7. 「前夜」
「うへぇ……ダルいぃぃ」
テントの中。地面に敷いた防水布と一体化する男が一名。
「おーい、アダム。生きてるかー?」
そんな彼を、僕はツンツンと小枝でつつく。しかし勇者は微動だにしない。これは……死んだか。
「ほら。ちょっとでも栄養とって。食べやすいようスープにしたから」
少し冷めてしまったスープを、お椀ごと勇者の頬にグイグイと押し付ける。しかし奴は力なく頭を振るうだけで、頭を上げもしなかった。
無理もない。
ここ連日連戦、休む間もなく戦いの日々だったのだから。北の砦が破られ、魔獣がなだれ込んできた。
防衛戦は撤退を繰り返し、ついに大きな街のすぐそばまで迫っている。
「はぁ……ちょっと待ってて」
僕はテントの布を持ち上げ外に出た。焚き火の側に立つチャキとディディがこちらを振り返った。
「アダムは……食べてないのね」
僕の手の中にある中身がそのままのお椀を見て、ディディが小さくため息をついた。
「参ったな。戦士は食ってなんぼだろ」
食欲不振なんて経験したことがない、と不思議そうにするチャキに、ディディのデコピンが炸裂した。
「いたっ――あんたが鈍感すぎなのよ。いたた……」
「大丈夫か?」
さすが人類最強の防御力。デコピンした側のディディが、指を押さえて悶えていた。そんな彼女の小さな手を、チャキはその大きな両手で包み込む。
がさり――
近くの茂みが揺れて、僕らの間に緊張が走った。傍らの盾を引き寄せるチャキ。先手を取るべく、低く構えるディディ。そして、いつでも逃げ出せるように、手持ちの魔法陣を数える僕。
互いの呼吸が手に取れるような沈黙は、しかし長くは続かなかった。揺れる枝葉の間からは、よく見知った白金髪が現れた。
「結界を張り直してきました――まあ、皆さん?」
だらりと脱力した僕らを見て、聖女ビビアンは目を瞬いた。
「もう。驚かせないでよ、ビビ」
ずかずかと大股で聖女に歩み寄ったディディは、その頭へと手を伸ばした。
「葉っぱ、ついてるよ」
「あら、ありがとうございます」
そんな彼女らのやり取りが微笑ましい。僕はぐっと手を伸ばすと、ぐるりと皆の顔を見回した。
「ちょっと野暮用。皆しっかり休んでて」
野営地を離れようとする僕の背に、チャキの不服な声が飛んできた。
「便所か? 休むも何も、俺は不寝番なんだが?」
「チャキありがとう! さすが人類最強の盾! その体、眠らずとも衰えることあらず! 感謝してます!」
そんな僕の軽口に、チャキは嫌そうに顎をしゃくって言った。
「うぜぇ、さっさと行ってこい。食われんなよ」
はは。それはほんと気をつけなきゃね。
僕はひらひらと手を振って林の中へ、獣道をかけ分けていった。
「よかった……何も出なかった」
聖女の結界はほんとすごい。この魔獣の巣窟真っ只中で、一匹も侵入を許さないのだから。
「強いのは入ってくるんだけどねぇ」
だから急ぎ足。わずかな月明かりと、昼間に付けた目印を頼りに、夜の林を進んでいく。
「あったあった」
この林のなかでもひときわ大きな木が並ぶ。その一つに僕は近寄ると、手探りで木の表面を探っていく。樹皮に刻まれた傷に刺さった棒にいきあたると、僕はそうっとそれを引き抜いた。
「よし。いい感じに溜まってる」
引き抜いたのは草の管。中空になった管は、トロリとした液体で満たされていた。
同じように、いくつかの木から管を回収する。
《空腹春熊の甘蜜感知》
樹液を集めるのは難しい。我がパーティーのワガママ勇者さまのために、わざわざ開発した魔法陣。管のなかは効率よく集められ、濃縮された蜜でいっぱいだ。
