3. 逃走
時を少し遡る。
僕は、文字通り必死で逃げていた。
なんたってここは魔の森だ。四天王を倒したばかりの勇者一行が休む野営地には、聖女の結界が張られていた。
(死ねってこと!?)
武器も、防具も、何もない。必死で描き溜めていた魔法陣の冊子すら、テントに残してきたリュックの中だ。
一般人と大差ない身体能力で、全力で暗い森を駆ける。飛びかかってくる"切り裂き蝙蝠"を、右手薬指に描いた魔法陣で撃退した。
ぱしゅう……
またひとつ、魔法陣が消えてしまった。今僕に残された生命線。それは、全身に刻んだ大量の『魔法陣』。――初級レベルの魔術なら、原理上あらゆる魔法をストックし、即時発動できる代物だ。
ぱしゅっ、しゅばっ……
うわ、また2つも魔法陣が消えちゃったよ。見れば両足首に双頭のヘビが食らいついている。踵で光った魔法陣が、ジワジワと喰らいついたところから蛇を溶かしていった。
属性、才能問わず、あらゆる魔法を対価もなしに発動できるなんて、凄いと思うだろ? それがそうでもないんだよ。
まず僕が本来持つスキルは、『描画』『魔力固定』。この2つだけ。
まず『描画』。
思い描いた図形を正確に描き出すことができる。紙だけじゃなく、色んなものにも描けるし、図の認識や理解、記憶力も高めてくれる。絵描きにぴったりのスキルだね。
次に『魔力固定』
魔力の流動を停止させる。例えば、魔術師や魔物に使えば、魔法行使を阻害したりもできるんだ。……視界に収めて触れる必要があるからね。ナイフで刺したほうが手っ取り早いでしょ。
しかしだ。糞スキルに悩みに悩んだ僕は、遂に編み出したんだ。
名付けて、複合スキル『魔法陣』!
あ、ほら。今僕が逃げてるかなり前方に、たぶん何か隠れてる。距離は――十分かな。走りながら屈んで、手頃な石を拾う。足は止めない。そのまま、石に魔力を流し込み『描画』、即『魔力固定』。
できました! 連なった幾何学模様が淡く浮き出るその小石を、僕は勢いよく振りかぶる。投げる!
パァーーーンッ
炸裂音。暗い森のなかに光が迸る。ほら、なんか耳がいっぱいついた猿が、沢山落ちてきたね。
一般的な"魔法陣"は、不人気だ。希少なインク。煩雑な陣の描画。そんでもって、発動に時間がかかる。魔術師が一人、場合によっては複数人で、時間をかけて魔力を込めて、ようやく発動するんだから。実戦じゃあ使えない。今じゃ、儀式用など限定的にしか使われてないんだよ。
じゃあ、僕の『魔法陣』は凄いと思うでしょ? それがね――あ、ほら。もう魔力がすっからかんだから、新たに魔法陣が描けないよ。平均的な魔術師よりも魔力が低い。そんな僕に描ける魔法陣の数は限られる。くそう、他者の魔力も借りられたらなあ。アダムの奴、寝てるときも魔力垂れ流しで、勿体ない。
(――って、あんな奴のこと、もう思い出したくもない!)
服をめくり、なんならズボンと下着の隙間も覗き見る。残った魔法陣の数を正確に把握しないと――あと50!?
くそう、なるべく節約して乗り切るぞ。投石を混ぜてなんとか――あ、無理。
***
ついに追い込まれてしまった。
目の前は切り立った崖。あと少し。あと少しで森を抜けられそうなのに。もはや体に刻んだ魔法陣のストックも残すは片手の指の数だけだ。
そんな僕を嘲笑うかのように、絶望が姿を現した。
八本脚。
家より大きな巨大なオオカミが、不気味な一つ目で僕を捉えている。
「くそっ、ここで縄張りの主かよ」
思わず後退った踵が、背後の土壁を削る。
絶対絶命。ああなんかお腹がゴロゴロしてきた。
(あ、やばい)
眼前のオオカミではない。いや、それもヤバいけど。
プゥ〜……
気の抜けた音。
極度の緊張でガスが出てしまった。
すんすんと空気を嗅いだボスオオカミが
ばんっ
倒れた。
「ああ、もう。虎の子の魔法陣まで」
名付けて"ご不浄陣"。それがどこに描かれてるかって? 察してよ。僕、お嫁に行けなくなっちゃう。




