21:レミーという名の少女
――私はお師匠様に、いや誰にも言ってない秘密がある。
私は確かに孤児院で二年間を過ごし、それから街のゴロツキに誘拐されてお師匠様に救われた身だ。
孤児院の院長さんは日常的に孤児達に暴力を振るっていて、日々は無給で内職じみた仕事を負わされ、しかも年頃になった娘がいれば奴隷として売られてしまう。
仲の良かった子達は皆、順々に姿を消していってついぞ戻ってくることが無かった。
きっと私もあと一年でも院に居残っていれば何処かの貴族か金持ちに売り飛ばされて、奴隷として死んでしまうまで使い倒されたに違いない。
今日なのか、明日なのかと死刑宣告にも等しい売られる瞬間を怯えながら待つだけの日々は、少なくとも私にとっては拷問でしかなかった。
だから今のお師匠様、ルリさんに助けられたとき、自分が救われるためにはこの人に縋り付くしか無いと思った。
事実、彼女は私に暖かいベッドを与え、暖かい食事を与えてくれた。
あの時に必死で弟子入りを懇願したことは決して間違いでは無かったと胸を張って言える。
けれど私は、そんな彼女に報いるどころか内緒にしている事がある。
孤児院に拾われる前、私はこの世界でのお母さんと暮らしていた。
父親は分からないけれど、お母さんの言葉を信じるならとても偉い貴族様であるのだとか。
その証拠に母は机の引き出しにエメラルドグリーンの光沢を放つ宝石をあしらったブローチを仕舞い込んでいて物凄く大切にしていた。
愛する人と自分を繋ぐ唯一の物品なのだと、ひどく懐かしげな顔で告げたのを今でも覚えている。
そんなお母さんは、ある日家に押し入った強盗によって殺されてしまった。
私がお使いから帰ったとき、家の中には血塗れになったお母さんの姿だけが残されていた。
ブローチは無くなっていて、物盗りの犯行だろうと捜査にやって来たお役人さんは言っていた。
私は大好きなお母さんに先立たれて絶望のドン底に叩き落とされた。
孤児院に入所してから、絶望には更に底があるのだと知った。
それでも私は運が良いと、今なら思える。
私とお師匠様との出会いが運命とか宿命とかそういった物であったなら、母の死も、孤児院での凄惨な暮らしも全てに納得がいく。
言い換えると、それだけインパクトのある未来に繋がっていなければ、これまでの理不尽は到底受け入れられるものじゃないって話だ。
弟子にして欲しいとお願いしたのはほぼ保身からだったけれど、今は彼女のような魔法使いになりたいと、その恐ろしいまでの力を目の当たりにして思っている。
誰に頼らなくてもやっていけるだけの力。
恐ろしい怪物にだって怯まず恐れず立ち向かっていける力。
そういった物を、与えて欲しいと心から願う。
お師匠様に告げていない事とは、私が別の世界で生きた記憶を持つ転生者であるということ。
私は日本という国に生まれて、優しい家族に包まれて暮らしていた。
けれど高校二年生になった頃に、通学中の駅のプラットホームで誰かに背中から突き飛ばされて。
凄く緩やかに迫ってくる電車と、その窓の奥に見える運転手さんの驚愕した面持ちを最後に見た光景として一生を終えた。
もう諦めてしまったけれど、本音を言えば今すぐにでも家に帰りたい。
剣と魔法のファンタジーと言えば聞こえは良いのかも知れないけれど、実際にそこで暮らすとなると残虐で非情な、力がなければ生きていけない地獄のような場所だと嫌でも思い知ることになる。
――というか。
私だって生前は乙女ゲームの世界に転生とかして王子様とか宰相のご子息だとか騎士様だとか、キラキラな男の子たちから溺愛されたいとか思ったわよ!
なのに魔法学園に通うどころか貴族のご令嬢として生まれることもなかったじゃない!
この流れだったらお母さんの持ってたブローチが王族に所縁のある何ちゃらかんちゃらで平民から貴族にクラスチェンジして、っていうヒロイン的な展開するんじゃないの?!
いや、お母さんのことは大好きだったし今でも感謝してるケド、何の説明も無しってあまりにヒド過ぎない?!
世界観が分かんないんですケドー!!
マジサイアク! 責任者出てこいってのよ!!
