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21話 再会と証明

 町のはずれ、かつては繊維工場だったという錆びついた雑居ビルの地下へと続く階段を、俺たちは慎重に下りていった。


 カビ臭い空気の中に、微かに混じる電子機器の廃熱の匂い。暗闇に耳を澄ませると、幾重にも重なるサーバーの駆動音が、低く唸るように響いている。


 隠し扉を押し開け、一歩踏み出したその瞬間だった。


「止まれ。あと一歩動いたら、この部屋ごと爆破する」


 暗闇の奥、積まれた機材の影から、低く刃物のように鋭い声が飛んできた。その声には、極限まで追い詰められた人間特有の焦燥と、一切の容赦を捨てた冷徹さが宿っていた。


 俺は月詠を左腕で背後に庇い、右手で銃を構えたまま、その声の方向を睨み据えた。


「……ギーク、俺だ」


 静寂が部屋を支配した。電子機器のファンが回る音だけが、無機質に時を刻む。


 やがて、カチャリという金属音がして、棚の影から一人の男が姿を現した。


 両手に握られたショットガン。以前の彼からは想像もできないほどボロボロになったシャツ。顔は泥と油に汚れ、その目は真っ赤に血走っていた。


 ギークは俺の顔を認めると、信じられないものを見たというように、持っていた銃を震わせた。


「……レン、なのか? 化けて出たのかよ」


「死に損なっただけだ。銃を下ろせ」


 俺の声を聞き、ギークの膝から力が抜けた。彼はショットガンを床に転がすと、そのまま機材の山に背を預けて崩れ落ちた。


「……生きてやがったのか。お前、心拍センサーが、確かに……。あのトンネルが崩落した瞬間、お前のバイタルサインは完全にロストしたんだ」


 ギークは顔を覆い、激しく肩を揺らした。あのアジトが襲撃された地獄の中で、相棒の「死」を確認させられた絶望は、想像に難くない。


「残念ながら、一度死んだ身だ。……そして、残りの命はあと四日しかない」


 俺の言葉に、ギークは顔を上げた。


「……はぁ!? どういうことだよ。 命が四日? わけが分からねえぞ。……それに、後ろの可愛い嬢ちゃんはどちら様だい?」


 彼の視線が、俺の背後で不安げに立ち尽くす月詠に向けられる。


 俺は迷った。だが、これから神代と戦う上で、月詠の存在を隠し通すことは不可能だ。何より、ギークには真実を知る権利がある。


「ギーク……。彼女は月詠。死神だ」


 その場に、再び重苦しい沈黙が降りた。


「……死神? それって……あの、鎌を持った死神か? おいおい……冗談を言っている暇はねぇんだぞ。もっとわかりやすい説明をしてくれ」


「俺だって馬鹿げたことを言っている自覚はある。だが、これは冗談じゃない。俺は彼女に助けられた」


 俺はギークの目を真っ直ぐに見つめた。長年の付き合いだ。俺がこういう冗談を言う男でないことは、彼が一番よく知っている。


 ギークは俺の真剣な眼差しを数秒間受け止めた後、深く溜息をつき、眼鏡を拭い直した。それも二人の信頼関係があってこそなのだろう。


 俺は月詠と出会ってからの経緯、彼女との契約、そしてトンネルでの蘇生と引き換えに負った代償について、包み隠さず全て話した。


「いや……まぁ……状況は分かった。分かったんだが……」


 ギークは頭を抱え、モニターに囲まれた椅子に腰を下ろした。


「本物の死神様だって言われても、普通は信じられないだろ。現実感がなさすぎる」


「こういった反応が普通なんですよ、ギークさん。最初に会った時、すぐに平静を保っていた蓮さんの方がおかしいんです」


 月詠が、少しだけ緊張を解いた様子で一歩前に出た。彼女の控えめな、だがどこか凛とした佇まいに、ギークの表情が僅かに軟化する。


「ギークさん。……手を出していただけますか?」


「……手を出してどうするんだい、お嬢さん」


「私は本来、特定の人にしか干渉をすることができません。ですが、今の私は人と変わらない身。直接触れて、貴方の魂に触れれば、考えていることや過去を知ることができます」


「なるほど……それで、俺にしかわからないことを当てるってわけか。いいぜ」


 ギークは挑戦的な笑みを浮かべ、右手を差し出した。


 月詠は「失礼します」と小さく断り、その細い指先を彼の掌に重ねた。


 その瞬間、彼女の手の平から、薄暗い地下室を照らすような、柔らかく白い光が溢れ出した。


 ギークの顔から笑みが消える。彼は驚愕し、一度俺を、それから月詠の手元を交互に見つめた。


「それじゃ……手始めに。俺の名前を言ってみな」

 

 月詠は静かに目を閉じ、光の中に意識を集中させた。


「はい。……ダリウス・クームさんですね」


 ギークがピクリと身体を震わせた。


 ダリウス。本名を知るのは、長年相棒を勤めてきた俺でも初めてのことだった。この裏社会では、名前や素性を伏せるのが当たり前の作法だ。


「……まぁ、俺の素性を探る方法は、この世のどこかにあるかもしれない。徹底的に調べたって線も、ゼロじゃねえな」


 ギークは動揺を隠すように、皮肉めいた口調で言った。だが、その声は明らかに上ずっている。彼は次の質問を考えるように、顎をさすった。


「それじゃ次の質問だ。今、俺が思い浮かべてることを当ててくれ。そうだな……今、三番目に食べたい物なんかどうだい?」


 ギークはわざと、抽象的で予測しにくい質問を投げた。


 月詠は再び、彼の魂に深く潜っていく。


 だが、その表情はすぐに強張った。光はより一層強く輝き、彼女は悲しげな、今にも泣き出しそうな瞳で、ギークをじっと見つめた。


 一分。いや、数秒だったかもしれない。地下室に満ちた沈黙が、ひどく長く感じられた。


 やがて、月詠は震える唇を開いた。


「妹の……リリーさん。……彼女もきっと、貴方が兄で幸せだった。私は、そう思います」


 その名を口にした瞬間、ギークの世界は止まった。


 ショットガンを構えていた時の威勢も、ハッカーとしての傲慢な笑みも、全てが氷解するように消え去った。


 リリー。


 聞き慣れない名だ。長年共に戦線を潜り抜けてきたが、ギークの口から一度も家族の話など聞いたことがない。


 おそらく、奴は「三番目に食べたい物」などと考えてはいなかったのだろう。


 だが、月詠は――彼女はその薄っぺらな嘘を通り越し、奴が最も強く心に浮かべていたものを見たのだろう。


 ギークは何かを言いかけようとして口を微かに動かしたが、結局、言葉は一つも出なかった。


 ただのハッカーではない、一人の人間としての急所を晒した彼は、まるで時間が止まったかのように、月詠の手を呆然と見つめ続けていた。


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