70:教会側の方針
アルベティア公国の首都、リガーデンは不穏な空気に包まれていた。
それは国王アンドリュー=ヴェル=ド=マクスウェルが大々的に、正式に聖女の出現を発表したからだ。
通常、聖女に関連する物事というのは教会に属しており、国王をはじめとする公国というのは少なくとも表面上は彼女の生活に関する諸々のサポートに徹することと相場が決まっている。
騎士団と連携して国内に出没する魔物を討伐するにしても、各農村を巡って豊穣祈願の儀式を執り行うにしたって、あくまで教会からの出向という形式になるためだ。
つまりは聖女は教会の所有物であり、その存在を承認し周知するのは教会側の最高権力者が負う責務であるというのが国と教会、双方で取り決めたルールなのである。
例えそれが一方的な押しつけであっても、権威や武力を背景とする脅迫があっても一度でも承諾した以上は合法なのである。
にも関わらずアンドリュー王は今回、教会側の承認を待たなかったばかりか聖女と呼ばわる少女の所属先を「国」とした。
そりゃあ教会としても心穏やかではいられない。
国王のところへ使いを走らせ、抗議の書状を送りつけた。
最低でも聖女を寄越せと、国王に謝罪せよと迫ったのだ。
さもなくば王族一同を破門とし、場合によっては更に民衆を嗾けて内乱を引き起こすぞと。
――教会について、ザックリとではあるが説明しておこう。
大陸を西と東に分断する高い壁がそそり立っており、それは竜骨山脈と呼ばれている。
山脈を越えた先では『聖導教会』が覇権を握っており、“アギュストフ聖皇国”にある“ファナゴリア大神殿”が総本山となっていた。
この神殿の主、即ち教皇は名を“ギゼル・ハイラント”というが、この人物は己が力を誇示する強権的な人物であるらしい。
「らしい」というのは、現在こちら側の教会は聖導教会とは直接的には繋がりがないがゆえの事。
いや、過去形で言えば地形的な都合から行き来は困難で時間が掛かるが、それでも幾ばくかの交流はあったのだ。
しかし、十数年前にギゼルが実父を殺害し教皇の座を簒奪したところで完全に途絶えてしまった。
親殺しはそれ自体が罪であるとの教えから、承認することができなかったのだ。
また彼らは「力こそが正義」といった考え方をしており、欲しいものは殺して奪い取るのが当たり前。
悪い言い方をすれば野盗や山賊と変わらない倫理観を有しているとなれば緊密な関係は築けないと判断し、早期に断念したというのが顛末になる。
大陸の西は『聖導教会』が握っているが、ではこちら東側はどうなのかと言えば。
『聖東方教会』があって民衆から広く支持されている。
拠り所としている神は聖導教会と同じ『エヘイエ』ではあるが教義がかなり違っており、つまりは派生宗派といった位置づけになる。
聖東方教会では絶対神『エヘイエ』の下には更に六柱の眷属神が存在しており、人間に加護や恵みを与えるのは主にこの六神であると、その様に解釈されている。
生と死、裁きの神“オシリス”。
武と戦、或いは海の神“ヴィアチェ”
鍛冶と金属、変化の神“ウルヌ”。
愛と美、享楽と煩悩の女神“マーラ”
豊穣と商売の女神“フレイア”
知恵と魔法の神“サラスヴァ”
そして公式には認められていないが聖書の一節にのみ記述のある破壊と再生、輪廻を司る女神“アリステア”。
アリステアに関しては、宗教上の都合として“輪廻転生”の概念を認めていない為に公の場では口にされることが無いといった話で、だからといって存在そのものは否定されていない。
要するに『名を唱えられることのない神』といった位置づけだ。
聖東方教会は聖導教会ほど極端な思想ではない。
欲しいものを殺して奪う事は罪であるとしているし、他の神を邪神認定してそれらを崇める民族を根絶やしにしなければいけないといった過激な教義もない。
あくまで絶対神エヘイエを頂点としながらも、エヘイエは他の神々を眷属として従えているのだからそれらを信奉する人々とも仲良くしましょうね、といった話である。
まあ、実際の所を言えば遙か大昔に侵略と略奪、植民地化を目的として布教しにやって来た聖導教会の宣教師たちが、東側諸国の多様性を目の当たりにしてこのままでは大陸の東西で戦争でもしないと当初の目的を遂げられないと悟って苦肉の策として教義を大きく改変。
当時、土着の神として信仰されていたものを統合する形にすることで住民達の反感を緩和しようと試みたのだ。
そりゃあ肌の色どころか種族からして違ういわゆる亜人種達がかなりの割合で各国に在籍しているともなれば、本国の『亜人は劣等種であり、生まれながらの罪人である。ゆえに人類の奴隷として迫害し搾取してやる事こそが彼らへの救済になる』といった人間至上主義的な教義をそのまま実践するなど地雷を踏み抜く行為に等しいだろうよ。
