11. 魔王さま、今度は緊急事態です!
勇者が来た。
「申し訳ございません。入国スタンプを一つしか押せず――」
入国スタンプ。
それは魔王謹製、入国者たちを監視・管理するための小型魔法陣。
魔王アダムの忠実な奴隷たちが、魔界へ出入りする者たちの危険度を見極めて、ときに十以上のスタンプを対象の身体に施した。
勇者なんて特級異物、スタンプを百押したって足りない相手だというのに。
「拒絶はされませんでした。しかし、なぜかうまく押すことができず……」
平伏し謝る兎型の小魔族。
いくらスタンプを押し付けても、なぜか勇者の皮膚に魔法陣は定着しなかったらしい。
「むしろ勇者相手によくぞ一つ押せたものだ」
怯える小さなふわふわの耳付き魔族を叱っても仕方がない。ここは魔王らしく寛容に。
それにこれ以上無理強いしてたら、被害が出ていたかもしれないもんね。ようやく整えた入管を、壊されてはたまらない!
「しかし人族二名。既に入国してしまいました。どうされますか?」
「監視は……ミサか」
「はい。彼が闘技場へと誘導します」
……ふむ。あのミレイ・サナ・ラスヴェガンテ。鬼族の忌み子、『鏡鬼』のミサが付いてるか。
「彼がいるなら、しばらく様子見でいいだろう」
「本当に、申し訳ございません。ごめんなさい駄目な兎でごめんな――」
「ああ、もういいから」
いつまでも頭を上げない兎をなんとか床から引き剥がし、ポイと部屋の外へ退室させた。
「ふぅ――」
ようやく静かになったよ。
体裁を繕う必要もなくなって、ソファーに深く沈み込んだ。
「はぁ――勘弁してくれよ。こっちは魔界情勢で手一杯だってのに」
勇者アダムとして、和平交渉しにきた魔界で。
気づけば自分が魔王になっていた。
国の周囲は、狂った怪物だらけの魔境。しかも国民の魔族はみんな「強いものが正義」と目についたら殺し合う奴ばかり。秩序なんてあったもんじゃない。
怯え暮らす小魔族たちのために、随分苦労を重ねたもんだ。
「うちの旦那さまは、無駄にお人好しじゃからのう――」
お盆を運んできた女帝が、温かい茶を淹れてくれる。ありがたい。
「魔界を囲う長城の防壁に、入国管理局。それから闘技場制度に、個別魔法陣識別制度」
我が茶を啜る傍らで、女帝が指折り数えている。改めて凄い業績だ。
これじゃ歴史上もっとも偉大な魔王さまとして、後世に語り継がれても仕方がないね!
「ようやく旦那さまも、少しは休めると思ったのに。間の悪い『勇者』じゃのう」
冷めた茶で薬を飲もうと、テーブルの上の瓶に手を伸ばす。おっと、姐さん? 瓶を奪わないでおくれ?
「ダメだその言葉は――」
我は頭を抱え込む。
そこへ勇者?
なんできたの?
勇者はアダムでアダムは魔王よ?
「頼む、安定剤を――」
「はぁ……一粒だけじゃよ」
女帝自ら瓶の栓を抜き、中から褐色の丸薬を一つ取り出した。あーんと開いた我の口に、優しく丸薬が放り込まれた。
「……ん、甘い」
「のう、旦那さまよ」
自分も一口茶に口をつけた女帝は、視線をテーブルの上で彷徨わせていたが、やがてゆっくりと顔を上げ、我の頬に手を添えた。
「かような見落としは、なかったはずじゃ。以前の旦那さまならの」
いつもどんな自分も受け入れてくれる。慈愛に満ちた優しい目。女帝は緩く口角をあげるが、どこか悲しげな笑みだった。
我は答えない。
聞こえてるが、心が聞くことを拒むのだ。
だから自ずと、口は別の話題を紡ぎ出す。
「嫁さん、見つからないなあ」
「はあ、はぐらかすにしても――よりによって、その話題かの!?」
盛大なため息。大仰にあきれたと両手を広げ、すぐに女帝は妖艶な笑みを浮かべた。さらりとショールが床に落ちる。
「心配せずとも、誰も見つからなかったとして、妾が娶ってやるからの」
おお、素晴らしい美脚! セクシーポーズを決めてくれた彼女の気遣いに、逆に惨めな気分になっちゃうよ。
「そういうの、いいんだって」
落ちたショールを拾って埃を払うと、そっと彼女の肩に掛け直した。
「しつこいのう。だから妾を含め、周囲の女子は皆――」
「だから、同情とかは結構ですー」
膨らませた頬が女帝につつかれるが、だまされないもん。
「だって……振られちゃったし?」
「……はあ。獣耳娘っ子か? まったく、ややこしいのう」
いつも母のような慈愛で包み込んでくれる女帝。
プライドは高くて憎まれ口ばかりの金髪令嬢は、なんだかんだお人好し。弟のように面倒みてくれている。
ディディはあれだ。共に喪失を分かち合える、同志ってやつ。
だけど獣耳娘。いつも側で美味しいお茶を淹れてほほ笑んでくれる。生命を維持する魔力を、なんの抵抗もなく分けてくれる彼女は――もしかしたら本当に。本当にそうだったりするのかなあ、とか思っちゃったんだよ!!
