42:瑠璃色とギルド長②
「――それでね。スレイン君、といったかな? 私がどうして最重要とも言える知識の一つを、会ったばかりの君に開示したか、分かるかな?」
魔法使いルリの家の地下室で、感動のあまり床に膝を付いたまま動こうともしないギルド長。
男のすぐ前までやってきた少女が頭の上にそっと指を置いた。
「前に居た町でね、貴族に難癖付けられた際に冒険者ギルドは私を見捨てたの。だからね、ギルド長なんて肩書きを持っている人間を私はこれっぽっちも信用できない。関わりたくないし、関わってきて欲しくない。なのにギルド長と名乗った君に国家機密レベルの技術を目の前に広げて見せている。どうしてだと思う?」
頭の上から降ってくる言葉が急速に冷えていく。
それまでの春の日だまりを思わせる音色だったものが、突如として別の色合いを帯びていく。
スレインは顔を上げようとしたけれど出来なかった。
声を出そうとしても叶わない。
まるで金縛りにでも遭ったように微動だにできなかった。
「心配しなくて良いわ。殺したり傷つけたりといった考えは最初から無いから。……ただ、少しだけ楔を打ち込むだけ。分かるわよね? 賢そうな君であれば――」
少女の声が鼓膜の奥で反響する。
ぐわんぐわんと共振する。
頭頂部に触れている指先が、ヌルリと頭の中に入ってきた。
脳を直接掴み上げられるような感覚。
視界に映り込むのは滑らかで均一な床。なのにルリの指先に全身の全て、五感の全てを牛耳られたのが明瞭に知覚できた。
「私はね、考えたんだ。世の中って言うのはままならないもので、どれだけ関わりたくないと拒絶したところで追い掛けてきて私を利用しようと、掴まえようとする。だったら自分の意のままに動く傀儡に変えてしまえば良いじゃないか、ってね」
少女は言いながら脳みそにねじ込んだ指をグリグリと動かす。
スレインは、吐き気と激痛と、そして得も言われない快楽と幸福感に支配され、幸せそうに半開きになった口から涎を垂らしていた。
――この御方は、間違い無く大賢者だ。
などと弄くり回される己が体と魂を俯瞰しつつ確信していた。
意識が、思考が書き換えられていくのが分かる。
恐怖はあった。自分が自分で無くなっていくのだから当然だ。
なのに、奇妙な事に期待に胸が高鳴っている事も理解できた。
私は望んでいたのだと。生まれてからずっと満たされることのなかった欲望が、今この瞬間に満たされるような、高揚感にも似た感情を抱いていることを悟った。
意識の糸がプツリと途絶えて、すぐに結び直される。
そこにあったのは数秒前とは別人になった自分。
「ハッキングと改ざん。この世界だと概念さえ存在しないけれど、私はこれを生物に対して行える。けれど誤解しないでね。私は神でも悪魔でもない、ただの人間。だからこそ逆に倫理なんて丸っと無視してやりたいように出来る。――さあ、君の魂は書き換わった。私の忠実なお人形。君は死ぬまで私に忠誠を尽くすしか知らない」
「はい、偉大にして至高なる御方。我が血と肉と魂は、全て貴女様の物です。如何様にもお使い下さい」
脳に突っ込まれていた指が、ヌルリと出て行った。
同時に全身を支配していた痛みと快楽、至上の幸福までもが消え失せる。
スレインは悲しみに暮れながら、しかし深々と頭を下げて忠誠を表していた。
「しかし分からない事があります。なぜこの様な回りくどいことを? 貴女様であれば他に遣り様など幾らでもあったはずなのに」
「一目見て分かった。君は知識に対して恐ろしいほどに貪欲で、そして渇望し執着している。そして知識という物はそれが如何に危険な代物であったとしても広めずには居られない。まあ、人間の性と呼ばわるのが一番正しい答えになるでしょうね」
