6. 魔境へ
灰と紫の斑模様の空。
地上には、血が乾いたような赤黒い砂地がどこまでも続いている。
骨のような形の不気味な植物の茂みからは、魚のような姿の魔獣が、絶えず飛びかかってきた。
「とにかく急がないと……!」
ぬらりと粘液まみれの魚魔獣を、風を纏わせた聖剣で斬り捨てる。とにかく早く、足を止めては駄目だ。
「リリィさん!?」
背負子に乗ったリリィの身体がぐらりと揺らぎ、慌てて彼女の身体を支え落下を防ぐ。肩越しに見るリリィの顔は蒼白で返事はない。軽く頬を叩くが、目は閉じたまま、荒い呼吸を繰り返すだけだった。
「しっかり! 眠っちゃダメです!」
なるべく負担のないように、こうして背負って魔界の地を駆けてきたが。それでもただの修道女の彼女には過酷すぎた。
「ごめんなさい……ボクが守ると言ったのに」
毒を貰ってしまったのだ。背中のリリィの安全には、常に気を配っていた筈なのに。ほんのわずかに掠めた人面蜘蛛の鬣に、触れたところから遅れて毒が回ってきた。
ボクの回復魔法は中級レベル。しかし、勇者のスキル『聖光』を重ねがけすることで、たいていの負傷は凌げるのに――
(どこもかしこも、瘴気が濃すぎる――!)
見渡す限り、砂、砂、砂。
どこまでも赤黒い砂漠が続き、リリィを休ませられる場所はない。
また一匹、飛び掛ってきた魚魔獣を斬り捨てながら、ボクは来た道を振り返る。既に3日、走り続けてしまったが、
(今からでも引き返すべきなのか……?)
唯一の相談相手は意識を失っている。彼女が落ちないように、帯で自分と彼女を固く結びつけながら、ボクは途方に暮れて来た道を振り返った。
しかし来た道は、流れうねり狂う赤い砂、そして刻一刻と位置を変える黒い川に呑み込まれていた――――
***
時を少し遡る。
「この塀の向こうが魔境です」
国境の砦街へ到着した翌日に、ボクらは砦の見張り台を案内されていた。
山と山、その間の谷を塞ぐように建てられた巨大な壁のような砦。高い位置に設けられた櫓から、目の前に不気味な赤い世界――魔境が広がっていた。
「この先は、理性のない魔物だけが住む世界です。十分に、支度をされてから進むことをお勧めします」
赤く見えるのは、瘴気で汚れた砂らしい。どこまでも赤く広がる大地、そして地平線に近づくほどに、不気味な黒と紫の斑に染まる空。
その景色に、思わず足がすくんでしまった。
高級宿や銭湯で、旅の疲れを癒しつつ、装備を整え、食料なども準備した。
預けた武器を回収しに向かった道で、ボクは背後から肩を叩かれた。
「ねえ君。もしかして、ウィウィ?」
振り返ると懐かしい丸眼鏡。両手いっぱいに本を抱えた少年は――幼馴染のトリスタンだった。
「トリスタン!?」
「やっぱり! ウィウィじゃん!」
わあ、とボクの両手をとって振り回したトリスタン。おかげでドサドサと本が地面に落ちていく。
「うわあぁっ! 商品が! 父ちゃんに怒られるぅっ」
「ほら、大丈夫だから」
落ちたと思われた本たちは、わずかに地面から浮いていた。そっとトリスタンの手を外した右手で、ボクはくるりと宙に円を描く。
緑の風が煌めいて、本は綺麗に重なり合って、幼馴染の腕に収まった。
「へ、ええ!? 魔法だぁっ」
すごいすごいと繰り返す彼に、また本が落ちそうになって苦笑しつつ、ボクはこの懐かしい空気に、ほっと心が和むのを感じていた。
「……へぇえ。そうだったんだぁ」
話は盛り上がった。故郷の町を出て半年あまり。ボクらは互いの近況について話し合った。
トリスタンはボクの身体をペタペタ触り、「あの貧弱だった君が」とボクと自らの腕の太さと比べて目を丸くする。だけどすぐに、「中身はウィウィのまんまだ」と笑ったり。
そうなんだよ。ボクの心は未だにただのシティボーイ。ちっとも勇者になった気がしない。
「それで2日後に魔境? 大丈夫なの?」
「仲間も一人しかなくて、しかも戦えない女の子なんだ」
話を聞き、トリスタンは深く眉を潜めた。小声でボクの耳に囁きかける。
「その、さ。素人目線でなんだけど、もう少し国の支援とか準備とか……」
友人は心から、ボクの状況を案じてくれた。
この魔王討伐の旅は無謀ではないか。
友人の視点を得ることで、そんな不安が強まっていく。
(そうだ。なにも2日後でなくとも……もうちょっと準備して。もう少し国内で、村を巡って魔獣を倒して。ついでに仲間も探して、もうちょっと力も磨きたい――!)
