10:悪魔と呼ばれた日①
――エルダと呼ばれる街があった。
ハイファン王国の北東に位置する都市であり、辺境と呼ばわるほど王都から離れてはいないが、しかしだからといって日帰りで行き来できるほど近くもない。
規模だって大き過ぎず小さ過ぎず程々の人口と商業力・工業力を有している。
詰まるところが全てに於いて中途半端なのだ。
そんな街であるが故に影が差していた。
衛兵達の怠慢、領主の野心、そして人々の欲望。
それら滴る毒液を養分に影はより深く尚も濃くと蝕み続け、やがては誰にも手が出せない怪物へと成長してしまった。
それが“レード”と呼ばれる裏のギルド。
彼らは金さえ積まれれば何でもする。
うら若い娘を拐かし、薬漬けにし、快楽の泉にどっぷり漬け込んでから貴族に売りつける。
或いは国家の重鎮を美人局的手法で逆らえなくし、国庫から多額の資金を引きずり出す。
長らく暗殺稼業に精を出し遂には指名手配されるに至った重罪人が多数籍を置いて、今も闇の中で蠢き血と金の宴に興じている。
エルダに住まう人々は、ソレを指して悪であると知っていた。
しかし彼らを罰する人間が居ないことも分かっていた。
領主も黙認している、否、領主こそが裏で組織を操っている真の黒幕であると一部の人間は勘付いていた。
そんな“レード”の拠点とも言える酒場の周辺には昼も夜も関係無く数名のゴロツキが屯しており、怪しい人物がやって来ないか目を光らせている。
そこへやって来たのはゴツゴツとして厳めしい魔法杖を手にする見るからに魔法使いといった風貌の少女。
少女は迷うことなく酒場へと足を向けていた。
闇のギルドに仕事を依頼しようといった人間には見えない。
だがその瞳は真っ直ぐに酒場を見据えており、即ち日中は準備中となっている通常の酒場とは別物である事を明らかに理解しているように見受けられた。
故に店の周囲にて屯していたならず者達が、警戒半分に近づいて行く。
「お前、ここが何処か分かってんの?」
「良く見りゃえらい可愛い嬢ちゃんじゃねえか」
「ねえ俺らと一緒に遊ばない? 気持ち良くしてやっからさあ」
三人で少女の行く手を阻んだのも束の間、トンガリ帽子の鍔の下にある美しくも気品に溢れた面立ちを見た男達がゲラゲラと下卑た笑い声を立てる。
それはそうだろう。何せこの一角は街の中でも特に治安が悪いとされている区画で、付近の住民だって特別な事情でもない限りは足を踏み入れないような場所なのだから。
そこへ護衛の一人も付けず見るからに華奢で美しい娘が一人ぽややんと歩いているともなれば、それこそ攫って下さいと言っているようなもの。
この場合、男達の態度こそが正しいと言えるだろう。
「……」
しかし獣欲に塗れた視線を無遠慮に向けられてさえ少女は無言。
頭に被るトンガリ帽子の内側から何の感情も無い双眸が覗いている。
少女の羽織った漆黒の外套が風に煽られ微かにはためいた。
麗しき長髪は良く見れば瑠璃色で、一本に結われた艶髪は風に煽られても僅かに揺れるだけだった。
「おい何とか言えやクソアマ!」
男達は少女の無反応っぷりに何やら不気味な物を感じて、言い知れない不安を払拭しようとでもするように手を伸ばす。
男の手がか細い肩を掴んだところ、お返しにと少女の指先が伸びて彼の額に触れた。
「?」
「悪いけど急いでるの。吐かせたい情報も無いから、速攻で終わらせるわね」
ズドンッ!
