5. 「母ちゃん熱い鍋へっちゃら」
あいも変わらず僕にできることは少ない。
それでも勇者パーティーと旅を続ける僕は、常に新たな魔法を求めていた。
「あっちゃっちゃっちゃぁあ……!」
とある街の料理店。年季の入った木造建ての店内は、多くの冒険者で賑わっている。フロアの奥、店員たちの声が忙しなく行き交う中に、ひとつ場違いな悲鳴が混ざっていた。
「あ゛っつぅ〜……」
僕は慌てて両手を水がめの中へ突っ込んだ。そのままの姿勢で、足先で床を探る。サンダルを脱いだ素足が冊子にいき当たると、趾で一枚目をめくり取り、なんとか口元へ運んだ。
「ひほう(起動)」
くわえた紙に淡い陣が浮かび、手を浸けた桶の中に強い冷気が漂った。
「ふぅ……」
冷たい水の中、ようやく人心地がついた。火傷はしっかり冷やさないと、後が悪くなるからね。
「まぁた、無茶やってるに」
両手で大鍋の取っ手を掴んだおばさまが、通り過ぎざまに声をかけてきた。すごい湯気を上げる鍋。すごいな、何人分のシチューだろ。とてつもなく熱そうだ。
「おばちゃん、それ熱くないの?」
「んん? ちっとだけだに。熱くないよ」
にこにこ笑顔で鉄鍋をどすん。いやここまで熱気が漂うよ。それ絶対めちゃくちゃ熱いでしょ!?
おばちゃんは、丸っこい顔に心配を浮かべ、僕の手元をのぞき込んだ。
「あんた、まだ若いんだから、無理は駄目だに。軟膏いるかい?」
おばちゃんは僕の手をとると、しげしげと眺めていた。僕の手をいじる大きな手は温かい。ゴワゴワして水仕事ならではの傷と豆だらけ。厨房で働くなら珍しくもない当たり前――――しかし重大な秘密が、この手に隠されているはずなのだ!
「も少し冷やしとき。これはおばちゃん、持ってくからに」
真っ黒な黒い玉。炭火でじっくり焼き締めた芋である。まだもうもうと湯気をあげるそれを、おばちゃんは難なく作業台へと移し、さっさと皮を剥き始めた。
(やっぱり。一定の魔力パターン……)
僕は目を皿のように見開いて、おばちゃんの一挙一動を見守った。
「おばちゃん、ちょっと触っていい?」
「触る? ああ、私に?」
いくつもの黒玉が剥かれ、輝く黄金色の芋が現れる。手は止めず、しかし横目でこちらを見たおばちゃんは、カラカラと笑って言った。
「よく分からんけど。おばちゃんなんかで良かったら。好きにしい」
快く応じてくれる彼女に、内心深く感謝しながら、僕はまだひりつく両手でそっと、彼女のまくった腕に触れた――――
いつもおちゃらけた親友が、鋭い目つきで僕を見る。アイスブルーの瞳が、すっと冷たく細められた。
こちらに向けて伸ばされた片手の平に、青い光が輝きを増し、収束した光玉が放たれ――――
「危ないっ――――!」
ご――ぉおおおっ――――
真っ白な翼に攫われた僕のすぐそばを、青炎が通り過ぎていった。
浮遊感。
気づけば僕は、空から草原を見下ろしていた。
抉れた地面、もうもうと上がる煙の元で、チロチロと青い炎が燻っている。
「なに考えてんのよ!」
ふわりと高度が下がっていく。僕は翼の生えた女性――――ディディさんの腕の中で、お姫様抱っこされていた。そのままアダムの前に舞い降りた彼女は、僕を下ろすと勢いよく勇者へと迫った。
「アダム! いま本気で撃ったの!?」
背後でぷすぷすと燻る地面からは、今も熱気が漂っている。ディディは険しい表情で問い詰めた。
「いくら――いくら弱くて足手まといで」
ん?
「確かに顔も良くないし、弱いクセに癇に障る奴だけど――!」
あ、なんかディスられてます? おかしいな。少しはディディさんと仲良くなれたと思ってたのに。
「あ、ちがうんですディディさん」
内容はともかく、僕のために怒ってくれてるみたいだから。僕は慌ててアダムとの間に割り込んだ。
「魔法陣の実験です」
「実験……?」
疑わしそうにこちらを見るディディに、僕は懐から一枚の紙を取り出して見せた。
「先日、食堂で働く女性が使っていた熱耐性魔法。名付けて《母ちゃん熱い鍋へっちゃら》魔法陣です!」
おっと、微妙そうな顔ですね。しかし効果を知っても驚かずにいられるかな?
「一見、ささやかな生活魔法。僕もはじめはそう思いました――」
街一番のにぎわいを見せる庶民食堂。大食らいのうるさい冒険者たちが出入りする店は、厨房が戦場だ。次々と入る注文を、歴戦の料理人たちが捌いていくわけだ。その中のひとり。僕は気づいてしまったのだ。明らかに熱い鍋を、平気で素手で触るおばさまに。
「熱い鍋、なんてもんじゃない。竈の鉄板、焼きたてのローストチキンごと。それにまさに今、ポテトを揚げてた油鍋を掴むんですよ!?」
「確かに……」
向かいでアダムがうんうんと頷いた。
「あのポテトは美味かった!」
ちげーよ! 鍋の話だ。素手で掴むんだよ? 熱いじゃ済まないレベルでしょう?