本国の教団幹部たちがこの改変を認めなかった為に教団そのものが真っ二つに割れてしまったという、それだけの話でしかないのだが。
それでも現在信奉されている教会の権威は絶対的なものであり、国王だって容易には異を唱えられない。
繰り返すが、聖女を『聖女』であると承認するのは聖東方教会を統べる教主の役割であった。
当教団の最高権力者は教皇ではなく教主と呼ばれるが、それはあくまで派生元の聖導教会に対する敬意の表れであって決して劣っているという意味では無いが、それはさておき。
アルベティア公国の国王は、申し訳程度の「お知らせ」といった格好で手紙は送ったものの、教主の許可を得ることもせずに聖女を擁立したのだ。
これは教会にとって由々しき事態であった。
言うなれば反乱。
教会側としては虫けらにも劣る民衆共を洗脳し導いてやっているというのに、その意向を無視しているともなれば、普通なら即座に暗殺部隊を送り込んで王族一同を皆殺しにすべき案件である。
しかし公国は教会の動向を警戒しているのかタイミングを合わせるように兵力を増強、教会関係者を政治の中枢から遠ざける形での人事異動を行い防備を固めている。
皆殺しにして金品財宝の全てを収奪したいのに上手いこと事が運ばない。
どうにも苛立ちを隠しきれない状況になっていた。
「――して、司教アルゼ。貴方は此度のアルベティア王の動きをどう見ていますか?」
聖東方教会の総本山とも言える大神殿は、同じく首都リガーデンにある。
訪れた信者達が祈りを捧げている礼拝所の奥、幾つもの部屋を挟んだ先にある小部屋にて密かな会話が交わされていた。
「聖女の一件、ですね?」
「はい」
教主ヨハネス=ギルテュウス三世は齢70にして老獪なる男だった。
まだ40歳の域を出ていないアルゼは豪勢な木製机を挟んで向かい合う教主様に一つ頷いてから口を開いた。
「聖女の擁立それ自体は以前より国王が画策していた事と考えています」
「なぜそう思うのか、伺っても?」
「手際が良すぎます。仮に聖女と呼ばわるべき人物が登場したとしても、人事に関する事も含めて予め計画していなければここまで円滑に迅速に、情報を漏らす事もなく実行に移せるとは到底思えません」
教会の息が掛かった人間は城の中にも多数潜り込んでいる。
にも関わらず聖女に関する話がこちらに届いていないというのは、つまり前々から教会と無関係な人間を集めて協議し、適当な人間が出現した場合の所作を取り決めていたと見るのが妥当なところだ。
教主は鷹揚に頷いて「ならばこちらはどう動くべきでしょうか?」と問うた。
「偽りの聖女、その穢れた魂に神の大いなるお慈悲を賜らん事を」
神の慈悲を与える。
つまり殺してしまえという意味である。
宗派が違おうとも本質は同じ。
欲しいものは殺して奪い尽くせばいい。
彼らにとって「神」とは略奪と虐殺を正当化するための免罪符でしかないのだから。
教主はニヤリと口端を歪めた。
「私も同じ意見です。では一切に関してお任せしても宜しいでしょうか?」
教主がアルゼ司教を見る。
男は頭を下げ、「猊下の御心のままに」と唱えた。
聖東方教会は絶対正義なのだ。
言い方を変えれば、彼らの殺戮と収奪を阻む者は例外なく「悪」なのだ。
悪は滅ぼして当然。それが保有する財産は奪い取って当然。
女は陵辱して当然だし、子供は奴隷にして売り飛ばすのも当然。
亜人種などは徹底的に弾圧し根絶やしにしたって構わない。
なぜなら神の名を戴いているのだから。
神の名を唱えていれば全てが正義であり、何をどの様におこなっても許される。
それが時代が違おうと世界が違っていても変わらない宗教の在り方なのだから。
「では早速ですが、その様に取り計らって下さい。くれぐれも失態は犯さぬよう」
「心得ています、猊下」
司教は頭を下げたまま口ずさむと、もう一度慇懃に礼をして部屋を出て行く。
教主ヨハネスは満足げにその背を見送った。
「……ですが、聞けば美しい娘であるとのこと。惜しいですね」
独り言ちてヨハネスは立ち上がる。
可能であれば生け捕りにせよと言い含めておくべきだったか。
神殿の地下に設置された牢獄に放り込み洗脳もとい教えを説けば立派な愛玩動物となるに違いない。
陵辱の限りを尽くして飽きたら奴隷として売れば良いのだし、必ずしも殺してしまう必要は無いかも知れない。
「いや、聖女の暗殺は国王に対する見せしめの意味もある。やはり生かしておくわけにはいかないか」
考え直したヨハネスは残念そうに息を吐くが、しかし己が利権を貪るために必要な事であると自分を納得させたものである。




