0. 愛の奴隷
主人公の仲間のひとり。
獣耳娘のお話です。
私は母に愛されています。
だから母は私に、最も良い布地を与えた。
私は父に愛されています。
だから父は方々へと頭を下げ、より良い奉公先を探した。
私は両親に信頼されています。
だから幼い弟妹ではなく、私が奴隷商の元へ来た。
母は涙し、父は必ずすぐに迎えに来ると約束し、私を買い取った商家の元まで、見送りにやってきた。
商家の旦那さまは良い人でした。
従業員と変わらず私を教育してくれた。
奥様も良い方でした。
食卓で一緒に食べようと誘ってくれた。
坊ちゃまは――――仕方ありません。
私は奴隷なのですから。
耐えねば。
訴えようものならば、旦那さまは失望される。奥さまが心を痛めてしまうだろうから。
私さえ耐えれば……
商家に引き取られてもうすぐ2年というところで、私は奴隷商の元へ返された。
奴隷にも種類があります。借金奴隷は傷つけてはならないのです。坊ちゃまによる虐待が明らかとなり、規約違反で、私は奴隷商の元へと返されました。
旦那様は坊ちゃまを強く叱り、罰を受けさせるとおっしゃいます。
奥様は私を抱きしめ、涙を流し謝ってくださいました。
――――別に私は良かったのに。
やさしい旦那様と奥様。丁寧に仕事を教えてくださった商家の従業員たち。皆が私が去ることを惜しみ、見送ってくださいました。私のために、密かに坊っちゃまの悪行を通報した年配の女中などは、最後まで大泣きでした。
***
奴隷商へ戻って幾日か経った頃。
父が、やってきました。
「お金が貯まったから、帰っておいで」
別れたときの記憶より、ずいぶんと老け込んだ父。その背後には、隠れて着いてきたのでしょう。一番上の弟が、柱の影からひょっこりこちらを覗いていました。
「私、まだ戻らない」
柱の影から覗く弟の、ガリガリの腕が目に入り、父が出した皮袋を、そっと私は押し戻した。
そのお金があれば、弟妹はもう少しまともに食べられるはず。
「奴隷のほうが仕事もあります。それに実家よりも良いご飯が食べられますから」
他人行儀に告げた私に、父はショックを受けたようです。目を見開きおろおろと、言葉にならない何やらを呟いていました。
頑な私の態度に、父はやがて撤退しました。
(せめて縋り付いて、『お前が帰ってこなきゃ駄目なんだ』とでも泣きついてくれたなら――)
寂しかったのでしょうか。
いえ、その時の私はなんだか、ぼんやり物足りなさを感じていたような気がします。
***
その後、すぐに新たな仕え先が決まりました。
人の良い奴隷商は、商品であるにも関わらず、私たちになるべくきちんとした買い主を見つけてきてくださいます。
農家の手伝いに、町の汚物清掃係。
舞台女優の小間使いに、冒険者パーティーの荷物持ちなんて仕事もありました。
一生懸命働きました。
冬場に泥水に胸までつかって地面を掘り返しても、農場主は必ず湯浴みを準備して、温かなミルクで労ってくれました。
嗅覚の良い獣人の私は、鼻が曲がりそうになりながら、汚物に塗れて歩き回る。住人たちはそんな私に、温かな声をかけてくれました
女優は情緒不安定で、ぶたれること多々あった。だけど公演後には抱きしめて、そっと頬に薬を塗ってくれました。
冒険者パーティーは、刃物の扱い方を教えてくれて、私も一緒に戦いました。
「なのに、どうして」
――なぜか、うまくいかないのです。
「獣人愛護」を謳う保護団体。勝手に農夫を訴えて。私は困ってなんかなかった。
町の議員のドラ息子。まさか感染症の原因だと騒ぎ立て、汚物回収業を廃止にするなんて。あの町の今後の衛生が心配です。
人気女優となったことで、妬みも増したのでしょう。聞くに憚る「彼女と獣人奴隷の関係に纏わる噂」――確かに短気な方でしたが、事実無根の嘘っぱちです。火消しには、私が消えるしかなかった……
私を奴隷解放すると言った冒険者パーティーのリーダー。副リーダーであり、彼の恋人でもある魔術師の女性は、私を疎んだのでしょう。気づけば薬を盛られ、奴隷商の店舗の前に捨て置かれていました。
「何も悪いことしてないのに」
固く冷たい床の上で、私は格子のはまった窓の外を眺めていた。
どんなに優しい雇い主も、いずれ私が邪魔になる。
「『あなたが来てくれて良かった』って……言ったじゃない」
皆みんな、嘘つきです。
愛していると言いながら、いとも簡単に手放してくれるのだから。
「絶対に私を手放さない、そんな人はいるかしら……」
いっそ、犯罪奴隷に身を落とすことさえ、その頃の私は考えていました。
犯罪奴隷を必要とする人は、後ろ暗い経歴や、ほかには漏らせない秘密を抱えている方が多いと聞きます。
そんな方なら、私を強く必要としてくれるのでは、と考えて――
***
「駄目だよ。人を人とも思っちゃいない、危険な奴に使い潰されるだけだ」
真っ青な髪。
澄んだ空をそのままに写したような、アイスブルーの綺麗な瞳。
なぜか奴隷の私は、この国の勇者と一緒に、小さなカフェでお茶を共にしてました。
「私がいないとダメダメで、絶対に私のことが必要であり続ける人が必要なんです!」