はぁ、はぁ、はぁ……。
つい取り乱してしまった。
ちょっとアタマ冷やそうよ私。
クールダウンだ。ヒッヒッフー。
そうだ。お師匠様のことだ。
私のお師匠様は、今になって確信したけれど、たぶん頭のネジが数本飛んで行っちゃってる。
普通の神経してたら人外の怪物がウジャウジャと犇めいているところへ「全部殺す」とか言いながら突っ込んでいったりしない。
アレはもう、病的というか狂気というか。
何年か経てば私もああなっちゃうのかも知れないけど、それはしょうがないかなと諦めていたり。
だってお師匠様は虐殺大好きな超絶武闘派であったとしても、間違いなく世界で五本の指に入るだろってなくらいの実力を持っているから。
彼女が与えてくれる物は全て貰おうって心に決めたの。
女から見てもめっちゃ綺麗で、この笑顔のためなら死ねると同性に思わせるくらい優しくて淫靡で清純な微笑みを私に向けるのだから中身がちょっとアレなくらいは目を瞑ろう。
彼女が実は女神の化身だったとしても私は驚かないね。
そして彼女が私を弟子だと言ってくれるなら、私はずっと一緒に居たいと思う。
顔の造りは全然違っているけれど、生前の私のママを彷彿させる雰囲気は決して嫌いじゃない。
「ママ……」
つい口ずさんでしまう胸の奥にある感情。
すぐ傍にある美しい寝顔がパチリと目を見開いて「未婚の女性をママ呼ばわりするのはどうかと思うよ?」と冷静に答える。
「ごめんなさい」
というか寝てなかったのですかそうですか。
頬が真っ赤に茹だって瞬間湯沸かし器。
「あと私のベッドに潜り込んでくるのは構わないのだけれど、せっかくベッド作ったのだし、そっちで寝た方が身体の疲れは取れると思うのだけれど……」
「お師匠様あったかいから……ダメですか?」
「駄目とは言わない。でも朝目を覚ました時にとんでもない格好していても文句は言わないでね」
「は~い♡」
天井を見つめていたルリさんが不意に私の方を見て、柔らかな手でそっと頬を撫でる。
それだけで胸が締め付けられるように切なくなって。でも、だからといって振り払うことも出来なくて。
私が転生者だってことは、やっぱり言えない。
変な子だって思われたくないし、嫌われたり悪魔憑きとか言われて追い出されるなんて絶対に嫌だから。
この秘密は墓まで持っていこうって私は決意する。
「あと、分かってるでしょうけど、私も一応は女だからね」
「わ、分かってますってば」
ジト目になったかと思えばすぐに優しい目になる。
私はお母さんに甘えるように身を寄せて瞼を閉じる。
夢の世界へ旅立つのは間もなくのことだった。
◆ ◆ ◆
翌日、本格的な修行第一日目にして私はお師匠様の壊れっぷりが想像していた以上である事を思い知らされる。
「取り敢えず、勉強がてらパズルを解いてもらおうかしら」
「えっと……?」
私がお師匠様に促され赴いたのは森の中でも木々が開けてちょっとした広場になっている所。
斜め上から差し入ってくる陽の光が鬱蒼と立ち並ぶ樹木の重圧感を幾分か和らげてくれている。
広場の真ん中に私を残して彼女は十数メートル離れた位置に立った。
「今から機雷の魔法を使うから無闇に動かないでね?」
「は、はいっ」
頭の上に疑問符を乗っけつつ、それでも一生懸命やってますとアピールしようと真面目な顔でお返事する。
私は陽の光を照り返している生まれたての魔法杖トレニアを手にお師匠様の動向を見つめた。
彼女は手にする魔法杖の柄で地面をトンッと突くと魔術回路を顕現させる。
――《機雷》。
すると私たちの隙間を邪魔するように真っ黒な、両手を添えればすっぽり収まる大きさの球体が百個くらい出現。空中をフワフワ漂い始める。
「これは一つ一つが爆弾になっていてね、少しでも触れるとドカン。殺傷力は低く設定してるけど一つ起爆すれば全部が連鎖爆発するよう距離を測って置いてるから。君は授業する中でこれらに触れること無く脱出しなきゃいけない」
(ひぇ~……)
私は背中に走る戦慄もそのままにお師匠様の言葉に集中する。
つまり彼女の話をちゃんと聞いて即座に応用させないと何時間でも身動き出来ない状態を強いられるってことだ。
やっぱりこの女性、頭のネジが数本飛んでいってるよ。
「私たち魔法使いは魔法を使ってナンボ。というのは分かるわね?
