当然。これができないようなら貴女は近い将来にお荷物になる。お荷物は置き去りされる。それがイヤなら修行しなさい』
ルリのこの言葉に触発されたのか夏樹は辺りが明るい間は延々と瞑想を続け、夕飯を胃に詰め込んで一息吐いたらルリ直々の講習を受けて勉強に打ち込んだ。
なので今の時点で多少は理論立てて考えられるようになっていた。
「アンタは最初から義晴が勇者だって分かっていた。どうやってその情報を得たのか、そんな私たちに手を貸してアンタにどういったメリットがあるのか。私たちに何をさせたいのか。……あたしはそんなにお勉強ができる方じゃあないけれど、それでも色々と辻褄が合わない所があるのは分かってるつもりよ」
椅子に座りながら、皿の上のクッキーをポリポリと咀嚼しながら言う。
いやお前ちょっとはお行儀良くしろよとルリは思った。
「そうね。あなた達勇者一行に手を貸しているのは魔王討伐に際してそっちで全部を片付けて欲しい、私に労力を割かせるなって話ね」
ルリはお手本を見せつける様に上品にクッキーを一枚食べ、薬草茶さえも音を立てずに喉に流し込むと何の感情も無い音色を紡ぎ出す。
「つい最近の話になるけど、アルベティア公国に魔導師部隊を設立するよう王様に打診したの。で、事が成ったらもの凄く忙しくなると。新兵たちを地獄のブートキャンプにご招待しなきゃいけないからね。この時、あなた達が魔王に負けて死んでしまっていたら無駄に仕事が増えてしまう。そうなった場合には政治的な駆け引きするのも面倒だし、魔王がいる辺りに隕石の一つ二つでも落とすつもりだけど、それをやった時点で大陸の形が変わっちゃうのと人類の生息圏と数が激減するのとで色々と問題が出てくるでしょ? なので私としてもそうせずに済むよう策を講じておきたい。というのがあなた達を鍛えている理由なのだけれど、納得して貰えるかしら?」
サラッととんでもないことを曰うルリに、夏樹は言葉を失う。
目の前の娘さんは、世界とそこで暮らす大勢の人間を、気分一つで踏み潰してしまえる蟻の群くらいにしか考えていないのだ。
予想していたよりもずっと大きなスケールで語られた話を、それでも咀嚼して飲み込む夏樹嬢。
「そ……んな大量虐殺みたいな真似、許されるわけがないでしょ!」
「誰が許さないの? なぜ許しを請う必要があるの? ……私は私の邪魔をする全てを敵として消し去るつもりだし、必要であれば私と全世界とで戦争したって構わないと考えているわ。そんな私が一体誰の許しを得なければいけないというのか、知っているのなら是非とも教えてちょうだい」
きょとりん、と首を傾げるルリお嬢様。
夏樹は事の重大さを今になってようやく理解したようで顔から血の気が引いていく。
「ああ、それとね――」
二の句も継げずにいる夏樹に、ルリは儚げな笑みを手向ける。
笑みながらテーブルに立て掛けられていた魔法杖を手に取る。
次の瞬間に、夏樹の思考が動作が、空間に流れている時間ごと停止する。
「私は最初から、勇者の仲間達に関しては色々と細工を施すつもりだったのよ」
ルリは告げたが静止した時間の中では答える者などありはしない。
優雅な物腰で席を立ったルリ。
ツカツカと歩いて固まっている夏樹の背後に回り込むと手をその後頭部に押し当てる。
ヌルリと指先が頭部に埋没した。
「解析開始、……終了。精神構造を改竄、……完了」
それから手を引き抜くと元居た席に着席して何食わぬ顔をする。
時間は再び動き出す。
「……えっと、何だっけ?」
一ノ瀬夏樹は毒気を抜かれたように呆けた顔をしたが、優しげなルリの視線に気付くと顔を赤らめる。
ルリが行ったのは夏樹の自分に対する印象の操作。
疑惑の念を抱けないようにして、尚且つ絶対の忠誠心……言い様を変えるなら「大好き」という恋心にも似た感情を植え付けたのだ。
「あの、ルリさん……あたし……」
「夏樹ちゃん、可愛い♡」
「あうぅぅ……」
「ねえ、夏樹ちゃん、私と契約して魔法少女になってみない?」
「魔法少女、ですか?」
「ええ、貴女の魂を私に接続するの。姉妹の契りと思って貰えば良いわ」
ただし忠誠心を植え付けただけでは傀儡にはならない。
時間が経てば深層意識が違和感に気付いて自らを修復してしまうからだ。
そして魂を接続したり譲渡したりといった変化に対しては必ず両者の同意が必要になる。
相手が魔物であった場合はそこまで制約は厳しくないが、少なくとも一ノ瀬夏樹は今の時点では人間なのだ。
支配主と眷属の間柄にするためにはまず最初に精神的に掌握する必要があった。
「ええ、喜んで」
忠誠心を植え付けられた夏樹はそんなに考える素振りもなく答えた。
ルリは席を立つとどこか艶のある動きで夏樹の背後に回り込むと、そっと手を肩に置いた。
「じゃあ、契約成立ね。――貴女に永遠の祝福を、そして神をも砕く力を」
キィィィィン。
響き始める甲高い音色。
室内が光に包まれる。
耳の奥で轟音が鳴り、夏樹は全身が沸騰したように熱くなるのを感じた。
光の中で身体組成がDNAレベルで造り替えられていく。
快楽と幸福感に全身が溶けていくかのような錯覚。
濁流に押し流される意識が気絶と覚醒を秒刻みで繰り返す。
「あぁぁっ♡」
悩ましげで、それでいて悦びに満ちた嬌声。
椅子の上に座ったまま、光の中で夏樹は全身を痙攣させ、やがてクタリと弛緩させる。
「――おめでとう夏樹ちゃん。今から貴女は魔法少女、魂までを縛られた私の傀儡よ」
「は……ぃ……ルリさま……」
一ノ瀬夏樹は息も絶え絶えに答えて、それから糸の切れた人形よろしくテーブルに突っ伏した。
満足げに笑む瑠璃色髪少女の相貌は、悪魔のように歪んでいた。




