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19話 崩壊した秩序

鉄製の重い扉は爆圧で内側にひしゃげ、周囲の壁には無数の弾痕が刻み込まれていた。


 俺はバイクを入り口に乗り捨て、腰の拳銃を抜き放って中へと滑り込む。


「ギーク!!」


 肺が痛むほどに叫んだが、返ってくるのは不気味な静寂と、破壊された電子機器から漏れ出す微かな火花の音だけだった。


 内部は無残という言葉すら生ぬるい惨状だった。数千万はしたであろうサーバーラックはなぎ倒され、液晶モニターは全て粉々に叩き割られている。


 ギークが大切にしていたビンテージのスピーカーも、今はただの木屑の山に成り果てていた。


 床一面には、薬莢が絨毯のように散らばっている。中央のテーブル付近には、乾きかけの鮮血が派手に飛び散っていた。


 俺は血の跡を辿るように、クローゼットの中、サーバーの裏、トイレの中まで必死に調べ回った。


「いない……死体がない」


 立ち上がり、俺は荒い息を整える。


 床に落ちた血痕に指で触れる。まだ完全に乾ききってはいない。俺たちがトンネルで戦っている間に、ここも神代の部隊に嗅ぎつけられたのだ。


「蓮さん……ギークさんは……」


 月詠が、震える声で尋ねる。俺は彼女に向き直り、努めて冷静に言葉を紡いだ。


「ギークは臆病なほどに慎重な男だ。常に最悪を想定して、プランBやCを用意している。あいつは……逃げたんだ」


 俺はアジトの奥に隠されていた予備の弾倉と、刃渡りの長いタクティカルナイフを回収し、腰のベルトに装着した。


「町のはずれに古いビルの地下があるんだ。あいつが『万が一の時の墓場だ』と言っていた場所だ。生きていれば、そこにいるはずだ」


「そうですか……よかった」


 俺たちは再び外へ出たが、市街地の手前でバイクを止めた。これほど火の手が上がり、混乱している街中では、エンジンの排気音は敵を引き寄せる標的でしかない。


「ここからは歩くぞ。目立つわけにはいかない」


 俺はバイクを木の枝で隠すと、月詠を促して市街地へと足を踏み入れた。


 だが、住宅街の角を曲がった瞬間に広がっていた光景は、想像を絶する地獄そのものだった。


「ひひっ、次はあそこの家だ。女は残せよ。それ以外は好きにしていいぞ」


 迷彩服を纏った傭兵たちが、まるでピクニックでも楽しむような軽薄な足取りで略奪を繰り返していた。


 ショーウインドウは粉砕され、路上には持ち主を失った鞄や靴、そして血溜まりの中に沈む死体が無数に転がっている。


 すると、数メートル先で一人の市民が傭兵たちに捕まっているのが見えた。


「頼む、助けてくれ! 命だけは……金ならある、何でも出すから!」


 地面に這いつくばり、男が必死に命乞いをする。


「金? そんなもん、ここじゃ紙屑以下なんだよ。それより、お前のその絶望した顔の方が、よっぽど価値があるぜ」


 傭兵が嘲笑いながら、銃口を男の額に押し付けた。


「蓮さん! 助けましょう!」


 月詠が俺の腕を掴み、叫んだ。


 俺は咄嗟に身を隠し、ライフルの引き金に指を伸ばした。スコープ越しに敵の頭部を捉え、殺意が最高潮に達する。


 だが、俺の指は、引き金に触れたまま止まった。


 周辺を確認すれば、別の路地からも三人、屋上にも狙撃手が配置されている。ここで音を立てれば、一瞬で蜂の巣にされる。


「くっ……」


 俺は震える指を、ゆっくりと引き金から離した。


「なぜ……なぜですか、蓮さん! 今なら助けられます!見殺しにするんですか!」


 月詠が怒りを含んだ声で問い詰めてくる。俺は彼女を見ることなく、低く、押し殺した声で答えた。


「……できない。今ここで引き金を引けば、一瞬で包囲される。そうなれば、俺も、お前も死ぬぞ」


「でも……! このままじゃあの人が……!」


 月詠がさらに食い下がろうとした、その時だった。


 俺が奥歯を噛み締め、怒りと悔しさで唇から血を滲ませているのを見て、彼女は息を呑んで言葉を失った。


 パァン、と乾いた一発の銃声が響き、男の命乞いは唐突に途絶えた。


 傭兵たちの下卑た笑い声が遠ざかっていくのを、俺たちは壁の陰で、ただじっと耐えて聞き続けていた。


「……大丈夫か」


 しばらくして、俺は隣で蹲っている月詠に声をかけた。


「……ごめんなさい。……あんなに酷いことを言って。蓮さんだって、苦しいはずなのに」


 月詠は青ざめた顔で自分の身体を抱きしめ、小刻みに震えていた。霊体だった頃の彼女には、「恐怖」は遠い世界の出来事だったはずだ。


 だが今は、生身の感覚が彼女を容赦なく襲っている。


「……怖いんです。今まで、こんなに……世界が痛いなんて、知らなかった」


 彼女のか細い告白が、俺の胸を鋭く刺した。


「こんなに大きい悪意の魂……感じたことない……。この町はそれに包まれています」


 俺はグローブを嵌めた手で、彼女の震える肩をそっと、だが力強く引き寄せた。


「……安心しろ。地獄の果てまで、俺がお前を連れていく。……死なせやしない」


 例え命が残り四日だとしても、この温もりだけは離さない。


 俺は滲んだ血を拭い、彼女の手を引いて、再び硝煙の立ち込める闇の奥へと歩き出した。

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