5. 真相と信頼
『そう。お前なら、めちゃくちゃ準備してるだろ?』
古びた井戸。つるべ桶を引き出して、井戸の縁に避けておく。よっこらしょと覗き込む僕に、呑気な声が掛けられた。
「まったく、不確かなこと当てにして。……まあ、そうなんだけどさ」
ここはとある宿の裏手。勇者一行の旅の途中で一泊した老舗の宿だ。かつて水を汲むふりをして、こっそり内壁に刻んでおいた。魔法陣を確認する。
『今代の魔王は、臆病なんだ。驚くほどに慎重だ』
そんな僕に、確かめるようなアダムの声。続きが気になって誰もいない隣に視線を向ける。
「――ちょっと。大丈夫? ぼうっとバケツなんか見て」
予想外に割り込んできたのは、死んだはずのディディだった。
実は聖女ビビアンが影たちを連れて魔王城を去ったあと、軽戦士のディディだけは息があったのだ。
「思えば、アダムは何か感じてたんでしょうね。勇者の勘……って奴かしら。あたしにこれを持っとけって」
ひび割れたそれは、王族から勇者にだけ貸し出されるペンダント。《命の秘跡》とよばれるものだ。
◆◆◆
「チャキはいちばん防御力あるから、あたしが持っとけって」
息を吹き返したディディはすぐに、事態を把握した。傷の治療が先だというのに、強く懇願されて、肩を支えてチャキの亡骸の元へ運んでやった。
「こいつバカだから。頭空っぽだし、平気で唆されて、君の追放だって賛成したし――」
ディディはそっと、横たわるチャキに手を添える。
「でもさ、子供みたいに笑うんだ。あたしの前では、バカみたいに」
言葉は涙に飲まれて続かなかった。
◆◆◆
「あー…うん」
泣き崩れる彼女に応急手当をし、意識を失った彼女を最寄りの治療院に任せ、俺はひとり旅立った。
"千の罠"として新たな仲間たちと成長し、冒険者として名を馳せ始めたところで、聞きつけたディディに捕捉されてしまった。
置いていった気まずさから、俺は視線を井戸の上に彷徨わせる。
「傷は、もう大丈夫?」
「にゃはは。もう元気いっぱいよ。それにちんたらしてられないでしょ。あたしも手伝うよ」
腕まくりをし、ない力こぶを見せてアピールする彼女。カラッと笑うものだから、見ているこっちが痛ましい。
「ここは俺ひとりで十分だ。ディディは戦闘までしっかり充電しとけよ」
「むー……わかった」
唇をつきだすものの、それ以上は言い返さない。やはりまだ万全ではないのだろう。宿へと戻りかけたディディが、くるりと首だけで振り返った。
「その"俺"っての。全然、似合ってないから」
びしりと指を突きつけられる。
小生意気な顔でそれだけ言うと、たたっと軽い足取りで去っていった。
『はは! やっぱそうだよな。その"俺"っての。怖がりのお前が言うと違和感やばい』
「ちょ、バカにするなよ。誰のせいでこうなったと――」
誰もいない空間で、笑い声だけがしばらく響く。井戸と、宿の敷地を囲む林。その間の虚空に、僕は恨みがましい視線を送る。
『いや、むしろ俺は褒めてるんだぜ。その怖がりが、お前の力だ。最悪を想定して、地道に準備を積み重ねる』
風もないのに草花が揺れ、青い光が舞い始める。光はちょうど人の頭くらいの高さに集まると、人の目を描き出した。いつも隣にあった、アイスブルーの瞳。まっすぐ、こちらを見つめている。
『魔王の障害は3つ。封魔石と俺たち勇者パーティー。それから人間たちの目だ』
いつからだろう。誰にも聞こえないはずの声が、僕の頭に響いてくる。
「ああ。特に君。勇者でしょ?」
僕の言葉に頷くように、そよりと周囲の空気が揺れた。
『だからまず、魔王は聖女を殺した。疑われることのないように、勇者パーティーに入る前から、聖女の中身は魔王だったんだ』
まさか、この国最高峰の神殿に、魔王が聖女の皮を被って潜んでいるなんて。誰が予想するだろうか。
『そして戦いのさなか、四天王と俺の魂を入れ替えた。まあ、俺の抵抗は魔王の想定外だったようだが』
「僕を追い出したのは、君?」
風がやさしく原っぱにさざ波を立てていく。林の葉擦れがカシャカシャと、まるで誰かの忍び笑いのように耳に届いた。
『名演技だったろ?』
「いや、ほぼ思ってることそのまんまでしょ!」
僕のツッコミに、今度こそ彼は声にならない高笑いで応えた。
「ほんと傷ついたんだから!」
『悪ぃ、悪ぃ』
しん、と風が吹きやんだ。
静寂が僕を見つめている。
『勇者パーティー全員乗っ取り。後は怪しまれずに人々の前で堂々と封魔石を破壊。誰も疑わないから、神殿だって気づかない。これで封魔石の緊急補充もされず、晴れて魔物が入り放題。魔王が大手を振ってこの国を蹂躙できるって訳だ』
そう。風の噂で、勇者パーティーが中央神殿に向かったと耳にした。聖女の皮を被った魔王の狙いは、最後の一つの封魔石だろう。
『まさか、自分より臆病で慎重な奴がいるなんて、思ってもいないんだろうな』
井戸に仕込んだ魔法陣。その中央で、黒い石がきらりと光を反射した。かつて旅の途中で神殿からこっそり盗み出した封魔石の欠片だ。希少だから大変だった。本家の封魔石ほどではないが、僕の魔法陣を組み合わせることで――
「それでも、完ぺきじゃない」
足音がした。誰もいないのに影が二つ。僕の影と、親友の影。
『ああ。封魔石を破壊したら、魔王は本来の力を取り戻すだろう。不完全だろうがな』
勇者亡き今、魔王に対抗できる者なんて――
盾役も失って、軽戦士だってまだ万全のはずがない。それでも。
『信じてる』
はっきりと、在りし日の親友が、夕日を背中に立っていた。
ずるいよ本当に。
伸ばした腕の指でハンドサインを作りながら、アダムは笑顔を残して消え去った。誰もいない。
「待ってろよ」
沈む夕日に向かい、僕は誰にも届かぬ決意を表する。
「絶対に、ギャフンと言わせてみせるから」
地平線に残る夕日を受け、バケツに汲んだ井戸水が静かに煌めいていた。