それでも一本あたりの量は知れている。僕は大事にこぼさないよう仕舞うと、来た道を急ぎ足で戻っていった。
「薄い」
夜具の上で起き上がり、コップに口をつけたアダムは言った。
そりゃそうだ。残りわずかな携帯食の干し果物、そこに加えたなんちゃって樹液。あり合わせで作った果実水だもの。本職の奴には勝てないさ。
「香りも弱いし」
含んだものを転がすように、勇者は口をもぐもぐさせて飲み込むと、さらに文句をいいやがった。大変だったんだぞ。しばいたろうか。
「でも――うまい」
アダムはこちらに向き直ると、アイスブルーの瞳を柔らかく細めた。おい、いきなりビビるな。まあ、許してやるか。
「ぷはぁ〜。ちょっと生き返った」
偽果実水を飲み干したアダムは、腕を大きく伸ばすと、そのまま仰向けにひっくり返った。
「……そろそろ、チャキと代わらねーとなぁ」
倒れたままに、親友はぽつりと呟いた。いつもならもうとっくに交代の時間だ。だけど今日は、気を利かした仲間たちが、アダムの休憩時間を伸ばしてくれた。
しかし仲間たちもお疲れだ。特に連日不寝番をこなしてるチャキも、一度体を休ませないと。
そう頭では思っているが、僕はなかなか言い出せない。
「疲れたなぁ。何匹倒したっけ?」
本当に。北の砦を突き破った魔獣の群れは厄介だった。過去にも魔獣の暴走は何度かあった。魔獣の数は、実は今回それほど多くはない。
「上級だけで74体。ボス級が19体に、災害級が3体だ」
「はは……俺たち、頑張ったな」
思わず笑いを漏らすアダムにつられて、僕も苦笑いをこぼす。等級がおかしいんだよ。一体一体が強すぎる。
「帰ったら、女の子たち褒めてくれるかなぁ」
マリーにレティシア、ユイナにビアット。指折り女の子を数える勇者に、僕の心がちくりと痛む。
確かに強い魔獣ばかりだ。防衛隊の兵士や並の冒険者たちでは、無傷で倒すことはできない。死者も出るかもしれない。
(だけど、全部勇者に任せるのはおかしいだろう?)
確かに勇者なら難なく倒せる。だけど勇者だって人間だ。体も心も疲れるんだ。それなのに、国は防衛線をあっさり下げた。勇者だけに、戦わせたのだ。
(まったく、お人好しなんだから)
先ほどアダムが上げた名前だって、戦線から退いた女兵士たちの名前である。僕はイライラと空になったカップを布でぬぐっていた。
「ビビアンが言ってた。標的はもう近い。あと少しの辛抱だよ」
僕たちの目標は、四天王と呼ばれる魔族の長のひとり。神殿の調査によると、今回の魔獣の暴走に、この四天王の一柱が関与しているらしい。
「この遠征が終わったら、しばらく休暇にしよう」
名案だというように、両手を叩いた勇者。何がおかしいのか、くすくす一人笑いを始めた。
「いっぺん、村に戻ろうぜ」
「は?」
唐突な勇者の提案に、訳がわからず僕は口を開けて固まった。
「イータンも誘ってさ。久々に行こうぜ、秘密基地」
そうして語られるのは、アダムと彼の妹と、僕がかつて遊んだ秘密基地。そこで時間も忘れてダラダラと、好きな食べ物を持ち込んで、めいいっぱい羽を伸ばすのだ。
「川で魚を釣って、葉船を作って競争してさ」
懐かしそうに語る勇者は、がばりとその場で起き上がった。
「そん時は、果実水。うまいやつ、持ってこいよ」
親友のアイスブルーの瞳が、じっと僕を見つめてくる。遅れて僕は返事した。
「任せといてよ。前よりもっとウマいの用意するから!」
冗談だ。
そんな時間がないことも、彼も僕も分かっている。
勇者はにこりと微笑むと、一度だけ僕を振り返り、テントの外へ出ていった。
(でも、果実水くらいなら――)
いくらでも用意してやろう。この時、僕はそう心の中で約束をした。




