33:魔王と親愛なる腹心
「――くぅ……ぬかった」
玉座の上、ハヒューハヒューと息も絶え絶えに呟くのは一人の漢。
体長3メートルを優に超す巨躯は、しかし今は左半分を消失しその切断面さえもが黒く炭化していた。
これが人間であったならとっくに絶命していただろうが、生憎と魔族は体の構造が人間のそれとは違っており、故に三途の川を渡らずに済んでいる。
それでも今後数年間は身動き一つ満足には出来ないだろうと本人は重傷を負った我が身を顧みて判断していた。
魔王バハネル。
大陸北東部に広がる魔境“アウストラ大森林”、或いは“慟哭の森”などと呼ばれる一帯を掌握し、その更に北側にある極寒の地に建造された魔王城を根城とする王である。
魔族どもを統べる王ゆえに“魔王”を名乗ってはいるが、己が身を邪悪なモノとは考えていない。
むしろどちらかと言えば、人間種こそが邪悪にして野蛮なる種族であると考えていた。
奴らは魔に連なる眷属と見れば見境無しに襲い掛かってくるが、ならば魔なる存在が全て絶えた地域ともなれば平和なのかと言えば、全くその様な事はない。
外敵がいなくなれば今度は身内同士で喰らいあい淘汰しあうのだ。
己が親も子も当然のように金品に変え、騙し、もしくは殺して奪い尽くさんとする。
そのやり方は魔族と比べてもなお悪辣にして狡猾。
これを邪悪と言わずして何と呼べば良いのか?
「――さりとて余は屈さぬ。退かぬ。媚びぬ!」
バハネルはつい今し方行われた戦いに思いを馳せる。
風穴の空いた雲の向こうに見えたのは自分など地面を這い回る蟻かとすら錯覚するまでの、恐るべき魔力の塊だった。
アレはこの世に存在して良いモノでは無い。
瑠璃色の大賢女。
かつて先代の魔王が遺した言葉を思い返すに。
“その正体は混沌にして凶。無限の叡智と魔力を内包した死と破壊の化身。アレとは絶対に事を構えてはならぬ――”と、あった。
バハネルは正直なところナメていた。
己が膂力と魔力は数多在る魔族の中で最強。ならば屠る事も容易いと。
だが実際にこの両の眼にて捉えてはじめて、そんな生易しい代物では無いのだと悟った。
アレは次元が違う。
出くわした水の魔法少女の言葉を借りるなら、魔王ごときであれば何時でもどの瞬間であっても瞬殺できるのだとバハネルは理解してしまったのだ。
アレと再び対峙することなど考えたくもない。
これが魔王の率直な感想だった。
そして十中八九、先代魔王も同様の感想を抱いたものと確信している。
先代の相対した賢女が自分の見たものと同一のものかどうかまでは分からない。
人間種であったなら代替わりをしているだろうし、エルフなど長寿の血統であれば本人そのものかも知れない。
いずれにせよ魔族を数万いや数億と従えて突っ掛かったところで瞬殺される事は目に見えている。
そんな化け物の中の化け物と切り結ぶなどあってはならない話である。
「ふぅ……だが、水の魔法少女……か……」
息も絶え絶えながら、それでも思い返してしまうのは槍を携え水龍に跨がった水色髪の少女。
あの美貌、凜として気高き佇まい。
惚れてしまった。本気で、本気で手に入れたいと思った。
バハネルは彼女の事を考えるだけで昂ぶり熱を帯びる我が身に勘付いて溜息を零す。
欲しくて欲しくて仕方の無いモノは、しかし絶対に事を構えてはならない怪物の袂に囲われているのだと、彼女の言動から察してもいる。
どうにかして大賢女を出し抜きかの娘を奪い取れないものかと悶々としていた。
「魔王陛下、お加減は如何でしょうや?」
そんな玉座の前に一人の魔族がやって来た。