あの日、いつも通りに楽しむティータイムの場で。
獣耳娘の発言に。
僕の目の前は真っ暗になった。
あ、実際、部屋は木っ端微塵で、明かりが消えて真っ暗だったんだけど――――
「魔王さま! 緊急事態ですぅ!」
毎度おなじみ、南瓜狐に蹴破られた扉に、僕……じゃなくて、我と女帝は顔を見合わせた。
「狐。扉を蹴破るのはやめんかい」
バカ狐のヒゲを引っ張る女帝を視界の隅に収めながら、我は頭の中の算盤をはじき、ため息をつく。
「うへえ、また修繕かぁ」
とにかくこれ以上被害が出る前に、さっさと止めにいきますか。
***
「ねこ! あなたまた余計なこといったでしょ!」
金髪令嬢の声が、魔王城のホールに響き渡った。
「必要なことを言ったまでです」
魔王アダムの大きな肖像が飾られた階段の踊り場で、メイド服を着た獣耳娘は、振り返りもせずに答えた。
「あいつは今不安定なの! 傷ついて、弱ってるのよ?」
「重々承知です。ですが今の状態が主様のためになるとは、思いません」
獣耳娘は、ようやく金髪令嬢を振り返る。なんの表情も浮かべずに、淡々と意見を告げた。
「言いたいことは分かるわ。でも、あなたのは劇薬よ? 荒療治なんてものじゃない。もっとゆっくり、寄り添って――」
「それはいつまで? いつまでも放っておくのがあなたの愛なのですか? それとも、」
なおも詰め寄る金髪令嬢の言葉に、獣耳娘の瞳が一瞬、昏い光を帯びた。
「ああ、あの給仕ですか。そうですよね、あなたにとって、主様なんてどうでも良い。簡単に乗り換えられる――」
「それ以上言ってご覧なさい」
金髪令嬢を中心に、魔力の風が巻き起こった。まだ、魔法すら使っていない。彼女の放つ圧だけで、周囲の調度が吹き飛んだ。
「『好きな女性をいくらでも侍らせてもらって構いません。むしろ何人とでも、どんどん結婚してくださいね』ですって? よくも、めずらしく勇気を出したあいつに向かって、そんなこと言えたわね?」
獣耳娘はぐっと唇を噛み締めた。じんわり血が滲むが、さほど気にした様子もない。
「あなたには分かりません。『愛』なんて軽いものに、振り回されるあなた達には――」
「なによ。別に恋人でなくたって、大切な人っているでしょう?」
「これ以上話しても時間の無駄です」
「はっ――上等よ。ねじ伏せてからお説教ね!」
話し合いは、決裂だ。
次の瞬間、雷の龍が広間を突っ切った。
しかし鋭い風をまとった獣耳娘が、雷さえも切り裂いて、金髪令嬢へと距離を詰める。
壁が崩れる破砕音。同時にキーンと甲高い衝突音。
風の力を付加した獣耳娘の鎌爪が、金髪令嬢の魔力障壁に打ち付けられたのだ。
「この不良娘ども! やめんかっ」
「はいはい、喧嘩はお外でねー」
そこへ割り入った二つの影は、裏女帝とディディのもの。衛兵たちの通報で、真っ先に仲裁へと駆けつけたのだ。
「止めないで。このワガママ猫には、いっぺんきつい一撃をお見舞いしないと……ちょっとあんた!?」
フウッと尻尾を膨らませた獣耳娘に、再度魔法を放とうとした金髪令嬢は、ふと視線を逸らして固まった。杖を放り、崩落を免れた部屋の一区画へ駆けていく。
――そこには血を吐き、息も絶え絶えの仮面の男。
「……お主たちが騒ぐからの。傷が開いたらしい」
「え、うそ? ちょっと、きちんと息しなさい!」
女帝の冷静な指摘に、むしろ金髪令嬢はパニックだ。令嬢は我を抱き起こすと、バシバシと平手で背を叩き始めた。
「ぐはっ」
(――ちょっと、お嬢さん? 息するどころか、今の背中への一発で、瀕死なんですが?)
「ぐぅ……結婚なんて別に――いくらでも侍らせて……? むしろ何人とでも、どんどん結婚……?」
「どうしよう!? こいつ、支離滅裂なうわ言を!」
「とりあえず、叩くのやめよっか?」
ようやくディディが金髪令嬢の凶行を止めてくれたよ。だけど手遅れだったみたい。視界がゆっくりと暗くなり、すっと意識が遠ざかる。
――はい。我は魔王。
好意を寄せてくれてると信じていた側近に、勇気を出して尋ねてみたら、先の返答が返ってきました。
心砕け散る傷心魔王とは、我のこと。
「ちょっと? 冗談でしょ? もう! ねこ!」
かくんと力を失った仮面男を抱き上げながら、金髪令嬢は獣耳娘をきっと睨んだ。
「ほら、あなたのせいよ?」
「――――っ」
「あ!? ちょ、逃げた?」
壁が崩れ落ち、すっかり見晴らしの良くなった部屋。その大穴から。思い詰めた表情で一度こちらを振り返ると、獣耳娘は外へ身を投げた。
慌ててディディが外を見下ろした。なんせここは15階。魔界を一望できる、魔王城の尖塔の一つなのだから。
「ちょっとー、気をつけなさいよ!」
塔の外壁にあるわずかな突起を頼りに、ぴょんぴょんと身軽に駆け下りていく獣耳娘。その後ろ姿に呼びかけてから、ディディは小さな声で呟いた。
「まったく。あっちもこっちも、こじれすぎだわ」