目の前に置かれたグラスは、鮮やかなオレンジ色でいっぱいだ。そのグラスの向こう側で、勇者はにこにこ笑っていた。
「君は存在するだけでかわいい。つまり世界には必要だよ?」
勇者は肩肘で頬づえをつきながら、空になったグラスをくるくるかき混ぜている。
「そんなんじゃダメです。私なしには生きてけない、たった一人が必要なんです!」
「……へぇ」
一度その空色の目を見開いた勇者は、何を思ったのだろうか。手の平が淡い光を纏ったと思ったら、彼の手元のグラスの中に、魔法の氷が出現した。
「八百屋のおっちゃんは?」
今の私の主である。反射で眉間に皺が寄るのを感じ、慌てて私は表情を繕った。
「悪くは……ないんですけど。あの人の求める水準は、ちょっと……」
カラン、コロン。勇者が手を翳したところから、次々と氷が出現する。すぐにグラスは氷で一杯になった。
「確か『共に野菜を愛してくれる』が条件だっけ。でも君なら――あ、ちょっと君!」
話を一度中断し、勇者は通りがかった店員に声をかけた。
「このくらいの器を、そう。そんな形。借りられるかな?」
なぞの注文をすると、勇者は再びこちらを向き直った。
「君はこれまで、どんな主の希望も叶えてきた、凄腕借金奴隷なんだろ?」
いつの間にか、奴隷販売リストにつけられていた、私のキャッチフレーズだ。その微妙な言葉の響きはさておいて、実際に私はある程度のことなら、なんでも卒なくこなせると思う。
「ですけど、今回は手に余ります。常軌を逸した野菜への愛……私にはとても……」
「うーん、そっかあ」
そこへ店員が、大きな器を運んできた。お椀に脚がつけられたような、口の広い器である。その隣にいくつかの小皿が、手際よく並べられていく。
「以上でお揃いですか?」
「うん、麗しのお姉さん。君の美声を添えることで、このテーブルは完成したよ。ありがとう」
店員の女性は頬を赤らめ、小走りで去っていった。
「あなたの愛は、軽いですね」
前の男を見る目が、つい冷たくなってしまう。しかし勇者は気にした様子もなく、届けられた器へ次々と、小皿の中身を移していた。
「それ、もらうね」
私が一口もつけていなかったオレンジジュース。それと先ほどの氷入りのグラスを手に取った。二つのグラスを広口の器の上へと持っていき、高い位置から一気に中身をひっくり返し――
「それは……?」
ジュースと氷が触れ合った瞬間、きらきらと細かな雪のように、グラスの上へと振り積もる。お椀の上にこんもりと、淡い橙の山ができていた。
「食べてご覧」
匙が細いスプーンを手渡され、私は恐る恐る、一口すくって食べてみた。
――冷たい。でもさっと口の中で溶けて、仄かな柑橘の香りが抜けていった。
「ふふ」
シャリシャリと、気づけば私は無心で食べていた。下の方に何か――白いもの。ミルクを固めたものでしょうか。滑らかで、上の冷たいシャリシャリと一緒に食べると、なお美味しい。
「良かった。あんまり食が進まないみたいだったからさ」
満足気に私を見つめる勇者に、私は思わずドキリとした。
「……でも駄目ですね。この人は浮気性ですから」
世の女性がなぜこの男に夢中なのか、少し分かってしまった気もするが。私がほしいのはそれじゃない。
「ひどーい。俺は女の子が好きなだけなのに」
ちっとも悪びれた顔もせず、勇者は相変わらずにこにこ顔だ。しかし次の瞬間、その軽い笑みに、質量が加わった。
「あ、じゃあダメダメなやつ。紹介するよ」
ぽんと手を打ち合わせ、彼は語る。これまで見せたどんな笑みよりも、穏やかな温度を添えて。勇者はひとりの男について、語り始めた。
「俺の親友がさ――」
***
勇者が話す男は、どこまでも情けなく、正直良いところなぞ、何ひとつ分かりませんでした。
それでも私が「勇者の親友」のことを忘れられなかったのは――それほどに、八百屋のおじさんとの日々が大変だったのかもしれません。
たいして期待はしておらず、しかしその日は訪れました。
第一印象は「ただのお人好し」。
男はあっさり私を奴隷から解放したのです。迷いはしましたが、勇者お墨付きのこの男。しばらく観察しようと思い、自ら男の奴隷となりました。
「主様。私の魔力を使ってください」
結果は、なんて素晴らしいのでしょう。
この男、死んだ勇者アダムのために、心身ともに尽くしきっているのです。
(ふふふ。主様。
なんて素敵な素質でしょう。
それほどにひとりの人間・アダムだけに執着できる。
ぜひ、その場所を代わってくださいな。
死者アダムは去り、その位置に、今度は私が座ります)
***
少し誤算がありました。
魔王討伐後に、主様は「僕は勇者アダム」だと言うのです。はじめは困惑してしまいました。次は私の番だったから。
ですが今、私はワクワクしています。
死後さえも、心に強くただ一人を置き続ける。主様の素質はそれほどに優れているということ。
なら、待ちましょう。
時間と共に、死者の影は薄れ行く。そこへ少しずつ、一滴一滴注ぎ込むように、私という存在を、主様に染み込ませるのです。
ああ、本当に楽しみです。
主様のその位置へ、私を据えてくださる日が――