ダークエルフ特有の褐色肌と灼けた鉄のように赤い長髪を持つ美しい娘は名をディーダといい、魔王軍の中でも特に実力の高い六魔将軍の一角。魔導師部隊を率いる立場も併せ持つ彼女は魔王の前にて傅くと半身しか見当たらない男に心配げな目を向ける。
「まだ動けぬが、それだけだ。……進捗を聞こうか」
「ハッ。 現在、切り取りに成功している領土は南東の亜人国家“ダイクン”の三割がた。南方はエルフ達の集落を含む“アルベティア公国”の一割。
また、更に南方にある“皇竜公国”、“サイファリス魔導国”には間者を潜り込ませ易々と動けぬよう工作をしております」
「うむ」
“ダイクン”はリザードマンや獣人、ドワーフなどの亜人達が寄り集まって出来た国である。
国土は広く、そのくせ地形や気候が地域によって丸っきり違っているために耕作地や人間が思うような村や町といった建物の密集地域は限られている。
例えばリザードマンは温暖な気候でかつ湿地帯を住処とする種族であり、一方でドワーフは鉱石の採掘場がある山間部と棲息地域が様々で、なので国家という枠組みを思えば少々形態が違っているが、一定のまとまりはあって他国の侵攻があれば“獣王ドライセン”が掲げる旗の下、一致団結して徹底抗戦する厄介な国だ。
その西側にて国境を違えるアルベティア公国はダイクンと長らく同盟関係にある人間種の国だが、領土内にエルフ達の集落も含まれており、そのせいなのか亜人に対して一定の理解がある。
この更に西にあるのがハイファン王国。大陸の中でも有数の軍事国家であり、野心の大きさを裏打ちするように兵力は高い。そんな野心的で独善的な国で更に勇者召喚が行われたとの情報を得ていたが故にバハネル自らが出向いていったが結果は見ての通り。
それでも王都に壊滅的な打撃を与えている事から今後十年は混乱を治めるだけで手一杯であろうと考えていた。
これら三国が魔王の領土と隣接する国家となるが、大陸東部を割る主要国は他に二つ。
国土面積は小さいものの、竜人どもが支配する皇竜公国と、魔法という学術体系を基幹として成立した、大陸全土で最も知名度の高い国家サイファリス魔導国。
皇竜公国は建国300年余りの国家で、住民は大多数が竜人と呼ばれる種族となる。
彼らは他種族と比べて保有する魔力と身体能力が圧倒的に高く、雑兵であっても一騎当千。単騎で人間の兵100人を簡単に殲滅するほどの実力を有している。
そしてバハネルが最も警戒しているのは魔導国だった。
こちらは首都がそのまま学術都市の様相を呈しており、住民のほぼ全てが大なり小なり魔法を扱うといった常軌を逸した状態が、千年前から続いている。
現在知り得ている情報によると彼らが扱う魔法の中には大陸を簡単に消滅させてしまうような恐ろしい代物もあるらしい。そのうえ各都市には広域の魔法障壁が張られており、直接的な攻撃は自殺行為に等しい。
そんな二国は長らく軍事同盟を結んでおり、つまりは下手にちょっかい掛けようものなら倍返しどころか十倍返しで蹂躙されてしまうといった状況に陥るのは必至。
故に魔王としては間者を送り込むなどして内側からジワリジワリと浸食していくしか手立てが無いのである。
そんな中にあってバハネルの率いる魔王軍は数に物を言わせた侵攻でどうにかこうにか手近の三国から領土を切り取り拡大している最中なのだが、それとていつ何時押し返されるやも知れない不安定な情勢だった。
占領した地域には住民が暮らしており、であれば統治しなくてはいけないし。
統治するとなれば彼らが飢え死にしないよう食料などの物資を供給し続けなければいけない。
世界征服なんてそんな面倒臭い事をなぜに行わなきゃいけないのか?