それは飛翔魔法であったり直接相手を狙い打つ攻撃魔法だったりと様々なのだけれども、この中には“単体ではあまり意味のない魔法”というのもあるの。
遅延魔法、置換魔法、条件付与。
遅延魔法はある特定の魔法を行使する際に予め発動時間を定めておいてタイミングをズラすといった手法。
置換魔法は対象とした物体AとBの位置や内容を入れ替える魔法。
そして条件付与は魔法に発動条件を与えておく、言葉通りの魔法よ。
これら三つは、例えば頭の悪い魔物しか相手にしないのであれば使う機会は全く無いと言って構わないでしょうね。
だってゴリゴリの力押し、直線的で直接的な攻撃魔法があれば通用しちゃうもの。使用しようと思った時には戦いそのものが終わってるわ。
けれど魔法を使う人間と戦う時には必須になる。
魔法使い同士の戦いはどうしたって騙し合いになるから、こういった手札は隠し持ってなきゃいけない。
出来て当然、されて当然と考えて臨みなさい」
説明を聞いた限りこの三つの魔法を駆使して難局を乗り切れと、そういう事らしい。
私は頭を捻ったところで、根本的な問題に行き当たった。
「あの、私まだ一つの魔法も教わってないのですけれど」
するとお師匠様は「そう言えばそうね」と口を開く。
「君に渡した魔法杖には最初から幾つかの魔法をインストールしてるから魔力を流しつつ使用魔法を選択すればいつでも使える。
そもそも私が作る魔法の杖っていうのは、効率的に魔力を運用するための機器だからね。
魔法の知識が無くても魔力さえあれば誰でも簡単に魔法が使えるって代物なの。
その上で、現状で君が使える魔法は、《爆衝弾》、《飛翔》、《鉄鎖封縛》、そして《置換》。遅延と条件付与は術式に魔法構文を書き足すだけの話だから単体の魔法としては存在していない。
――さ、必要な情報は全て与えたから、次は君が自分の頭で考える番だよ」
「うぬぬ……」
どうやら私は杖の力を借りて少ないながらも魔法が使えるらしい。
あ、でも魔力を流しつつとか言われたけど私に魔力なんてあったっけ?
半信半疑ながら杖に据え付けられているキューブへと意識を集中させる。
「あっ」
するとお師匠様から言われた魔法がリストになって目端に現れた。
この時点で感動なのだけれども、私の周囲には尚も黒い球体が浮いたまま。
空を見上げたが直上にも同様の爆弾が制止しているといった状況だ。
(えっと、つまり飛翔魔法は使うなって事ね。マジックミサイルなんて使ったら連鎖起爆で周辺諸共吹き飛ぶからこれもダメ。じゃあこれはどうかな?)
思って、まずはと《鉄鎖封縛》を発動させる。
私の意志に従って地面から黒光りする鎖が飛び出して黒球体たちを捕まえる。
(あ、これはダメだ)
結論はコレだった。
それというのも同魔法は対象として捉えられる数が二十か三十で、しかも対象の数が増えるほど疲労感が増す。私の周囲には百以上もの球体が存在しているので全部を一気に捕捉するなんてできない。
しかもバインドは文字通り相手の動きを固定させる魔法なので、その後どうするんだって話になる。
理解が追いついたところで私はバインドを解除した。
(ということは、もう置換魔法しかないって話になるよね?)
――《置換》。
というわけで早速発動させてみる。
ここで分かったのはこの置換魔法、対象として選択できるのは木や土、それから人間などの動物といった“物体”に対してだけってこと。
つまり私が今対象として選択できるのは――。
「お師匠様と私の座標を入れ替え!」
この二つきり。
正解は一つきりなのだ。
「はい正解」
視界が切り替わった瞬間に後ろから声を掛けられて慌てて振り返る。
すると球体に囲まれたお師匠様の姿が見えた。
あ、身体の向きは変えられないのね、と気付く私。
「置換魔法は厳密に言えば自分が作り出した魔法であれば対象に指定することができる。それから置き換えた後の身体の向きを変える場合には予め魔法に一文付け加えておかなきゃいけない」
それから彼女が杖を突くと展開していた球体が全て消え去った。
「杖に仕込まれた魔法ってのは良くも悪くも画一的で、その場その場の状況に見合う効果になるよう都度修正しなきゃいけない面倒臭い代物なの。けれど、それらを使いこなせるようになれば君の生存確率は飛躍的に上がる。
逆に言えばこれが出来ない限り魔法使いを名乗ってはいけない。
魔法は便利な道具であって、その探求を目的にしてはいけない。
世界に魔法の探求者は数多いるけれど、彼らは人生を損していると言わざるを得ないわね」
お師匠様は締め括って歩き出した。
「さあ、帰ってご飯の支度をしよう」
「はいっ!」
ピクニック気分とでも言いたげな軽い調子に、私は大きく返事して彼女の後を追うのだった。