「ボク、やっぱり――」
「いけませんよ、勇者さま」
突如真横から声がした。
しっかりとアイロンの効いた、皺一つないブラウスとスカート。ついこの前まで、神殿で世話になった、修道院長その人が、すぐ隣に立っていた。
「これまで寄り道せず、規定通り進んでこられましたね」
事務的に淡々と、彼女の声は紡いでいく。
「魔境への出発は2日後。変更は、ありません」
その言い方に、ゾッとする。この人たちは見ていたのだ。裏で、道中もずっと。自分が勇者としてきちんと職務をこなしているかを――
くるりと院長は立ち去った。雑踏のなかにあっという間にかき消えた。気づけばトリスタンもどこにも居ない。
「――相変わらず、いけすかない。私、あのおばさん、嫌いなのよねぇ」
ふわりと桃色が隣で揺れた。見ればリリィが雑踏に向かってあっかんべーを飛ばしている。
「リリィ、さん?」
帰りの遅い自分を探しに来てくれたという彼女。
「嫌ーな奴ら。手伝いもしないくせに、ジロジロと監視ばっかり」
さっさと宿でご飯にしようと手を引く彼女に、ようやくボクは凍りついた身体を、前に進めることができた。
そして魔境へ旅立つ日がやってきた。
砦の兵士が、砂漠に向かって跳ね橋を下ろす。
「ウィウィ、いってらっしゃい!」
橋へ足を踏み出そうとするその瞬間、リリィが突如踵を返した。街側へ向かって一目散。逃げ出したのだ!
「リリアンヌ・オレイネン。あなたも勇者と同行するよう、国からのお達しです」
「あら、イケメン」
兵士の間をするすると駆け抜ける彼女の前に、
爽やかな風貌の兵士が、両手を広げて立ち塞がった。
「こんなか弱い女の子に、酷すぎると思いません?」
上目遣いで爽やか兵士に訴えかけるリリィ。その瞳が妖しく光り、ふんわり桃色の髪が広がった。
「ね、あなた。 そう思うでしょう? ――魅了」
ぶわりと甘い香りの風が巻き起こる。
(これが彼女の――スキル!)
初めて見る彼女の力が、兵士を襲うかに思えたが、
「魅了返し」
イケメン兵士の呟きは、あっさり力を拒んだようだ。それどころか、
「は、わわ……」
リリィの身体がびくりと硬直した。
「院長さまから聞いておりましたが。まさか本当にお逃げになろうとするとは」
整った眉をわずかに下げながら、兵士は申し訳なさそうに名前を呼んだ。
「リリィさん」
「は、はい……」
兵士は膝を屈めると、小柄なリリィと視線を真っ直ぐに合わせた。
「お願いがあるんです。僕のために、ウィウィ勇者と、旅に出てもらえませんか?」
ふらふらと、リリィの頭が左右に揺れ始める。
「だめ……リリィは……」
「リリィ、お願いです」
重ねて囁かれた言葉に、リリィはブルリと身震いした。一度ボクを振り返り、また兵士の顔を見つめ直す。
やがてカクカクとした動きで、ボクの背負子によじ登った。
「良い子ですね。リリィ」
微笑むイケメン兵士。そして隙間なくボクらと砦を分かつように並ぶ兵士たち。
まるで彼らの視線に押し出されていくようだ。ボクはふらつくリリィをしっかりと背負子に乗せ直し、跳ね橋を渡り、赤い砂地へと踏み出した。
***
どこまでも赤い砂漠を走り、走り、走り続けた。
背中越しに感じるリリィの呼吸は、刻一刻と弱まっている。そのことに泣きそうになりながら、超人たる勇者の肉体を酷使して、ボクはひたすらに走っていた。
当てもなく、ただがむしゃらに。だけど勇者の「勘」というのは凄い。
気温が下がり、粘つく瘴気が和らいだ。
ボクはわずかな違和感に立ち止まり、必死で周囲を見回した。
――あった!
砂だらけの世界にただ一つ、カクカクとした突起物。人工物らしきシルエットに、ボクは縋る思いで駆け寄った。
(看板?)
砂中に深く埋められた太い杭。その上に矢印が描かれたデカい板がついている。そこに書かれた文字に、ボクの思考は停止した。
『入管はこちら→』
なんと、ブックマーク・リアクションが増えていました。
ありがとうございますm(__)m
ありがとうございますm(__)m
とても励みになっています!
第三章は新勇者ウィウィくん中心に視点が進んでいきますが、あくまで主人公は第一章の「僕」のままです(今は魔王アダムですね。ややこしい(^_^;))




