13. 魅了
リリィ視点です
魔界は恐ろしいところよ。
リリィみたいなか弱い女の子が、何度も血に飢えた魔物だらけの闘技場で、戦いをさせられるなんて!
「でも、それもようやくおしまい――」
安堵でほっと息が漏れる。
胸元に留めたカードを外し、トンネルの窓から覗く、夜空の月にかざしてみた。
『挑戦者・9等級
人族・術者
リリアンヌ・オレイネン
実績: 男たらし』
何度も大乱闘に参加させられた結果だ。
一部の記載に物申したいところだけど、何はともあれ仮資格の10等級から、9等級に昇格よ。これでこの魔族の国に、正式に滞在することができる。
(気持ちの悪い色だわぁ)
月は乾いた血のように赤黒かった。
故郷の月が懐かしい。
夜の街。街の大半は地下トンネルの中にある。地下にしては広い空間なのに、相変わらず多くの魔物でごった返していた。
(違った。"魔族"ね)
正直、魔境で見かけた魔物たちと、こいつら魔族。見た目の違いはさっぱりだ。
しかし、今もすぐそばを通り過ぎる異形たちは、リリィに襲いかかってこない。買い物カゴを抱えた者、小さな子供の手を引いた家族連れ、乱闘後の興奮に騒ぎながら、何かで乾杯する集団。
「おい、そこのピンクの姉ちゃんよぉ」
集団のなかの一人と目が合った。さっと視線を逸らすが、向こうはなかったことにしてくれない。
「へえ、近くで見るとべっぴん――おいおい、お前人間かよ?」
二足歩行の狼だ。ダラシなく開いた口は酒臭い。しかもひと言話す度に、ツバが周囲に撒き散らされた。
(面倒臭いのが来たわぁ……)
「人間でもまあいいか。おい、お前。一応メスなんだろ? ちょっと相手し――」
掴まれそうになる腕をヒラリと返し、リリィは敢えて距離を詰めた。
「お、おお? 積極的だな――」
長いマズルを避け、狼男のやや横合いから。リリィはじっと視線を合わす。
「リリィを見なさい」
長い髪を後ろへかきあげ、じっと相手の瞳を捉える。スキル『魅了』を、ほんの少しだけ――
(こんな奴、あとは魔法を使う必要すらないわね)
「素敵な毛皮の狼さん」
甘い声で、髪をかき上げ、敢えてうなじを見せつける。露出の少ない修道女の服だけど、首元から覗く白い肌に、相手の呼吸が荒くなる。
「へ、へへ――」
「でもいいの? あなた」
触れようと伸ばされた前脚を、リリィはそっと押しやった。
「あ?」
「ほら。彼女。すごーく怒ってるみたいだけど?」
戸惑う狼男に微笑みかけると、視線を彼の斜め後ろへ、誘うように動かした。つられて男も、焦ったように振り返る。
「え、まさか……か、母ちゃん!?」
何を見たのだろうか。狼男は「ひんっ」と情けない悲鳴をあげて、駆け足に去っていった。
(実際誰もいないし、「彼女」なんて知らないけれど)
都合よく解釈してくれたようで何よりだ。あっさり追い払うことができた。
「ああもう、面倒くさいんだからぁ」
――それもこれもウィウィが早く戻ってこないからよ。
背後の建物を振り返る。
次の昇格申請に向かったウィウィは、なかなか外に出てこない。いらいらと足踏みしつつも、内心どこかホッとしてる自分に気がついた。
(意外と、素直だったわねぇ)
さっきの酔客も、いとも簡単にあしらえた。むしろ人族での暮らしの方が、よっぽど難しかった気がする。
でっぷりとした悪徳神官の脂ぎった顔を思い出し、思わず顰め面を作る。
(いけない。弱気になってるだけよ)
とにかく、魔界を脱出しないと。
幸い自分はもう挑戦者として、戦闘に参加する必要はない。じっくりウィウィの手の甲に刻まれた印を調べて解除する。
(解除、できるかしら? いいえ、やるしかないわね。これでもリリィは術者の端くれなんだもの――)
俄に騒々しさが押し寄せてきた。
(これは……悲鳴?)
雄叫びや唸り声、遠吠えのような音も混じる。異形の声は、奇声にしか聞こえないが、どうも様子が異なった。必死さが感じられるのだ。
「なに、あれ」
近くのトンネルの天井が突き破られ、瓦礫がガラガラと落ちてきた。開いた穴をさらにこじ開けるように、水かきがついた巨大な手が四本、続いて耳がない
灰色の頭が現れた。
(魔境で見た怪物――!)
落ちくぼんだ目に、知性は伺えない。
ヌラリとした身体をトンネルに滑り込ませると、グチャリと嫌な音がした。怪物は己の下敷きになったものを引きずり出した。哀れ、不幸にも押しつぶれた牛型の魔族は、引き裂かれ、奴の腹へと収まっていく。
「キィアァァァ――!」「ギャギャッギギィ!?」
「え、5匹……違う10匹以上? 無理無理! ウィウィ、あいつまだなわけ!?」
勇者さまはまだ出てこない。リリィを守るといったくせに、肝心なときにいないんだから!
