14話 代償
―――蓮さん!
遠くで、月詠の悲痛な叫び声が聞こえた気がした。
―――蓮さん、目を覚まして!
その声に導かれるように、俺はゆっくりと意識を取り戻した。視界は暗く、何も見えない。だが、全身を貫く焼け付くような激痛が、俺がまだ生きていることを告げていた。
『……よかった、意識が……!』
月詠の声が、頭の中に直接響く。だが、その声はひどく弱々しくノイズが混じっていた。
「……ここは……っ」
声を出そうとするだけで、喉の奥から血の味がせり上がってくる。
『瓦礫の中です。奇跡的に、貴方の上には空間ができています。ですが……』
彼女が言わんとしていることを、俺はすぐに理解した。
動かない。
下半身と右半身の感覚が全くない。
右腕を動かそうとするが、まるで自分の身体ではないかのように、ぴくりともしない。
代わりに、全身を灼くような激痛が、神経を駆け巡った。
「ぐっ……ぁ……!」
呻き声が漏れる。呼吸が浅く、速くなる。
まずい。
この出血量、そして圧迫された身体。ショック死か、圧死か。
いずれにせよ長くはもたない。
神代に……届かなかった……。
脳裏に浮かんだのは、両親の最期の顔と、モニターの向こうで嘲笑っていたあの男の声。
こんな、瓦礫の下で……何も成し遂げられずに、終わるのか。俺の復讐は。
焦りと怒りと、そしてどうしようもない無力感が、死の恐怖よりも強く俺の心を支配した。
『ダメです、蓮さん! 諦めないで!』
月詠の必死な声が、遠のきかけた俺の意識を無理やり引き戻す。彼女の魂が、俺の魂に必死に呼びかけているのが分かった。
『今、私が貴方の魂を無理やり繋ぎ止めています! でも、肉体の損傷が激しすぎて、もう……!』
彼女の声には、これまで感じたことのない、切羽詰まった焦りが滲んでいた。
このままでは俺だけでなく、俺に力を注ぎ続けている彼女も危ないのかもしれない。
「……やめろ……月詠……。無駄だ……お前まで……」
途切れ途切れに、俺は言葉を紡ぐ。
『でも……このままじゃ蓮さんが死んでしまう!!』
「……構わん」
どのみち、もう長くはもたないだろう。
俺の魂が諦観の色を帯びたのを、月詠は感じ取ったのだろう。
彼女は、絞り出すような声で言った。
『……一つだけ、方法があります』
「……な……に……?」
彼女は一瞬息を飲み、そして、恐ろしい選択肢を俺に提示した。
『私が……この手で、一度貴方の魂を刈り取ります。そして、冥府へ送らず、再び貴方の肉体に戻すのです。魂の強制的な再結合……。そうすれば、貴方の肉体は、仮初めの命を得て蘇ります』
「……そんな……ことが……」
『はい。ですが、その代償は……あまりにも大きい』
月詠の声は震えていた。
『蘇生した後、蓮さんの魂は輪廻の理から外れます。魂がこの世にいれるのは、もって4日でしょう……。その後、貴方の魂は冥府へも行けず、転生することもできず……この世界から、完全に《《無》》に還り、消滅します』
それだけではないとでも言うように、彼女はさらに過酷な真実を告げた。
『魂が《《無》》に還るというのは、貴方の存在そのものが、最初から無かったことになるということです……生きてきた証ですらも……。貴方を覚えている人もいなくなり、この後何かを成し遂げたとしても、世界が辻褄を合わせて、それは別な《《何か》》に置き換わるでしょう』
それを聞いてなお、俺の心は不思議なほど穏やかだった。
「……構わん……やって……くれ……」
俺は即答した。
「どうせ……あの男を殺した後は、死ぬ運命だ……。地獄に落ちるか、無に還るか……大した違いはない。四日もあれば……十分だ」
『しかし……!』
月詠が、何かを言い淀む。
彼女の魂が、悲しみと罪悪感と、そして俺に対する何か温かい感情で、激しく揺れているのが分かった。
その時、俺の口から、ごぼりと熱い血の塊が溢れ出した。視界が急速に霞んでいく。
時間がない。
俺の命の灯が消えかけているのを悟り、月詠はついにその覚悟を決めたようだ。
彼女の気配が、俺のすぐそばで実体化する。
暗闇の中、彼女の存在だけが淡く光って見えた。
『本当に……ごめんなさい。私が、必ず償いますから……』
彼女の手の中で、あの禍々しい大鎌が形作られていく。俺を殺すことへの謝罪か。
「……俺が……頼んでいるんだ……謝るな……」
俺の言葉に、月詠は、暗闇の中でも分かるほど、悲しげな笑みを浮かべた。
その顔を、見ていられなかった。なぜかは分からない。
ただ、この少女にそんな顔をさせている自分自身が、許せなかった。
すまない、と心の中で呟いた。
彼女は、その全ての感情を振り払うように、鎌を高く振り上げた。
「蓮さん……本当に…………ごめんなさい」
その声と共に、冷たい鋼の刃が俺の魂めがけて…………静かに振り下ろされた。




