9. 迷子の勇者
「あ? ああ。ご新規さん?
身分証出してね。
はい、ではこれからネームプレート作るだね」
丸いボールのような身体から、歪な細い手足がニョキッと生えている。中央にはデカい目玉がひとつ。
カウンターの向こう側で、けばけばしい黄色の怪物が、ボクが渡した冊子をパラパラとめくっている。何やら用紙に書き付けると、スイングドアを押して奥に消えた。
しばらくすると怪物は戻ってきて、ボクに一枚のカードを手渡した。
「ほい。首にかけるか、見やすいところに着けてーな」
カードの裏に、ピンと留め金が付いている。ここに紐を通すか、直接衣服に刺すこともできそうだ。
「はい、もういいよ。ご自由に、挑戦するんだな」
くるりと渡されたネームカードを裏返す。
「あの、これ名前が違うんですけど」
カードの表にはボクの似顔絵と、以下の文字が刻まれていた。
『挑戦者・10等級
人族・勇者
ウィウィコン・ドライヤー
実績: ――』
「ん? 同じだべ?」
「よく見てください。身分証。ほら、ウィウィコンテ・ドライアス」
「んー?」
冊子の正しい文字を指さし説明するも、目の前の単眼の怪物にはまったく通じない。人族の名前だから、発音が難しいのか?
「身分証と違うと詐欺になりませんか?」
「えーのえーの。だいたい合っとるから」
……そういうものか。しかし鼻の穴(ちゃんと二つある)をほじる職員の姿に、そこはかとなく不安になる。
「あの、『勇者』って書いてあるのは――」
「あ?」
黄色い体をたぷんと揺らし、怪物はぐっと伸びをした。「まだなにかあんのか?」とでも言いたげに、デカい尻をかいている。
「センシティブ・ワードだと、入管で聞きまして」
「あー……母ちゃん、そーなの?」
隣の窓口で働くのは、目の前の怪物と見た目はそっくり、色違い。蛍光グリーンのモンスターが、ギョロリとひとつしかない目玉をこっちに向けた。
「んー、なんか。そういう通知の紙、見たような」
「そーなん、どーしよ」
「えーよえーよ、再発行めんどうやし」
――いいのか? 入管とちがい、すごく適当だ!
「ん? 不安? わかったわかった」
ポチリと丸いものを貼られた。青い髪、仮面をつけた……人の顔?
「可愛いやろ。今流行りの魔王さまシール」
「しかも激レア、ぷっくりタイプよ。遠慮せんと貰っとき」
勇者の文字の上に、シールを貼られてしまった。
まあ、正式な身分証は、入管でもらった冊子の方があるし、ネームプレートはこれでいいのか――?
「あはははは!」
ウェーブがかった桃色の髪を揺らし、リリィは大笑いしていた。
「なにそれぇ。あんたその名前、自動操作できる髪乾燥機かなんかぁ?」
うう、やっぱり良くないや。
だけど今はどうでもいい。だって――
「リリィさん。良かった、無事で――」
目の前が霞んでしまう。本当に情けない。
細身の彼女の全身至る所に、小さく切った布か何かが、テープで留められている。それを見て、ボクは言葉に詰まってしまった。
(全然、無事じゃない)
守ると言ったくせに、こんな酷い目に合わせてしまって。何が勇者だ、女の子ひとり守れない――
「あー、はいはい。湿っぽいのは、なしよぉ」
ひらひらと手を振った彼女は、一度ボクの尻をパシリと叩くと、気怠そうに周りを見回した。
薄いクリーム色の建造物の間を抜けると、見晴らしのよい丘に出た。緩やかな坂を上がると、柵があり、すぐ下は断崖絶壁だ。
「ここが……魔界、ねぇ」
目の前に広がるのは、起伏の激しい橙色の大地。そのところどころに、淡い砂色の家がポツポツ散らばっている。今しがた出てきた建物に似ているが、極小から巨大なものまで、大きさはまちまちだった。
