20話 瓦礫の中の休息
地獄と化した市街地の喧騒を背に、俺たちは人気のない裏道を歩き続けた。
今の時刻は午前8時。
立ち上る黒煙が朝日を遮り、町全体を不気味な薄墨色に染めていた
瓦礫が散乱し、街灯も消え失せた道は、健常な大人でも歩くのが容易ではない。気づけば、市街地を抜けてから数キロは歩いていた。
ふと、背後を歩く月詠の足取りに違和感を覚えた。
わずかに右足を引きずり、呼吸も荒くなっている。霊体でもなく、翼もない今の彼女を縛っているのは、不自由な肉体だ。
俺は立ち止まり、無言で彼女の前に歩み寄った。
「えっ、蓮さ……わわっ!?」
問いかけるより先に、俺は彼女の身体を横に抱き上げた。
いわゆる、お姫様抱っこというやつだ。
月詠は顔を真っ赤にし、バタバタと細い足を動かす。
「な、何をしているのですか!? 下ろしてください、恥ずかしいです!」
「足、怪我してるだろ。大人しくしてろ」
俺は彼女の抗議を無視して、近くにあった半壊したガソリンスタンドへ滑り込んだ。
売店のドアは壊れていたが、雨風を凌ぐには十分だ。
隅にあるプラスチック製の椅子に彼女を座らせ、俺はその前に跪いた。
「見せてみろ」
月詠の右足の裾をそっと捲り上げる。
足首の少し上に、鋭い瓦礫の破片か何かで切ったような生々しい傷跡があった。血が滲み、周囲が少し赤く腫れている。
「……すいません。いつの間にか」
月詠が申し訳なさそうに視線を伏せる。
俺はポーチから消毒液と包帯を取り出した。戦場での応急処置は慣れているが、対象がこれほどか細い少女となると、勝手が違う。
俺の手は、長年の戦闘でタコができ、火薬の匂いが染み付いている。いわば「人殺しの手」だ。
その手で、彼女の白く透き通るような肌を傷つけないよう、慎重に汚れを拭い、消毒液を塗る。
ふと見ると、月詠が俺の手をじっと見つめていた。その瞳は潤み、何かをこらえるように胸元をぎゅっと押さえている。
俺が触れるたびに、彼女の小さな肩が微かに跳ねるのが伝わってきた。
「……痛むか?」
「いえ、そうではなくて。……生身の体というのは、少し不自由なのですね。肉体の痛み、という感覚は初めてです。なんだか、自分が本当にここに存在しているんだって、強く感じます」
月詠は、痛みを誤魔化すように少しおどけて笑ってみせた。
その健気さが、かえって俺の胸をチクリと刺した。
「不自由だからこそ、誰かに触れたいと思うのかもな」
俺は包帯を巻き終え、彼女の足首を掴んだまま、独り言のように漏らした。
「一人じゃ凍えるし、痛みは自分一人じゃ消せない。……だからこそ、人は温もりを求めるのかもしれない」
月詠は驚いたように目を見開き、それから優しく微笑んだ。
「……そうかもしれませんね。今の私には、蓮さんの手の温かさが、何よりも心強いですから」
外では、ポツポツとトタン屋根を叩く音がし始めた。通り雨だ。
次第に強くなる雨音。冷たい風が店内に吹き込み、月詠が小さく身を震わせた。
「寒いか」
俺は自分の戦闘用ジャケットを脱ぎ、彼女の肩にかけた。
「あ……ありがとうございます。でも、これでは蓮さんが……」
「俺のことは気にするな。自分のことだけを今は考えてろ」
俺は彼女の背にする形で、床に腰を下ろした。
店内に響くのは、激しくなる雨の音だけだ。
互いの背中から伝わってくる確かな鼓動と体温。さっきまでの殺戮の光景が嘘のように、そこには穏やかな時間が流れていた。
俺の命は、あと四日。
本来なら、一分一秒を惜しんで神代を追うべきだ。
だが、この心地よい沈黙が、もう少しだけ続いてほしいと願っている自分がいた。
ーーーこんな時になに馬鹿なことを考えている。
以前の俺なら間違いなくそう思っていただろう。
だが「こんな気持ちも悪くはない」と、今の俺は自然とそう思えた。
数十分もすると、雨音は嘘のように消えた。雲の切れ間から、薄い光が差し込んでくる。
「行くぞ。身体は冷えてないか」
「はい、大丈夫です。……行きましょう」
立ち上がった月詠にジャケットを返してもらい、俺たちは再び歩き出した。
目的地は、町外れに建つ、蔦に覆われた古いビルの地下だ。
建物の裏手に回り、隠し扉のダイヤル錠に手をかける。
ギークの無事を祈りながら、俺は慣れた手つきでロックを解除しようとした。
――その時だった。
扉の向こう、コンクリートを何かが擦るような、微かな「音」が聞こえた。
俺は即座に腰の銃を引き抜き、月詠を自分の背後に庇う。
鋭利な緊張感が再び俺たちの魂を支配した。