仲間のゴロツキ達は何が起きたのか理解できなかった。
周囲で遠巻きに見ていた男達も同様だった。
少女が行ったのはデコピンだった。
しかし結果としてされた人間の頭部が爆発飛散した。
顎から下を残したまま、火山のマグマのように血液を噴き上げながら男の体躯が地面へと崩れ落ちる。
数秒間の沈黙。男達は呆然として足下でビクンッビクンッと痙攣している仲間の死体を見つめてしまう。
「て、てめえ!」
それから男達は何が起きたのか分からないなりにハッと我に返り、本能的に危機を感じて各々腰から刺突用のダガーを引き抜く。
周辺にいたゴロツキ達も何事かと駆け寄ってくる。
「私に刃を向けた以上は降伏も逃亡も認めない。戦って死ねよ、蛆虫ども」
――《地穿槍》。
少女が告げるのと同時にその足下に濃茶色の魔方陣が出現し、かと思った次の瞬間に地面から鋭く尖った岩の塊が飛び出してきた。
男達は不意のことに躱す間もなく腹や胸を刺し貫かれる。
駆けてくる増援も十名近くが同じような末路を辿り、次々息絶えてゆく。
「ちっ、魔法使いかよ!!」
難を逃れたゴロツキの一人が忌々しげに毒づく。
魔法使いを相手取るのは厄介極まりない。
しかし剣と鎧で武装する戦士や武術を極めた武闘家であるならいざ知らず、防御力も無く体捌きも知らない魔導士など距離を詰めてしまえば葬り去るのは容易い。
そう考えた男達が少女を取り押さえようと殺到する。
「あらあら、まさかとは思うけれど、そんな拙い動きで私を止められると思っているのかしら?」
少女はこの時になって初めて表情を顔に出した。
もう少しで手が届くといった位置まで来ていた男が彼女の表情を見て凍り付く。
瑠璃色髪の少女は薄ら笑いを浮かべていた。
大勢の人間を殺害してきた殺し屋にも引けを取らない、愉悦に充ち満ちた瞳。
コイツは最初から一人として生かしておくつもりが無い。
男がそう察して回れ右しようと身体の向きを変えるも、一足早く少女の魔法が発動していた。
――《灼熱地獄》。
真っ赤な魔方陣が広がり、一瞬遅れて灼熱の風が吹き抜ける。
ボンッ、そこかしこで音がこだました。
チンピラ然とした男達は、駆け寄ってきた全てがほぼ同時に炎に包まれ悲鳴を上げるより先に爆発四散した。
ボトボトと黒焦げた彼らの遺体の欠片が地面に落ちる。
まだ遠巻きに見守っていた男達は恐怖のあまり目を剥き、かといって逃げ出すにも身が竦んで動けない様子だった。
「一人として生かしてはおかない。あなた達が私の立場であったとしても同じようにするでしょ?」
謳うように囁くように可憐なる唇から冷涼な音色を紡ぎ出し、少女はそれから手にした杖で地面を突く。
――《黒死崩堕》。
魔法使いの足下に今度は黒々とした魔術回路が現れ、それは通りを丸々飲み込むほどに広がった。
「ギャアァァ!!」
「ゴェアァ?!」
術式の発動と同時に相当な広範囲で悲鳴が上がる。
男も女も老人も子供も関係無く平等に同様の死を賜る。
それは異世界で発明された広域殲滅魔法であり、根底にある構文法則が丸っきり違うためにこの世界の魔法体系では反射は元より防御することすらできない。
魔術回路に触れた生物は全身を黒々とした塊へと変えられ、至る所から血を吹き出しもがき苦しみながら生きながらに輪郭を失っていく。
ものの数分で声を発する物は一つとして見当たらなくなっていた。
「さて、征くか」
そして他に誰も居なくなった通り。
少女は再び無表情になって酒場へと顔を向ける。
「あら、地下にも生物反応があるわね。……なるほど、最初から監禁用の地下牢があったって事か」
得心いったような声を呟いて少女は尚も足を前に出す。
少女は残された敵がそう多くないことを感じ取っていた。