景色から隣へ視線を移すと、リリィは空を見上げていた。不本意に連行された修道女、しかもいきなり死にかけた彼女の心境は、如何なるものだろうか――
かける言葉が見つからず、ボクも空を見上げてみた。
うっすら紫煙が、広げたヴェールのように、空を大きく覆っている。灰色雲で煤けたような、陰鬱な気分にさせる空だけど、それでも隙間からはしっかりと、黄色い日差しが差し込んでいた。
「あのさ。あんたこれから――」
「え?」
気付けばリリィの視線は、こちらに向けられていた。柔らかな薄桃色の瞳はよく見ると、中心にいくほど濃い赤に染まっている。
(左右で虹彩の色って、違うんだな)
ぼんやりとそんなことを考えて、初めて彼女がまっすぐボクを見ているのだと気がついた。
「なんの――」
「ああ、こちらに居られましたか」
だけどリリィが話す続きを、聞くことはできなかった。
赤髪の男が、早足でこちらに向かってきたから。
「無事、登録も終わられたようですね」
「あなたは、入管の」
左右で色の違う瞳がニコニコと微笑んでいた。
「申し遅れました。私、鬼族のミレイ・サナ・ラスヴェガンテと申します」
「鬼、族」
「はい。長い名前ですので、気軽にミサ、とでもお呼びください」
先日、入管で審査を担当してくれたのが、このミサだ。こうして外の明るい光の下で見ると、人と姿は変わらない。むしろ、恐ろしく整ったその容姿は、女性に人気がありそうだ。だけど、赤髪の間から覗く二対の角が、彼もまた魔族であることを示していた。
「お連れ様も無事、目を覚まされたようですね」
「その節はどうも」
入国審査を終えたボクに、リリィが回復するまでは、とミサは近くに宿を手配してくれた。
「挑戦者については、先日軽くご説明いたしましたが、」
ぱちりと左目、青い方の瞳を閉じると、彼は片目でこちらを見た。
「今後のご予定は、決まりましたか?」
鬼族だというミサの赤い片目に見つめられ、ボクは気まずい気持ちになる。
力こそ正義の魔界。
しかし無闇な争いは無秩序を招くため、現魔王が規則を設けている。
戦いは決められた闘技場で、決まりは簡単。
勝てば上へ、負ければ下へ。負け続けると奴隷落ちなんてこともある。しかし殺人だけはご法度だ。
そういうルールを、目の前の鬼族はボクに教えてくれたが――
(これから『魔王を倒しに行きます!』って伝える? まさかね……)
そんなことを考えつつ、しかし自分がこれからどうすべきかも分からない。困ったボクはすぐ後ろを振り返った。
「リリィさん、ボクたちこれから、」
なぜかいつもより縮こまって、ボクの後ろに隠れている。助言を求めようとするが、ふいっと視線を逸らされた。
(リリィさん……?)
唯一の拠り所を失い、ボクは再び目の前のミサの表情を窺った。すると、驚いたことにミサはくつくつ小さく笑っていた。
「ドライアスさん。目的は、魔王さまとの手合わせでしょう?」
いや、手合わせというか、討伐……まあ、だいたいそれで合ってるが。目の前の魔族の意図が分からず、知らず片手で腰の剣の柄を確認した。
「まあ、そう固くならず。人族の勇者はそういうものだと聞き及んでおります」
自国の長を倒しに来た相手を前に、ミサは終始穏やかな姿勢を崩さない。
「挑戦者は、実力に応じた強者に挑めます」
「ですから」と、片目を閉じたままミサは続けた。
「まずは等級を上げましょう。特級となることで、魔王への挑戦権が得られます」
ルビーのような深い赤。鬼族の美しい瞳の前に、ボクは困惑を極めていた。
ボクは、まだ何も分からない。
魔界のことも。
勇者として、どうすべきかも――