バハネル個人としては自国の民の安寧が守られればそれで充分なのだが、周囲がそれを許さない。
魔族は邪悪な存在であると決めつけて次から次へと兵を、冒険者どもを差し向けてくる。
ならば渋々ながらであっても、こちらからも兵を出すしかあるまいて。
といった経緯から長きに渡る交戦状態に終止符を打つべく本格的な侵攻を開始した次第であった。
なお、ハイファン王国の更に西には切り立った山脈が壁になっているワケだが、この向こう側ともなると“デュラント帝国”、“アギュストフ聖皇国”、“アルフィリア王国”といった列強が犇めいているし、反対側の海を隔てた東側には“蓬莱”なる国があるらしい。
とは言え海なり山なりが防波堤になってくれているおかげで相互不干渉、旅人や行商人の単位では行き来があるのだろうが、国家レベルでの外交や同盟は存在しないというのが現在の情勢だった。
「バハネル様、もう一件ご報告したき事が」
「うむ、聞こう」
魔王の思考を呼び戻すようにディーダが口を開く。
見るに、彼女は言うべきかどうか迷っている様子で。
バハネルが催促するように眼を細めてようやく口を開いた。
「ビーヤが音信を絶っております。確認のため配下を差し向けたところ、激しい戦闘が行われた痕跡は認められたものの魔物等の存在は確認できなかったとの報告がありました」
「ほう……」
ビーヤは六魔将軍の一角を担っている魔族で、容姿は大きな赤ん坊。
尊大な態度で誤解されがちだがバハネルに対する忠誠心はかなり篤い。
そんなビッグベイビーなのだが、記憶を辿るに確かディーダの指示で鉱山を奪取するような事を言っていたように思う。
鉱山はハイファン王国にあって、作戦が成功すれば王国の武器製造に打撃を与え、かつ自国の生産力を底上げする形になる筈だった。
そのビーヤが消息を絶ったと。
真っ先に思い浮かべたのは先ほど邂逅を果たした水の魔法少女もしくは瑠璃色の大賢女の関与だった。
(アレが関わっているならば既に生きてはいまい……)
魔王は半身焼失の痛みを感じながらも目を閉じて部下の安否に想い馳せる。
だが己が身は魔王国の頂点であり、であるならば常に最悪を想定して動かなければならない。
「ディーダよ」
「ハッ」
「奴の事は死したものと考え次なる作戦を練るのだ」
「御意っ!」
「もう一つ、貴様に告げておくが」
「……はい」
「暫しの後、余は己が器を作り城を離れるが、構うなよ」
「え、ええと……仰る意味が……」
ここで思い立ってバハネルは告げる。
腹心は予想していなかった事だったようで僅かに動揺したかに思われた。
「人間種の依り代をもって勇者どもに接触すると言うておる」
「なっ?! 危険では――」
「構わぬ。アレと対峙すれば余であっても敗北は必至。されど勇者どもを生かしておけば我ら魔族に繁栄と安寧は訪れぬ。ならば奴らの内側に潜り込み内側より崩すしかあるまい」
「な、なるほど……」
美しい闇の妖精は心配そうに眉根を寄せ、それでも主人の望みを叶えるべく思案する。
「承知致しました。でしたら私どもと致しましても陛下の意向に添うべく最大限配慮いたします」
「うむ。だが気取られぬよう細心の注意を払え」
「ハッ!」
慇懃に頭を下げるディーダに魔王は「うむ」と頷く。
それからふと思いついてバハネルは玉座の肘掛けに置かれていた手を僅かに上げて手招いた。
ダークエルフは主人の考えを理解したように瞳を潤ませると袂まで進み出る。
その赤い髪を無骨な手が撫でた。
「バハネル様……」
「うむ」
頭を撫でられ恍惚とした顔を惜しげもなく晒す闇エルフ娘に魔王は僅かに笑んで見せる。
それだけで褐色肌娘は天にも昇る幸福感に身を震わせて、勢い余ってその巨躯に縋り付く。
「バハネル様っ! お慕いしております!」
体格の差があって娘の身長だと座っているバハネルの腰から少し上くらいに顔が来る。
なので恋人同士が行う抱擁というよりは親子のスキンシップといった格好にしかならないのだが、それでも女は熱烈で蕩けてしまいそうな目を主人を向けてくる。
バハネルは「う、うむ」なんて、やや気圧されるように声に出すのだった。
――なお、人間に扮して勇者一味に接触するといった企てには、彼らと少なからず関わりを持つに違いない水の魔法少女を籠絡せんとする思惑も多分に含まれていたのだが、バハネルがそれを言語化することは無かったし、ディーダとしても気付いた様子は無かった。
まあ、事が思うように運べば後に恐るべき修羅場が勃発するのだろうが……。




