17話 失われた翼
意識が、激しい衝撃と共に現実へと引き戻された。
最初に感じたのは、全身を苛む、骨が軋むような激痛。そして、後頭部に感じる温かい感触だった。
ゆっくりと目を開けると、満天の星が広がっていた。
俺は、崩落したトンネルの出口近くの丘の上、草いきれの匂いがする場所に横たわっていた。そして、自分が見知らぬ少女――月詠の膝の上で眠っていたことに気づき、愕然とする。
「……っ!」
驚いて身を起こそうとするが、全身に電流が走ったかのような激痛に襲われ、呻き声しか上げられない。
「動いてはダメです、蓮さん!」
月詠が慌てて俺の肩を抑える。その声は頭の中に響くのではなく、鼓膜を直接震わせていた。
「貴方が生き返る前に負った傷が、まだ肉体に『記憶』として残っているのです。魂は繋ぎ止めましたが、肉体がそれに追いつくまで、少し時間がかかります。やがて、痛みは消えるはずです」
俺は、激痛に耐えながら、目の前の月詠の異変に気づいた。
いつも俺の背後にあったはずの、夜の闇を溶かし込んだような黒い翼が、跡形もなく消えている。
半透明だった彼女の身体は、月明かりの下、確かな輪郭を持って存在していた。頬には泥の汚れがつき、腕には瓦礫で擦ったであろう生々しい傷が刻まれている。
「お前の翼は……? それに、その身体は……」
俺の問いに、月詠は悲しげに、しかし静かに事実を告げた。
「蓮さんを蘇生させるために、私の力の大部分が、貴方の魂を繋ぎ止めるために流れ込んでしまいました。その影響で……霊体を維持できなくなったようです」
「……どういうことだ」
「貴方の魂が現世にとどまるこの四日間、私もおそらく、人間と同じようになります。痛みも感じますし、傷も負います。そして……下手をすれば、死にます」
俺は、自分のために月詠が全てを犠牲にした事実に、言葉を失った。
激しい罪悪感が、胸を締め付ける。
「俺のせいで……お前まで……」
だが、月詠は穏やかに微笑んだ。
「いいえ、蓮さん。これは、私が選んだことです。貴方に生きてほしかった」
「そこまでする義理は、お前にはないはずだ」
「それも違います。これは……私のためでもあるんです」
俺の苦しげな反論に、月詠は、どこか悪戯っぽく、それでいて慈愛に満ちた瞳で俺を見つめ返した。
「なぜ、お前にまで危険が及ぶことを言わなかった?」
「……言ったら、多分断っていたでしょう?」
彼女は、俺の心を完全に見透かしていた。
「蓮さんは……お優しいですから」
俺は何も言い返せなかった。
その時、月詠がそっと、俺の胸の上に自分の手を重ねた。伝わってくる確かな温もりと、か細い指の感触。
それは、俺が初めて触れる、彼女の体温だった。
目の前にいるのは、もはや超越者たる死神ではない。傷つき、血を流し、そしていつか死ぬ運命を背負った、ただ一人の儚い少女なのだと、俺は改めて認識させられた。
彼女の言葉の真意を、俺はまだ測りかねていた。
だが、この温もりを、この存在を、何があっても守り抜かなければならない。
それが、俺に与えられた新しい使命なのだと悟った。
月詠に支えられ、俺はゆっくりと身体を起こす。
そして、丘の上から美浜町の全景を見渡し、息をのんだ。
町の北と南東。二つの巨大な橋があるべき場所が、黒い闇に断ち切られている。時折、爆発の名残のような小さな火花が散っているのが遠目に見えた。
北の『美浜大橋』と、南東の『汐見橋』も、この西の『天城山トンネル』と同時に爆破されたのだ。
町へのアクセスは、三箇所に限定されている。その全てが、今、破壊された。
美浜町は、完全に孤立したのだ。
それだけではない。
警察署や消防署、役所があるであろう方向からは炎が上がり、煙が天に向かって登っているのが確認できる。
地獄の蓋が開き、町全体が巨大な監獄へと変貌したのだ。
俺は燃える夜景と、隣で傷つきながらも俺を支える少女を見つめる。
ここからが、本当の始まりだ。
俺は、唇を強く噛み締めた。




