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22話 戦友の過去と新たな使命

 月詠の手が、ギークの掌から静かに離れた。


 地下室を照らしていた柔らかな光が消えると、そこにはただ、言葉を失って立ち尽くす一人の男の姿だけが残った。


 彼は何かを言いかけようとして唇を動かしたが、声にはならず、ただ乾いた笑いを一つ漏らした。


 それは自分を嘲笑うかのような、ひどく寂しい響きだった。


「……三番目に食べたい物、なんてな。そんなこと、これっぽっちも考えちゃいなかった。考えたのは妹のことさ」


 モニターの明かりが彼の眼鏡を青白く反射させ、その横顔を冷酷に描き出している。


「俺と妹……リリーは、物心つく前に親に捨てられた。スラムのゴミ溜めみたいな場所で、俺にとってあいつは全てだった。あいつを守るためなら、泥水をすするのも、誰かを傷つけるのも、何一つ躊躇わなかった」


 俺は何も言わず、彼の独白に耳を傾けた。長年、生死を共にしてきた相棒だが、その過去に触れるのはこれが初めてだった。


「だが、あいつは生まれつき身体が弱かった。少しでも良い薬を買ってやりたくて、俺は傭兵の真似事までして金を稼いだ。……なのに、皮肉なもんだよな。俺が薬を抱えて戻った時、そこには紛争で崩れた家と、瓦礫に埋まったリリーの腕しかなかった」


 ギークの声が低く沈む。彼の記憶の中にある瓦礫は、今朝、俺が見たトンネルの惨状と重なっているのかもしれない。


「それからだ。死に場所を探して、戦場を渡り歩くようになったのは。……そこで、お前に命を拾われた。蓮、お前はあいつの代わりに俺が守るべき『家族』みたいなものになったんだ」


 ギークは顔を上げ、自嘲気味に口角を上げた。


「手が光るのにも驚いたが……ここまでされちゃ、信じるしかないわな。さっきは疑って悪かった」


 月詠は悲しげに首を振り、座り込む彼の目線に合わせて微かに膝を折った。


「謝らないでください。……あなたがリリーさんを大切にしていたのは、きっと彼女には伝わっていたはずです」


 その言葉が、ギークの心の奥底にあるトゲを抜いたようだった。彼は一度深く息を吐き出し、強引に「プロ」の顔に戻った。膝を叩いて立ち上がり、メインモニターに向き直る。


「湿っぽい話はここまでだ。死神様がお仲間になったってことは、この地獄にも勝機が見えてきたってことだろ?」


「いや……現状は最悪だ」


 俺は、冷徹な事実を突きつけた。


「月詠は、死の淵にいた俺を蘇生させるために禁忌を犯した。その代償として、彼女は霊体としての力を失い、今は人間と同様に傷つき、死ぬ身体になっている。……そして、俺の魂の余命は、あと四日しかない」


 キーボードを叩こうとしたギークの指が、空中で凍りついた。


「四日を過ぎれば、俺の魂は『無』に還る。世界から俺の存在そのものが消える。それが蘇生のルールだ」


 一瞬の沈黙。ギークは拳を震わせ、デスクを思い切り叩いた。


「ふざけんな! せっかく生き返ったってのに、そんなの……!」


「叫んでも時間は増えない。この四日で、神代を殺し、この町の地獄を終わらせる。……ギーク、今の町の状況を教えろ」


 俺の静かな叱咤に、ギークは歯を食いしばりながらモニターを操作し始めた。画面には、美浜町の詳細なマップと、刻々と更新される被害状況が表示される。


「……状況は地獄の三丁目だ。北の美浜大橋、南東の汐見橋、そして西の天城山トンネル。外部に通じる三つの経路は、すべて物理的に切断された。町は完全に隔離された檻だ」


 ギークがマーカーを打つ場所は、どれも破壊の痕跡だった。


「さらに、警察署、消防署、市役所……行政の中枢がピンポイントで爆破されてる。組織的な機能は完全に死んだ。神代の奴、町中のスピーカーをジャックしてこう宣言しやがった。『町全域に零式爆弾をセットした。外部が少しでも介入すれば、四十万人の市民もろともこの町を吹き飛ばす』とな」