「理解しました、我が師」
スレインはもう一度深々と頭を下げると体の自由を確かめるように立ち上がった。
「貴女様との関係性についてはどの様に説明しますか?」
「そうね。ここでは同じく魔導の頂を志す友人、という事で良いのではないかしら。今後は念話を通じて幾度となく遣り取りする事になるでしょうけれど、こちらから指示した事を除いては今までと何一つ変わらない生活があるだけなのだし、適度な距離感があった方が何かと動きやすいわ」
「仰せのままに」
慇懃に頭を下げるギルド長。
ルリは僅かに頷くと降りてきた階段を伝って地上階に戻った。
スレインも置いてけぼりにされないよう小柄な背中を追い掛ける。
階段を登り切ったところで栗色髪の幼女が肩にオコジョを乗せる格好で心配そうな目を向けてきたが、男はそんな一番弟子の前で膝を付いて目の高さを合わせる。
「ルリさんとは友人になりました。貴女のお師匠様を取ったりはしませんのでご安心下さい」
幼子はルリを師と呼びながら、その実求めているのは教師ではなく母親なのだろうと、そんな風に思ってレミーの頭を撫でる。
彼女は安心したように眼を細め、撫でられるに任せていた。
子供に好かれやすい体質なのかな、などと思うルリである。
――その後は全員で昼食。
狭い家の中では窮屈極まりないからと家の前に大きなテーブルを持ち出して、そこに山盛りの山菜炒めを乗っけた皿を置く。パンも自家製で、そちらは家の脇にある掘っ立て小屋――の見た目とは裏腹に実は窯。小屋の裏側は浴室になっている――で焼いたものを提供。
いつの間に狩ったのか森の中で獲れたという猪肉は臭みを感じず、どうやって入手したのか見当も付かない塩と胡椒とハーブ類で味付けされた炒め物は訪れた人々の舌を唸らせたもの。
森の中の景観もあってさながら貴族御用達の料理店で出される高級料理のようだと皆口を揃えて称賛したものだ。
昼食が済んだら置きっぱなしにしたテーブルを挟んでルリとギルド長が再度向き合う。
「それでルリさん。貴女の作るポーションはとても良く効くと話に聞いてます。そこで可能であればギルドで買い取りたいのですが、如何でしょうか?」
もちろん話の出所はエルダのギルド長バッカスからの手紙なのだが、ここでは話題にしない。
スレインは瑠璃色髪少女と主従の関係性になっていたが、それを周囲に気取られないよう取引を持ち掛けてますといった姿勢を崩さなかった。
ルリとしても、お金を稼ぐ手段は確保しておきたいのであっさり承諾する。
「とは言っても私は他に遣らなきゃいけない事があって当面は忙しい。ですので手が空いたときだけ幾らか用意するといった話になりますが、それでも構いませんか?」
「ええ、勿論」
「ああ、何でしたら弟子のレミーに作らせた物をお渡しすることだって出来ますけれど」
「そこはルリさんの判断にお任せします」
方針が決まったら瓶一本に対して幾ら支払うか、とか受け渡しの方法をどうするかといった実務的な話をする。
結果、期限などは設けず、ルリ本人か弟子のレミーちゃんが作った物を直接ギルドに届けると。
町の出入りに関してはギルドで身元を保証する書類を用意することが決まった。
「では長い付き合いになると思いますので、今後とも宜しくお願いします」
「こちらこそ」
商談じみた会話の締めくくりは握手。
両者ともに満足げな顔だった。
夕刻になればお風呂。
掘っ立て小屋の裏側に設置された浴場は単なる洗い場ではなく、日本式の肩まで漬かれる浴槽、もちろんシャワー付き&自作石鹸付きだ。
色めき立ったのは女性陣で、狭いからと二人一組の交代制で入った。
通常、入浴というのは貴族の嗜みであって庶民だと井戸水を頭から被る行水、ちょっと良い宿屋であっても浴槽までは無い。