慌てて建物内に避難しようとするが、そちらからもうぞうぞと、似たような怪物が現れた。
「きゃっ」「ギィ!」
そのとき、小さな影とぶつかった。ころんと倒れたのは小さな猿。
「ギィギィギギー!」
さらには親猿らしき人物が、子を守ろうと駆け込んできた。まずい。猿親子と共に、敵に囲まれてしまった。
「ギギ……ギギギィーッ!!」
子どもだけは絶対守る。そんな意気込みのこもった叫びをあげて、親猿が目の前の怪物に飛び掛っていく。なんて無謀。開かれた大口に、あっという間に噛み砕かれてしまうだろう。
「……もうっ! リリィはか弱い女の子なのよ!?」
地面を蹴り、飛び上がろうとする親猿を腕で制すると、代わりに自分が前に出た。
「おい、怪物共」
四方から迫りくるいくつもの怪物の頭を、グルリと睨みつけてやる。
「そのしょぼくれた目をかっ開いて! リリィの美貌にひれ伏しなさいっ」
全身の魔力を瞳に。
ぶわりと広がる髪と共に、甘くねっとりした香りが立ちのぼった。
「スキル『魅了』」
何体かの怪物が、ふらふらと頭を揺るがした。
効いてる。知性がなくとも、繁殖する生物なら、最低限の性欲はある。
「だけど雌には効きにくい」
ふらふらする同族を押しのけて、別の個体がこちらへと鎌首をもたげた。
「それでも、これは効くはずよ。《幻惑》」
突如、ふらついていた怪物が、周囲の怪物へと噛りついた。怪物同士が争い始める中、腰の抜けた子猿を拾い上げる。そして親猿の腕のなかに押し込んだ。
「ギギ?」
驚きながらも、親猿は子を抱きしめた。ギャッギャと喜ぶ子猿が、一度リリィを振り返る。するりと蛇の形の尻尾が、リリィの腕をひと撫でした。
「ひっ――ああ、お礼のつもり? いいから早く逃げなさ」
「ギギギィーーッ」
親猿が鋭く鳴いて後ろを指さしている。咄嗟に振り返り――――リリィの思考は停止した。
(あ、無理……)
仲間を喰らい尽くしたひときわデカい個体。そいつが、こちらに向かって大口を開けて迫っていた。
(よりによって最大個体が雌……終わったわね)
諦めが頭を過ったその瞬間、ふわりと身体が浮き上がった。
「レディ。ご無事ですか」
にこりと微笑むオッドアイ。
鬼族のミサだった。
釣った魚でも仕留めるように、ミサはあっさりと怪物たちを制圧した。
鬼の腕に抱かれたまま、リリィはミサが細身の剣を振るう様を眺めていた。まるで重力など感じさせない跳躍で、怪物間を飛び回る。
(……無駄がないわ)
攻撃は一刺しだけ。的確に急所を狙い、細剣で貫いていく。無駄に袖の長い白の衣装は、汚れひとつ付いていなかった。
「大丈夫ですよ」
遠くでまだ、破壊音は続いている。夜風に赤髪をなびかせて、ミサはこちらを覗き込むように微笑んだ。
「厄介な敵がいましてね。今、ドライアスさんにそちらを対処してもらってます」
「あいつ……リリィを放って、魔物退治ですって?」
しかも魔族を守るために。危険な怪物へと突っ込んだ? あとで絶対お説教だ。
そんなことを呟いていると、ミサは困ったように眉を下げた。
「あまり怒らないであげてください。私がそう頼んだんです。オレイネンさんは私が守る、だからあなたは魔物退治を、と」
顔が近い。
魔族のくせに、ものすごく綺麗な顔で、思わずときめいてしまった自分に腹が立つ。
「……おろして。自分で立てるから」
なぜそこで名残惜しそうな顔をする。ミサは、そっと地面に下ろしてくれた。しかし掴んだ手を離してくれない。
「意外です。お強いのですね」
赤と青のオッドアイが、リリィを間近に映している。
「……強くなんかないわ。身を守るため、最低限の護身術よ」
「ふふ。しかし先ほどの酔っ払いへの対処も、見事でしたよ?」
はっと気がつき、リリィはパシリと掴まれた手を払いのけた。
「あなた……! 最初から見てたのね!?」
端から見ていたのだ。
酔客に絡まれるのも、怪物に襲われてビンチになっているときも。
微笑む鬼を、きっと睨みつけた。
「怒らないでください。あなたの実力が見てみたかったのです」
「適当言わないで。監視のついでに、リリィの力を測ったんでしょう?」
強く非難すると、これまで余裕たっぷりだった鬼の顔が、あからさまに曇ってしまった。
「……不快にさせてしまいましたね。申し訳ございません」
本当に申し訳なさそうな顔をする。美形がすると絵になるものだから、まったくたちが悪い。
「ですが本心です。初対面から、彼我の実力差を知っても怯まない。むしろ強者に向かって堂々と、真正面から挑むあなたに、私は興味をもちました」
(一体なんのこと――!?)
初対面――その言葉が指す内容に思い至り、リリィは顔が急激に熱くなるのを感じた。
「それは――」
「ええ、それはもう、熱烈な求愛でしたね」
にっこりと笑むミサ。色違いの瞳が、月の光でゆらりと光る。
「スキル『魅了』。強烈な経験です。魅了された自分も、その後も」
この鬼め、秒で「魅了状態」を解除しやがった。
「不思議なことに、人為的な魅了状態が解けた後も、興味が尽きないんですよ――あなたへの」
一歩、鬼が距離を詰めてくる。
膝を屈め、近づいた赤髪からは、よい香りが漂ってきた。燻した小麦のような匂い――
「リリィ、とお呼びしても」
「絶対だめっ」
いけない。
この鬼は危険だ。
くつくつと笑うミサを置いて、リリィは慌てて勇者を探しに駆け出した。