「町全体を人質にした、か」


「ああ。おかげで外部のSATも軍も、指一本動かせねえ。人質が多すぎて、突入の決断ができねえんだ。その隙に、町には神代が放った『猟犬』どもが暴れてる。強奪、強姦、殺人……。奴らはこの混乱を『狩り』として楽しんでやがる」


 脳裏に、先ほど見過ごしたあの市民の最期が蘇る。額に銃口を突きつけられ、命乞いを踏みにじられたあの瞬間。引き金に指をかけながら、月詠を守るために引けなかった自分の指の震え。


「……もう、見過ごすのは終わりにしたい」


 俺の言葉に、ギークが不審そうに眉をひそめた。


「どういう風の吹き回しだ? お前の目的は神代一人だろ」


「神代を殺すだけでは、親父たちが遺したものは守れない。この四日間、俺は復讐者としてだけでなく、救えるものを救うために動く」


 それは、復讐という暗い情熱しか持たなかった俺の中に、初めて芽生えた「生」への執着だったのかもしれない。神代という『死』を追うだけでなく、目の前の『生』を繋ぎ止める。


「へぇ……月詠ちゃんと出会ってから、ちょっと変わったんじゃねーか?」


 そういってにやけるギークの冗談をあしらうように、次の質問をした。


「ギーク、一番近い『狩場』はどこだ」


「……市民ホールだ。あそこに、数百人の避難民が立てこもってる。だが、さっき傍受した通信によれば、神代の直属部隊がそこを『最初の処刑場』にするべく向かってる」


「そこへ行く。あそこの連中を皆殺しにして、指揮官を引きずり出す。神代の居場所に繋がる情報を吐かせる」


 俺はギークが隠し持っていた予備のタクティカルベストを身につけ、新たなライフルのボルトを引いた。金属音が地下室に鋭く響く。


「月詠、お前はここで待て」


 俺は背後の彼女を見ることなく告げた。生身になった彼女を、あんな惨劇の場に連れて行くわけにはいかない。


「……いいえ。一緒に行きます」


 月詠の返答は、予想外に毅然としたものだった。


「何?」


「蓮さんを蘇生させた影響で、今、私たちの魂は強く結びついています。あまり距離を置くことはできませんし、離れれば貴方の魂の消耗を早めてしまう可能性があります」


「だが……!」


「それに……今の私は生身だからこそ、直接触れれば敵の心を読むことができます。必ず、お役に立てます」


 俺は躊躇した。彼女を危険に晒すことは、今の俺にとって最も避けたいことだ。だが、彼女の瞳には、かつての死神としての冷徹さではなく、一人の人間としての強い意志が宿っていた。


「……だが、お前はもう死神じゃないんだぞ。弾に当たれば死ぬんだ」


「守ってやれよ、レン」


 ギークが割り込むように言った。彼は俺の肩に手を置き、真っ直ぐに俺の目を見つめた。


「今の俺達は、死神の手も借りたい状況だ。お前がその腕で、月詠ちゃんを死なせないように守り抜けばいいだけの話だろ?」


 ギークの言葉が、俺の背中を強く押した。


 俺は一度深く息を吐き、月詠に向き直った。


「……離れるなよ。俺の影から一歩も出るな」


「はい。……お供します、蓮さん」


 ギークから無線機と予備の弾薬を受け取り、俺は地下室の重い鉄扉を蹴り開けた。


 外には、硝煙に煤けた不気味な太陽が輝いている。


 命の期限、残り四日。


 俺たちは目の前にある地獄の底へと駆け出した。

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