そういった理由も手伝ってキャッキャと黄色い声を弾ませたものだ。
浴槽に張られたお湯もシャワーから噴き出すお湯も魔法が仕掛けられており、ここに殊更注目したのはリンディちゃん。
魔法オタクの彼女はお風呂上がりでルリに詰め寄っては仕組みやら何やらと聞いてきた。
その熱量は凄まじくて流石のルリさんもタジタジである。
「ねえねえルリさん! 私も杖が欲しいな~、なんて……」
などと本音を漏らしてチラチラ。
なおルリの愛機となるエリンジュームは自己修復モードで放置していれば欠損箇所も元通りになったけど、新型作成につきシステムの使えそうな部分はそのまま移植する考えだったところから地下の工房に置きっぱなしになっている。
そうするとルリは魔法が使えないのかと疑問が浮上するが、そんな事は無い。
ルリは魔法杖を“魔法少女が持つべき物”と定義していたが、自分が持っている物に関しては単に楽がしたいからであって無くても搭載されている大半の機能と同じ事は自力で出来てしまうのだ。
まあ、一部魔法杖ならではの機能もあるといえば有るのだけれども……。
「そうね、じゃあ新型が完成したらレミーちゃんのと一緒に作ってあげよっか?」
「ホント?! やった!!」
勢いに乗せられてうっかり口を滑らせてしまったルリさん。
リンディは本気で大喜びしていた。
こんなこんなで夜は更けていく。
夕食に出されたポトフでお腹が膨れた人々は、訪問客ご一行様は家の前で野営、ルリ達は家のベッドで就寝といった具合で夜を明かす。
朝になって簡単な朝食を振る舞われた一行はそれから魔法使いの家を後にし、来た道を取って返した。
「ところでスレインさん、あんな怪物とよく面と向かって話ができましたね」
森の中を歩いていると、ポツリとハーフエルフが言葉を紡ぐ。
カイナは能力の一つとして魔力を視覚として捉える事ができる。
言い方を変えると魔法によって作り出された罠や結界を看破できるという事でもあった。
その為に連れてきたと言えばそうなのだが、今となっては余計な事をしたかと後悔するスレインである。
「ああ、貴女には見えていたのですね」
「あの家の周囲には恐ろしく厳重な結界が張り巡らされてましたし、彼女の周囲なんて魔力の濃度が高すぎて景色が歪むくらいでした。私、ずっと気持ち悪くて吐きそうでしたもん」
敢えて気に止めないよう努めていたが、確かに今の今までカイナは顔色が悪く言葉も少なかった。
愛しい師を化け物呼ばわりされたスレインは内心で「ぶち殺してやろうかこの小娘」なんて物騒な事を考えてしまったが、おくびにも出さず苦笑して見せた。
「彼女は冒険者という尺度で言えばS級でも足りないくらいだと思います」
「え、ギルマスはそういうふうに見てたんですか?」
横やりを入れてきたのは獣人のミケ。
猫耳をピクピク動かしながらこちらは実にのほほんとしていた。
「あたしには隙だらけで飛び掛かったらすぐに勝てそうに思いましたけど」
獣人族は魔力の感知能力という点では人間にも劣る。
その代わり筋力や俊敏性など身体能力は凄まじく、単純な殴り合いならそうそう負けることが無い。
「ミケ、悪いこと言わないから、あれと喧嘩するのだけは止めておきなさい。飛び掛かった瞬間挽肉にされるわよ」
カイナが神妙な顔で窘める。
ミケは「は~い」と返事はしたものの、どこか納得いかなそうな顔である。
「何にしてもギルドとしては彼女を全力でサポートする方針です。異論は認めませんのであしからず」
スレインはその様に会話を締め括った。
顔に優しげな笑みを貼り付けてはいたものの「コイツら給料下げてやろうか」なんて思ったのは誰にも言えない本音である。