「それで判明したんだ。おばちゃん、無意識に魔法を使ってるって……!」
僕は三日間、食堂のおばちゃんに張り付いた。密着取材の後に、ついに完成した魔法陣。それがこいつ!
「あらゆる火炎魔法から3秒間、身を守ってくれるはずなんです」
僕の魔法陣スキルじゃ、初級レベルの魔法程度しか再現できない。普通の防火魔法じゃ、中級レベルの火炎魔法も防げないからね。
「それで早速、性能を試してたってわけさ!」
勇者が僕の話を引き継いだ。満面の笑みを交わし合う僕らに、しかしディディは懐疑的である。
「だからって、いきなり勇者の最上級・劫火天炎を使うなんて、大丈夫なの?」
「いけるいける!」
「はあ!?」
勇者の安請け合いと、僕の驚愕の声が見事に重なった。僕はギギギと首を横に動かし、親友に確認する。
「まずは中級魔法から試そうって、言ったよね?」
「おう。でも見てたらなんとなくいけそうで、やってみた!」
はあーーーー!? こいつ、親友に、迷いなく最上級魔法をぶち込んできたってわけ!?
「いや、それ……僕の魔法陣が、耐えれなかったらどうすんの?」
「ん?」
焦げた葉の破片と共に、僕らの間に沈黙が流れていった。
「ディディさん……ありがとうございました」
もしかすると命の恩人かもしれない。僕は相変わらずへらへら笑うアダムに冷たい視線を投げかけた。こいつ、本当に親友か?
「あんた、」
友人の定義について悩む僕に、ディディが距離を詰めてきた。
「その、ふざけた名前の魔法陣? 3秒って言ってたわね。3秒後はどうするつもり?」
一瞬、思考が白くなった。いやあ、まさかね。
「アダムさん……?」
おいぃ!? 明後日の方向を向いて口笛吹いてやがりますよ? こいつ、僕が話した"3秒間"も忘れてやがったのか!?
「はぁ。アダムが前から抜けてるのは分かってたけど、」
盛大にため息をついた軽戦士は、眉尻をつり上げて、びしりと二人を指さした。
「はい、そこ正座。とりあえず反省なさい」
そのあと僕らは仲良く説教された。
焼け焦げた草原のど真ん中で、日がどんどん傾いていく。
いやあ、ディディの説教長いのよ。隣のアダムが目を開けたまま寝るもんだから、気づいたディディがさらに怒って、これじゃ永遠に終わらんね。
「周りにかける迷惑、自分たちがやる結果の、先の先まで考えて――」
いやあ、しかしディディさんすごい。こんなに真剣に怒ってくれて。前から感じてたけど、良い人なんだよなぁ。
ふと、僕は勇者の炎から助けてもらったときを思い出した。純白の翼を生やした彼女。
(超希少スキル『天翔ける乙女』……)
普段は彼女の愛馬ピニー(実は騾馬)に、翼を与えるスキルである。ペガサス版ピニーは凄い。戦闘時にメンバーを乗せて空中機動で大活躍。なおかつ、普段の旅路では、馬車を1台引いたままに、空を進むことができる。
(いいなぁ。魔法陣じゃ、到底再現できないや)
てっきり、馬に翼を与えるスキルだと思ってたけど……本人も飛べるのか。これも奥が深そうだ。
「ほらそこ、きちんと聞きなさい!」
などと思考を巡らせているのがバレてしまった。ディディの怒りがこっちに飛んできたよ。
いい加減、なだめなくっちゃ。そうだな――
「ディディさん。本当にごめんなさい。以後、本当に気をつけます」
一度きっちりと頭を下げる。まっすぐ謝罪を告げたら、次だ。
「ディディさんの翼に助けてもらって、感動しました。いつも優しいだけじゃなく、まさか本当に天使だったなんて!」
女性は褒めるに限る! 僕は精一杯の心を込めて、感謝の気持ちを言葉にした……のだが。
「ぐふっ」
なんか隣で変な声。見ればアダムの顔色が真っ青だ。え、なに? なんか冷気が――――
「……二度と言わないで」
先ほどの説教とは大違い。消え入りそうな小声で、しかし恐ろしい圧力を発しながら、目の前のディディは呟いた。
「え? 何を? あ、まさか『天使』……?」
訳がわからず確かめようと隣を見た。いなかった。地平線、はるか彼方に、勇者が消えていくのが見えた。
「二度と言うなと、言ったでしょう――!?」
普段の彼女からは信じられない低い声。
おお神よ。ここに魔王がおりまする。
みんな、ディディさんの正体は魔王でしたわ。
こうして夕暮れの草原に、ひとりの幼気な民間人の悲鳴が鳴り響くのであった。
アダムめ、親友を置いて逃げるなんて、絶対許さないからな!
母ってすごいですよね。
きっと色んな魔法を使ってるんです。
※主人公の魔法陣メモ※
火炎魔法から身を守るなら、初級魔法の防御よりも、「母ちゃん熱い鍋へっちゃら」魔法陣!
母は熱い鍋なら3秒はヤケドせずに持てるんだ。すごいよね!
3秒間は完璧な熱耐性をもてる。
だけど三秒後には燃やされちゃうから、なんとかそれまでに脱出だ!




