2. 勇者育成
「ええ!? 無理ですよっ――」
まさかいきなり、魔獣をけしかけられるとは。
灰色の、狼のような生き物が、ボクを押し倒そうと飛び掛ってきた。咄嗟にボクは、持ち上げるだけで精一杯の剣を掲げ、
ガキィーーンッ
裂けるように開かれた顎を、なんとか受け止めたものの、魔獣の勢いに押され尻餅をついてしまった。
「上出来です」
目の前に赤が飛び散り、剣ごしに感じていた圧が消え去った。どさりと音がしてようやく、ボクは魔獣の首が、斬り落とされたことに気がついた。
「初めて剣を握ったとは思えない。よく反応して動けています。さすが『勇者さま』ですね」
どす黒い赤で汚れた剣を拭い、鞘に戻した強面の男が、手を叩きながらやってきた。大きな一枚布を、腰ひもで留めたような服は、一見戦いに向かないような装いだが、なぜか強者の貫禄を醸し出す。
「ダイ先生。さすがもなにも、ボクは必死で振り回してただけで――」
「よし、次に行ってみましょう」
駄目だまったく聞く耳を持ってくれない。
新たに解き放たれた魔獣三匹が迫り来るのを見て、ボクは必死で剣を握り直した――
みっちり一ヶ月。
剣の稽古をつけさせられた次は、
「右手で風の刃。左手で土壁を作りなさい」
全身が白一色の女魔術師が、片手から出した風の刃で大岩を粉々に砕き、反対側の手で巨人すら防ぎそうな土の壁を生み出した。
「レーニャ先生。あの、そもそも魔法はどうやって――」
「感じなさい。世界に身を委ねるのです」
真っ白な長髪を吹く風になびかせながら、ボクの魔法の教師は目を閉じたままそう言った。
そんな無茶な。魔法の「ま」の字も知らなかったボクに?
――――できちゃったよ。
片手の平に、ビー玉サイズの風の玉。
くるくる可愛らしく渦巻くそれを見て、ボクは小さくため息をついた。
やれば意外とできてしまう。
もちろん、物凄く大変だし、冗談抜きで血反吐はくような訓練の日々だけど。
ボクの身体は、信じられない速度で成長してた。
「……と言っても、まだまだ戦える気がしないんだよね」
夕食の席。
長ーい長方形の机の上座にぽつんと座るボクは、思わずボヤいてしまった。
「いけませんね。勇者たるもの、常に品位に気を配らねば」
四角いメガネの位置を正し、スパッと注意を飛ばしてきたのは、ボクの座学の先生だ。
「リィゲン先生。食事のときくらい、勘弁していただけませんか」
ああ。声を出すのすら辛い。
ひと月の剣術修行(剣以外の各種武器含む)。
次の一ヶ月は魔法修行(毎日魔力枯渇で気絶するまで実施)。
そして今は、剣と魔法を織り交ぜた戦闘訓練に加え、隙間時間に座学や礼節の授業がみっちり詰め込まれ、ボクはすっかり参っていた。
「いけません。ただでさえスケジュールが押してるんです」
キラリとメガネを光らせて、リィゲンは手元の分厚い資料をパラパラとめくった。
「今週中には魔獣生態学と魔界地理気候学。来週には薬草学及び対王族マナーを――」
「うぐっ……!」
怒号のスケジュールに、ボクは食事を喉に詰まらせた。なんとか水で飲み干すが、そのまま机に突っ伏した。
「ドライアス君? お行儀が悪いですよ」
限界だ。もうこのまま放っておいてください。
「……どうして、ボクなんですか? もっと強い人、沢山いますよね?」
顔の角度をわずかにずらし、ボクは片目で斜め向かいに座るリィゲン先生を見上げた。
「ダイ先生とレーニャ先生、リィゲン先生で魔王、倒してきてくださいよ」
本心である。
剣聖ダイに王宮の筆頭魔術師レーニャ、そして我が国最高の頭脳を持つ戦術家のリィゲンだ。
「それは管轄外ですね」
「管轄……外?」
意味が分からない。頭を上げたボクに、リィゲン先生はいとも真面目な顔つきで告げた。
「魔王を倒すのは勇者の役割です。勇者が戦うことに意味がある。あなたは、この国の"希望"なのですから」
この時のボクは、まだその意味をうまく飲み込めなかった。ただひたすらに、課されることをこなす日々が続いていった――
そしてひと月後。
勇者に選ばれてから三ヶ月。
詰め込み教育を終えたボクは、魔王討伐へと旅立たされた。
聖剣と魔力増強のバングル、必要な物資が詰め込まれた鞄を渡され、ひょいと神殿外に放り出されたのだ。
「――え? 待って? 仲間は……?」
ぽつんと通りに佇むボク。
勇者ウィウィコンテ・ドライアス。
行き先は魔界。
ひとり旅の始まりだ。




